【時評】

孤立したのは日本だった-6カ国協議と安倍政権の誤算

(インターナショナル第176号:2007年10月号掲載)


 安倍首相の突然の辞任後、対テロ特措法にもとづく海上自衛隊のインド洋での給油活動の行方が政治焦点になったが、防衛省元事務次官の贈収賄疑惑の浮上も手伝って、福田新内閣が提出した「新テロ特措法」の成立も絶望的になった。
 給油活動の継続を唱える自民党は、海自の活動中断は日米関係を悪化させると大騒ぎだが、その日米関係が、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の核開発にかかわる6カ国協議で、文字通り大きく揺らいでいることには目を塞いでいるようだ。
 北朝鮮が核実験を強行して以降、アメリカの対北朝鮮政策は明らかに対話路線に転じ、「核の完全放棄」よりも「核の封じ込め」を優先し、「テロ国家指定」取り消しという取引の可能性が強まっている。この転換は、単独の経済制裁継続を決定するなど、依然として圧力強化一辺倒の日本を、6カ国協議の中で孤立させるだろう。
 しかも北朝鮮の核開発は、日本にとって最も身近な安全保障問題であり、そこで日米間に齟齬があるのは、給油活動の是非よりずっと深刻な外交的課題のはずだ。
 ところが皮肉なことに、日本は「拉致問題の解決なしに日朝関係正常化はない」という主張を「踏み絵」にしたことで、「北朝鮮の核は、日本にとって直接的脅威だ」と言う主張すら置き去りにし、頼りのアメリカに見放されて自ら孤立を深めている。

 経済制裁の発動に際して、「対話と圧力」なる用語がよく使われたが、それは外交的には一般的な手段に過ぎない。こうした主張にはお叱りもあるかもしれないが、外交上の「対話と圧力」は所詮「アメとムチ」の使い分けを意味するだけであり、むしろ肝心なのは、「対話と圧力」の最も効果的な「順序や程度」であろう。
 圧力を使う以上は、具体的な獲得目標の設定が不可欠だが、その獲得目標が相互に妥協可能な現実的事柄でなければ、それは最後通牒となって逆に自らの手を縛り、その後の柔軟な選択を困難にする。「国民政府を相手にせず」と大見得をきり、泥沼の日中戦争にはまり込んだ近衛内閣の失策(1938年)は、その歴史的教訓である。
 もちろん、「拉致問題の解決なくして日朝関係の正常化はない」という主張は、間違いではない。だがこれを「踏み絵」にして事実上対話を拒否することと、多様なアプローチを試みながら、「拉致問題の解決がなければ日朝正常化と経済援助はあり得ないぞ」という「圧力」を、中国や韓国を介して金正日にかけることは、同じではないのだ。
 「金正日が最も強い圧力を感じる事態は、日中韓3カ国の共同歩調なのである。この3カ国の緊密な連携があればもちろん経済制裁も決定的となるが、中韓両国がそれを認める可能性はない。だが3カ国が協調して拉致事件の解決を求めれば、そんな強硬手段に訴えるまでもなく、金正日は真剣な対応を迫られるのだ」。本紙151号(04年12月号)に掲載された、経済制裁に反対する記事の一節である。
 今やアメリカは、「国益」に沿って圧力から対話へと転換し、北朝鮮との取引を選択したのだが、はたして日本は、それこそ拉致問題の解決に向けて、ブッシュ政権の圧力政策に便乗した強硬路線を転換し、効果的で柔軟な選択ができるか否かが鋭く問われているのである。
 それは、日米関係を重視する伝統的親米保守派である福田政権の正念場である。

(Q)


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