【時評】
「供給が需要を創造する」法則の帰結
−「セイの法則」と「エンデの警告」−
(インターナショナル第180号:2008年6月号掲載)
「セイの法則」あるいは「販路の法則」と呼ばれる、古典派経済学の法則がある。ジャン=バティスト・セイという、フランスの実業家にして経済学者が、1803年の著作『政治経済学概論』第1巻22章「販路」の中で叙述し、「供給はそれ自身の需要を創造する」と要約される法則のことである。
もう少し解り易く説明すると、《市場では需給関係によって価格が調整されるから、供給が過剰なら、価格は需要を呼び起こすまで低下するので、生産された財は、最後には必ず売れる》ということである。ここから「需要を増やして景気を良くするには、供給を増やせば良い」という、新古典派経済学派が唱えた、サプライサイド(供給側)強化の諸政策が導きだされた。
そして1970年代半ば、戦後経済政策の主流だったケインズ学派の有効需要の原理(=政府支出など需要を増やせば景気が良くなる)に依拠した経済政策が行き詰まると、市場の価格調整にすべてを委ねる規制緩和と、企業減税などで供給側を強化する政策の根拠として持て囃され、経済政策の劇的な逆転を促進したのである。
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サブプライムローン問題で一躍有名になった「債務担保証券(CDO)」は、このセイの法則の落とし子と言える。
金融規制緩和に乗じて、供給側の証券会社などが住宅ローン債権などを証券化して市場に売り込んだが、こうした商品への需要が事前にあった訳ではない。まさに「供給が需要を創造」したのである。
しかもCDOなど、証券化商品は売れに売れた。それは金融分野を中心に好況を演出し、その恩恵に浴したアメリカは世界中から財を輸入して「過剰消費」を謳歌し、対米輸出の増加で新興諸国も潤った。
こうして、セイの法則の前提である「一般均衡理論」(需要と供給とは必ず一致する)が、現実の世界でも成立するかに思われたまさにその時、証券化商品を保有する金融機関の巨額損失が明らかになった。
証券化商品の暴落は金融市場の価格調整をマヒさせ、あり余る証券化商品を中央銀行が買い取る「需要の下支え」も真剣に検討される事態になった。セイの法則を金科玉条にした「供給先行型」経済は、長続きしないことが暴露されたのである。
ところが、金融市場から逃げ出した大量の資金が石油や穀物市場へ、要するに実物を取引する市場に流れ込み、今度は「マネー供給の先行」で相場を吊り上げ、現実の需給関係とは掛け離れた一次産品価格の急騰を招いている。セイの法則の信奉者たちは、国際的な資金のだぶつきを理由に、「マネーは供給されつづけ、それに見合う需要も創造される」と言わんばかりに、一次産品市場へのマネー投入をつづけているのだ。
だが供給されるマネーは、投機的資金である。一次産品市場の利回りが低下すれば、マネー供給量はたちどころに減少し、価格の暴落が市場を襲うことになろう。
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『エンデの遺言』の著者として知られるミヒャエル・エンデの作品に、『ネバーエンディング・ストーリー(終わりのない物語り)』という物語りがある。
主人公のアトレイユ少年が、「虚無」に浸蝕されて消滅の危機に瀕する「ファンタージェン国」に、女王の救出に向かう冒険ファンタジーだが、エンデはこの「虚無」に、実態のない数字が実物経済を食い物にする現代の金融取引が、現実の世界を浸蝕する様を重ねていたのだと思う。
そしていま、エンデが「警告」したエコノミーによる人間社会の破壊が、現実味を帯びはじめている。
【Q】