【時評】ギャンブラーたちのリベンジの結末
アメリカ乱射事件 デー・トレーダーの破滅


 アメリカのジョージア州アトランタと言えば、「風とともに去りぬ」の舞台として有名なところだが、そのアトランタで7月29日に起きた銃の乱射事件は、史上最高値の更新に浮かれるニューヨーク株式市場に象徴されるアメリカ経済の好景気の陰で、アメリカ社会の精神的文化的荒廃が進んでいることを暴きだす衝撃であった。
 家族3人を射殺し、証券会社が入居しているオフィスビルに出向いて9人を射殺、12人を負傷させた44歳の容疑者のマーク・バートンは、最後は自らの頭を撃って自殺したが、彼は「デー・トレーダーと呼ばれる個人投資家」で、株取引に失敗して銃を乱射したと報道された。事件当日の29日は、ニューヨーク株式市場で株価の急落があってダウ平均は一時258ドル安を記録、バートンは証券会社従業員に「相場が下がっている」と動揺した様子で話した直後に、銃を乱射したことからそう報道されたのである。
 たしかにアメリカでは、個人投資家が投資に失敗し、その腹いせに投資会社で発砲する事件はこれまでもあったし、それは日本では「銃社会アメリカ」の問題と受け取られてもきた。しかし今回伝えらえた「デー・トレーダー」なる人々は、日本で想像される「個人投資家」とは相当に違って、むしろ失業や賃金低下が個人的な金融投機に結びつけられた、現在のアメリカの好景気=金融バブルの異様さを浮き彫りにした。
 彼らは証券会社にある顧客用の取引オフィスで、パソコンを使って1日に何回も株売買を行い、差益を稼いで生計を立てる(立てようとしている)、いわばセミプロのギャンブラーである。その数は全米で5千人程だが、「ネット銘柄」など有力ハイテク企業株の取引が多いナスダック市場では、彼らは全取引量の15%を占め、自宅や職場からインターネットで株の売買をするデー・トレーダー予備軍は、5百万人もいると言われる。
 定職を持たずに株売買に生きるデー・トレーダーは、インターネットの進歩や株取引手数料の自由化で、誰もがウォール街のプロと同じように株取引ができるようになったことで、つまり機会の平等の保障によって可能になったと言われる。だがその予備軍を含めて、彼らがギャンブラーの道を選択する背景には、いまも吹き荒れるダウンサイジング(解雇)の嵐と、全般的な低賃金の持続という現実がある。この過程で没落させられた人々が、ウォール街のエリートたちと同様に成功できるかもしれない「機会の平等」に飛びつき、一発逆転を狙うハイリスク・ハイリターンのナスダック市場を舞台にして、今流に言えばリベンジ(復讐戦)を挑む姿こそが、デー・トレーダーなのだろう。
 しかし「機会の平等」と「自己責任」が、社会正義や公正を実現する訳ではない。北米証券管理協会(NASAA)が事件翌月の8月に発表した報告書では、デー・トレーダーの70%は投資額のほとんどを失い、利益を出しているのは12%に過ぎない。ましてウォール街のエリートを見返すほどの成功など、ほとんど皆無に等しいだろう。セミプロとプロが同じ土俵で競争するにしても、資金と情報の量がはじめから違いすぎるのだ。
 ケインズ主義が有効だった経済成長の下では美徳だった清教徒の「勤勉の伝統」が、ギャンブラーを称賛する金融バブルによって嘲笑され、アメリカ社会の精神的文化的荒廃が新たな「乱射事件」を準備する。「私を破滅させたどん欲な連中をできるだけ多く殺してやる」という遺書を残し、銃による復讐に駆られたマーク・バートンの破滅は、そうした氷山の一角なのだ。

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