●時評:国際的バブルが破裂するとき

投機マネーの奔流と日銀金融政策の転換

− 日銀は、「ゼロ金利」解除に踏み切れるか −

(インターナショナル第165号:2006年5月号掲載)


▼商品市況の高騰と株価の下落

 今年の商品市況は、年初から活況に沸いているが、5月はさらに驚くばかりの高騰がつづいた。
 好調と言われる工業的先進諸国の景気に与える影響の大きさから、今年も何かと話題の多い原油価格は1バレル=70ドルを軽々と超え、5月12日には、金が80年代以来の最高値、1トロイオンス=730ドルをつけた。さらにその同じ週にはアルミ、プラチナ、亜鉛、銅のすべてが史上最高値を更新し、銅の価格は年明けから倍になった。
 「原油価格高騰の純経済的要因は、中国の輸入急増をはじめとする需要の増大に対して、産油国の増産余力が限界に達しつつあるという需給関係にあるが、同時にアメリカ経済に対する先行き不安から逃げ出して行き場を失った投機資金が石油市場に流入し、価格を急騰させたからでもあった」(本紙151号:04年12月発行)と私が書いたとき、原油価格はなお55ドルであった。
 この商品市況急騰の要因は、前掲の一文でも指摘したように、「行き場を失った投機資金が商品市場に流入」したからである。だからこれと軌を一にして下落したニューヨーク(NY)証券取引所の株価は、「アメリカ経済に対する先行き不安から逃げ出した」投機的資金が、商品市場に大量に流入するという相互関係を裏付けもする。
 ところがそうした資金の動向は、投機をめぐる多様な思惑を介して、様々な金融市場に影響を与えることになる。
 実際に、商品市況で金の史上最高値が記録された5月12日には、東京の金融市場は円高と株安のダブルパンチに見舞われた。アメリカ経済の先行きに対する懸念が広がってドル売り・円買い=円高が進み、その円高が、日本の輸出産業に悪影響を及ぼすのではないかとの不安を助長し、輸出関連株の売りを呼んだと言われた。
 そしてわずか5日後の5月17日、NYダウ平均がここ3年で最大の下げ幅を記録すると、今度は一転して金、銅、アルミの価格が8〜15%も急落したのである。
 それでも、5月に生じた商品市況の乱高下と株式市場の急落は、世界を駆け巡る投機資金のほんの一部の動向を、映し出しているに過ぎないのである。

▼アイスランド通貨危機

 今年3月末、国際金融市場にちょっとした衝撃が走った。大西洋北端の島国・アイスランド共和国の株価が一挙に20%もの大幅な下落を記録し、アイスランド政府が緊急通貨防衛策の発動を余儀なくされたからである。いったい何がおきたのか?
 実は人口30万人足らずのこの国には、数年前から国内総生産(GDP)の3倍もの資金が国外から流れ込み、この4年半で平均株価は5倍に高騰していたのだ。その株価が20%(日経平均1万6千円に換算すれば3千2百円)も急落したのは、経済実態を超える投機資金が一斉に流出し、アイスランドの「株価バブル」が破裂したことを物語っていた。
 ところでアイスランドの国民総生産(GNP)は70−80億ドル程度で、世界経済に占める比率は極めて小さい。同じ時期(97年)の日本のGNPは4兆8千億ドル強もある。
 こうした小さな経済規模と、パニックによる連鎖反応が他の金融市場で発生しなかったという幸運のお陰で、アジアやロシアの通貨危機ほどの衝撃はなかったとは言え、世界を駆け巡る投機資金の脅威を改めて確認する事件ではあった。
 だがここで問題なのは、アイスランドという、世界経済にとってそれ程重要とは思えない小国に、数百億ドルもの投機資金が流入したのは何故か、という疑問である。
 つまり中南米とアジア、そしてロシアで発生した通貨危機は、これらの地域が新興市場と持て囃されていた時期に起きたのだが、アイスランドの場合は、短期金利が10%台と高目である以外、特筆すべき経済的活況があった訳ではないからである。
 こうした謎を解くには、以下の2つの点に注目する必要がある。そのひとつは、「キャリートレード」と呼ばれる、ヘッジファンドなどが常套手段とする資金運用手法であり、もうひとつは、投機の対象となる「商品」の多様化である。

 キャリートレードは、簡単に言えば、安い金利で資金を借り、高い金利やハイリターンが期待できる市場で運用し、利鞘を稼ぐというシンプルな手法である。だがグローバリゼーション時代の「キャリートレード」の特徴は、各国の政策金利の差を利用するなど、資金を世界規模で移動させ、大規模な利鞘稼ぎを展開する点にある。
 金利の低い国、具体的には「量的緩和」でだぶついた資金が「ゼロ金利」で調達できる日本で借り入れ、金利の高い国、つまりあまり魅力的とは言えない小さな国内市場に国外から資金を呼び込むために、短期金利を10%台と高目に設定・誘導しているアイスランドのような国の短期国債に投資するのである。しかもたっぷりとレバレッジを利かせ(投資額を膨らませ)れば、労せずに莫大な利鞘を手にできる。
 ところが小規模な市場に大量の資金が流れ込めば、それは間もなく国債市場から溢れ出て他の金融市場へ、アイスランドの場合は株式市場へと流入したのだ。「4年半で、平均株価が5倍に高騰」したのは、文字通りの意味で投機資金の流入が生み出したバブルだったのである。
 そして何かのきっかけ(今回は、福井・日銀総裁の「ゼロ金利解除」を示唆する会見が契機と言われる)で、資金の大量流出とこれに伴う為替相場の急変が起きたのだ。つまりアイスランド・クローネをドルや円そしてユーロに替えて国外に持ち出そうと、アイスランド・クローネが大量に売られ、為替相場の暴落=通貨危機が現実となった。

▼モンテネグロ不動産への投資

 商品市場での原油や金の高騰、そしてアイスランドの株バブルは共に、だぶつくジャパンマネーを原資とする投機資金が、比較的小規模な市場に流入することで引き起こされた事態だと言われる。しかしこうした投機は、すでに世界中で、ありとあらゆる「モノ」を対象に行われている。
 アメリカを代表する経済新聞『ウォールストリート・ジャーナル』紙によれば、今年3月までの18カ月間で新興国の株価は80%も上昇し、インドの平均株価は2年で3倍になったという。そして同紙は「商品市況から新興国の株式まで、あらゆるリスク商品が急騰した時期は、日銀が量的緩和に動いた時期とぴったり符号している」と書いた。
 またイギリスの経済新聞『ファイナンシャル・タイムズ』紙は、アイスランド通貨危機の直後に、「日銀が量的緩和政策を解除したため、アイスランドに対する投資家の食欲が減退した」と書いた。国際的評価の高い2つの経済紙がそろって、日銀の量的緩和とゼロ金利政策が、世界中の投機に拍車を掛けていると指摘したのである。
 その投機の実態は、砂糖やオレンジジュースの先物までが史上最高値を付けるほどの異常さであり、「価格が上がるもの、上げやすいものなら、何でも買う」と言って過言ではないほどの過熱ぶりなのだ。
 もちろん投機資金の原資は、ジャパンマネーだけではない。原油価格の急騰がオイルマネーを膨張させたし、好調な輸出に牽引された中国の貿易黒字も、アメリカ経常収支の赤字をファイナンスするアメリカ国債の購入を介して、様々な市場に向かう投機的資金となっている。
 こうした投資資金の膨張を反映して、ゴールドマンサックス、AIG-ダウジョーンズなど商品市況に連動する有力ファンドには3年前の5倍以上、800億ドルもの資金が流れ込んでいるし、新興国の株式を対象に投資する専門ファンドは、昨年も203億ドルの資金を集めたが、今年は3月までの流入だけで、すでに200億ドルに達したという(『週刊東洋経済』6/3:P104)。
 そして最近、最も人気のある投資案件はコートジボアールの国債と、モンテネグロの不動産だと言う、冗談のような情報さえが飛び交っている(同前)。

▼根拠なき高値の崩壊

 だが肝心なことは、投機による価格高騰の後には、必ず反動があることである。
 世界を席巻する膨大な資金が、比較的小規模の市場に流入することで価格を天井にまで押し上げる「根拠なき高値」は、どこかで実態経済の現実に引き戻されることで、崩壊せざるを得ないからである。それは商品市況での金や銅の急落しかり、アイスランド株価の暴落しかりである。
 ということは、世界経済に大きな衝撃を与えかねない、例えば純資産の4倍まで買われたインド株式市場などで、「根拠なき高値の崩壊」、つまりバブルの破裂が起きる可能性が、いつでもあるということなのだ。そして実際にインド株は、商品市況が急落した5月17日に10%の大幅な下落に見舞われ、その予兆が現れてもいる。
 もっともアイスランド通貨危機が、『ファイナンシャル・タイムズ』紙が指摘したとおり、日銀の量的緩和政策の解除が直接的な契機になったとは断定できない。
 だが明らかなことは、商品市況と新興国の株式市況に象徴される活況が投機でつくられたバブルだということであり、そうである以上それは何かのきっかけで、いつでもどこででも、破裂する可能性があるという不安定さをはらんでいるということである。そしてこの不安定さの上に、マクロ経済の「好調」が語られているのである。

 かくして、3月の「量的緩和」解除につづいて、6月か7月には「ゼロ金利」解除に踏み切るのではないかと見られた日銀の金融政策転換の時期は、商品市況の乱高下や株価の大幅下落の影響もあって、まったく不透明な事態に陥ってしまった。
 アイスランド通貨危機と、日銀の「量的緩和」解除の因果関係が明確ではないとは言え、ジャパン発の国際金融不安の悪夢に抗して、世界経済に大きな影響を与えるかもしれない金融政策の転換を決断するのは、もちろん容易ではない。
 だが日銀が「ゼロ金利」政策を持続することは、低金利のジャパンマネーが、投機的なキャリートレードの重要な資金源でありつづけることを意味している。それはそれで、世界経済の大きな不安定要因が存在しつづけることでもある。
 それはグローバリゼーションという経済システムが、国民経済と世界経済との間で、あるいはマネー供給の緩和と引き締めとの間で、ますます深刻な矛盾に直面しつつあることを、改めて示していると言えよう。

(6/15:みよし・かつみ)


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