【時評】郊外SC規制強化は時代への逆行なのか

―世界一規制が緩い大規模小売店の出店―

(インターナショナル第165号:2006年5月号掲載)


 重要法案が目白押しの国会で、その主要法案が次々と先送りになる中、会期の延長もなく閉会になった。会期の延長を嫌った小泉の本音は、村上ファンド絡みのスキャンダルで「最後の国会」が大荒れになり、小泉政権による「改革の成果」に水をさされるのを恐れたのだと言う。
 それはともあれ今国会では、90年代以降に実施された規制緩和を見直す法案が、逆に20本も成立した。その中には、98年に大規模小売店舗法(大店法)が廃止されて以降、「規制緩和一辺倒」であった大型商業施設立地条件も、ようやく規制強化へと転じた。
 いわゆる「まちづくり3法」のうち、都市計画法と中心市街地活性化法の2法改正案が成立し、2007年度から施行される見通しになったが、両法改正案の眼目は、都市郊外型大規模商業施設、つまり大規模ショッピングセンター(SC)の郊外立地条件の規制を強化することである。

 ここ数年、出店規制が大幅に緩和された郊外型の大規模SCは、疲弊する地方経済の「救世主」であるかのように全国で持て囃されてきた。だが郊外SCの出店が相次ぐ中で、地方都市中心部の商店街の疲弊は逆に加速され、それを象徴する全国の「シャッター街」は大都市と地方、あるいは「勝ち組の大手スーパー」vs「負け組の個人商店」等の格差を暴き出すことになった。
 さらに実務的にも、郊外開発には巨額のインフラ投資が必要で、それが地方自治体の財政に悪影響を及ぼし始めている。人家もまばらな郊外に大規模SCを作るには、上下水道や電気・ガスなどのインフラのほか、周辺道路の整備など多額の投資が不可欠だが、この費用は地方自治体などが税金で負担するのであり、出店企業はいわばそれに「ただ乗り」した上に、誘致に伴う優遇処置さえ享受するのだ。これで業績が良くなければ、その経営者はよほどの無能である。
 したがって郊外型大型SCの出店規制の再強化は、「地域間格差」の拡大に危機感を強めた「旧い自民党」と、地方自治体財政の健全化を掲げる小泉内閣の利害が、図らずも一致した結果ということもできる。
 だがこの問題は、戦後日本の経済至上主義からの脱却といった、いわば歴史的なパラダイム(=枠組み、規範)転換の契機として捉える方が、ずっと有意義だと思う。

 意外に聴こえるかもしれないが、資本主義的先進国の中で、都市計画に関する実質的規制がないのは、日本だけである。
 戦後日本の経済主義者がすぐ引き合いに出したがる「自由の国」アメリカでも、州ごとに違いはあるが、ヒューストンを除く人口1万人超のすべての都市にゾーニング規制がある。しかもこのゾーニング規制は、用途規制だけでなく建物の形状や営業時間、退店の際の規約まで詳細に定められ、世界最大の小売業・ウォルマートさえ、数年前からはこれらの規制に基づく様々な理由を掲げた出店反対運動に直面している。
 ヨーロッパの場合は、大規模商業施設の規制は、ひとつの伝統的である。
 イギリスでは、大規模商業施設の立地はまず中心市街地で検討し、それが不可能な場合にのみ郊外出店を許可する「シーケンシャルアプローチ」という手法がとられ、床面積5万u平米以上の超大型SCは、場所を問わず原則禁止である。またフランスには直接的な商業規制が今も残り、300u平米以上の小売店出店は、一律に規制対象である。
 確かに日本にも、都市計画法に基づく用地規制はあるが、行政が恣意的に判断できる余地が大きく、だからまた用途転換が容易すぎて、規制は無いに等しい状態だった。その上「大店法」が廃止されたのだから、「郊外開発」は文字通り野放し状態となり、地方都市の郊外に広がる里山など、「日本的原風景」が破壊され失われてきた。
 ヨーロッパの歴史的伝統を受け継ぐ町並みと、六本木ヒルズに象徴される無機質なビル群が「歴史ある町並み」の破壊の上に林立する日本の都市景観の違いは、まさにこのようにして生まれたのだ。
 それは明治以来のパラダイム、つまり国家が上から進める資本主義的近代化のために多くの文化的遺構を容赦なく破壊したのと同じパラダイムが、「富国強兵」を「経済大国と働き蜂」に替えただけで継承されてきた結果だと、私には思えるのだ。
 だからもうそろそろ、少し立ち止まって、このパラダイムの成否を考えても良い時期が来ているのだと思う。

(6/15:いつき・かおる)


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