【時評】信じられない事故の頻発
地下鉄脱線衝突事故と技術伝承の衰弱


 東京の営団地下鉄・日比谷線でおきた列車の脱線衝突事故は、衝撃的だった。4人の死者と多数の負傷者がでたこともさることながら、なによりも70年余りにおよぶ地下鉄運行のなかで、これほど重大な人身事故がおきたことがなかったことが、この事故を衝撃的なものにしていた。
 まさに「信じられない」が、事故の報に最初に接したときの多くの人びとのいつわらざる感情ではなかったかと思う。しかしこうした「信じられない事故」が、近ごろ頻発しているということに間もなく気づいたのも、わたしだけではないだろう。
 昨年9月におきた茨城県東海村での臨界事故がその典型だが、国産ロケットの2度続けての打ち上げ失敗も、これまでの実績からすれば「信じられない」事故だし、積雪による電車の故障で数百人もの人々が何時間も列車内に、しかも駅のホームから数10メートルしか離れていないところで缶詰になるなどというのも、衝撃度は小さくとも「信じられない事故」のぶるいである。
 わたしのような団塊世代は学校で、「日本は資源に恵まれていないので、原料を輸入して加工し、これを輸出して成り立つのだ」と、貿易立国や技術立国がこの国の土台のように教わったものだ。そしてたしかに当時の日本は、「欧米人より手先が器用」という神話とは違う意味で、まあ、職人文化の歴史的伝統とでもいうべきか、人間の創意工夫や熟練した技(わざ)へのこだわりを継承してきた労働現場で、この職人的技を駆使する労働者が、欧米製品をしのぐ〃上質の大量生産〃をしていたとは思う。
 ところがそうした日本の労働現場が、リストラと称する人減らしで急速に衰えていると言っていいだろう。鉄道の運行で言えば、ハンマーで車体をたたくだけで車軸の亀裂を見つけたり、急カーブを走る電車を微妙にあやつる職人的レバー操作がさげすまれ、技術の伝承が衰弱の一途をたどっているのではないかと思われてならないのだ。
 運賃が安くなると宣伝された合理化が、技術の伝承を衰弱させ、製品とサービスの質の低下をまねき、人びとの安全を脅かす。そして考えてみれば、戦後日本の労働運動が合理化反対を闘う視点には、この技術の伝承やその過程で培われる人間労働への敬意といったものがひ弱だったかなーと、いまさらながら考えてしまうのである。   

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