★「酒鬼薔薇」は罪を背負う必要があるのか?★

2004年3月22日

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 あの神戸の連続小学生殺傷事件を起こした「酒鬼薔薇」少年が、関東医療少年院を仮退院したことは記憶にあたらしい。これから年末までが社会復帰のための観察期間であるという。
 この仮退院の記事で始めて知ったのだが、彼に対して法務省・少年院の側は「贖罪教育」なるものを行ったそうである。そこで使われた教材の中には被害者の家族の手記や、彼の家族の手記なども含まれていたと言う。そしてこの「教育」の中で、彼には「罪を犯してしまった」という意識が芽生え、被害者の家族の気持ちや自分自身の家族の気持ちを慮ることができるようになったという。この「教育」の成果が、彼の仮退院の弁である「社会の片隅で良いから仕事をもって生活し、少しずつでも損害賠償のお金を払いながら、一生をかけて償いたい」という言葉が出てきたと言われている。

 しかしこれで本当に良いのだろうか。彼は「罪を犯した」のだろうか。そして彼はその罪を「一生をかけて償う」ことが必要なのだろうか。

 彼は加害者であると同時に被害者でもある。彼があのような犯罪を犯すに至った理由は「発達障害に起因する性的サディズム」とされているが、本当の所はどうだろうか?。「発達障害」とはあいまいな便利な言葉である。そして性的サディズムとは現象の表面をなぞっただけのものにすぎない。現代心理学がフロイト以来、人の異常な行動の背景を全て性欲に矮小化してた悪い面の縮図のように思える。私は原因は彼の家族関係にあったのだと思う。彼は最近でも彼の家族を拒否しているそうである。特に母親に対する拒否が酷いそうだ。ここに問題を解く鍵があるように思える。
 母親というものは子どもにとって絶対的に自分を受け入れてくれる(と考える)人、神にも等しい人であると思う。その母親を拒否するとは、この親子に一体何があったのだろうか。ここの問題が、そして彼の父親や兄弟も含めた家族関係の問題がまったく究明されていない。そしてもう一つ気になることは、彼がこの「教育」の過程で口にしたそうだが、「あのことは夢の中の出来事のようだ」という言葉。そう、彼はあの事件までは、いや、事件が終わってからもごく最近までも「夢の中」に過ごしていたのではないだろうか。おそらく家族に受け入れてもらえない中で、その苦しさに耐えかねた彼は無意識のうちに現実から逃避し、「夢」の世界の中で、愛されないことへの悲しみや、憎悪を他の何かを誰かを傷つけることで表現していたのではなかっただろうか。

 もしそうであれば、彼は「罪に問われる」必要はない。心身喪失状態と言って良いのではないだろうか。こう考えてくると彼に罪を意識させ罪をあがなうことを意識させる必要はないと思う。人を殺したという十字架をなぜ自分がそれをしたのかも理解できないままで一生背負って行くとは。そんなことに本当に人間の精神は耐えられるのだろうか。それでは彼は一生被害者のままであり、いや自分が被害者であったことも、もっと正確に言えばそれ故に加害者になってしまったことも意識できないまま、罪の意識に苦しめられるだけではないだろうか。

 まだ人間が確立していない年少者が犯した犯罪は、その贖罪を本人に背負わせてはいけないと思う。彼のような人間を生み出してしまった社会の方が背負うべきことだと考える。彼は罪のことなど意識することなく、普通の人間として別人となって生きていき、普通の人が手に入れられる普通の幸せを味わえるようにすることが大事だと思う。(すどう・けいすけ)


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