蓄積された成果共有する運動
【書評】「国際労働基準で日本を変える」大月書店(2500円)を読んでILO(国際労働機関)を考える
レーガン、サッチャー、中曽根に象徴される80年代、世界的に「小さな政府」への行政改革と産業再編が強行された。労働法制の「規制緩和」がすすめられ、労働者への直接攻撃がかけられていった。日本では総評が解体され、国鉄の分割・民営化が強行された。 そのなかにあって、日本では90年代、労働条件が、労働者の闘いによってではなくて前進したことがあった。
ひとつはバブル経済といわれていたとき、賃金、時短、雇用条件は、使用者側の提案内容のほうが労働組合の要求より上だった職場もあった。労組執行部は自らの持ってる力量を過大評価し、一般の労組員にとっては労働組合の必要性がうすらいだ。しかしそのあとのバブル経済の崩壊後、使用者側からの攻撃に対して、労働組合の体制立て直しも困難なものになっていた。
もうひとつは、バブル経済の前後から過労死が増えたが、使用者はそれを認めず、遺族は労災認定をもとめて裁判を起こした。しかし、それを支援する職場の労働組合はまれであった。過酷といえる労働現場の状況が社会問題化し、労働省も認定基準拡大の通達を出さざるを得ず、過労死の労災認定は増加している。過労死した遺族の闘いが、労働条件の改善をかちとった。
アメリカ基準とEU基準
現在、産業再編をすすめるにあたり、経営側の雇用政策は、労働組合などを介しての集団交渉、そして職場集団の労務管理から、労働者個々人を分断した個別的管理への転換をすすめている。経営側は労組との協定や職場の既得権を破棄し、裁判所はそれを追認している。具体的には、これまでの整理解雇の判例法理が覆されつつあるが、そこでの決定は雇用の流動化をおしすすめる政府と経営陣の意をうけたものである。
そして政府は労働法制の改悪だけでなく、民法、商法などでも労働者の権利を剥奪しようとしている。
労働法制におけるグローバル・スタンダードとは、アメリカ的弱肉強食でしかない。雇用政策が政権をも左右し、そのため労働者の再教育、正規・非正規の均等待遇を政策にかかげるヨーロッパとは大きなちがいがあらわれている。
EUと比べ、日本の労働条件が劣悪なのは紛れもない事実である。
このようななかで、いまほど労働組合の存在意味が問い直されているときはない。その素材として、ILOを通して日本の労働法制をとらえ直すことは、今後の飛躍のために大きなヒントを与えてくれるだろう。
日本のILO条約批准率
ILOは1919年6月26日、ベルサイユ条約のなかで、労働にかんする常設の国際労働機関として設置された。その条項は、「労働は単に貨物又は商品と認むべきものに非ず」の基本原則とともに、「1日8時間又は1週48時間の制を実行するに至らざる諸国に於いては之をその到達の目標として採用すべきこと」を規定している。
1919年10月29日、その第1回総会が開催され、そこで1号条約として採択されたのが「工業国における1日8時間又は・・・・」である。しかし日本政府は、ヨーロッパ各国からの批判をあびながらもこの条約の批准を拒否した。労働時間の問題はその後しばしば貿易摩擦の原因にもなったが、日本政府はいまだこれを批准していない。
1944年4月、ILOはアメリカのフィラデルフィアで第26回総会を開催した。そこにおいて憲章の原則は拡充され、再宣言された。根本原則として「a)労働は、商品ではない。b)表現及び結社の自由は、不断の進歩のために欠くことができない……」。また「永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立できる……」などからなる、いわゆるフィラデルフィア宣言である。
そして労働組合の側からの要求で、団結権保障のための2つの条約と3つの勧告が、1952年までに採択された。そのなかの第87条が「結社の自由・団結権」で、いま国労などが提訴している条項である。
1957年、ILO総会は日本政府に対する第87号条約批准促進の決議をあげ、勧告をおこなった。公労法において、公務員の労働協約締結権を否定したり、管理運営事項を交渉の対象から除外していたことにたいして、総評や全逓などが提案をしていた。
その後も13回もの勧告がおこなわれ、さらに実情調査委員会が日本を訪問し、調査活動をおこなった。いわゆるドライヤー委員会である。ドライヤー委員会は日本政府に早期批准を勧告、1965年8月、それは国会でようやく批准された。
この時の委員会の積極的な活動は評価されるものであったが、委員会の調査をうけいれる日本政府の姿勢は、「もし調査団を拒否すれば、国際的にも日本では結社の自由が存在していないとの見方が常識化して、日本政府に対する不信感が増大し、その結果、わが国の対外経済活動にも多大の影響を与えかねないことになって好ましくない」というものであった。
現在ILOは、180に及ぶ条約を採択している。このうち日本政府が批准しているのは42条約で、決して多いとはいえないし、重要条約の未批准も多い。しかも「ILO条約と日本」(岩波新書)によれば、戦後のほうが戦前より批准率が低いという。現在ILOに加盟する160カ国のなかで、日本が全予算の12%を支出している。これで批准率の低さに対する国際的世論をかわそうとしている。
国際的運動の成果の共有
ここまできて、この稿はILOの紹介ではなく『国際労働基準で日本を変える』の書評であったことをおもいだした。
そこで、本書を読んでの感想を幾つかのべてみたい。
本書は、東京労連にかかわる労働者・市民によって構成された会の編纂であるが、ILOと第三インターナショナル、国際労連との関係がかたられていない。ILOがベルサイユ条約のなかから設置されたということは、戦勝国・連合国の政府と労働者機関のヘゲモニーによる国際労働機関の設立ということであり、それはロシア革命の勝利とその前進にたいする防波堤の役割を持っていた。各国政府の代表とともに労働者の代表もこれに参画させたのは、労働者の闘いの高揚に対する譲歩であった。
ILOのもつ性格の本質は、社会正義に粉飾された労使協調である。本書においてこのことが語らえていないことは、ILOを活用しながら日本での労働運動を作り上げようとするとき、運動の性格をも規定する。
たとえば現在、「リストラ・雇用破壊NO!」運動のなかで闘われている自主管理・自主経営の闘いとは、ILOはなんの接点ももちえない。
しかしだからといって、ILOはブルジョアジィーの手中にあると、彼岸の彼方においやることもできない。
そして日本ではILOを語るときに、2つの傾向がある。本書はこの2つともがもろに出ている。そのひとつは、ヨーロッパの労働者の闘いの歴史的な経緯を捨象し、日本の労働条件の劣悪さを「宿命」のようにとらえ、ヨーロッパを羨望でみる傾向である。
そしてもうひとつは、ILOに依存しすぎる傾向である。ILO条約と日本の状況を比較し、劣悪さを批判はする。しかし、ILOは労働者の救済機関ではない。日本政府の批准率の低さは、労働者と政府・経営側との力関係の反影なのである。
世界の労働者のたゆまぬ努力が労働条件の改善を蓄積し、ILOの条約・勧告に集約させてきた。その成果はとくにヨーロッパにおいては顕著である。EU統合において、労働条件の統一を高水準のところに標準化させつつあるのはそのことによる。
日本においては、ILOの水準をとりあえずの目標として実現させ、世界の労働者の闘いの成果を共有する闘いを自分たちの力でつくりあげなければならない。
日本の姿勢と国際世論
ではわれわれはILOにどう対応し、また活用することができるだろうか。
「労働力は商品ではない」の宣言を現実のものとしなければならない。
生活権・生存権、労働者のライフワークをも侵蝕する劣悪な労働条件を克服するには、まず「企業内だけの労基法」を承認する企業内組合・本工中心労働組合を解体・再編し、企業から独立して、労働者の分断を克服する闘いをスタートさせなければならない。冒頭に記したような、闘いなくしての労働条件の前進は「恥」である。
資本は国境をこえて進出している。1つの資本が数か国で活動している。しかし企業内組合の枠をでない日本の労働の団結は国境もこえていない。具体的な国際的連帯をおしすすめなければならない。
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これまで述べてきたような、日本政府の労働時間や団結権にたいする姿勢は、労働者の闘いだけでなく、エコノミックアニマル批判などの国際的世論が、貿易摩擦を危惧する政府に政策を変更させた結果でもある。このことをみるなら、現在の国労の団結権をめぐるILOへの提訴については、主要な貿易相手でもある諸国政府との交渉でもある7月の沖縄サミットや、世界貿易機関(WTO)は、日本政府に政策変更を迫る絶好のチャンスであり、これに介入することも、戦術としては検討されていい。
国労はILOの中間勧告以降、「世界の常識、日本の非常識」と見出しをつけたビラをまいたが、「ILOの水準」での労働者の要求を受け入れた政府とその水準を受け入れない政府との間の抗争に呼応する、国際的世論をふくめた闘いを、国労とその支援者はつくりあげなければならない。
おなじように、政府と経営陣が雇用の流動化をおしすすめるなかで増えつづける日本の非正規労働者の労働条件は、均等化をめざすEUとは逆方向であり、ここでも日本は国際的批判をあびることになるだろう。
そのなかにあって、政府と経営陣の雇用政策に対決する労働者の側の闘いが問われている。労働者の闘いを大きく前進させたとき、日本政府をつきうごかしてILO条約を批准をさせ、その勧告を受け入れさせることができるだろうし、闘いの成果を世界の労働者と共有することができるのである。
(いしだ・けい)