《無責任な政治のために血をながすな@》
―宇治小事件とイラク派兵が暴く、戦後保守政治の退廃―

2003年12月20日

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●危機管理と高価な玩具

 12月18日、京都府の宇治市立宇治小学校で、包丁をもった男が2人の児童を傷つけた事件は、2001年に起きた池田小学校での児童殺傷事件を思い起こさせる衝撃であた。
 ただしこの2つの事件を同列には論じるのは禁物だと思う。なぜなら、池田小事件では「社会への復讐」を主観した犯人が当初から子供たちの殺人を目的に凶行に及んだのに対して、今回の宇治小事件の犯人は、女性教師に腕をつかまれただけで抵抗らしい抵抗もせずに簡単に2人の教師に取り押さえられ、警察の取り調べにも支離滅裂なことを言い立てている事実が示すように、精神疾患の患者が何らかの妄想に駆られてただただむやみに刃物を振り回して、つまり殺人や傷害といった目的があって子供たちを傷つけた訳ではない可能性が強いからである。
 しかも精神科医療に多少でもかかわりを持ったことのある者から見れば、池田小事件の犯人・宅間が精神疾患の患者とは認定し難い。少なくとも彼は精神疾患に伴う妄想のために犯行に及んだのではないし、他方で精神疾患に起因する妄想に駆られた患者の暴力は、薬物中毒以外は、一般に想像されているほど凶暴ではないからだ。

 だがここで問題にしたいのは、精神疾患と犯罪の関係ではない。むしろ問題にしたいのは、池田小事件を契機に旧文部省や教育委員会が上意下達ですすめた学校の安全確保の諸施策つまり「危機管理」が、ほとんど何の役にも立たなかった事実である。
 事件後の各種報道によれば、宇治小をはじめ周辺の小学校にも防犯カメラ等が設置されており、「不審者」の侵入に対処する「危機管理マニュアル」も用意されてはいたが、これらの監視機器類は実際にはほとんど使用されてさえいなかったという。
 いったいどれ程の予算で防犯カメラを設置したか知らないが、おそらくは防犯機器メーカーのプロパー(営業マン)が薦めるままにカメラを設置する一方で、こうした機器を運用するシステムも人材も準備せずに、そして何よりも危機管理に必要な学校関係者の危機感の養成すらしないで、例によって官僚的な一片の「通達」と「危機管理マニュアル」の作成だけで事足れりとした旧文部省官僚や教育委員会に天下った官僚OBたちの無責任と無知には、改めて呆れ返るほかはない。
 どれほど高性性能の道具を用意したところで、これを使いこなす運用者が危機管理について無知であれば、これらの機器類が文字通り《高価な玩具(おもちゃ)》と化すのは当然と言えば当然である。

●国家の危機管理=安保政策

 ところで小泉首相は12月9日夕、自衛隊のイラク派遣にむけた基本計画を閣議決定した後の記者会見で、「日本国の理念、国家としての意志が問われている。日本国民の精神が試されている」と述べ、イラクへの自衛隊の派遣に反対することは、あたかも「日本国民の精神」のひ弱さであるかのように公言した。
 だが試されているのは日本国民の精神ではなく、安全保障政策という国家の「危機管理」に対する小泉内閣の現実認識や政策選択の判断力の方である。実際にイラクの復興支援には誰も反対してはいない。試されているのはその手段と方法である。
 言うまでもなく現状のイラクは戦場である。それだけでもカンボジアや東ティモールなどに派遣されたPKOとは決定的に条件が違うのだが、小泉は「復興支援」という言い方で、それがPKOと同類の派遣であるかのようにごまかしつづけてきたのだ。
 しかも小泉が見落としている最も重大な事実は、イラクがカンボジアなどの農村に依存する途上国とは違って、社会的インフラの修復に必要な労働者や技術者を豊富にもつ「近代化された社会」であることだ。戦火に見舞われたイラク民衆に必要な支援は、橋や道路の修復に必要な機材も技術者も不足している途上国とは違って、イラク民衆の主体的能力を活かす復興事業の立案と資金調達をコーディネイトできる実践的な人材群(それはすでに日本のNGOが提供している)の増強とその援助なのだ。
 ところが小泉は、自衛隊は自己完結的に行動できるから復興支援に最適だと主張する。だがイラク現地からの報道でも明らかなように、イラク民衆のニーズは日本が復興事業に資金を投じて自分たちを雇用して日々の生活の糧を提供し、電気や水道などの「近代的生活」に必要なインフラの1日でも早い復旧である。それは「自己完結的に行動できる」孤立した「復興支援」という発想とは全く逆のニーズであり、自衛隊の施設部隊などによる復興事業の代行は、逆にイラク民衆の失業状態を長引かせて不満を助長することにさえ成りかねないのだ。アメリカの占領に対するイラク民衆の不満の最大の背景もまた、この失業状態の長期化と復興事業の代行なのだ。
 要するに武装した自衛隊に対するニーズは、占領に反発する抵抗運動やテロを鎮圧する治安維持部隊の「後方支援」、現実には派遣予定地域の治安を担当するオランダ軍に対する給水や補給などの支援以外にはないし、小泉と防衛庁長官の石破は、この治安維持の後方支援を「復興支援」と強弁しているだけである。

 防衛庁と外務省の派遣推進派官僚とアメリカ政府の「薦めるままに」自衛隊という高価な道具の投入を決めた一方で、現場であるイラクの現実とは掛け離れた「非戦闘地域への派遣」とか「緊急避難と正当防衛の範囲内での武器使用」といったマニュアルを派遣部隊に「義務づける」小泉と石破の態度は、業者に薦められるままに高価な防犯危機を設置する一方で、学校現場の実態を無視して「安全確保マニュアル」を作成し、結局それが役立たずだったことが暴露された文部官僚や教育委員会の無責任と無知にあまりにも酷似していることが多すぎる。このままではイラク派遣の自衛隊は、現地のニーズには対応できない高価な玩具(おもちゃ)にされかねない。

●不当な命令を拒否する権利−BC級戦犯の教訓

 小泉と石破がイラクの現状を正しく認識してなおごまかしの答弁を繰り返しているとすれば、それは嘘つきという以外にないし、逆にイラクの現状を認識していないなら、それは無知と無能の自己暴露である。いずれにしても彼らは、自衛官のであれイラク民衆のであれ人間の生命という何物にも代え難い高価な代償を、「国民の精神が試されている」などという時代錯誤の台詞に隠れて、「役立たずの防犯カメラ」並の玩具(おもちゃ)にしようとしているとしか言いようがない。
 こんな不当な命令がまかり通るのなら、個々の自衛官は自らの良心に従って命令を拒否する権利が認められて当然だし、実践部隊の指揮官たる幹部自衛官は、自らの職を賭してもこの無責任に抗議して不思議はない。戦時国家であるイスラエルでさえ、国連安保理決議に違反するパレスチナ占領地での軍務拒否を公然と表明できる時代に、国民の多数が支持しない、大義名分さえあやふやな海外派兵に命令というだけで従うとすれば、「命令に従っただけ」で戦争犯罪者として裁かれた、第二次大戦における日本のBC級戦犯の悲劇の教訓はまったく活かされないことになるだろう。
 個々の自衛官が「征服を着た公務員労働者」であり、武装した国家官僚機構である自衛隊が「雇用責任を負うべき当局」であるなら、良心に従って不当な当局の命令を拒否し内部告発する労働者の権利は擁護されるべきだし、自衛官の基本的人権の防衛のためにも必要な団結権=兵士組合結成の権利もまた当然認められるべきなのだ。(きうち・たかし)


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