【書評】「能力主義と企業社会」を越える
新たな労働組合運動の模索
熊沢氏の提言にこたえる


 97年2月に出版された、熊沢誠著「能力主義と企業社会」(岩波新書)は、今後の日本労働運動のあり方を考える上できわめて示唆的な著作である。ここでは同書の後半の3章と4章を中心に内容を追いながら、この本の提起していることについて考えてみたい。

能力主義と連合の地盤沈下

 本書の第1章と2章は、90年代に入って急速に進展した、企業の能力主義管理の現状をきわめてリアルに描いている。要約していえば、企業は職務割り当ての拡大や、ゆとりの返上、そして集団ノルマの強化などによって、労働者間の競争と選別を強化している。その結果は、労働条件の一層の個別化がおこり、労働者個々人がバラバラにされ、職場の仲間意識が解体され、その中で正社員の削減とパートの増大が進み、さらには、この状況を基盤としての一層の能力主義管理の徹底化が進んでいるのである企業のこのような状況の中では、労働条件の決定は集団的なものではなく、人事考課に縛られて、個々の労働者と企業との間の個別的なものとなる。したがって、労働組合がいままでのような全体としての平均賃金の上昇や雇用の確保を協定する動きしかしないのならば、個々の労働者にかけられてきている能力による目標管理の強化に対しては、労働組合は何の役割も果たせない。

 では、このような職場の能力主義管理の強化を労働者はどのように見ているのか。

 著者は様々な調査結果から、労働者は能力主義管理をある程度受容していると第3章で述べている。そうなった原因は、著者によると、日本の労働者の中に伝統的にある「公平な競争を求める傾向」と「能力主義強化に対抗していく論理と組織の不在」にあるという。

 しかしこの状態も、著者によると、積極的な全面的容認ではない。それは、*納得できる形での人事考課や、*許容できる範囲での賃金格差や、働きやすい職場などの条件が確保される限りでの受容にすぎない。

 だが以上のようなまとめかたは極めて一面的なものだと著者はいう。実際には労働者の中の様々な職種や階層によって、能力主義管理に対する受け止め方は違っているのが実態である。「高度な専門能力を持った」労働者は、個人別の業績評価にもっとも馴染む職種であり、全労働者の中で、最も能力主義管理を許容する傾向が強い。そしてこれと対極的な位置にあるのが、パートなどの「特別な技能を要しない」労働者である。この職種は労働の形態自体が集団的であり、個人別に業績評価をすること自身が馴染まず、また、企業の中において、その地位の上昇をあまり望まない層でもあるので、能力主義管理をもっとも受け入れにくい層である。

 要するに、企業における労働の管理形態が大幅に変化した結果、労働者の雇用形態も、そして労働者の意識や要求も一律には測れない多様なものになっているということである。したがって、今までの労働組合のように、労働者をひとからげにして労働協約や賃金で資本を規制しようとするやり方では、職場の実態にもあわないし、労働者一人一人の要求や職場に対する不満にも対応できなくなっているのである。

 以上のような職場の実態は、この本の出版が97年であることから、93年から95年ごろまでの職場のフィールドワークによって得られたものであろう。現在の職場の実態は、さらに深刻になっているに違いない。たとえば現在では、銀行の女子行員の半数は銀行自身が作った派遣子会社からの派遣労働者というのが実態だし、航空業界でも、アルバイトステュアーデスがJASで60%、ANAが55%、JALも45%になっているという。

 従来の企業内組合が、この労働の管理形態の変化に対応できないことによって、言い換えれば職場で能力主義管理の強化に対抗できる組織がないために、労働者の階層格差は拡大し、労働者の諸権利も次第に削りとられて行っているのである。

 そして先般の労働基準法改悪に対する闘いの高揚が、連合などの企業内組合連合体の外に様々なイニシアチィブが形成され全国的な大きなうねりとなり、連合などのナショナルセンターがその動きを追認していくという状態は、本書で描かれたような以上の職場の変化にその基礎を置いていたといえよう。

能力主義を規制する条件

 熊沢氏は、本書の終章である第4章において、「能力主義管理とのつきあいかた」という形で、今後の労働組合の組織のあり方と運動のあり方についての提言を行っている。この提言は、前述してきたような職場における労働管理の変化と労働の実態、さらに労働者の意識の変化を基礎としてなされた、極めて示唆に富むものである。

 著者はまず、「能力主義管理を規制する3つの条件」を設定する。これは、先の第3章で述べられた、労働者が能力主義管理を受容する場合の最低条件に基礎を置いたものである。

 一つは「ゆとり」。ノルマやその達成への督励が頑健な青壮年男性のみに耐えられるような「働き過ぎ」を招かない水準に規制されること。

 二つめは「なかま」。経営者の意志によって、労働者の「個人の事情」や「個人の尊厳」が踏みにじられることを防ぐ、職場の労働者の連帯が維持されていること。

 三つめは「決定権」。作業集団や労働者個々人が、仕事のペース・手順・方法、そして職種によっては仕事の具体的内容に関して、一定の決定権を享受できること。

 この三つの条件を確保することが、能力主義管理の強化から、労働者を守るために必要な条件であると熊沢氏は述べている。

 そして次に、職場においてこの三条件を確保するためにも、職場の外から、企業の枠を越えた労働組合による規制が必要であると、その論を展開している。つまり、「労働者の仕事と賃金の支払いのあり方を決めるルール」を企業の枠を越えて標準化する試みの必要性をといている。

 「専門職」労働者の場合には、産業別労働組合による、正社員だけではなく、その職種のすべての労働の仕事のルールを標準化する規制の推進。そして、「一般職種」の労働者の場合には、地域・職種で結合した一般型労働組合による、すべての労働者の仕事のルールを標準化する規制の推進。このような組織と運動のあり方をもった労働組合が、今までの賃金値上げの相場づくりにとどまっていた単産の機能を越えて作られるべきだと、熊沢氏は主張している。

 言い換えれば、総評型労働運動や連合型労働運動を越えた所に、今後の労働組合運動はすすまねばならないということである。

熊沢提言と職場の取り組み

 このような企業の枠を越えた労働組合による規制を背景として、職場において、能力主義管理を規制する三条件を確保するための闘いのありかたを、次に著者は提起している。

 その一つは、有給休暇や産前産後休暇や育児休暇などをとりやすいようにリリーフマンを確保したり、新たな技能を習得するための時間の確保や昇給と昇格の最低限保障などによる、「ゆとり」の確保である。そしてこのことを背景として、次に、労働者による定期的な作業の輪番制の導入による、段階的な技能・知識のレベルアップや大きな賃金格差が出ない範囲での賃金査定のための考課基準の明確化や査定に対する労働者の異議申し立て権の確立などの、「職場の仲間の連帯」の確保を行うこと。そして最後に、以上のような取り組みを実現する前提としての、職場における現状の批判と意見の交流の場としての労働組合の復権である。

 この熊沢氏の提言は、きわめて示唆に富んだものである。企業における能力主義管理の強化が、進行する不況とあいまって、様々な企業の職場の状況を変えている現在、熊沢氏の提言は現実味を帯びてくる。

 能力主義管理の強化の中でも、もっとも企業に一体化して、それへと同化していた管理職労働者が、この不況の中でリストラされるケースが目立っており、この層の会社への反乱の中から、管理職ユニオンが成立した。また各企業でパートの労働者が増大し、その職場の主力を担っていても、労働条件の改善など、労働者一人ひとりの要求をその企業の労働組合がくみ上げられない状況の中で、各地でパート労働者を中心にした労働組合が形成されつつある。

 さらには、このような新たに形成された労働組合を中心として、労働法制の改悪と労働者の権利剥奪の動きにたいする反撃がなされた結果として、能力主義強化の攻勢に対して、連合などの既成の労働組合が役に立たない状況に対して、新たな労働組合を模索する試みも始まっている。

 この新たな労働組合の動きにとって、熊沢氏の提言は、具体的に今後の労働組合組織のあり方と労働運動のあり方とを指し示すものである。労働組合の一層の企業・国家への一体化の進行の中で、職場や地域で資本の攻勢に対して闘う足場を失った労働者は、一人一人がバラバラにされ、意気消沈していった。この状況の中で進行した不況に伴うリストラの嵐。各地で様々な不満が充満しても、この不満を闘いへと組織していく労働組合が職場にはない中で、労働者の力は低下していっている。この状況に対して闘いを組織し労働者の士気を高めるためにも、熊沢氏の提言するような産別組織や一般型労働組合による全国的規制や、これを基礎とした職場での能力主義強化への規制の闘いは今すぐ実現すべきものである。各々の組合や共闘組織の現場で、熊沢氏の提言が検討されるべきであろう。

提言を活かす今後の課題

 しかし、この提言を実現するには、いくつか検討を要する事項がある。

 その一つは、職場における管理職労働者の組織化の問題である。

 仕事の状況や内容に応じて、労働者が段階的に技能や知識を習得していく計画的なプログラムを設定する。この事一つをとってみても、その職場の仕事を遂行していく上でのかなり専門的な知識や技能を持った労働者がいなくてはできないことである。

 熊沢氏の提言は、職場の「労働者管理」とも言うべき提言である。したがってその実現には、その職場の運営のノウハウを持った知識レベルの高い労働者の存在が鍵を握っている。各地でパート労働者を中心とした新たな労働組合運動が開始されているが、この運動が真に職場を労働者のものにしていくためには、当該の企業における管理職的労働者が、その運動に合流していくことが必要であり、その組織化が鍵である。

 そしてもう一つは、この組織された労働が何のためになされるかという問題である。

 単に働きやすい職場をという目的だけでは、労働者の中にある上昇志向などの様々な軋轢は、運動の内部からそれを解体していく要因となる。そしてこの点を克服しないでいれば、それは資本の側からの職場の団結を堀崩す最も有効な手段ともなりうるものである。その職場の仕事は、社会的にみてどのような有用性をもったものなのか。この観点から仕事のあり方や進め方を労働者が自己点検していくことが、職場の決定権を確保していく上で必要な事であると思う。

 ともあれ、熊沢氏の本書での提言は、極めて時代状況にかなったものである。各地の闘いの現場で得た経験を背景として、熊沢氏の提言を検証・強化・発展させ、真に労働者の団結を実現する新たな労働組合組織とその運動をつくりあげていく必要があるだろう。

 そうした意味でも本書は、各地で新たな労働組合運動を模索している人々にこそ読まれるべき書であると思う。

                                                                           (すどう・けいすけ)


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