●時評:マスメディアの55年体制
郵政の社長人事は天下り?
(インターナショナル第192号:2009年11月号掲載)
「55年体制の崩壊」が言われ始めたのは、70年代の半ばからだったろうか。それでも政治体制としての55年体制の実態が崩壊し始めたのは、村山内閣の基本路線の転換で社会党の支持基盤が急速に分散化したときだったと思う。そしてその片割れたる自民党の実態つまり「政権党としての自民党」が崩壊し、55年体制が名実共に無くなったのは、やはり先の総選挙で自民党が衆院第1党の座から転落したことだろう。
ところがその名残を、マスメディアによる民主党政権に対する「古臭い批判」の中に見るのは私だけだろうか。
もっとも自他共に認める「親米保守派」の読売グループが、漂流する自民党に「代わって」、とりわけ「日米同盟」堅持の立場で新政権を批判するのは、当然と言えば当然だ。しかしかつて自民党政権への厳しい批判を「売り」にしていた朝日新聞とテレビ朝日が他紙とほとんど同じレベルで新政権を批判するのは、マスメディアもその一翼を担った55年体制の名残を強く印象づけるのである。
ひとつの典型が、日本郵政の新社長に旧大蔵省の元事務次官・齊藤次郎氏を起用したことを「脱官僚依存という公約に違反する」だの「大物官僚の天下り人事」だのと批判していることだ。読売も産経も同様の批判を展開しているのだから、まさに「反官僚」という大衆受けする報道での「横並び」と「相乗り」である。自民党政権時代は、この批判はそれなりに当を得ていたが、細川政権で小沢幹事長(当時)の片腕として働いたことがアダとなって、自民党政権下では「冷や飯食い」の閑職に追いやられていた元官僚の起用を、官僚依存だとか天下りだと批判するのは、素人目にも難癖としか映るまい。
だいたい「脱官僚依存」は、政権党と官僚機構の「密室談合」や馴れ合いを排除して政策立案の透明性を高めるということであり、個々の官僚や政治家の出自や経歴の問題などではなく、官僚機構と政権党の関係をどうするかという問題である。天下りの禁止も特定の企業や業界と官僚機構の癒着を断ち切り、官僚機構の恣意的な優遇政策や事業発注を改めようということで、高級官僚経験者をあらゆる行政ポストから排除することではないだろう。こんな区別さえ判らないとすれば、マスメディアもこの密室談合や癒着という55年体制に取り込まれていたと自白しているようなものだ。
もちろん少しうがった見方をすれば、自民党で小沢や齊藤と熾烈な権力闘争をしてきた亀井郵政・金融担当相が、その宿敵を重要ポストに抜擢したのは「影の権力・小沢」の意を汲んでのことだといった「裏事情を推測した」論評かもしれない。事実、小沢と鳩山の「二重権力」報道は、マスメディアの好餌となっている。だがここにも、政治といえば政局すなわち権力闘争であり、しかも「政権党内部の権力争い」にあるという、実に55年体制的な発想の名残がある。
自民党が永遠の政権党であることが前提であれば、政治理念や政策の妥当性をめぐる闘争は「自民党内の闘争」として現れ、それは派閥など自民党の政治文化や人的関係を基盤にした「政局」として展開するだろう。「だから民主党も・・・」の発想なのだ。
長らく政権交代可能な二大政党制を論じてきたマスメディアが、それが実現した今も発想は55年体制のままでは、むしろこちらが恥ずかしくなるというものだ。
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