3.11被災後の状況をどう受け止め、どう動くべきか?


《1》寺岡提案

東日本大震災がもたらしたもの

―外的強制による共生・連帯社会の機運― 

寺岡衛(2011.4.5

 

 東日本大震災は、地震、津波、原発事故の三重苦をもたらした。この大震災は自然災害であると思われている。確かに大震災の直接の原因は自然災害なのだが、その一方で社会の大変革と結びつく要素を内在させているのであり、これは偶然ではないと思う。震災という自然現象と人間が起こす革命や政治的事件はあたかも別の事象のようにとらえられるのだが、歴史的に見れば自然現象が人間の作り出した社会を大きく転換させるつながりを不断に持っていると私には思えるのである。
 なぜかというと、その社会が潜在的に蓄積してきた矛盾や変革意欲が、自然災害を契機にして爆発的に表出しはじめるからである。震災は単なる自然現象で終わらずに社会の変革につながっていく性格を持っているのだが、今回はとくにその点が人間の意識の変化としてドラスティックに顕在化したと思う。
 その変化を具体的に述べると、第
1に歴史的な衰退、没落の段階に入っている後期資本主義の成長戦略に基づく成長経済の破綻を全面化させた。その結果として、日本はもちろんのこと世界的にも低成長経済に向けた低成長の時代に大きく転換せざるを得ない局面に入ったということである。
 第
2の特徴は大衆による国際的援助の顕在化である。災害に対する各国政府の援助はそれぞれの国家的思惑に基づいて展開されているが、今回のもう一つの大きな特徴は大衆的なレベルでの国際援助が大きく作動している点である。戦後日本が直面した国際的な状況は、アジアの大衆から孤立している点に特徴があった。とくにアジアの民衆から問われ続けた日本の戦争責任について、大衆的レベルでその意識が希薄であるという批判が潜在的に存在していたと思う。この点がインターナショナルな運動の形成にとって大きな障害になっているとわれわれは考え、その点での自己変革が欠かせないと主張してきた。
 ところが今回の大震災を契機にして、民衆間の連帯意識が一挙に変化した。国家間の国際化は、経済を通じて上からグローバル化しつつ利益を求めて衝突しあう競争の関係にあった。それに対して下からの民衆間の連帯意識は、資本主義的な競争原理の要素を一挙に乗り越えて、資本主義的な利害を超えたところで表現された。人間的な連帯の噴出というインターナショナルな流れの誕生である。
 第
3の要素は、これまでの自己中心型の個としての自立から転換した共生や連帯意識の登場である。そのような大衆の動きや思潮(思潮とはものの考え方、あるいは思想の流れという意味だが)は抽象的なものではなくて生活思想に根ざして作られた思潮である。それまでの戦後日本の共同体的な意識は、個としての自立や個性が集団や組織によって埋没させられる点に特徴があった。その意味では忠誠心や帰属意識という形で、主体的にも個人や個性を埋没させることで集団主義が機能してきたのである。それは支配のシステムとしてだけではなくて、大衆の意識も同様であった。
 それに対する反作用として自己中心型の自立化が登場したのだが、その一方では家族や地域社会が崩壊して
“無縁社会”や“孤族社会”、あるいは“孤立死”が社会的な問題となっていった。そのような構造は、現代社会が自己中心型の流れになっている結果であるかのように見えていたし、それは重大な克服すべき課題であるとわれわれも考えてきた。
 ところが、東日本大震災を契機にその構造が一変しつつある。自立の過程、すなわち近代化の過程が、自立しながらも主体性を持って連帯する構造へ大衆的に転換しつつある。たとえばボランティア運動は、企業が集団主義的に旗を振って全員が従うのではなくて、
1人ひとりが自立して援助しつつ、その構造が集団をつくっていく。そのようなあり方に転化しているのである。このような形での新しい連帯、あるいは共生の動きが、下からの自発性をともないながら大きな力を発揮しつつあるように見える。
 阪神淡路大震災は“ボランティア元年”と言われたが、それ以後、そのような要素は潜在的に蓄積されてきたのである。今日、その蓄積は
“自分のために”ではなくて“他人のため”、あるいは“仲間のため”にという共生意識や連帯意識として強力に機能している。
 たとえば、国家をバイパスして自治体同士が横につながって実現した集団移転は1つの典型である。受け入れる側の自治体が自発的に住民を迎えに行って呼び寄せるという横のつながり方であり、そこで国家は有効性を発揮できない。むしろ国家が手をつけられない状況下で、下から模索しながら繋がっていく動きになっているのである。
 もちろん、“無縁社会”や“孤族社会”、あるいは“孤立死”などの問題は継続しているのだが、その状況を何とか変えようとする動きが医師や介護師、看護師によって取組まれている。そのような孤独死をなくそうという動きが自己犠牲をいとわず登場しているのであり、それらは従来の自己中心主義とは異質の自発的な動きである。
 これこそが“日常思潮”のドラスティックな転換である。その意味では、新しい共同体に向かう時代の流れ、その運動形成の動きをつかみつつ、それをどのように意識的な流れにしていくのか。あるいは、この流れを運動の主体へと転化できるのかが問われている。この間の状況を見ていると、そのようなことが言えるのではないだろうか。
 いま述べた
3つの要素をもう一度、振り返ってみる。第1の低成長への転換だが、従来の高度成長戦略は人間の物欲や資本の無限の肥大化が地球の自然を破壊し、人間性を破壊していく。さらに言うならば人間を商品化していくことで、破滅に向けて進むという性格を持っていたと思う。ところがそのような成長戦略は、外的な自然災害という形をとって否応なく破綻を強制された。それぞれの好き嫌いとは無関係に、ブルジョアジーや国家指導者は低成長に対応しなければならなくなったのである。
 低成長時代に対応するためには、ワークシェアリングの本格的導入が不可欠である。これまでの高度経済成長は、効率化や技術革新という形で科学技術を生産に取り入れ、短時間のうちに巨大な成果を作り上げてきた。したがって、その成果を人間に還元すれば時間短縮になるのである。時間短縮することによって、お互いに仕事を分け合う。
 今までの科学技術と結びついた生産性によって、時間を短縮して自由時間を拡大し、そのことによって人間が文化的生活を実現しても、それを十分に配分できるだけの基盤ができあがっているのである。その意味ではワークシェアリングの思想で大衆自身がお互いに援助し、扶助しあう精神が立法化され制度化されれば、そのような社会が実現できるのである。
 高成長で何が蓄積されるかと言えばバブルである。巨大な金余りが投機に流れるわけだから、これをシャットアウトして全体に配分する。その場合は短時間の労働で十分に配分できるだけの生産性がすでに実現されているのである。このような考え方を低成長と結びつけて大きく転換する。そのことは国際的な連帯や国内的な共生・連帯と一体の問題であると思うのである。
 この
3つの要素を、その意味で新しい1つの戦略に向けた思想的転換として、どのように結合させるのか。それが最も基本的な認識のあり方だと思うのである。
 ところがこのような思潮の流れは、実に自然発生的なものである。哲学や経済学などによって理論化され意識が変革されたというよりも、今までのあり方に対する反作用という要素が強い。孤独死などが表現する社会の崩壊や液状化に対する反省の感覚が、
“共に生きなければ生存できない”という考え方を自然発生的に蓄積させてきたのである。
 したがって、それを意識的に組織し運動化して
1つの政治社会的あり方に定着させていく指導潮流、指導部が問題にされなければならない。ところが今日の菅政権にそれが準備されているかといえば、右往左往しているだけである。自民党が菅政権に取って替われるかといえば、そのような対応力が準備されているわけではない。その意味では与野党がともに右往左往しているだけなのである。
 そうであるならば、在野勢力である新旧の左翼はどうなのか。これらの勢力はある意味では破産した旧来のドグマにしがみついままで、この局面で表面化した大衆の潜在的意識のドラスティックな転換を感じ取ることができない。旧来の思想、旧来のドグマが邪魔をして大衆の変化を感受できない。その意味では感受性さえ失われているのであって、ここにこそ最大の危機が存在していると思うのである。
 すなわち、それは「指導部の問題」だと思うのだが、これはトロツキーのかつての指摘である。ところがトロツキーの時代は、指導部の問題だけではなくて大衆の国家主義的意識のレベルがもう
1つの問題であったと思う。ナショナリズムは後進国の民族解放闘争では一定の段階まで進歩的な役割を果たすが、先進国においてはファシズムが典型的なように排他的な民族主義という形態でしか存在しえない。社会民主主義も含めてその壁にぶつかったわけで、単なる指導部の問題ではなかった。運動の歴史的流れがそのような不均衡を作り出したわけで、それを一定のレベルで突破したのが後期資本主義であった。
 今日、ヨーロッパもアジアも行き詰まっているわけだが、そうした中での今日の指導部の危機とは、真の意味における“指導部の危機”であると思う。
 かつては大衆がスターリニズムをつくったし、社会民主主義もある意味では民族主義的な利益にとらわれたのだが、今日、大衆はその枠組みを突破しようとしているのである。そうすると、指導部の歴史的立ち遅れが問題となる。その意味で本物の“指導部の危機”に直面しているのではないか。
 指導部の危機は、すべての潮流で共通している。ブルジョア勢力も行き詰まっているし、社会民主主義の潮流も共産党的潮流も行き詰まっている。また、フォーディズム的な潮流も同様である。いわば戦間期に形成されたフォーディズムやボルシェビズム、社会民主主義など、ファシズムは論外として戦後を準備してきた思想潮流が全体として行き詰まり、それを批判して登場したかのように見えた新左翼も同様の構造の中にある。
 その意味では現在、歴史的な思想潮流が大きく転換しなければならない時期ではないか。それは思想の転換であり、歴史的思想潮流のドラスティックな破綻という点では思想の作り直しである。
20世紀を総括して、自らは21世紀をどのようにとらえ直してみるのか。そのような思想的発信力こそが指導部の危機を克服する力になると思うのだが、そのような大胆な思想的展開をやろうとする部分がなかなか見出せないのである。
 そこで重要なのは唯物論の俗物的考え方であり、とくに左翼にとってこの点は重大なネックになっていると思う。すなわち下部構造が上部構造を決定する、あるいは現実的物質が意識を決定するという認識であり、ここでは意識の方が受動的なのである。もう少し直截に表現すれば、「ブルジョアジーを打倒すれば大衆の意識は変わる」、あるいは「天皇制権力を打倒する」「天皇制を支える地主制度や大資本を解体すれば民主主義は成立する」という考え方である。
 問題なのは打倒する前の「大衆の内なる天皇制」や「内なる消費の価値観=物象論的意識」、あるいは「人間の価値を商品に置き換えて評価する意識」、これらが常識化しているのである。これは労働力の商品化、すなわち労働する過程が商品化されているだけではない。大衆消費社会の中で物事はすべて商品として価値づけられていて、それが日常の意識になっているのである。すなわちここでは、意識のあり方が問題なのである。
 たとえば「天皇制打倒」と叫んで地主制度を変えれば民主主義になるのかといえば、そのような生易しいものではない。問題なのは誰が地主制度を支持しているのかという点である。天皇を媒介にして、大衆の内なる意識がそれを支えていたのだから、「天皇制打倒」と言えば直ちに大衆から孤立する。しかも関東大震災のときは排外主義が大衆の中から登場して多くの朝鮮人が殺害され、その過程で大杉栄や伊藤野枝なども虐殺された。問題なのはそれらの虐殺が、大衆の意識によって支えられていたという点である。
 この意識を変えなければ資本支配の物質的基盤と闘えないし、大衆はその主体たりえない。資本主義制度から社会主義制度に物質的基盤が転換すれば、その転換に惹きつけられて意識も転換するというような単純な代物ではないのである。上部構造は物質的基盤から相対的に独立して、その国の歴史的な文化や宗教、伝統などと現実的な物質的基盤との格闘の中で作り出されていると思う。したがって直対応的なものではなくて、相対的に自立したものではないか。
 その意味では大衆の意識の変革をどのように先行的に組織できるのか。市民革命とは、その問題だと思う。市民革命とは上部構造の革命であり、その上部構造の意識性が下部構造を変革する。この闘いによって社会革命や政治革命が問題となるわけで、それ以前の意識の構造が前近代的であったり自己中心的な利益主義的意識である限り、その物質的基盤を変えるどころか現状に追随するしかない。
 そうした中にあって、市民革命先行型、意識革命先行型の運動をどうやったら組織できるのか。現在は、その意味での客観的なチャンスなのである。現在の共に生きようという大衆的な意識は、資本主義的商品経済を自らの集団が管理して、どのように自主生産するかという意識とはつながっていない。意識が独自に変革する萌芽を示し始めたわけで、自然発生的段階なのである。これを意識的なものにどうやって組織するか。
 組織することが同時に自らの社会化につながる。被災地では住宅や食、職業などの物質的基盤がすべて失われているのだから、連帯的な意識の構造を組織することで、生き方をどうするのか、職業をどうするのか、地域社会の組み立てをどうするのか。あるいは学校や教育、子ども、老人のあり方をどうするのかなど、意識の側から物質的な基礎をつくり直していかなければならない。こうして市民革命の共同体は、自己の生活者としての社会をどのように作り上げていくのかという問題に直面しているのである。
 そこからは市民革命から社会革命へ、意識革命から物質的な革命へという問題が出てくる。その場合、東日本大震災の被災の巨大さを見れば直ちにわかるように、共有化抜きに地域社会の再建はできない。被災前まで農業や漁業は、小単位で私的に存続してきた。もちろん、そこには農協や漁協が存在し、協同組合としての横のつながりはあったものの、基軸は小単位の私的な経営であった。
 ところが今日、そうした産業の再建をしようとするなら、漁業や農業、あるいは中小企業にしても、直接のつながりを持ちつつ経営者と労働者が共同して再建事業を担わなければ実現することができない。そのような単位で金融資本や国家に再建を要求していくわけだが、そうなれば市長や議員集団を巻き込まなければならない。そのように下から社会化されたものとして、再建をやり遂げる。いわば、生産の社会化、生活の社会化をともなった作り直しをやらなければならないのである。
 ところが現状は多くの被災者が茫然自失の状況にある。それは当然なのであって、家族単位で再建しようとするならば、ため息しか出てこないのである。漁業を例にとれば船は流失・破損し魚網も喪失、養殖の漁場は荒れ果てている。再建は放棄せざるを得ないのではないかという意識が生まれるのは当然である。一方で、人口の半数が死去・行方不明になり、市長や市の職員の大半が命を失った自治体さえあるのだから、行政が茫然自失状況にあるのは当然である。
 これは指導部が下から意識的に担わなければ、再組織することができないと思う。協同組合をつくって漁業や農業、中小企業を再建しなければならないのである。共同で再建する戦略的プランを持って、意識的に組織していくという指導部が形成されなければならない。そのためには社会化のための意識的思想が必要であり、それがなければ指導的なイニシアティブをとることができないであろう。
 そのために必要とされるのは「革命家」ではない。社会革命を担う医者や看護師、介護師、弁護士などをはじめとするボランティアのセンター的役割を担っている人たち、この人たちは地域社会で経験的に蓄積を重ね、部分的には組織化も行ってきたわけで、彼らが共同して動き出すだろうと思う。この層は専門的な知識を有している。
 戦後の場合、生産を一から再建したのは熟練労働者だが、今回は介護や老人問題、教育問題など多様な生活の問題を地域社会で指導し運営してきた人たちである。そのような層の人たちが共同することでヘゲモニーが生み出されていく。それを
1つの協同組合、あるいはセンターとしてどのように組織していくのか。そこに向けた指導部が、本来の政治的役割として要求されていると思う。
 それは理論を媒介にして初めて構想できるものであり、それなりに位置づけられてはじめて運営することが可能で、管理・統治ができる。このような指導部の登場が問われているのだと思う。その意味では専門家の役割が大きい。いまでも中心的に動いているのは専門的な知識と経験を持った人たちである。たとえば神戸でボランティアを体験し、そこからボランティアセンターなどで経験を蓄積してきた人たちが、経験を理論化して一定の対応力を示していると思う。
 われわれが政治的再建をやろうとするならば、このような人たちのノウハウと結びつかなければならないが、客観的に見ればその可能性は大きく広がっていると思う。ところが現在の左翼は、そのようなことと結びつく意識性や感受性がドグマによって一掃されてしまっているからつながることができない。ある意味で経験的な蓄積の方が対応力を持っている状況になっているのだと思う。
 その意味では意識先行型の自己変革が必要である。左翼はドグマを捨てて新しい市民的共通感覚を持たなければならない。
(NHK放映の「ハーバード白熱教室」では、新自由主義という思想の流れに対してコミュニタリアニズム(共同体主義)が提起された。コミュニタリアニズムは旧来の民主党の思想の流れを批判的にとらえ直して、新しい社会を提起する。下からの一人ひとりの対論を通じてコミューン・共同体を作り出していく。そのような思想の討論が白熱的に展開されているのである。これは
1つの思想的挑戦だと思う。後期資本主義の破綻を受けた市民社会の新たな先端的思想が、そこに出てきているのではないかと思う。)
 今後の運動を考える上で重要なのは、先ほどから指摘しているように自然発生的ではあるが共生・連帯という動きがドラスティックな流れとして顕在化し大衆的に登場している点である。ところが一方では高度経済成長の中で蓄積された大衆の意識が存在する。すなわち多くの大衆は、儲かるか儲からないかという意識で日常生活を送ってきたわけで、この意識は全体社会の常識になっているのである。
 この意識と共生・連帯の意識との間には大きなギャップが存在しているのだが、この点はいまだ意識化されていない。今日開始された共生・連帯の動きは、旧来の「儲かりますか」とあいさつする物象化された思想状況を意識的に克服するものにはなっていない。したがってこれをつなげる主体は、必然的に少数派運動にならざるを得ないのである。
 この運動は専門家が媒介となって経験的に成り立つのだが、一方で非正規雇用の労働組合や協同組合、ボランティア運動などの運動は、社会のブルジョアルールで公認される以前の自発的運動として少数派として展開されてきたわけである。このような運動はこれ以降もしばらく、少数派の運動として続くと思う。これを少数派として強固なものに作り上げることから始めなければならない。
 ただし今までと環境が大きく変わって、チャンスが訪れているのは間違いない。しかも専門家の能力を媒介にしながら有効に組織できる点と、自治体の労働組合も含めた職員との共同が可能となる点がこれまでと大きく違っている。この場合の動き方は、国家権力によって上から命令されてやるのではなくて、下からの日常的な市民との積極性に依拠したものである。大衆の共同体的な枠組みの中に組み入れられて、国家権力を末端から蚕食していく形で大衆化されていくことになる。
 したがって、この少数の核がどのように組織されるかが重要な問題となる。その上で、協同組合や農業組合、
NPONGO、社会的事業や非営利的企業などを組織できる左翼になっていく。あるいはそのような運動の中に左翼が入っていく。しかも、そうした運動に違和感を持つのではなくて、溶け込めるような感性を持つ。意識がそのように武装されなければ、このような動きを感じ取る感性も生まれない。そのようなものに結合できる左翼として新たに自分自身を作り替える運動が必要だと思う。その意味では市民社会先行型の運動である。
 ここで、
326日の研究会で報告した最後の論理をもう一度、振り返ってみたい。いままで述べてきた大衆による自然発生的な連帯・共生の機運の高まりは、市民社会が脱資本主義化し始めていることを示しているのではないか。資本主義的市民社会から連帯・共同の市民社会へ大きく転換しつつある。今日の事態は、そのような意味を持っているのだと思う。
 市民社会は、若き資本主義の発展を通じて動員された市民的自由、平等、生存権や人権など人間が持つ自然権(本質的な権利)をブルジョアジーが引き出して成立した。それをブルジョアジーが利用したから、ある意味ではブルジョア革命の基盤として市民社会は形成された。ところが資本主義が爛熟し、後期資本主義が危機に陥る中で、人間、自然、貨幣の商品化(商品化の破滅的極限)を通じて資本と物欲の無限の肥大化をもたらし、人間、自然、社会の究極的破滅の危機が顕在化している。
 連帯・共同の市民社会への転換は、いま述べた破滅的事態に対する反作用として、市民社会が資本主義から離脱していることの客観的現れなのである。資本主義と一体化した市民社会が資本主義から離脱して、新しい社会の母体になり始めているのである。こうして発展する市民社会の資本主義からの離脱は、協同組合、ユニオン型労組、非営利的企業活動、地域おこし運動、
NGONPOなど、多くのコミュニティ運動として発展しつつある。
 これらは意識先行型の社会変革という考え方と結びついている。資本主義から生まれた市民社会の意識の構造は、先行して自己変革を遂げていく。自分自身が意識のところで社会を反資本主義的にイメージし、次は物質的基盤に向けて闘っていく社会革命の主体になっていく。そのような離反の仕方を市民社会は開始し始めたのではないか。
 そうなってくると闘いの指導部を持たなければならないのだが、既存の指導部はこの事態に対して全く役に立たない。しかし、いかに困難であってもこれを作り替えて新しい左翼を集団的に誕生させ、そのような時代の要請にこたえなければならないと思うのである。

 

《2》寺岡提案への須永の批判

寺岡提案「東日本大震災・福島原発事故がもたらしたもの」のあやうさ

20114.21 須長健造 

【1】寺岡提案のあやうさ 

 この提案の論点にはあやうい独断に満ちていると思う。
 一つは、「自然災害と社会変革」の項で、「歴史的に見れば自然現象が人間の作り出した社会を大きく転換させるつながりを不断に持っていると私には見える」と述べていること。本当に寺岡はこのような実例を示すことができるのか。この見方には、社会変革を外部注入的に強行的に行うことが出来るという、マルクスの共産党宣言に始まる誤った認識の尻尾が仄見えている。
 二つ目は、今回の災害で人間の意識の変化がドラスティックに顕在化したとしてあげている「後期資本主義の成長戦略の全面的破綻」「「大衆による国際的援助の顕在化」「これまでの自己中心的個人から転換した共生や連帯意識の登場」は、福島第一原発事故の深刻さを過小評価するとともに、内外の震災復興支援の動きは「非日常」の動きであるにも関らずそれが「日常」の意識の変化を示すものだと過大に評価したものである。
 さらに三つ目には、残念ながら新しい社会へ向けて意識的な変革運動は未成立であるとして、その指導潮流が不在であること=指導部の危機をあげていることである。この考え方には、社会変革の指導部が左翼であるとする前提と指導部は意識的に作られるというレーニンの前衛党論が仄見え、この考え方に立って見ると指導潮流が不在であり危機が増幅されるという寺岡の危機感が生まれるに過ぎない。だがあたらな社会へむけての指導潮流はいまだ端緒的とはいえ、左翼の外側ですでに形成されつつあるのではなかろうか。そしてそれは党という形ではなく、もっとフレキシブルな、課題ごとに緩やかに連携した専門家集団という形で作られつつあるのではなかろうか。
 

 以上の三つの点において寺岡提案は、事実を誤認した危ういものと思われる。そしてこのような事実誤認に基づいて「左翼」が「市民フォーラム」を名乗って「社会変革」へと進むことは、かえってこの災害と事故に伴って大きく芽吹き始めている社会変革への動きを阻害する恐れすらあると思う。 

【2】情況をどう捉えるべきか−危機はまだ終っていない 

 また寺岡提案の情況認識は、チャンスという認識が強すぎており、危機がまだ続いていることを軽視しすぎである。
 事態はまだ流動的である。その上危機はまだ過ぎ去ってはおらず、もっと深刻化する恐れがある。この時点で社会変革を言うのはまだ早い。
 福島原発はいまだ完全に制御されていない。冷却装置を復旧もしくは新たに構築すればすぐに安定化するのだが、その冷却装置を復旧・再構築する作業を拒む悪条件が山積み状態である。
 原子炉格納容器に亀裂があるので、高濃度の汚染水がどんどん漏洩されるし、それを恐れて格納容器に水を入れないと炉心の燃料の温度が上がって炉心溶融が進んでしまい、最悪のケースは格納容器が爆発する。といってその汚染水を移動するにも放射能が強すぎて作業員が入れないし、建屋の中はもっと危険なので情況確認も難しい。遠隔操作ロボットを入れて中を見てみたが、水蒸気が多すぎてカメラが曇りロボットが途中で迷子になりそうでこれも中途で中止などなど。
 問題は次々と出てきてこれがために冷却装置の復旧・再構築になかなか進めない。
 其の上にこれまでの努力すら一瞬のうちに無にしてしまう再度の自然災害すら予測されている。
 すなわち今回の東北太平洋沖地震(東日本大震災を起こした地震の正式名称)の東側の、日本海溝の向こう側にある太平洋プレートも、東日本が乗っているユーラシアプレートが跳ね上がったお陰で大きな歪がたまっており、ここで
M8クラスの大地震が起こることが予想されている。また今回の地震の震源域の南側の房総半島沖にも巨大な歪がたまり始めており、ここでもM8級の大地震が起こる可能性が予想されている。
 この二つの地震が起きると、陸上の震度は大きくなくても、津波は最大で
10mにもなる。
 今回の大津波で防潮堤が破壊されている地域に再度の大津波が襲うことは大災害をもう一度引き起こすが、とりわけ怖いのが原発である。
 福島原発の復旧した外部電源すらが再度の大津波で再び失われる危険があるし、今やっている汚染水拡大防止や移送の作業道具すらまた流出し、一から作業やり直しの可能性はある。
 その上に、岐阜県までの東日本は岩盤が不安定になり、各地で活断層が動き始め、どこで震度6クラスの直下型地震が起きても不思議ではなく、すでに秋田沖・秋田内陸・長野北部中越・静岡東部・茨城北部〜いわき市西部で震度6クラスの地震が起きていて、まだまだ収まりそうもない。
 福島原発の西側には双葉断層という巨大活断層がある。これがもし動いたら、事故はもっと深刻化する。
 そしてもうひとつ恐ろしい想定がある。
 今後
10年から30年の間もしくはもっと近くに、東海・東南海・南海・日向灘の四つの巨大地震が同時に起きる可能性が取りざたされている。
 この地域の海岸の地層調査でも、この地域は
400年から600年に一度巨大な津波が襲ってくることがわかっている。この大津波を起こす直近の歴史上の大地震は、1707年の宝永地震。
 つまり
300年は経っているので、近い時期に必ず起きるということ。
 そして今回の東日本大震災を引き起こした東北太平洋沖地震と同程度の津波を起こした地震は、およそ
1000年前の869年の貞観地震なのだが、この地震の18年後の887年に起きた仁和地震は、古記録の分析から、東海・東南海・南海・日向灘地震が同時に起きたこれも今回の地震と同様な超巨大地震であった可能性が取りざたされている。
 東西の超巨大地震が連動した可能性があるのだが、そのメカニズムがまだ分らないので、科学者たちは公式にはまだ何も声明しないが、内部ではかなり深刻な議論が行われている。
 もともと東海・東南海・南海地震のそれぞれは、今後
30年以内に起こる確率は極めて高いと個々に予想されている。全部が連動しなくとも単発でもこれは西日本の工業地帯に深刻な被害を及ぼす。それは東日本が完全に復旧しないうちの再度の大災害になる。
 そしてもっとも恐ろしいのは、この想定される東海地震の震源域には中部電力の浜岡原子力発電所があり、ここは福島一号炉と同様な仕組みの古い原発であることだ。ここを今回と同様な
10mを越える大津波が襲えば、確実にここも冷却のための電源喪失が起こり、今度は東京の真西にあるから、炉心溶融で大量の放射性物質が放出されれば、西風にのって首都圏を襲うことは確実である。
 危機はまだ終っていない。
 むしろ地震学の知見によれば、
1995年の阪神淡路大震災を引き起こした地震以来、日本列島は地震や火山爆発が頻発する地殻の活動期に入っているといわれている。そしてこの活動期と休止期はそれぞれおよそ50年とも。つまり日本列島はまだ活動期に入って16年に過ぎない。大地動乱の時代は今後30年ほど続くと予想されているからこそ、上に上げた危機はまだまだ来る恐れが強いのだ。
 こういう情況で社会変革を唱えているのはどうなのか?
 むしろ大事なのは、今度の危機の原因を冷静に分析するとともに、来るべき次の危機に備え、それをできるだけ軽減する措置をとることであろう。日本は今、同時に3つの危機に対応しなければならない。
 一つは大震災からの復興。二つ目は福島原発の危機を終らせること。そして三つ目は、次の予想される自然災害を軽減するべく備えること。この三つ目の中には再度の原子炉の事故を防ぐことが含まれている。
 これらの具体的な危機的な課題の一つ一つを丁寧に明らかにして解決していく過程の中に、かならず社会変革の芽が大きく育っていくのだと思う。
 危機感だけで性急な動きをするときではないと考える。
 以下に少し詳しく論じておこう。
 

【3】寺岡提案の検証 

1:自然災害と社会変革のつながり 

  自然災害が社会の転換に不断につながると寺岡は断言したが、果たして寺岡は、この様な事例を歴史の中から挙げることができるのか。私自身の知識に照らしても、このような事例は見られない。
 せいぜい寺岡がこの言の次に言っているような「その社会が潜在的に蓄積してきた矛盾や変革意欲が、自然災害を契機にして爆発的に噴出しはじめるから」と言っている、そのような例が見られるに過ぎない。
 深刻な自然災害に既存の社会なり国家なりが十分に対処し得ないとき、被災民の怨嗟の声は、その社会の矛盾や国家のありかたのおかしさに集中されるのは事実である。だが、これがそのまま直接的に社会変革につながるかどうかは、寺岡も縷々述べているように、旧来の社会の中でどの程度新しい社会の組織とその構成理念が育まれているかどうかにかかるのである。
 自然災害が社会の変革につながるという考え方は、戦争の惨禍が社会の変革につながるという、左翼特有の俗流唯物論的な間違った考え方であり、危機が起こるとすぐ体制変革のチャンスと言って騒ぐ左翼の悪い癖である。
 

2:今回の災害・事故によって大衆の意識はドラスティックに変わったのだろうか? 

a)原発と成長戦略について

 たしかに原発は、衰退過程に入った後期資本主義を維持しようとする人々にとっては、その成長戦略の核である。そしてそれを押し付ける口実となっているのが、地球温暖化二酸化炭素犯人説である。したがって福島第一原発が深刻な事故を起こしそれがいまだ終息せず、最悪の場合には大規模な爆発事故を起こし放射性物質を大量に飛散させる恐れがいまだ存在することは、この成長戦略に重大な影を落し始めていることは事実である。原発の増設を続けるには、この事故を教訓にして、原発が如何なる自然災害にも安全であるという神話を再構築して、事故を契機に大いに不安を深めている大衆を納得させねばならないからである。
 だが原発を核とする成長戦略の破綻が誰の眼にも明らかになるかどうかは、ひとえに福島第一原発事故が終息するのか深刻化するのかと、その過程で、原発というものが本質的に人間の制御の範囲内に収まらない悪魔の火である事実をどれだけ暴露できるか(もしくは暴露させないか)に掛かっているのだ。
 だからこそ原発推進派も福島第一原発事故をこれ以上深刻化させないために国際的に協力して必死に手を尽くしている。もしこの事故を更に深刻化させ、再度の炉心溶融と格納容器の爆発にでもつなげてしまったら最後、原発は完全に止めなければならないからである。そうなってしまえば、東日本の被害はかなり深刻なものになり、立ち直るには数十年かかり、後期資本主義の推進力の重要な一つである日本経済の沈没が決定的になってしまうからである。
 そしてもう一方の原発依存から脱却しようと考える人々にとっては、この事故を終息させる上で彼らの持っている科学知識の総力を挙げて貢献するとともに、このような事故がおきたのは、原発技術自体が持っている脆弱性と、それにも関らず合法的に核爆弾の燃料を製造するとともに巨大な利益を挙げるためには安全性の確保すら無視するという効率・利益のみ優先する新自由主義という資本主義の腐敗の構造にあることを暴露することが大事である。
 原発を核とした成長戦略が破綻することは客観的には見えている。しかしそれを事実とするかどうかは、今後の事故の推移とその過程での事故原因の解明と今後も安全性を確保できるかどうかにかかっている。
 問題は極めて具体的な原子力発電の安全性の問題であり、現に今起きている原発事故を如何に深刻化させずに終息させるかにかかっている。
 福島第一原発事故の先行きが完全に不透明である現在において、この事故を終息させるための具体的な提言を欠いたままに原発を核とした成長戦略は破綻したと言い切ってしまうことは、この事故がますます深刻化することを望んでいると受け取られかねない危うさを秘めている。
 

b)民衆の国際連帯の動きは日本のアジアでの孤立を解消するのか?

 たしかに世界各国において政府レベルではなく民衆レベルで日本を援助しようとする国際連帯の動きが噴出している。しかしこれをもって寺岡が言うような日本人の戦争責任についての自覚の欠如を原因とする日本のアジアでの孤立が解消されたかのように言うことは誤りである。
 この国際連帯の動きの噴出は、巨大な地震・津波に加えて深刻な原発事故に見舞われるという「非日常」の事態の出現を、過去には例を見ないほど発達した様々なメディアによって直視させられてしまった人々が、同じ人間としての連帯感によって手を差し伸べようと動いたことを意味している。この意味では人類皆兄弟の実感に基づいた自然発生的現象である。
 しかしこれを「日常」的世界における国際連帯運動とその意識につなげていけるかどうかは、これもまたすでにそのような運動体と意識が形成されているかどうかの問題である。
 そして支援運動の実際を見ていると、日本のアジアでの孤立を解消するものではないことも明らかである。現在のところ最も支援額の人口比での最大の国は台湾である。ここは伝統的に反中国意識が強いことの半面としての親日的空気が強いことと、多くの日本企業がここでも根を張っていることとが背景にある。それに反して巨大な人口を抱えた中国での日本支援の動きは小さいと思う。だいいち原発事故の直後に雪崩を打って帰国してしまった中国人労働者の動きをどうみるのだろうか。
 中国では今、放射能に汚染された水や食料を食べても安全であるには大量の塩が必要だという噂が流れ、塩の買占め騒動が置き、日本にいる中国人留学生や技術者に国に戻れと親戚から声が掛かると同時に、安い日本の塩を大量に買って来いとの動きがあるという。
 これも極めて利己的な動きである。
 

c)ボランティア活動の噴出は大衆の日常意識が変わったことを示すのか?

 震災以後今回も、阪神淡路大震災以後多くの災害時において見られたように、多くの個人・団体が自主的にボランティア活動に取り組んでいることは事実である。そして被災地からの避難民や原発事故で避難を余儀なくされている人々を積極的に受け入れようとする動きが各地で起きていることもまた事実である。
 だがこれは、阪神淡路大震災以後も社会の底流において、共生連帯の思想が深く広がっている事実を示してはいるが、それ自体としては、深刻な災害という「非日常」空間での出来事であり、いわば祭りの場では日常ではできないことができるという、当たり前の現象である。
 また寺岡が自治体が政府を経由しないで避難民を受け入れたこともこの連帯意識の自発的発現の例としてあげているが、これは間違いである。これは事前に自治体間で災害時の相互援助協定が結ばれていたために、それにそって動いたに過ぎない。
 しかしその一方で、震災にあっていない地方。つまりはまだ「日常」の中に置かれた地方では、これと逆の現象が吹き荒れている。
 震災に直接には大きな被害の無かった首都圏において、震災直後から吹き荒れた保存食料や災害用具の買占め運動の激発や、放射能で水道水や野菜が汚染されて取水制限や出荷制限が起きた際に見られる、ペットボトル入りの清涼飲料水の買占め騒動や安全な他の地方に雪崩をうって逃げ出そうという行動は、きわめて自己中心的な歪んだ行動である。そして原発事故の深刻さが日々明らかになるにつれて、福島県から移動した人々にたいする「放射能差別」とでも言うべき現象の拡大。
 避難民に全員放射能スクリーニングを義務付けたり、放射能がうつると避難民の子どもをいじめる動き、さらには福島県の子供達が、「自分たち放射能に汚染された子どもは将来結婚できないのではないか」と深刻に悩ませているようなデマの横行。
 これも自己中心的な行動であり、いまだ大衆的には、共生連帯の意識よりも自己中心的な利益行動が主軸にあることを示している。
 また首都圏で放射能汚染や震災によって魚や野菜などが不足して、これを補うために西日本からこれらを大量に調達した結果、今度は西日本でもこれらの物資が不足した。これを食料の絶対的不足と感じたのだろうか、南海地震を恐れる都市の大衆が関西でも食料買いだめに走り、ここでもまた食料パニックが起きてしまっている。
 これも利己的な行動であり、結束して次の危機に備えるという自立した個人の連帯した行動とは異質なものである。
 どこが大衆の意識がドラスティックに変わったのだろうか。
 ドラスティックに変わったかどうかは、今後の震災からの復興過程や、予想される次の危機にどう対処していくのかの具体的な課題に対して、人々がどう社会的共同・連帯の観点に立って具体的に動いていくかどうかでしか確かめられない。
 寺岡の提案は、事実誤認に基づいている。
 ある意味寺岡提案自体が、震災という「非日常」空間で繰り広げられている祝祭の喧騒そのものに巻き込まれた興奮の産物であるとみなせる。
 

3:指導部の危機という時代認識は正しいのか?

 最後に寺岡の危機感の最たるものは、社会を意識的に社会的共同連帯の観点に立って自然とも共存できる体制に変えていくために様々な運動をつなぎ合わせていく政治的な指導部が存在しないという認識である。
 それは事実だと思う。
 しかしそれは何を意味しているかというと、後期資本主義に基づく競争社会の内部で、これと原理を根本的に異なる新しい運動やその理念がまだ自然発生的でありまだ端緒的であるという現実を反映しているに過ぎない。
 まだ競争原理はいまだ健在なのであり、人々の多くはまたこれに囚われているのだ。だから先に見たように、未曾有の災害に見舞われてはいないその周辺地帯の人々は利己的な個人の利益だけを実現するための行動に走り、自分たちの社会を危険におとしいれかねない放射能に汚染されている可能性の高い人たちを差別するのである。
 ではこのような状態を脱するために、社会を変えるための根本思想を政治的にも武装して持っている指導部を意識的に創造できるのであろうか。
 寺岡提案は、これは出来ると言っているのではないか。
 そうだとすればこれは誤りである。
 どうもこの提案には、レーニンの「何をなすべきか」に代表されるような前衛党が無ければ大衆を自覚した自立した革命主体には作り変えられないという、前衛党論と革命意識の外部注入論にまだ囚われた盲説の尻尾を引きずっているように見受けられる。
 大衆の意識の発展とそれを背景とした指導部の形勢は、そのような外部注入的なものではないと思うが、このような論の再検討がいまだ充分に成されていないことが、こういった提案が出てくる背景ではないか。
 またもし、加速できるとすれば、それは、社会の中にかなり旧来の社会のもった欠陥が明らかになり、それを変革しないと自分たちのささやかな幸せすら実現できないと多くの人が理解した段階に到達しない限り、そのような社会変革を政治的にリードする集団は生まれないと思う。
 これは極めて自然発生主義的に見えるが、そうではなく、社会の危機の深まりとそれへの対処を通じて、自然発生的且つ意図的に、大衆自身の自覚と指導部の形成はなされるのであり、自覚した前衛である革命党がまず上から作られ、その指導の下で大衆の自覚が形成されるというレーニンの党組織論ーこれはすでに体制の危機は目の前であるという死滅する資本主義論という誤った時代認識に基づいたものであり、これからは脱却する必要があると思う。
 今はただ、具体的に示された危機に対して、具体的にそれに対する処方箋を提示し、社会をその対策に向けて組織していく専門家が個々に存在するだけである。
 しかし出現した危機が巨大であればあるほど、これらの専門家は必然的に分野を越えて連携を始める。
 そういう動きが始まる中で、社会を組織すること自体が政治であるために、これらの専門家は政治に関らざるを得なくなっていく。
 今、東日本大震災の復興と次の危機に対処する動きの中で起こっていることは、個々の専門家が分野を越えて連携し、政治とも関らざるを得ない状態に直面しているということではないのか。
 

【まとめ】 

 この意味で寺岡が、政府主導の復興会議に対置して市民の復興会議をつくろうという提案をしたことは重要である。
 ただこれにはいろいろ条件がある。
 一つは、政府主導の復興会議が、政治家と官僚の今の体制をただ維持するためのものに留まるのか、それとももっと幅広い人材をも集め、社会のあり方を根本的に変えることも視野に入れて議論できる場になるのかをまず見極めることである。
 政府主導の復興会議に、かならずしも現体制に賛同していない専門家の人々が参加でき、その意見も取り入れられるのなら何も外部に市民復興会議を設ける必要はないはずである。
 またそういった市民復興会議を設置することが必要になった場合も、それを左翼が主導するという構図は本当に可能なのかが検討されねばならない。
 なぜならば課題は極めて具体的である。
 災害からの復興や次の危機に備えるには、産業や医療や教育など様々な生活を支える仕組みの再組織が必要であり、それには寺岡も認めているように各分野の専門家の連携が必要である。
 だが左翼が、そのような専門家と具体的につながっているかどうかが問題であり、私の感覚では、それは極めてありえないことだと思うのである。
 

 以上私の情況認識を示すとともに寺岡提言を検証してみた。

 寺岡提言に積極的な意味があるとしたらそれは、寺岡が言う市民フォーラムとしての復興会議を組織しようと左翼に呼びかけて見ることは、左翼がこのような社会の再組織化を主導する意識や力を持っているかどうかを再確認するためのリトマス試験紙としてやってみるというのなら、これはこれなりの意味があると考える。
 しかし寺岡の二つの著書に対する左翼の反応、とりわけ最近の著書において寺岡が、マルクスの「経済学批判」序言で示された共産党宣言のような強行的革命論の根本的批判を取り上げたことに対する左翼の冷淡な態度から判断するに、すでにわざわざ社会運動を提起してそれが使い物になるかどうかリトマス試験紙にかけるまでのことはないと思う。
 
MELTは粛々と、これまでの左翼の革命テーゼが根本的に間違っていたことを論証しつつ現代資本主義のあり方を検証し、新しい社会を築く道筋を理論的に明らかにする作業に専念すべきであろう。
 現代資本主義論に続いてやはり党組織論などもまた検証しないと、いつまでも左翼に対する幻想が続くような気がする。

 

《3》寺岡の再提案

対論サークル21・第二回研究会(2011.4.24)

民衆の側の「東日本大震災復興市民フォーラム」と「復興テーゼ」

 寺岡衛



1)政府は「東日本大震災復興構想会議」を起ちあげ、6月には復興第一次原案を提出しようとしている。
 ×議長 五十旗頭(イオキベ)真(防衛大校長)
  議長代理 安藤忠雄(建築家)
       御厨(ミクリヤ)貴(東大教授)
 ×その予想しうる内容は、「新成長戦略ーエネルギー原発主力構想」の土台の延長上に若干の改革・改良」を付してまとめようとするものになるだろうー中に抵抗するものありやいなや

2)旧成長社会の全面批判と総括の上に民衆の側の復興案(新成案)を作り上げ、そのもとで支援・連帯からはじまる運動を開始する。
 <復興フォーラム案として>(その出発点として)
 ×内橋克人講演シンポジュームの開催
 ×呼びかけ人(T・Y・S・SH・H)
  シンポジュームの討論者
 ×事務局:A事務局長格 江藤・佐々木・K等々
 ×その講演とシンポジュームをもとに「復興市民フォーラム」を組織
  「討論小集会などを組織していく」

3)後期資本主義の危機の最先端にある日本ー必然的に日本の動向を世界が注視
 ×危機の先端(80年代から今日まで)日米構造摩擦からプラザ合意ー内需拡大論(多品種少量生産)からバブル経済ーバブル崩壊から不良債権の金融危機ー失われた15年からデフレスパイラルーそして今日の大震災と原発危機
 ×80年代からはじまり常に危機の世界的最先端にあったことを示している。

4)だが運動の側も世界最先端の危機の始まりと同じ80年代から全国的運動の解体、そのヘゲモニー装置の崩壊(既成左翼の全面的右傾化と新左翼運動の内ゲバと急進主義的セクト主義 その挫折と崩壊)−(相互不信の拡大再生産)
 ×そこから必然的に運動は、個人的運動、シングルイッシュー、少数者個別運動ー全国的統一運動は不成立

5)市民社会における意識の漸次的転換とその顕在化
 ×90年代を境として自己中心型自立(市民社会)から共生=連帯型自立(市民社会)への漸次的転換が新世代の中から社会の趨勢として発展。
 ×その市民社会の趨勢(転換)が大震災、原発危機を契機に噴出、顕在化した。
 ×今日の危機の社会的構造が一人一人の生存権をめぐる再建(食、雇用、住宅、学校、病院等々)が同時に地域社会や農業漁業や公共インフラなど、社会全般の復興再建と一体的であるが故に、<一人が全体のために、全体が一人のために>のスローガンがリアリズムを持つ。

6)個別運動と全体的ヘゲモニーの結合
 ×個別運動は全体的ヘゲモニーへの結集によって飛躍すを可能とするし、全体的ヘゲモニーは、個別運動と結合し、そこに内在する普遍性を引き出し表現する。
 ×情勢はこの二つの要素(自治とヘゲモニー)の結合を必要としているし、またその可能性を強めている。

 過渡的綱領の方法と思想ー最大限綱領と最小限綱領を結合するテーゼ
 一般論でいえば、普遍と個別 全体と部分 革命と改革
         知識人と一般生活者の関係としてあり
         どちらか一方の側からのみ統合するの
         ではなく有機的に結合する関係。
 運動論的に言えば、この二つの要素は、相互に独自的に展開し、情勢によって結合の可能性を与える

7)ヘゲモニー論ー統一戦線(多元的連合)とそのヘゲモニー
 ×問題は旧来のヘゲモニー的全体が分解しなぜ統合力を失ったのか?
 ×旧来それは「階級的ヘゲモニー論」として展開されたーそれは前もって組織された階級的力であり、その行き着くところは階級政党(革命党)の主導力に還元されるものと認識された。そこから大衆自身による自発性、自律性が不断に党の主導権に従属化される。20世紀の新旧左翼の運動で深刻な破綻をもたらした。
 ×その破綻への対案として検討されたのが「知的道徳的ヘゲモニー論」(グラムシ)であろう。それは前もって階級的に組織された力(組織的物理力)に依拠するのでなく、呼びかける人達の「知的道徳的信頼度」に依拠し、個人が主体として組織されながら(前もって組織された力もそのもとに平等に結集)「共通のテーゼ」「共通戦略」を創造する多元的な運動体。
 ×歴史的経験からいえば、
 @野坂帰国時「山川均から石橋湛山」にいたる結集「民主人民戦線」の試み
 A全面講和をめぐる「平和問題懇話会」(世界誌を舞台に)の「平和テーゼ」論、運動への影響「平和三原則」(総評)「平和四原則」(左派社会党)
 Bビキニ水爆実験(死の灰)と「原水協」運動
 Cベトナム反戦と「ベ平連」
 ×今日私の知る限り、内橋克人の展開ー実践的リアリズムと理論的な体系性において優れていると思われるー人物的にも信頼が高い。

 

《4》研究会での討論

 記録を取っていないので当日参加したN氏の感想を掲載する(討論の雰囲気をよく示している)

 佐々木様
先日は会に参加させていただきましてありがとうございました。
余計なことを言って混乱させたのではないかと思っています。
討論は寺岡レポートと須永レポートをもとにやるべきだったと思います。(寺岡のレジュメというよりは)
1.東日本大震災の世界的位置。
  新自由主義世界と日本。日本は限界を露呈するこの世界に新しい価値基準を提示する位置に立っている。東日本大震災はいやおうなく従来の世界とは異なるあり方を提  示することになるだろう。それは何か、を原理的にも明らかにすることが必要。
2.ひるがえって日本の現状。
  イ)原発の行く末、余震及び東南海への転化の可能性を含む。
  ロ)今発生している国民内部の原発をめぐる対立、分化の評価。
  ハ)復興会議の評価。
    須永レポートでは、五百旗頭、御厨、安藤への評価を含め単純に「高成長路線」と決めつけるのは早計。もう少し観察すべき。しかも、イ)の展開如何では「復興」などと言っていられるか。
    ここでは須永レポートの分析をたたき台に討論すべきであったと思う。
3.自己の主体的力量は別にして形成すべき民衆の側の対案。
  民衆の側の「シンクタンク」形成、分散、分断されているメッセージの発信を有効に統一しつつ、メディアが無視し得ない状況を作り出すこと。焦点は「原発」だろう。そして、小出裕章氏等反原発の専門家・技術陣を国民の前に登場させるべきだろう。
  ここにボランティア、医療戦線、法律家関係、教育等々が参加するようになれば被災民とつながる現地からの再建の要素も反映できることになるでしょう。
  「市民フオーラム」は、そのようなつながりへと向かおうとする第一歩であり、それが中心になろうとするものではない。どんどん網の目を広げていこうとするだけである。
  
  保坂展人氏の能力が問われます。中心にいようなどと考えないことです。世田谷区をしっかり固めながら「有能なオーガナイザー」として使えるかどうかが試されるでしょう。

先日の討論を分散化させた責任も感じています。


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