EUとはなんであったのか?
(対イラク米英修正決議案をめぐる攻防の意味再論)

2003年3月11日

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 国連安保理での攻防が展開され、イラク開戦へと進もうとする米英への抵抗はかなり激しく、11日に予定されていた修正決議案の採決も「今週中」へと延期され、17日との期限も再度修正される可能性すら出てきた。フランスの決議案拒否の姿勢はかなり腰がすわっており、シラク大統領自身が、採択されればたとえ賛成が9カ国になろうともフランスは拒否権を発動すると明言した。
 2月14日の安保理でのフランス外相ドビルパン氏の発言の締めくくりの言葉は「戦争と占領と残虐の歴史を知っている古い欧州であるフランスからのメッセージだ。フランスはその価値観を忠実に守り、より良い世界を共に築く力があると信じる」であった。この発言にはフランスがアメリカと並ぶ世界の中心であらねばならないとするドゴール主義が表明されているとの専らの評であるが、そうとばかりはいえない。ドビルパン外相の言葉の裏には、第二次世界大戦後の長い討論と争いのすえに生まれた統一欧州への期待と希望とが存在すると思う。EUは、第二次世界大戦の惨禍の中から生まれた。400年の長きにわたって戦争を繰り返した欧州諸国が国家主権の一部制限を含む事項に合意し、ヨーロッパ連合という将来のヨーロッパ連邦形成を見据えた統合への長い困難な道のりを歩んできた背景には、2つの世界大戦の主戦場となって数千万の尊い命が失われたことへの深い反省がある。もちろん今までも構成国相互の思惑のぶつかり合いや主導権争いがあったし、今後もこれは続くであろう。しかしEUはドビルパン氏の言葉を借りるならば「戦争と占領と残虐の歴史」の中から生まれ、それを2度と繰り返さないという決意の中から生まれたのだ。そして同じ願いは国際連合という組織をも生み出したのだ。
 世界大戦後の平和主義が思い描いた「統合された平和で豊かな世界」というのは、今日ではいまだ幻想である。しかし大戦後人類はその夢に向かって歩んできたのだし、そのためにさまざまな努力をしてきた。平等主義に立つ国連もそうだし、EUはまさにこの願いの申し子であった。そしてわすれてはならないことは、この戦後の平和主義を押し進め、民主主義の名の下にこれを支え推進してきた主力がアメリカ合衆国であったことだ。
 いま合衆国のブッシュ政権は、戦後世界の人々が願ってきたこと、そして歴代アメリカ政府が公式には認め推進してきたことを踏みにじり卓越した軍事力を背景に世界を支配しようとしている。資本主義の成長が行き詰まり長期の停滞局面が続く中で、ブッシュ政権はアメリカの平和主義・民主主義の裏に隠れていた「世界の覇者」としての素顔を今白日の下にさらそうとしている。
 国連安保理での決議をめぐる攻防は、2つの世界大戦を経て人類が到達しようとした理想の真の姿をさらけ出すとともに、反動化したアメリカ政府に敵対して、その理想をさらに強化し押し進めるのか、アメリカ政府に従属することでその理想を捨て去り、今又世界を野蛮へと突き落とすのかの攻防である。米英決議案への抵抗の激しさは、理想を守ろうとの想いが国を超えて存在することを示しており、これを背景にして、その理想を体現した欧州とその盟主たるフランス・ドイツとその理想を廃棄しようとするアメリカとが激しくぶつかりあっているのである。たとえこの攻防にフランスが世界の中心でありたいという「古いフランスの欲望」の色合いがついていたとしても、決議案の採決を阻止することは、理想の実現へ向けての第一歩なのである。
 アメリカの援助を受けて、アメリカ式の産業システムと広範な民主主義を取りいれた「新たな欧州」と古い帝国主義へと回帰しようとしている「古いアメリカ」の対決の中で、世界のどの国もそして諸国民も、自らがどのような世界を未来に築こうとするのか、その未来像の構築が今求められているのである。

(スナガ)


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