【書評】「災害ユートピア−なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか」レベッカ・ソルニット著 亜紀書房刊
災害で既存の社会・行政が麻痺した時、隠されていた共同体が立ち現れる
−人間は人とのつながりの中でしか生きられない:災害時の人々の行動が意味しているもの−
(インターナショナル第201号:2011年6月号掲載)
▼人々を感動させた人間の強さと暖かさ
死者行方不明者を2万数千人も出してしまった東日本大震災。この大震災の渦中とその後の状況の中で、不思議な現象が続出している。
大地震のあとで巨大津波が襲ってくる中で、自分の命を犠牲にしても、多くの人を救った勇気ある行為。
津波が襲ってくることも知らず家族の安否を確かめるために海岸部へ向かおうとする多くの車を、反対側の山側に誘導し続けて津波に呑まれた警官。津波が来るにも関らず町を津波からできるだけ守るために、水門を閉めに行って亡くなった消防団員。役場の防災無線室にいて役場の建物自体が大津波に巻き込まれるその時まで無線のマイクを離さずに避難を叫び続けて亡くなった自治体職員。津波が襲う中で、火の見やぐらの天辺で半鐘を鳴らし続けて亡くなった消防団員。未曾有の災害の中で、命を掛けて職務を全うし多くの人々を救うという英雄的行為を、普通の人々が成し遂げた。
一方巨大地震と大津波が去ったあとに見られた光景は、被災した他人のために懸命に働く人々や、被災者同士が助け合っていく心温まる姿。
今回の被災地が1995年の阪神淡路大震災の時のように一箇所の市街地に集中しておらず広範囲にわたっており、しかもそこへの交通路が寸断されたり、地震津波に続いて起きた原発事故のために立ち入り禁止区域が出来たりして、まだまだ充分にはボランティアが入ってはいないのだが、それでも自衛隊や消防署という公的機関以外にも、多くの個人や組織が、続々と被災地にボランティアとして入り、被災者の生活支援と再建のために立ち働いている。その中には支援に行った先で被災者に感謝されたことに感動し、何度も被災地を往復する感動の輪が広がった例すら見られた。
たまたま震災時に被災地に仕事で行き合わせて会社のある東京に戻れず、そのまま避難所にしばらく避難した東京の会社員が、避難所に集った被災者たちの互いを慈しみあう優しさに感動し、東京に戻ったあとこの感動を会社の仲間に話したところ、即座に会社として社員がお世話になった避難所にボランティアとして駆けつけ、その後何度も会社として支援を続けている例。また刑務所などの被災状況を確認し支援の必要の有無を調べるために被災地に入った首都圏の刑務所の刑務官たちが、被災地のあまりの惨状に打たれ、直ちにできるだけの食料飲料水をかき集めて、手近な避難所に入って炊き出しをした。そしてそこに集った被災者のボランティアに対する暖かい心遣いに感動した彼らは職場に戻ったあと、再度被災地に支援に入りたいと申し出て、今度は心理カウンセリングのできる職員などを含めて、心のケアのボランティアを法務省として組織したという例。
自ら被災しながらも、支援に駆けつけた人々に対する被災者の暖かさ。この人間的暖かさが、さらに多くの人に被災者を手助けしたいと感じさせ何度も被災地へと通って行きたいと思わせたのだ。
こうした例は、仕事として被災地に入った自衛隊員やアメリカ軍の兵士、さらには消防署の職員などにも、多くの感動を生んだことがすでに報じられている。
こうした事態に直接触れた人々や報道を見た人々からは、「人間っていいなと再確認した」とか「人と人とのつながりって暖かいなと再確認した」「若者がどんどん被災地に駆けつけている姿を見て、彼らもやるなと感動した」などの言葉がほとばしり、今回の災害に際して、改めて人の心の温かさや、人と人とのつながりの強さ温かさに感動したことが多くの人によって語られている。
中には「東日本大震災以来、日本の社会は変わった」と断言する人すらいる。
▼災害時にはいつもそこにはユートピアが出現した
だが本当に社会は変わったのだろうか。
実はこのような実例を日本の過去の災害に例を求めてみれば、数多くの事例にゆきあたる。 例えば、ノンフィクション作家の吉村昭氏の有名な作品、「三陸海岸大津波」(1970年中央公論新書刊、その後改題して中央公論文庫や文春文庫から再刊)「関東大震災」(1977年文春文庫刊)にもはっきりと記されている。
ここにはどこでも被災者たちの勇敢なかつ友愛精神に満ちた行動が行われ、被災地の外からも同様な精神に満ちた人々の援助行動があったことが示されている。それはあの大虐殺を生んだ関東大震災でもそうであったのだ。
さらに事例を過去に求めれば、江戸時代の1855年に起きた安政江戸地震においてすらも、そうした友愛精神に満ちた行動が見られたことは、北原糸子著「地震の社会史−安政大地震と民衆」(1983年三一書房刊・2000年講談社学術文庫再刊)や野口武彦著「安政江戸地震−災害と政治権力」(1997年筑摩書房刊・2004年筑摩学芸文庫再刊)にも示されたことであった。
災害時にはどこでも勇敢かつ友愛に満ちた人々の行動が見られたのだ。
本当に社会は変わったのだろうか。
この問いにまともに向き合って答えを出したのが、本書「災害ユートピア」である。
震災前の2010年12月に翻訳出版された本書は、主としてアメリカで起きた過去の災害において、今回の東日本大震災と同様な人間の強さと優しさ、とりわけ人と人とが階層や人種を超えて助け合う姿を捜し求め、それが何を意味しているかを考察した書物である。
本書が考察したのは次の5つの事例である。
1906年のサンフランシスコ地震。1917年のハリファックスでの大爆発事故。1985年のメキシコシティ地震。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件。2005年のニューオーリンズを襲ったハリケーン。そしてこれらの事例の副次的事例として取り上げられたのが、1940年9月のロンドン大空襲と1972年のニカラグアでのマナグア地震と1976年の中国唐山地震、さらには、1986年のチェルノブイリ原発事故や1995年のシカゴの猛暑などの諸災害の事例である。
そしてこれらの事例を検証するなかで著者が明らかにしたことは二つある。
一つは、未曾有の災害に際して人々はパニックになるのではなく、冷静かつ英雄的かつ友愛的に行動し、麻痺した行政機能に代わって、自らおよび連帯した人々の力を振るって、被害の軽減活動や被災者の救援、さらには被災者の生活を支えるための私設避難所の設営と運営などを行い、そこには平和な通常の世界では見られない階層や人種を超えた人間としての連帯と、その連帯感に支えられた共同体が出現すること。そしてこの共同体に係った人々はみな自発的にそうしたのであり、喜びを持ってこの活動をし、災害が過ぎ去って日常社会が戻ってからも、災害の中で身を置いた共同体の取り組みから、大いなる精神的影響を受け続けたこと。
そしてもう一つは、災害時にパニックになるのはむしろ普通の市民ではなく、裕福で社会的に支配的な地位にある人のほうであり、彼らはしばしば、災害時に立ち現れる共同体を敵視し、これに従事する人々を暴徒と規定して鎮圧しようとさえはかる。さらには、災害をチャンスと考えて、かねて実行しようとしていた政策を被災者の犠牲の下で行う、というものであった。
著者は様々な例を検討してこう結論づけている。
災害時に立ち現れる人間の勇敢さや気前のよさや優しさは人間本来のもので、人はみな繋がって生きていたい、誰かの役にたちたい、誰かの役にたつことで生きている意味を実感したいと思っている。人間はこうした愛に満ちた動物なのだ。しかし日常の社会は競争主義や利益追求主義で、こうした行動をとることを抑制し妨害する。だが災害時には、こうした既存の社会や行政機構が麻痺するために、押さえつけられていた人間本来の強さや優しさと、人間が人と繋がって生きるものだという社会のありかた、共同体が姿を現すのだと。
この著者の結論を、今回の東日本大震災の事例にあてはめると、各地で見られた勇気ある行動や優しさ溢れる行動はみな、人間本来が持っていて日常生活の中では出来ないことであり、既存の社会秩序や機構が崩壊したことで、こうした友愛に基づいた共同体によってしか、人間は生きていけないことが示されたということなのだ。
社会が変わったわけではない。人間本来の姿が見られただけだ。むしろ問題なのは日常の社会のありかたのほうだと。
▼友愛精神に満ちた人々と彼らを敵視し粉砕しようとする権力者
この本の中で著者が一番多くのページを割いて、詳しく実態を明らかにし、そしてその後に与えた影響を詳しく考察したのが、1906年のサンフランシスコ地震であり、著者が示した災害時の異なる二つの行動パターンが見事に示された例でもある。
この大地震は、4月18日の早朝5時12分に起き、1分間も続く激震により、28000棟の家屋を焼き、消失面積は8キロ四方、推定死亡者数3000人と、歴史に残る大災害であった。しかし著者は当時の記録から、この大火災の主な原因は、地震に伴う火災ではなく、地震で家を失ってパニックになると考えられた群衆を恐れた市当局と、当局に依頼されて市を軍政下に置いた軍隊による市民の自発的な消火活動の禁止と、火災の拡大を防止するためになんと爆弾で防火帯を作ろうとした無謀な軍隊の行動が原因であったことを突き止めた。
地震はサンフランシスコの中心部に壊滅的打撃を与えたが、市民は勇敢にも火災の拡大を防ぐために自発的に自警団消防団を作って消火に務めた。そして、あちこちから食料や道具を持ち寄って被災者のために暖かい飲み物と食事を提供したり寝泊りする場を提供したりして助け合っていたのだ。
さらにこのとき感動的であったのは、普段は社会階層や人種の違いでそれぞれ異なるコミュニティの中で暮らしていた市民は、地震によって町が破壊されるとともに自然に階層や人種の垣根が取り払われ、互いに食料や道具や家を分け合って、市の秩序が回復されるまで、この傾向は続いたのだ。
だがこうして災害の中で立ち上がった共同体に恐れをなしたのが、当時の市長と市当局であった。
市長は、サンフランシスコ市の人口の大半を占める移民労働者らが、震災に際してパニックになり、暴徒となって市の裕福な層を襲ったり市庁舎を襲うのではないかと恐れていた。なぜなら彼は、市の近代化のために、これらの貧しい移民労働者が住んでいる地域を取り壊して再開発しようとしており、この動きは住民の反対で進んでいなかったからだ。
市長は直ちに市郊外に駐屯する軍隊に依頼し、町を軍政下に置いた。そしてこの時に軍を指揮していた臨時司令官もまた市長と同様に、貧しい市民が暴徒と化すことを恐れる人物であった。
このため市を軍政下に置いた軍隊は、軍の統制を振り切って自主的に火災消火に努めたり犯罪防止のための自警活動に従事したりした市民を暴徒として認定して射殺した。その数はおよそ500人とも推定されている。そして軍隊のこのような抑圧的行動と、消火活動のついでに市長が取り壊したかった貧しい人々の町を破壊して火事の拡大を防ごうと、家に爆弾を仕掛けるという誤った活動が、災害をかえって加速・拡大してしまったのだ。
著者はこのように、災害時には、災害にあった普通の人々は勇敢かつ友愛的精神を発揮して、人間が生きるための共同体を立ち上げるが、災害においてそこから少し離れた安全なところにいて、しかも権力的な地位にいる人々はしばしば、こうした人々の友愛的行動を「革命的」であるとして敵視し抑圧しようとするものであり、被災者の犠牲の下で自らの政策実現を図るものであることを示した。そしてこのような悲惨な権力側の行動例として著者は、1923年の日本での関東大震災の折の社会主義者と朝鮮人大虐殺の例と、2005年にニューオーリンズをハリケーンが襲ったとき、住民が暴徒と化して殺人は強盗を働いていると恐れた市当局が州兵を動員して町を戒厳令下において多くの市民を殺傷した例を挙げていることも忘れてはいけない。
この点で見るならば、東日本大震災に際しては友愛的行動をとる民衆を敵視した政策はとられなかったが、災害をチャンスとして、農業への株式会社の参入や漁業権を漁協から奪って株式会社に与えようという、新保守主義的行動をとろうとしている官僚や政治家の行動も、この範疇に入るものと思われる。
▼災害時の共同体をいかに日常化するか
最後に著者が論じていることは、このように災害時に立ち現れる、まるでユートピアのような友愛精神に満ちた共同体を、いかにして日常化するかという問題である。
なぜなら、これが既存の競争主義的で利益追求主義で、差別と抑圧に満ちた既存の社会の中では抑圧されている、本来の人間性であり、本来の人間社会のあるべき姿だとするならば、どうやってこれを日常の競争主義的で利益追求主義的な差別と抑圧に満ちた社会と置き換えるかが問題となるからである。
著者はこの点については結論めいたことは記していないが、著者があげた災害ユートピアを経験した人々の中で、そのときの精神を一生涯持ち続けた人々がどのように活動したかの例が、この問いの答えを示していよう。
一つは、著者が挙げた災害時のユートピアがやがて社会の変革に直接つながっていった例である。それは、1972年のニカラグアでのマナグア地震と1985年のメキシコシティ地震で、著者はこれは数少ない事例だが、既存の社会体制が腐敗していて、すでにそれに対抗して新しい社会を作ろうとする日常的な運動とそれを支える思想とが確立されていたときには、災害に際しての権力の腐敗した行動に対する怒りと、災害からの自衛の行動がそのまま、政治や社会の変革につながったと著者は結論付けている。
もう一つは、災害時のユートピアが長い時間をかけて社会に影響を与え続けた例である。
それは、社会の中で疎外された位置に置かれた人々を社会の正当な仲間と遇してその自立を助ける社会運動であったり、人間性のあり方や社会のあり方を考察する学問であったり、現実の社会を自身の身の回りから変えていく、地道な社会改良運動であったりする。
要は、災害時に立ち現れたユートピアの中での、勇敢さと優しさとを併せ持った友愛的精神を如何に日常生活の中で持ち続け、現実の社会を変えていくかだと、著者は言いたいのであろう。
※
ともかく、東日本大震災に際しての人々の行動とその影響を理解するには、本書は豊富な事例を示してくれているし、それらの災害時のユートピアをどうとらえるべきかとの多くの人々の論争のあとも提示してくれている。
この意味で本書はとてもヒントに富む好著であるが、残念ながら事実だけを時系列に沿って取り上げ、事実をして語らしめるという冷静な叙述ではなく、あまりに多くの当時の人々の感想と著者の感想、そして事例の考察が挿入されているため、少々読みづらいところが難点である。この点で吉村昭の作品の方がはるかに訴えかけてくるものが多い。できうれば主な5例の災害ユートピアの例を事実の積み重ねで明らかにする章を5つ設け、その前に問題意識の章、そして後に他の事例をあわせて理論的に考察する章を別に設ける形式をとれば、もっと読みやすい本となったことであろう。
(6月30日 すどう・けいすけ)