名誉の戦死で本当に良いの?

2003年12月6日

気になる出来事topへ hptopへ

 イラクで反米レジスタンス戦士に襲われて死亡した二人の日本人外交官。二人とも二階級特進で勲章を授与。そして事実上の「国葬」の扱いだ。ほとんど「名誉の戦死」の扱い。「二人は職務を全うした」「二人の遺志を継ぐ」という感傷的な言葉がマスメディア上を飛び交い、日本は「テロとの戦い」の最前線に自衛隊を送ろうとしている。
 二人の死を、こんなに感傷的に捉えてよいのだろうか。二人の死は避けられないものであったのだろうか。そして二人は本当にイラクの民主化のために命をささげたのだろうか?。
 報道によれば、11月にイラクの日本大使館に「自衛隊派兵を行うのなら、イラクにいる日本人外交官もテロの標的になる」という脅しの電話があったそうだ。そしてこの事実を朝日新聞の記者に語った奥参事官は、「これは僕たち3人が名指しで標的になると言われたのだと認識している」と語ったそうだ。イラクで活動する日本人外交官はこの時点から命を狙われていたのだ。そして事件の直後の報道では、ティクリートの会議に出席するにあったって、方法は三つの選択肢があったそうだ。一つは米軍に護衛してもらう。二つ目は強固な防弾仕様の車で低速で移動し安全を確保して移動する。三つ目は、軽い防弾仕様の車で安全は軽視しても高速で移動してテロの確率を落す。一つ目の選択はアメリカ軍の車列すら攻撃される現状では危険と判断され、2つ目は移動速度が遅いので危険と判断され、三つ目の高速移動が一番安全と判断されて決行されたとのこと。しかしこの判断そのものが二人の安全を軽視した決断だったと思う。すでにイラクでの「テロ」はフセイン政権のレジスタンスとしてのゲリラ戦であることが日々明らかとなり、暫定統治機構内部にもレジスタンスの要員はおり、その情報が筒抜けとなっている状態。すでに米軍も危険なので戦車から外には出られない情況になってもいる。こんな情況で、武装もせず護衛もつけず、しかもイラクで最も危険な地域であるティクリートに二人を向かわせた外務省・日本政府。
 イラク戦争に大義はない。どんな政権を持つのかを決められるのはその国の国民だけ。フセインが独裁政権であろうと、外国が武力でもってそれを転覆すること自身がすでに違法。先制攻撃戦略はまさに内政干渉なのだ。考えても見るが良い。他国の軍隊がいきなり入ってきて政権を転覆し傀儡政権を樹立して、それを「民主主義のため」と御託宣。そして旧政権の要員を次々と殺害し、抵抗するものやそれをかくまうものを虫けらのように殺す。民主主義を望む人でももろ手をあげて賛同は出来まい。こんな大義のない戦争に荷担しようとした政府が、二人を死なせたのだ。
 100歩譲って戦争に大義があったとしても、政府はその活動に従事する自国の要員の安全を最大限確保するのが義務であろう。しかし外務省・政府はその義務を怠った。兵士ではない文民である丸腰の外交官を戦場となっている「敵国」で、完全に無防備なまま活動させた。二人の外交官を死なせたのは、小泉。君自身だ。泣いてごまかせるものではない。いや、泣くことで、二人を国の大義に殉じた「英雄」とすることで、自衛隊をイラクに派兵することの名目を立てようとの魂胆ではないのかとすら疑う。
 マスメディアもこの事件を感傷的に扱うことで、彼らを「名誉の戦死」にしてしまっている。それで良いのか?。感傷の涙は、人の理性を麻痺させてしまう。戦争放棄をうたった日本国憲法の下で「名誉の戦死」を悼む雰囲気をつくろうとする政府の動きと同調するマスメディア。改憲と戦争にむけたきな臭いにおいがする。民主党が今主張するべきことは、新たな国連決議の下での自衛隊派兵などという中途半端なことではなく、内政に干渉する戦争反対・米軍のイラクからの即時撤退・自衛隊派兵反対・イラク人による政権が出来たあとでの復興支援を頑固に主張し、「安全を確保」の言葉だけでその要員を死に追いやった日本政府の責任をこそ追及すべきなのだ。

(すなが けんぞう)


気になる出来事topへ hptopへ