月刊ニュースレター『インターナショナル』号外 2009年3月10日発行


革共同再建協議会の「自己批判」とわれわれの見解


第四インターナショナル日本支部再建準備グループ



 革命的共産主義者同盟再建協議会(=中核派の関西グループ)は、1月20日付けの「革共同通信」に、「1984年の第四インターに対する軍事的せん滅戦にかんする自己批判」を掲載した。
 わたしたちはその「せん滅戦」なる行為によって、少なくない同志たちを傷つけられ、中には障害を抱えてその後の人生を送らざるをえなくなった同志や、その後も長期の心的外傷性ストレスに病む同志を身近に見せつけられてきた者として、この「自己批判」がまったく受け入れ難い内容であると考え、以下の見解を表明する。

 全6項で構成された「自己批判」は、その5項で「84年第四インターせん滅戦は、労働者階級・人民大衆の闘争の内部で生じた路線的対立を、相手を『反革命』とまで規定し、組織的な暴力を行使することによって、決着をつけようとするものだったのであり、そこには、われわれがいまだにスターリン主義の『粛正の論理』を真に乗り越えていないという問題が突き出されている」と述べ、つづく6項では「第四インターせん滅戦を総括し、その自己批判を明らかにするまで25年もの歳月を要したことを、反対同盟をはじめ、これまで三里塚闘争に心を寄せ、いまもたたかいを担っているすべての人々に謝罪する」と述べている。
 ところが同じ「自己批判」の前半2-3項は、「第四インターせん滅戦」に至る経緯について、当時の一坪共有地運動や反対同盟の「3・8分裂」を含めて、彼らの、「・・・基本路線を、反対同盟とともに守り抜いてきたことの正義性」を再確認して強調するために費やされ、つづく4項で「以上の経過を踏まえるからこそ」、「『一坪再共有化』推進グループによる三里塚闘争からの逃亡とその破壊を圧倒的な弾劾の声で包囲」する「・・・広範かつ強固な大衆闘争陣形を形成するという闘い方をするべきであった」のに、「『軍事的せん滅戦』によって代行しようとした」のは「誤り」だったと述べるのである。
 この論理構成は、素直に読む限り、中核派の基本路線は一貫して正義だったが、大衆闘争の内部対立を「軍事的せん滅戦で代行的に決着させようとしたのが誤り」で、それは「スターリン主義の『粛正の論理』を乗り越えていない」からだったと言うだけで、83年当時の反対同盟の分裂や一坪共有地運動の展開は、「三里塚闘争からの逃亡とその破壊だったのだ」という当時から今にいたる彼らの主張は、まったく変更される余地はないのだと理解するしかない。

 まず確認したいのは、「闘争からの逃亡とその破壊」という、対立する見解をもつ人々に対する規定は、「粛正の論理」と一体だということである。
 なぜなら、大衆闘争であれ革命であれ、そこに生じる内部対立を組織的暴力によって決着を付けようとする行為は、対立する人々に対して、必ず「革命からの逃亡」とか「闘争の破壊者」というレッテルを張ることから始まるのは、あらゆる歴史的教訓に照らしても明らかだからである。
 さらに、当時の第四インターを「『反革命』とまで規定」し「せん滅戦」の対象にしたのは、わたしたち第四インターが「三里塚闘争から逃亡し、さらには闘争を破壊しようとしているからだ」という当時からの見解を「正義」と断言し、それでも「組織的な暴力を行使」したのは誤りだったと言う「自己批判」は、理論としては一貫性を欠いている。
 なによりも、「組織的暴力」を行使するには「組織的意志決定」が欠かせないし、その意志決定は、その組織の「理論と戦略」にもとづいて行われる以外にないが、この「自己批判」は、まさにこの理論・戦略と組織的行為の関連を無視し、「理論と戦略」を擁護して「行為」だけを誤りとするという、一貫性を欠くものだからである。
 もちろん、論争中に激高して「つい手が出てしまった」という、偶発的事態まで理論と戦略の欠陥に帰すことはできないが、問題となっている「せん滅戦」は、彼ら自身が認めるように、「組織的暴力の行使」以外の何ものでもなかったのである。

 このことから、ひとつの疑問が生じる。6項にある、「・・・反対同盟をはじめ、これまで三里塚闘争に心を寄せ、いまもたたかいを担っているすべての人々に謝罪する」という文言の「謝罪の対象」には、いわゆる「3・8分裂」のために、以降は「熱田派」と呼ばれるようになった反対同盟と、その「熱田派」と共に三里塚闘争を担いつづけてきたわたしたちのような「人々」は、はたして含まれているのだろか。
 もし含まれるなら、今もなお「三里塚闘争からの逃亡とその破壊」を行ったとされている人々に「謝罪する」という行為は、どのような整合性をもつのか、少なくとも「自己批判」からは読み取れない。
 だが逆に、謝罪の対象にこれらの人々が含まれないとすれば、それは「三里塚闘争に心を寄せ・・・るすべての人々」が望んでいるであろう両反対同盟の和解と、それにともなう支援戦線の和解すなわち「相互信頼の回復」を、彼らは望んでいないのではないか?という疑念が生じるのである。
 この問題は、第四インターに対する「せん滅戦」と無関係ではないし、決して瑣末な問題でもない。
 ひとつは、彼ら自身も認めるように「『3・8分裂』の直接の契機は、前年の年末に・・・浮上した『一坪再共有化運動』」であり、当時の第四インターがこれに積極的に関わったことで「せん滅戦」の対象にされたことは、彼らが、一連の襲撃の前に一坪共有地運動に関わる同志たちの家に集団で押しかけ、脅迫まがいの「抗議行動」を行った事実からも明らかだからである。
 さらに反対同盟の相互和解は、それこそ三里塚闘争を担いつづける「すべての人々」の間で「相互信頼を回復する」ために、ぜひとも必要な条件だからである。
 ところが「自己批判」は、「すべての人々に謝罪する」という表現で、かつて「対立した人々」への謝罪、とりわけ襲撃によって重症を負い、障害を抱えてその後の人生を送らざるをえなくなった人々への謝罪を巧妙にすり抜けているのではないか、という強い疑念を抱かせるし、だからまた人民大衆の闘争内部で「相互信頼を回復する」という、最も肝心な点が曖昧にされていると受け取らざるをえないのである。
 相互信頼の回復に関する曖昧さと、謝罪に関する強い疑念とは、この「自己批判」を受け入れ難いと表明するに十分な、然るべき理由であると考える。

 中核派による第四インターへの襲撃に対して、これを強く批判する「共同声明」が588名・4団体の連名で発表されたのは、1984年の10月である【『労働情報』号外(84年10月15日発行)に掲載】。
 その「共同声明」には、「大衆運動の論理は、一党、一派の見解、論理のみによって支配されるものではなく、それに参加する勢力、個人の間に運動上の見解の差異があることを前提とし、相互に批判の権利を認めつつ、しかし自らを絶対的正義とみなすことなく、自由、平等、反戦、反抑圧、反侵略などの大きな目的のために提携しあうことである」という一節がある。
 ここに表明されている見解は、大衆運動に参加する党派、個人は「相互信頼」を基礎にして、「自らを絶対的正義とみなす」ことなく、それぞれに「批判の自由を保証しなければならない」という、しごく当たり前の考え方である。
 だからわたしたちは、この「共同声明」に表明された当たり前の考え方を、今後も断固として堅持する。
 という以上に、こうした相互信頼と批判の自由の保証なしには、「広範かつ強固な大衆闘争陣形を形成する」ための、多様な人々との協働は絶対に不可能だということを繰り返し肝に銘じ、グローバル恐慌と言える後期資本主義の危機が生み出す、「人間の尊厳」に対する侵害と全力で闘うであろう。


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