インターナショナル掲示板過去ログ1(07.7.11〜04.6.25)


No.870徹底検証新しい歴史教科書第3巻上近世編1の配本決定 すなが・管理者 <i218-47-78-192.s01.a014.ap.plala.or.jp>

本日第3巻上近世編1が配本されます。都内の大きな書店であれば週末に、他は来週初めにならびます。本編は、江戸時代は幕府・藩の連邦制国家であり、統一された絶対主義王権ではなかったこと。鎖国と言っても国家による管理貿易であり、日本経済は貿易と深く関わり、多くの品を輸入するとともに輸出品を次々と開発し、輸入品を次々と国産化して、日本の経済は高度な前期資本主義の段階に達していた事。幕府・藩は百姓・町人の暮らしには介入できず、税も安く、百姓・町人は自治共同体の下で権力からは自由に暮らしていたことなどを明らかにするものです。近代日本を捉え返すうえで、近世観が根本的に変更される事をぜひ実感して欲しいと思います。
 2007年07月11日 (水) 12時08分


No.869「徹底検証新しい歴史教科書」第3巻上の発行 すなが・管理者 <i218-47-76-98.s01.a014.ap.plala.or.jp>

 近世編の発行予定がようやくきまりました。近世編は上下2巻。上巻は近世初頭戦国終わりから近世中頃元禄時代の前までです。従来の近世観が根本的に替わることを論証したものになります(下巻も同じで、元禄時代から幕末天保の改革の時期まで)。
 上巻の発売は7月5日〜10日頃。値段は3900円(外税)。総ページ数は520ページほどです。同時代社発行。目次と「はじめに」じゃ僕の個人サイトで見られます。
 下巻は来年2008年の3月頃発売の予定。
 2007年06月17日 (日) 17時30分


No.318平良牧師釈放されるとのニュース パルタ <fp0004.nnc.or.jp>

AML
http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-September/009234.html
によると、辺野古で名護市教育委員会による埋蔵文化財分布状況調査を阻止しようとして9月25日に逮捕された平良牧師が釈放されたそうです。
以下 上記アドレス文章より抜粋

警察・機動隊を入れたのは、名護市ではなく防衛施設局だと認めたこと。予算もつけて強行しようとした理由は、“早く”やりたかったから。
 2006年09月27日 (水) 22時40分


No.240本を出しました!:徹底検証「新しい歴史教科書」 すなが・管理者 <i218-47-78-189.s01.a014.ap.plala.or.jp>

 扶桑社版の新しい歴史教科書を徹底検証した本を、わたくし「すなが」がこの度、同時代社から出しました。古代編・350ページ、3150円、中世編・380ページ、3360円です。今後来年春に近世編・来年冬に近代編・再来年夏に現代編を出す予定です。本の詳しい内容はわたしの個人サイトの「お知らせ」のコーナーをご覧ください。9月第1週には本屋に配本されています。
 2006年08月29日 (火) 12時15分


No.130ご質問 武田 <cache-tkp-ab05.proxy.aol.com>

足利義満は女系男子ということですが、他の人の解説では、源氏の男系男子ということでした。源氏はもちろん皇族ではないですが、皇族と同様なY遺伝子をもった男系で足利義満がつながっていれば、女系承継の試みとはいえなくなると、ふと疑問に思いました。いかがでしょうか?
 2005年12月18日 (日) 23時49分

No.131Re: ご質問 すどうけいすけ <i218-47-76-126.s01.a014.ap.plala.or.jp>

 ご返事が遅くなり申し訳ありません。掲示板投稿のメールを見落としました。
 足利義満は父系でいうと源氏の男系男子です。そして母系では順徳天皇の皇子の娘のひ孫にあたります。女系で順徳皇子につながるわけです。また清和源氏は天皇家から離れてすでに久しいので皇族とはみなされていませんから(天皇の男系で5世の孫なら男系男子として即位する事は可能です。かの応神天皇5世の孫として即位した継体天皇のように。平将門は男系で桓武天皇5世の孫だったので新皇を称しました)彼の息子の即位は男系での継承とは言えません。
 ただしくは女系で天皇に繋がるし遠いが父系でも天皇につながるから、女系だが男系男子に近い存在として公家たちは認識したのだと思います。
 2006年01月27日 (金) 18時16分

No.132補足 すどうけいすけ <i218-47-76-183.s01.a014.ap.plala.or.jp>

 足利義満が天皇に擬せられたのは、父系でも母系でも天皇家につながることと、時の天皇後小松天皇と彼とが従兄弟(母同士が姉妹)という血縁的近さも理由の一つだと思います。つまり女系での継承と言っても他の要素での天皇家との近さが大事なのでしょう。
 聖武天皇の後継ぎの問題でも、娘の井上内親王と白壁王との間にできた男子への皇位継承が可能だと判断したのは、その男子は母系で聖武天皇・天武天皇に繋がるし、父系では天智天皇につながる(白壁王は天智の孫)からでしょう。
 したがって天皇家が女系で継承するといっても、内親王の夫と天皇家との関係がなるべく近いことが条件になっていたと思われます。
 2006年01月28日 (土) 12時14分

No.133Re: ご質問 武田 <cache-tkp-aa02.proxy.aol.com>

わざわざ丁寧にご回答ありがとうございました。
そうすると、皇位継承資格としては男系男子の血筋と皇族だったころからどのくらい離れているかが、過去暗黙に問われていると考えられますね。将門が5世孫を理由に「新皇」を称したのは新発見でした。
もう一度確認ですが、将門にしろ、義満にしろ、「男系の血」(=Y遺伝子)を継承している点は、現在の皇族ないしは旧皇族同様間違いない事実として受け止められているわけですよね。
 義満の母というのは、やはり藤原氏系の女性なのでしょうか?
 2006年01月29日 (日) 11時34分

No.134Re: ご質問 武田 <cache-tkp-aa02.proxy.aol.com>

>娘の井上内親王と白壁王との間にできた男子への皇位継承が可能だと判断したのは、その男子は母系で聖武天皇・天武天皇に繋がるし、父系では天智天皇につながる(白壁王は天智の孫)からでしょう。
 これについては、白壁王というのは「皇族」身分の方ですから、なにも問題なく男系承継といえると理解しておりましたが、そういう私の立場と、すどうさんのご回答は異なる立場ということになるのでしょうか?
 2006年01月29日 (日) 11時40分

No.135再度の補足 すどうけいすけ <i218-47-78-233.s01.a014.ap.plala.or.jp>

 義満の母は、紀良子。その姉妹が後光厳院の妻となり後円融天皇(後小松はその息子でした)の母となった崇賢門院。二人は通玄寺聖通という尼の娘。そしてこの尼が順徳天皇の息子の四辻宮の孫なのです。だから義満は女系で天皇家の血を引いている(男系の清和天皇からだと遠すぎ、彼は清和源氏であることを皇位簒奪の理由としていません)。
 白壁王など天智系の皇族は当時は完全に皇位継承の蚊帳の外。まったく不遇の状態。白壁王と井上内親王の婚儀は、女系で天武系の皇統をつなぐと当時の貴族は意識していた。しかし唯一天武系皇統の継承者である他戸親王(二人の間の息子)を後の桓武天皇らが謀反の罪で抹殺すると天武系の皇位継承者はいなくなったので、貴族たちはやむなく天智系で皇位を継ぐ事を了承したという。だから女系継承が承認されていたが、頓挫したのでやむなく男系継承にしたというわけです。
 2006年01月29日 (日) 15時10分

No.136追加 すどうけいすけ <i218-47-78-233.s01.a014.ap.plala.or.jp>

 つまり天武天皇以後は、天武天皇の子孫で皇位を継承したいという強い共同の意思が貴族たちのあいだにあったということです。理由は不明ですが天智系は完全に無視されました。
 2006年01月29日 (日) 15時16分

No.137Re: ご質問 武田 <211-9-56-113.cust.bit-drive.ne.jp>

>だから女系継承が承認されていたが、頓挫したのでやむなく男系継承にしたというわけです。
回答ありがとうございます。上記「女系継承が承認」というのはどういう意味でしょうか?私の理解する「女系」というのは、皇配が非皇族男子(皇族としてのY遺伝子をもつとしても、義満はダメという意味で非皇族と書きました)の場合に、その子孫が皇位につくことです。そういう意味の「女系継承」ではないですよね?
確認まで。為念。
 2006年01月30日 (月) 15時27分

No.138確認 すどうけいすけ <i218-47-78-128.s01.a014.ap.plala.or.jp>

 井上内親王と白壁王の間の子(他戸親王)が皇位を継承する場合も義満または彼の子が継承する場合も、どちらも武田さんのおっしゃる『女系継承」ではありません。女系で天皇家に繋がる男子が継承するということ。天皇の娘(内親王)または親王の娘(女王)は天皇にも等しい神性を持つと考えられてきたので、このような継承法も容認されたのだと思います(ただしどちらも臨時の危機の状態だからです)。この意味で愛子内親王の夫が天皇家に男系で繋がる人で、即位するのは二人の間の息子ということになれば(中継ぎで内親王即位はある)、伝統そのものです。しかしこの条件に当てはまる人がいないのではないでしょうか。だからまったく違う形の「女系継承」が考えられた。
 2006年01月30日 (月) 18時12分

No.149Re: ご質問 TAME <flh1acr044.tky.mesh.ad.jp>

すどうけいすけ様

最近、話題になっております、伏見宮家系の旧宮様復帰どうなりますか? 5世の孫どころか、男系継承において室町時代より何親等離れているのでしょうか?
 2006年03月25日 (土) 14時16分

No.150 Re: ご質問 TAME <flh1acr044.tky.mesh.ad.jp>

> 足利義満は女系男子ということですが、他の人の解説では、源氏の男系男子ということでした。源氏はもちろん皇族ではないですが、皇族と同様なY遺伝子をもった男系で足利義満がつながっていれば、女系承継の試みとはいえなくなると、ふと疑問に思いました。いかがでしょうか?
2006年03月25日 (土) 14時21分

No.151Re: ご質問 すどうけいすけ <i218-47-77-29.s01.a014.ap.plala.or.jp>

旧伏見宮家系統からの皇位復帰が可能かどうか。それは私には判断しかねます。これは高度な政治的判断ですからね。内閣と天皇家がどう判断するかの問題。
 何親等はなれているかは、下記のサイトの宮家系図を辿ってみて伏見宮第24代が何親等離れているか確認し、今可能性のある方々は、その孫かひ孫の世代ですから、それに3親等足してみてください。
 http://keizusoko.yukihotaru.com/keizu/keizu_tenno4.html

 すどう けいすけ
 2006年03月25日 (土) 16時19分

No.152Re: ご質問 TAME <flh1ahr115.tky.mesh.ad.jp>

すどうけいすけ様

>「旧伏見宮家系統からの皇位復帰が可能かどうか。それは私には判断しかねます。これは高度な政治的判断ですからね。内閣と天皇家がどう判断するかの問題。」<

最近にテレビ放映にて有名の文化放送チャンネル桜の掲示板をのぞくと
旧宮家復帰は当たり前、これに同意できないは日本人であらずして、国賊であり、女帝容認論者は在日シナ・コリア人とのレッテルがただちに貼られます。すどう様の冷静にして、知識に幅のあるその観察力をお見せになってやってください。女帝にしろ旧宮家天皇にしろ今は冷静なる判断が必要と思います。
 2006年03月28日 (火) 12時42分

No.153皇位選択の分岐点 すどうけいすけ <i218-47-77-123.s01.a014.ap.plala.or.jp>

 歴史的には天皇家の権威は天照大神という女神に発しており、女系でも男系でも皇族の権威は同等です。皇位継承は第1に現天皇家の血筋を優先。第二に現天皇家に継承者がいない時にはその近い分家から。第3にそれでもいない時にはもっと遠い親戚でもということになります。第3の選択は歴史的には○○天皇5世の孫の範囲までです。これでも現天皇家とどこで別れたのかにより赤の他人になる可能性があります。継体天皇は応神天皇5世の孫でしたが、別王朝と認識されていました。
 今伏見宮系から天皇を決めると言う事は、600年前に天皇家から分かれた家から選ぶので、第3のケースに、それも王朝交代に等しくなります。それでも良いと考えるか、現天皇家の女帝でと考えるかは、現天皇家と今の国家体制をどう評価するかと直結します。
 2006年03月28日 (火) 17時13分


No.120台湾認識に関して 在台元トロちゃん <220-129-78-241.dynamic.hinet.net>

 はじめまして。
台湾認識に関して、台湾に在住していた者からすると、ずいぶん台湾認識がかけ離れている感じがしてなりません。2003年の総統選挙についての論評を読んで、日本の左翼の台湾認識がこんな物かとがっかりしました。だから右派右翼に台湾を持って行かれて当たり前だという感じでしかありませんでした。
 台湾はでは228事件を契機に国民党による台湾人抑圧政策が行われ、蒋介石死後に民主化が始まり、血のにじむ闘争の末、勝ちとってきたという事実を全く認識していません。台湾の台湾人意識は日本の植民地時代の形成され、しかも戦後は228事件が契機にますます強固になり、李登輝の時代に弾みをつけたものであって、中国との統一が望ましいなど、民衆は誰も思っていないと言うことがわかっていないと言うことです。

 2005年07月17日 (日) 21時58分

No.121Re: 台湾認識に関して 在台元トロちゃん <220-129-78-241.dynamic.hinet.net>

200年の間違いでしたすみません。
 228事件とは1947年闇市でたばこを売っていたおばさんが国民党の摘発時に殺され、生活苦と抑圧されていた台湾人が国民党に対して大規模な抗議を行ったが、それに対する国民党は日本語世代をねらい撃ちにするように台湾知識人をことごとく数万人を殺戮した事件である。その後スターリンによる粛正と同じように白色テロが続き、陳総統の婦人もその白色テロによって今も車いすの生活を強いられている。

 2005年07月17日 (日) 22時15分

No.122Re: 台湾認識に関して 在台元トロちゃん <220-129-78-241.dynamic.hinet.net>

2004年3月
 2005年07月17日 (日) 22時38分

123Re: 台湾認識に関して 管理者 <pddde3b.tkyoac00.ap.so-net.ne.jp>

「在台元トロ」さんへ。投稿ありがとうございます。
04年の台湾総統選挙に関する評論へのご感想を送って頂いたようですが、何をどうお答えしたらいいのか、この投稿からはよく理解できまsんでした。「日本の左翼の台湾認識はこんな物」と言われても、どんな物なのかこちらには伝わりませんし、少なくともこの評論では「中国との統一が望ましい」なんてことが主張されてはいません。
 さらに「228事件」=1947年のいわゆる台北大暴動にはじまる台湾全土の暴動に蒋政権が大虐殺で応えた事件ですよネ=以降の「本島人」たちの感情については、もちろん私たちは詳細に知りうる立場にはありませんので、むしろもう少し詳しく仰りたい点を展開して頂いた方が、双方にとって有意義な意見交換と議論ができるのではないでしょうか。

No.127Re: 台湾認識に関して 矢野通彦 <host-207-248-240-118.block.alestra.net.mx>

>  はじめまして。
> 台湾認識に関して、台湾に在住していた者からすると、ずいぶん台湾認識がかけ離れている感じがしてなりません。2003年の総統選挙についての論評を読んで、日本の左翼の台湾認識がこんな物かとがっかりしました。だから右派右翼に台湾を持って行かれて当たり前だという感じでしかありませんでした。
>  台湾はでは228事件を契機に国民党による台湾人抑圧政策が行われ、蒋介石死後に民主化が始まり、血のにじむ闘争の末、勝ちとってきたという事実を全く認識していません。台湾の台湾人意識は日本の植民地時代の形成され、しかも戦後は228事件が契機にますます強固になり、李登輝の時代に弾みをつけたものであって、中国との統一が望ましいなど、民衆は誰も思っていないと言うことがわかっていないと言うことです。
>
>

なるほど。
 2005年09月28日 (水) 11時25分


No.99第四インタナショナル中央書記局 Juan <secure.anonymizationservice.com>

http://www2.odn.ne.jp/4th-intl/
これはどういう組織なのか教えてください。
文章の内容によると、フランスの「労働者の闘争」と関係があったようですが。
 2004年06月25日 (金) 05時05分

No.100 Re: 第四インタナショナル中央書記局 サイト管理者・MELT <p8bcdd7.onenum00.ap.so-net.ne.jp>

> http://www2.odn.ne.jp/4th-intl/
> これはどういう組織なのか教えてください。
> 文章の内容によると、フランスの「労働者の闘争」と関係があったようですが。

「どういう組織なのか」という質問の意味が良く判らないのですが、あなた方のHPの「開設にあたって」に労働者の旗からの引用があり、そこにMELTについて「統一書記局派の日本支部を構成していたグループ」と説明されていますが、その通りに理解して頂いて結構だと思います。
2004年06月25日 (金) 14時47分

No.101Re: 第四インタナショナル中央書記局 Juan <secure.anonymizationservice.com>

いや、そうではなくて、

> http://www2.odn.ne.jp/4th-intl/

このサイトを開設している団体がどういうものか知りたいのですが。
この掲示板を管理している団体(あなたがた)は知っています。
 2004年06月26日 (土) 11時17分

No.102Re: 第四インタナショナル中央書記局 サイト管理者・MELT <p8bccf9.onenum00.ap.so-net.ne.jp>

失礼しました。
どういう組織かと聴かれても良く判りませんが、私の記憶では随分と昔(20〜30年ほど以前)に、福岡に「中央書記局」を置き「第四インターナショナル」とうい機関誌を発行していた独立系のグループだったように思います。
確かA4版の月刊機関誌だったように思いますが、私たちとの直接の関係はありませんでしたので、どんなグループなのかはよく判りません。すみません。
 2004年06月26日 (土) 14時09分

No.103Re: 第四インタナショナル中央書記局 Juan <secure.anonymizationservice.com>

九州中心だったのですか。
しかし今では九州は消滅し、連絡先は東京と大阪になってますね。
MELTは東北ですか?
 2004年06月28日 (月) 01時18分

No.104Re: 特に、東北というわけでは・・・ サイト管理者・MELT <p8bcd3c.onenum00.ap.so-net.ne.jp>

MELTが「東北」ということは、特にありません。
人数の比率で言えば一番多いのはやはり関東・東京になります。
どうして「東北」というイメージがあるのでしょうね?

 2004年06月28日 (月) 12時29分


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