【書評】『背信の科学者たち』化学同人(1988年)刊 92年第12刷版 2400円
遺跡捏造事件があばく、科学万能神話の崩壊


 前期旧石器の捏造事件で考古学会が揺れている中、この問題を考えるうえでの格好の参考書がある。『背信の科学者たち』(原題は『真理の背信者たち―科学の殿堂における欺瞞と詐欺』1988年 化学同人刊)である。

科学の客観性という虚構

 この本は、著者の前書きによると『西洋社会において、真理の最後の審判者とみなされていた知識体系である科学とは現実にはどのようなものであるか』を明らかにしようとしたものである。『伝統的な科学観によれば、科学は厳密に論理的な過程であり、客観性こそ科学研究に対する基本的な態度である。科学者の主張は同僚科学者による審査や追試を通じて厳しくチェックされ、あらゆる種類の誤りはこの自己検証的な科学の体系から容赦なく排除される』と、一般には考えられてきた。しかし1980年代、アメリカにおいて科学者が偽りのデータを発表し、そのデータに基づいて新しい学説を立てるという欺瞞的な事件がいくつも暴かれた。
 科学ジャーナリストである著者たち(W・ブロードとN・ウェード)は、これらの事件を報道する過程で、この欺瞞がその科学者個人の問題ではなく科学そのものに内在する一般的な特質ではないかと疑いはじめ、多くの欺瞞がなぜ科学界になんの疑念もなく受け入れられたのかを検証した。
 その結論は、「科学とは通常考えられている姿とはほとんど似ても似つかないもの」であり、「新しい知識を獲得するとき、科学者は論理と客観性だけによって導かれるのではなく、レトリック・宣伝・個人的偏見といった非合理的な要因にも左右されている」というものであった。しかもそれだけではなく科学者個人は、一般の社会人と同じく立身出世をしたいという欲望や地位と名誉と富とを得たいという欲望を持っており、時としてこの誘惑にかられるものであることも、多くの科学における欺瞞的事件の分析を通じて明らかにしている。

偏見や権威にしばられた科学

 この本では、いかに著名な科学者たちが自己の学説を証明する為に実験データに手を加えてきたかと言う事を、実例をもって証明している。プトレマイオス、ガリレオ、ダーウィン、ニュートン、メンデル。科学の各分野における巨星たちも例外ではなかった。あるものは他人の行った実験データを自分のものと偽って発表して科学発見の栄誉を一人占めにし、またあるものは自分の学説を人々に納得させるために、実験データや観測データに手を加え、自説に都合の悪いデータは削除したり数値を変えたりして、データそのものを改竄した。
 またこの本では、科学における学説の根本的な転換は論理と客観性に基づいた公正な論争によって行われるのではなく、多くの科学者は、より事実を合理的に説明する新しい学説が世に現れても旧来の学説に固執し、新しい学説を科学的な検証作業によって検討する作業すら試みることなく否定するという、思想的な偏見に基づいて行動する様をいくつかの事例をあげて証明する。
 そして科学における新しい発見の多くは、その分野の権威者やその系列に属する科学者の中から現れるのではなく、その学問分野における他分野からの新参者や、主流の学説の信奉者ではない、学会の傍流から生まれると言う事実をとりあげ、科学研究がいかに思想的な偏見と、科学者の社会的な地位と権威というしがらみに捉えられているかを例証してもいる。
 だからこそ、科学において新しい学説をうちたてようとした前述した巨星たちも、思想的な偏見に打ち勝つために、『よりきれいなデータ』を提示して自己の論理の正しさを証明せざるをえず、ここに、科学研究における欺瞞の温床が存在することを著者たちは立証している。
 科学は、置かれている社会情況に規定されて、科学研究そのものの中に欺瞞と詐欺とを生み出す体質を内包するのである。

遺跡自体の捏造の可能性

 東北旧石器文化研究所副理事長の藤村新一氏による前期旧石器偽造事件は、ついに「遺跡そのものの捏造」という事態にまで発展しはじめている。
 毎日新聞12月17日の朝刊は、藤村氏が捏造を認めた北海道新十津川町の総進不動坂遺跡について、「これまでに発掘された全ての石器が疑わしい」もので、「遺跡自体が捏造だった可能性」があると報じた。これは同遺跡発掘調査団代表の長崎潤一・札幌国際大学助教授が、16日の北海道考古学会の遺跡調査報告会で行った報告にもとづいた報道である。
 その調査報告によれば、総進不動坂遺跡は1998年に藤村新一氏らが露頭調査で石器を4点見つけた事をきっかけに調査が始まり、翌99年に9点の石器を発掘、そして2000年には31点の石器を発掘し、その地層から30万年前の前期旧石器時代のものと発表された。しかし今年11月の捏造発覚の際、今年の発掘分31点は藤村氏自身が捏造を認めており、残る13点も発掘調査団によって「疑わしい」とされ、「理化学的検証を行う必要がある」とされたことは、この総進不動坂遺跡自体が捏造の産物ではなかったのかということを示しているのである。
 この調査報告が重要なのは、同遺跡発掘調査団代表の長崎潤一助教授が、この間脚光を浴びてきた日本における前期旧石器の存在を、藤村氏の「発見」をもとにして大々的かつ積極的にアピールし、しかもこの30〜60年前の原人が極めて高度な技術をもち、衣服を身につけ建物を建設し、宗教すら持っていたと主張してきた学派の中心的な学者の一人であるからである。
 日本における前期旧石器の存在を積極的に主張してきた学派の中心からも旧石器捏造が認知され、遺跡の捏造の可能性さえ指摘された事は、今後は、1981年の宮城県の座散乱木遺跡の「発見」による前期旧石器の存在証明の全てが偽造であったことを証明する方向に事態が進んでいる事を示している。

権威者の学説の盲信という罠

 ではこのような大規模な捏造がなぜ可能となったのか?。この問題を考えるとき、『背信の科学者たち』に載せられたデータ捏造事件が、極めて示唆に富んだ実例を示してくれている。
 それは学会における権威者の学説がまだ証明されていないときに、彗星のようにしてあらわれた新進の学者が、超人的な実験手腕によって権威者の学説を「証明する」事例を次々に示し、その権威者の学説を学会の定説にまで押し上げたという事例である。
 1981年、ガン研究に新しいスーパースターが誕生した。24才の大学院生マーク・スペクターと彼の指導教授エフレイン・ラッカーが新理論を発表したのである。それは細胞壁のある部分を形成する酵素(ナトリウム・カリウムATPアスターゼ)が、なぜある種のガン細胞の中では活動が正常細胞におけるより非効率になるのかという問題の解明であり、この解明によって、その酵素の動きを調べればそのガン細胞の存在を見つけることが可能になり、ガン治療に大きな前進をもたらしうる「発見」であった。
 ここでは詳説しないが、この大学院生はこの酵素がガン細胞の中ではリン酸化されることで活動を非効率化されているという、指導教授の学説を証明する実験結果を獲得し、しかもこのATPアスターゼをリン酸化する酵素であるプロテイン・キナーゼという酵素の存在を証明し、この酵素を多数培養したというものである。
 しかもこの事件が特徴的なのは、2つの酵素を精製培養しようとしても、スペクター氏以外の人物がやったときはいつも失敗するという事実が「発見」の当初から明らかになっていたことである。ラッカー教授や彼の弟子たちは何度も挑戦して失敗した挙句に、以下の様に結論づけた。スペクター氏は『黄金の腕』を持つ天才なのだと。
 この研究は、ガン細胞の働きと発ガン作用を解明する可能性のある理論であり、「当然ノーベル賞を受賞する」ものと学会では考えられたという。しかし熱心な学生が何度もこの実験の再現に挑戦する過程で明らかになったのは、スペクター氏の実験と酵素の精製培養はすべて捏造であり、指導教授の学説を証明するように実験の過程で様々に手を加えていたことであった。
 背信の科学者たちの著者は、この事件においてなぜデータの追試が当初から不可能であるにもかかわらず、この偽造が見破られずに大発見として学会を一人歩きしたのかについて、以下の様にまとめている。
 ラッカー教授は生化学学会の権威であった。しかし彼の発ガンシステムに関する学説はまだ実験によって証明されてはおらず、その証明が期待されていた。したがって若い研究者によってそれを証明する実験データが出された時、ラッカー教授の学説を信奉する科学者たちの多くはその実験を再現しようとはせずただちにこれを賞賛し、世紀の大発見としたのである。多くの科学者がこの「発見」を『魅惑的』という表現で礼賛したことに、この間の心理がよく現れている。
 そしてラッカー教授の学説を信奉しない科学者たちから実験そのものに疑念が寄せられたときも、その声は黙殺された。理由は単純である。ラッカー・スペクターの実験は生データが公表されていなかったのである。生データを手に入れなければ、科学的な反証は不可能であった。生データなしには、実験そのものを忠実に再現してみる事すらできないからである。
 捏造があきらかになったのは、この生データを見ることのできる研究室の学生が、それに基づいて執拗に再現実験を繰り返したからである。もしこの学生が権威的教授の学説に疑念を抱かなかったら、この捏造の発覚はおそらくもっと遅れたに違いない。
 藤村氏による旧石器の捏造事件も、この事例とそっくりの様相を示している。

酷似する捏造の構図

 旧石器研究の権威である芹沢長介・東北大学教授の、前期旧石器の存在を唱える学説にもかかわらず、その存在は証明されていなかった。そんなころ芹沢教授の愛弟子である岡村道雄氏(現文化庁技官)のもとへ藤村新一氏が現れ、1980年、宮城県の座散乱木遺跡の切り通しの、4万年以上前の地層から石器を抜き取る所を見せられた。ここから「世紀の大発見」がつづく。
 しかしこの遺跡をはじめ、ほとんどの遺跡において藤村氏が来ると決まって石器が出土するという事態がつづき、藤村氏でなければ石器を掘れないともいうべき情況があり、これが関係者によって「神の手」と呼ばれる所以になったと言う。そしてこの「発見」に対して多くの研究者から、石器は自然石や縄文時代の石器ではないかとの疑いが出されるや、次々と古い地層からくだんの石器が出土するという発見ラッシュが続き、石器の形状や出土情況から前期旧石器に疑念を抱く声は、芹沢氏の権威と「旧石器の出土」という「事実の」前にしぼんで行った。
 しかもこの間、多くの遺跡の発掘報告書は刊行される事なく、石器そのものも多くの研究者(特に他分野の学者)による検証がなされることなく今日に到ったのである。
 石器捏造(遺跡捏造の可能性すらある)が可能となり、それが検証されることなく学会の定説となろうとした背景には、学会の権威を盲信し、学者たちが「師の説を疑う」ことすらしないという体質にその根拠があった可能性が強い。

神の代替物−科学の客観性

 『背信の科学者たち』の価値は、実はこうした事件の検証に止まらない点である。著者たちは、科学における偽造・欺瞞事件の背景をさぐる道筋のはてに、なぜ科学とは客観的で論理的なものであるという俗説がまかり通ったのかということを考察している。その結論はこうである。
 20世紀初頭から中期にかけて、「進歩」という理想はほとんど死に絶えるかのような事態が現実に進行していた。度重なる世界戦争と人間の虐殺。その解決を期待された社会主義の敗北とファシズムの勝利。その凄惨な現実の前に、近代において神の恩寵という導きの手に代わって信奉されてきた進歩への理想は潰え去り、人類史は果てしない野蛮への転落の道程とすら思える悲観的な風潮が、20世紀中ごろにかけて蔓延した。
 そのことへの危機感から、進歩的な哲学者や歴史家や社会学者が作り上げた神話が「万能の科学」や「客観的で論理的な科学と科学者」というものであったのではなかったか。著者たちは何人かの学者たちの説を検討することで、以上のような認識に到っている。
 言いかえれば、科学の世界においてたくさんの欺瞞と詐欺とが横行している事は、20世紀を牽引してきた2つの一対のイデオロギー、後期資本主義万能と科学万能という神話の終焉を物語っているのだろう。
                                                                          (すどう・けいすけ)

 石器偽造事件については、以下のサイトを参照した。
1:石亭秘話第4回「前期・中期旧石器発見物語は現代のおとぎ話しか」
http://www.aruka.co.jp/sekitei4.html
2:高知の縄文探訪・考古学日誌「前期旧石器ピルトダウン事件」
http://www2.inforyoma.or.jp/~mitsubo/diary/diary.cgi?vew=2
3:閼伽出甕「旧石器ねつ造」事件
http://www2m.biglobe.ne.jp/~Accord/SP/netuzou.htm
4:群馬大早川研究室「旧石器発掘ねつ造スキャンダルと日本の中期更新世火山灰層序」
 http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/news/2000/ogasaka/fujimura/index.html


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