【書評】高橋乗・、浜矩子著『2012年 資本主義大清算の年になる』
    発行・東洋経済新報社:2011年11月刊(1500円+税)

大清算迫られる危機封じ込めの金融政策と債権大国・日本の「円高」と未来への道筋

(インターナショナル第206号:2012年2月号掲載)


▼簡潔で判りやすい経済危機の記述

 本書は英米両国の「世界経済の行き詰まりを象徴する事件」から書き起こされる。イギリスのそれは2011年8月、ロンドンから始まって瞬く間にイギリス全土に広がった若者たちを中心とする暴動であり、アメリカのそれは同じく2011年の10月に始まった「ウォール街占拠闘争」である。
 2つの事件は、19世紀のパクス・ブリタニカの主柱だったイギリスと、20世紀のパクス・アメリカーナの盟主であったアメリアの両国が、いまや自国内の若者たちにすら「平穏な生活を保障できないほどに弱体化している」ことを象徴しており、それは「資本主義世界が断末魔の姿をさらしている」と言うのである。
 つづいて述べられる「資本主義世界の断末魔」を象徴する様々な国々の経済状況や事件の記述は、簡潔で判りやすい。ヨーロッパ債務危機と「国家破綻の連鎖」の可能性から、デフレとインフレが共存するグローバル・インバランスの矛盾の深まり、世界中の資金を呼び込めなくなったアメリカの苦境、そしてGDPの2倍以上もの国債残高を抱える日本経済の低迷など、広範囲に及ぶ複雑な経済状況が判りやすい文章で綴られていく。そしてドイツと日本にフォーカスした通貨問題で、今日の世界経済のプレーヤーと役回りが語られる。
 前者つまりドイツは、危機に直面している欧州統一通貨・ユーロの未来を左右する国として、後者つまり日本は、その後の第5章で詳しく展開されることになる「隠れ機軸通貨=円」の役回りに無自覚なだけでなく、ドルに対する円の切り上げが合意された時点つまり1985年のプラザ合意を契機に、「円安頼みの輸出主導型一辺倒の経済体質を・・・大きく転換して然るべき」状況にも無自覚な、今なお「輸出立国モデル」に固執して「円高対策」に巨額の資金を投じる無駄遣いの国として描き出される。
 だがユーロの命運を握るドイツについては、その後多くは語られない。2人の筆者は、リーマンショック以降の欧米の「日本化」問題を切り口にして、日本経済が無自覚のうちに影響を与えかつ撹乱さえしてきた世界経済の変遷を、1985年のプラザ合意にまで遡って解明してみせるのだ。それは、「隠れ機軸通貨=円」という筆者たちのオリジナリティーの論証であり、同時に今後の日本の行く末を考察する土台である。
 したがって6章で構成される本書の中の第5章「一ドル五〇円時代は目前に迫っている」は、本書のクライマックスなのである。

▼「隠れ機軸通貨=円」が果たした役割

 この章で語られる「円」は、プラザ合意つまり「管理されたドル安」という、当時のG5(イギリス、アメリカ、西ドイツ、フランス、日本の5カ国の蔵相・中央銀行総裁の会合)で合意された国際協調にもとづいて、短期間で対ドルレートが切りあがった通貨であり、その後、東南アジアの「奇跡の成長」を演出し、逆にまた一転してアジア通貨危機の主役を演じた通貨であり、08年のリーマンショックに至る金融グローバライゼーションの主要なプレーヤーの一角を担った通貨である。
 超長期に及ぶデフレ対策の金融緩和政策で低金利になっている円で借金し、過熱する景気を抑制する金融引き締めで高金利になっている新興国などの通貨に投資するといった、濡れ手に粟の利益を上げる円キャリートレードは、もちろん記憶に新しい。そうした円の運用はヘッジファンドなどの投機筋が手掛けたもので、日本の政府なり金融当局が自覚的にその威力と影響力を使ったわけではない。しかしだからこそ筆者たちは、頼りになりそうで頼りない円の現実を「隠れ機軸通貨」と呼ぶのだが、結果としてではあれジャパンマネーが世界を駆け回り、レバレッジを促進して金融バブルを膨らますなど、大きな役割を果たした事実は否定しようもない。
 さらに1998年のアジア通貨危機も、日本のバブル景気の崩壊で行き場を失って東南アジアに流れ込んでいた短期資金(つまり投機的な資金だ)が、前年1997年の北海道拓殖銀行と山一證券の経営破たんを契機に、日本の金融機関が「貸しはがし」や新規貸付の引き締めへとシフトした影響を受けて、東南アジアに流入していた投機的ジャパンマネーが急激に逆流したことで引き起こされたのである。
 だが他方で90年代前半に東南アジアに流入したジャパンマネーの大半は、円高を背景に日本企業が次々と生産拠点を東南アジアに移す海外投資であったし、それは東南アジア諸国にとっては、高まりつつあった経済的発展の可能性に格好の資金的基盤を提供し、「奇跡の急成長」を実現する必要条件を満たすことにもなった。
 価値の下落しつづける「ドルを買い支える」という、プラザ合意以来の金融政策が「円高」つまり対ドル為替レートを上昇させ、バブル崩壊後の長期デフレ克服策として行われた金融緩和が「世界市場で大量に流通する円」を生み出したのだが、それが「マーケットまかせ」で放置されていた結果として、「悪さもするが役にも立つ」という「お騒がせ通貨=円」が、世界を席捲することになったのである。
 本書の核心は、こうした円の世界経済に対する巨大な影響力に無自覚な日本の政治と金融政策から脱却し、1ドル50円という「未体験ゾーン」の到来が避けがたい事実を見据えて、「成長経済から成熟経済に転換し、債権大国として生きていくことを選択す」べきではないかという問題提起にある。
 この「債権大国として生きていく」という提唱は、日本の経常収支が今後、アジア諸国や中国の追い上げを受けて貿易部門が赤字要因となる(つまり輸入が輸出を上回る)一方、国内経済の成熟化で投資機会の少ない資金が海外の証券投資や直接投資として輸出され、これに伴って対外所得収支の黒字が拡大するだろうとの予見に基づいている。
 世界最大の債務大国・アメリカの通過・ドルの下落が必然であるように、世界最大の債権大国である日本の通貨・円が高騰するのは鉄の必然である。そうであれば、いつまでも自動車や家電の輸出に依存する「成長戦略」に固執して「円高」を毛嫌いするのではなく、債権大国の通貨として「高くなった円」を海外投資の形で有効に活用し、貿易収支の赤字要因を凌駕する「資本輸出大国たるべきではないのか」。
 しかもそれは、1990年代前半の東南アジアの奇跡の成長を演出したように、充分に他国からも感謝される可能性さえ秘めている。ただしそのためには、日本の政府や企業は自国の通貨である「円」の威力について「自覚的であらねばならない」のだ。

 リーマンショックの衝撃がまだ覚めやらぬ2009年1月に刊行された『グローバル恐慌』を彷彿とさせる、本書の小気味のよい切れ味するどい筆致が、リーマンショック後のグローバル経済が直面した「大清算」の構図を解き明かし、同時にこれに立ち向かうための道筋を、「そろそろ、円高功罪論を越えて議論を発展させる時がきているのだと思う」との視点から指し示しているようだ。

(2/7:さとう・ひでみ)


書評topへ hptopへ