書評『岩盤を穿つ「活動家」湯浅誠の仕事』(文芸春秋刊)

自己責任論は貧困の前で立ち止まる

(インターナショナル第194号:2010年3月号掲載)


▼贅沢になった年収300万円

 2003年、経済評論家・森永卓郎の著書『年収300万円時代を生き抜く経済学』がベストセラーになった。
 300万円で暮らすことができるのかと「体験」した人がいた。可能だった。ただし、住宅ローンの支払いはなく、社会保険料は未納、運よく病気には罹らなかった、衣服は買わない、友好関係を断って交際費をかけないという生活を送ってのことだった。短期間の「体験」としてなら可能だった。
 しかし住宅ローンの支払いがないというのは、安い賃貸住宅で暮らしていてローンは組めないという現実がある。社会保険料の未納は、いわゆる近い将来を含めて「セーフティーネット」を放棄していることである。
 貧困問題の究極は住宅問題に至る。
 この国の政府はこの間、住宅問題を「経済成長のエンジン」とみなして、建設・不動産・金融における経済成長政策の中に取り込んできた。その具体的政策として、公営住宅建設や厚生労働省管轄の雇用促進住宅を縮小・廃止する方向を推進している。2007年4月に住宅金融公庫が廃止され、独立行政法人住宅金融支援機構に再編された。住宅金融支援機構は、民間金融機関による長期固定金利型住宅ローンの供給を支援する証券化支援業務が主な業務となった。そして住宅ローン減税という、富裕層には恩恵が大きい政策が取り入れられている。
 住宅問題における「自己責任論」は、非正規労働者や離婚などで生計を分離・独立させた場合の一方にも貫徹される。正社員でも、離職するとローンの支払いができない事態に陥っている。
 その後、年収300万円の生活は贅沢だと言われるようになった。実際、年収300万円を得るには1日1万円の収入で年間300日働かなければならない。1日1万円の収入は時給800円で12時間労働であり、300日労働は週休1日である。
 まさしく不安感と不健康に襲われた不安定な生活を送ることになる。
 格差が拡大して行く社会を、湯浅さんは「滑り台社会」と言った。「一度転んだら一気にどん底まで転がり落ちていってしまうような歯止めのない社会」のことを言う。転がり落ちる事態に追い込まれるのは、真面目に働いている労働者においても同じである。会社倒産や事業縮小は、否応なしに突然通告される。
 その具体例が、一昨年の秋からの派遣切りである。そこには、転がり落ちるとなかなか這いあがれない現実がある。

▼オルガナイザーから活動家へ

 湯浅さんはオルガナイザーである。難しい問題を誰にもわかりやすく、具体例を示して説明し、読む人、聞く人を納得させる。そして貧困が、今は普通の生活を送っている者たちにとっても無縁な問題ではないことを自覚させた。
 例えば、貧困の特徴を「ふつうの状態にある人にとっては等しく選べるはずのことが等しく選べる状態にないこと」という。そして貧困状態とは「さまざまな選択肢が狭まる状態を指す。貧困状態に追いやられる過程とは、同時に、『AもBも等しく選べたはずだ』という自己責任論の前提が切り崩され、自己責任論が成り立たなくなっていく過程でもある。だから私は『自己責任論は貧困のまえで立ち止まる』と言っている。」
 数年前、参議院厚生労働委員会で、神奈川県の高校の就職指導担当教師が実態を報告した。「貧しい家庭の生徒の多くは、アルバイトをしている。授業中は疲れて居眠りをしている。その結果、成績が悪い。学校は企業からの求人率が低いなかで、成績のいい生徒から推薦状を発行する。そうすると貧しい家庭の生徒には推薦状を書く機会もない」。貧しさが就労の機会も奪っている。まさに悪循環である。
 「自己責任論は貧困の前で立ち止まる。」
 自己責任論が「社会全体に蔓延することで、穴だらけのセーフティーネットが放置されたり、必要なサポートが行われないために、本人の厳しい状態が長期化してよけい時間とお金がかかる状態になったり、結果として社会全体の景気回復がもたらされなかったりと、日本社会に悪影響を及ぼす点だ」という大きな問題が登場する。
 この問題を可視化させることを1つの目的として、一昨年の年末から「日比谷派遣村」を企画し成功させたということは、まさしくオルガナイザーの面目躍如である。
 では湯浅さんのオルガナイザー能力は、自ら言うところの「活動家」に、どのようにしてパワーアップしたのか。
 貧困問題に取り組むなかで確信した、支援する側と支援を受ける側の信頼関係である。
 「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」での活動として、たくさんのアパートの賃貸契約の保証人となるが、そのなかで家賃滞納等して行方不明になり、「引き払い」をするのは3%未満だった。その結論は「『ほら見ろ』という気持ちでした。生活できるじゃないか。世間がさせないだけなんだ」という思いは、我々が活動しているうえで一番の希望でした」という。生活を安定させるために就労しなければならない。その前提として住居の確保が必須だが、そのことが可能となったら行方不明などは起きない。
 そして貧困の問題は、まさしく労働問題の中でも起きている。それを可視化したのが「日比谷派遣村」だった。
 「私の場合、運動をつなげていくという発想は弱さの自覚から生まれています。我々は小さいので、自分たちだけでは何もできません。「いろいろな人たちとつながらなければ、何もできない」という自覚があるから、一生懸命考えるのです。・・・・・・社会運動には、そういう弱さの自覚が必要だと思います」という。
 さまざまな差別問題が存在するなかで「貧困という問題を見つけるとアイデンティティ別になった諸分野に横串を入れることができるのです。排除というのは内外の概念です。所得というのは高い低い、上下の概念。この下と外がつながってしまう領域が貧困で、その領域はどんどん広がってきています」という。
 「弱さの自覚」と「横串を入れる」視点が従来にない運動形態の構築を可能にした。
 “生きさせろ”“反貧困”の「生存権」をめぐる諸問題の普遍化・全国化の運動は、まさしく“国のかたち”を問うものになっている。その時、「主権は民にある」という原点を思い起こすべきだと喚起する。
 「屋根の下に住むということは人間の権利」と位置づけるフランスの政策を日本でも実現するため、私たちも、それぞれの地点で運動を作っていこう。

(いしだ・けい)


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