「日本的市民社会と共同体」研究・第3回 :メモ
2012年3月31日
文責:佐々木
『市民社会とは何か―基本概念の系譜』を読む
T】「国家共同体」「文明社会」から「経済社会」への変遷(略)
U】ヘーゲルとマルクスの「市民社会」(第四章:「市民社会」から「資本主義社会」へ)
*マルクスの「市民社会」概念
ヘーゲル批判として理論活動を始めた結果として、ヘーゲルの「市民社会」概念=国家とは区別された「すべての人の個人的な私的利害の、すべての人々に対する闘争の場」【P144】
に対する批判的見解として展開された
* 『経済学批判』の「序言」で
・・・それらの生活諸関係の総体をヘーゲルは、・・・「市民社会」という名で総括しているのだが、しかしこの市民社会の解剖学は経済学に求めなければならない【P140】として「市民社会」⇒「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会」(資本論:1867年)へと展開【P147】
マルクスの「市民社会」認識は、すぐれて「経済社会」であり、ヘーゲルの「欲望の体系」と「資本主義」は重なり合っていた
*こうしたマルクス的な「市民社会」認識を前提に、日本語の「市民社会」概念が成立したという歴史的現実
V】「市民社会」という日本語訳(第五章:「市民社会」という日本語の成立)
*1930年代 「矛盾を内包した『経済社会』」を指す概念として定着【P170】
*日本には「資本主義」は存在するが、欧州のような「ブルジョア社会=市民社会」にはなっていないという「講座派の共通認識」【P174】と「市民社会の構成員」は「独立的個人」であるという認識(表現)【P172】
⇒「封建的残滓」による日本の「近代市民社会」の特殊性(丸山真男など)へと繋がる日本的な「市民社会」認識と理解の源流
* 戦後日本の《市民社会論》は、これを継承=日本には「市民社会がない」という現状認識が、今こそ日本に「市民社会を作り出さなければならない」という実践的課題に結びついた。