日本初の狂牛病の発見と 国産牛の安全神話の崩壊
農産物貿易自由化・コスト削減競争と肉骨粉の蔓延


 「千葉県で見つかった狂牛病の疑いのある牛は、イギリスの獣医研究所での脳組織の検査の結果、きょう狂牛病と断定されました」。9月21日深夜、農水省の緊急記者会見での発表は、東アジア初の狂牛病が日本で発生したことを確認する内容であった。これによって日本は、世界で19カ国目の狂牛病発生国となったのである。
 それはまた「日本の牛肉は100%安全」という神話が崩壊し、それと同時にヨーロッパ諸国を席巻した恐るべき伝染病である牛脳海綿化症(BSE=Bovine Spongiform Eneephalopthy)予防のずさんな対応の一方で、根拠のない安全神話を流布しつづけてきた農水省という国家官僚機構の無能と無責任が、改めて暴かれた瞬間でもあった。
 薬害エイズの被害拡大を許した厚生労働省(旧厚生省)や、深刻な原発事故が起きるまで安全神話を擁護しつづけた産業省(旧通産省)の例をふり返るまでもなく、繰り返し暴かれるこうした日本の国家官僚機構の腐敗と堕落は、変貌する国際社会に翻弄され漂流する今日の日本資本主義の政治的病巣を象徴する事件である。
 だがその考察は後まわしにして、まずは農水省の狂牛病をめぐる傲慢でずさんな対応の実態を暴露し、その責任追求の必要性を確認することからはじめよう。

安全宣言の陰で資料提供を拒否

 91年から95年にかけてイギリスで猛威をふるった狂牛病の感染経路は、すでに1988年、イギリス獣医学研究所によって、牛に与えられる配合飼料に含まれる肉骨粉を通じて感染したと結論づけられていた。
 イギリスではこの年、牛の飼料として肉骨粉を使用することを全面的に禁止する措置がとられたが、それでも90年代初頭の大流行を回避することはできなかった。禁止以前に汚染した肉骨粉を与えられた牛が、5年から6年という長い潜伏期間の後に発症したからである。そしてさらに96年には、人間には感染しないというそれまでの定説を覆し、狂牛病の牛の脳や脊髄を食べた人間にも感染することはほぼ確実との見解が、イギリス政府によって公式に表明された。
 この経緯からすれば、日本の国産牛肉の安全性は、88年に感染経路が特定された時点でイギリス産肉骨粉の輸入と使用を全面的に禁止したとしても、100%とは断言できないのが当然であろう。すでにこの時点で、日本でも狂牛病対策の研究くらいには着手しなければならなかったのだ。ところが、農水省が実際にイギリス産肉骨粉の輸入を禁止する通達を出したのはそれから実に8年後、人間にも感染するというイギリス政府の見解が明らかにされた96年だったのである。
 しかも、この「英国本島及び北アイルランドから日本向けに輸出される牛肉等の家畜衛生条件の廃止について」と題する96年3月27日づけ農水省通達は、飼料輸入協議会などの業界団体に肉骨粉輸入を「当分の間」禁止処置にしたいと要請する程度の内容であり、その対象も「イギリスからの輸入」に限定した結果として、イギリス産の汚染肉骨粉が、フランスやオランダなどEU諸国経由で日本に輸入される抜け道をわざわざ用意したに等しいずさんなものであった。
 その上すでにこの時点では、相当量の汚染肉骨粉が日本に輸入されていたことは明らかであった。なぜなら、91年以降のイギリスでの狂牛病の大流行を受けて、EU諸国ではイギリス産肉骨粉の禁輸措置が次々ととられ、代わってアジア諸国を中心とする非EU国への輸出が急増、日本もこの輸入国リストに名を連ね、直接ではなくともEU諸国経由で輸入した可能性が高いからである。
 イギリス側の税関資料によれば、90年から日本で輸入禁止措置がとられるまでの7年間に、333トンの肉骨粉が日本に輸出されたという記録が残っている。ところが農水省はこうした事実の確認をサボタージュし、通関統計と動物検疫統計に依拠した「輸入ゼロ」という「農水省データ」に固執した。欧州委員会の「狂牛病リスク・アセスメント」という専門委員会が、日本での狂牛病発生の可能性を評価しようと過去20年さかのぼった輸入記録などの資料の提供を日本に要請してきたときも、「時間をかけて細かく調べないと分からないし労力がかかる」として、ついにデータ提供をしなかったのである。
 それは農水省による食肉安全性の確認のサボタージュにほかならないが、一方で農水省は、例えば今年5月19日付の「日本農業新聞」紙上で、永村畜産部長が「国内で狂牛病発生は100%あり得ない」と、根拠のない安全宣言を繰り返していたのだ。
 そしてついに今年6月、欧州委員会は5段階評価のうちの「ランク3」という狂牛病発生リスクがあるとする警告レポートを、日本政府に送るにいたるのである。

輸入肉骨粉の追跡調査は可能

 「ランク3」のリスクは、「狂牛病発生の可能性はあるが未確認。もしくはごく少数確認されている」との評価である。
 農水省官僚によるデータ提供の拒否といった抵抗や、彼らが流布しつづける安全宣言にもかかわらず、欧州委員会の専門委員会は、日本での狂牛病発生は時間の問題と見ているのは明らかであった。それでも農水省はなお抵抗をつづけた。
 欧州委員会の警告レポートが到着した直後の6月18日、農水省は熊沢英昭事務次官が記者会見を開き、「日本の牛の安全性は高い」と欧州委員会のレポート内容に不満を表明、狂牛病リスク・アセスメント評価の公表中止を要請するのである。ちなみに熊沢は、96年にイギリス産肉骨粉の禁輸通達を出したときの畜産局長である。これはもう、傲慢というべき居直りであろう。
 この執拗な農水省の抵抗は、前述した「輸入ゼロ」データを根拠にしたものだが、輸入の事実と、輸入された肉骨粉の使用先を確認する資料は実はこれだけではない。
 『文芸春秋』11月号に掲載された椎名玲氏のレポート「狂牛病 果てしない汚染の連鎖」には、イギリスで狂牛病が大流行していた92年頃にヨーロッパ産肉骨粉の輸入を手掛けた大手商社員の証言が紹介されているが、この商社員は「・・・関税局に出す書類をチェックすれば、(輸入された)肉骨粉が牛の餌にどのくらい使われていたか調べることができると思います」とも証言している。椎名氏によればこの「関税局に出す書類」とは『飼料製造用原料品による製造終了届け』のことで、保税制度にもとづいて家畜飼料生産業者に提出を義務づけているものだという。しかもそれには、使用配合物質のすべてと添加物まで明記しなければならない明細書がついており、これをチェックすれば、確かに輸入された肉骨粉がどう使われていたかがはっきりするだろうというのである。
 ということは、農水省はこうした可能な確認作業を実施もせずに統計上の数字だけを根拠に「輸入ゼロ」を主張し、ランク3という狂牛病発生リスク評価を闇に葬り、畜産農家と消費者を欺く安全宣言を繰り返してきたということを意味している。
 職務上の義務である食肉の安全性確保をないがしろにしてでも、「輸入ゼロ」という官僚機構の面子を保とうとする農水省官僚たちの対応は、世界を震撼させる被爆事故が発生するまで原発の安全神話をたれ流し、信じ難い違法工程の蔓延すら摘発できないずさんな検査を繰り返してきた通産省(現産業省)とまったく同様の犯罪である。
 そして「世界を震撼させる被爆事故」に匹敵する事件こそが、9月21日の狂牛病発生の確認であった。

虚構証明検査の思わぬ破綻

 ところが、日本的安全神話を崩壊させた初の狂牛病の発見という、少なくとも狂牛病に対する真剣で具体的対応策を促すであろう画期的事件もまた、農水省の思惑に反した偶然の産物であったのだ。
 実は農水省は今年4月から、狂牛病サーベイランス(調査)事業を始めていた。おそらく欧州委員会のリスク評価が厳しい内容になるであろうことを予測した農水省が、自己保身的に「国産牛は100%安全」という神話を証明しようとの思惑で始めたのであろうが、その事業が日本で初めての狂牛病を発見するという思わぬ結果を生んだのは、なんとも皮肉なことではあった。
 農業評論家・土門剛氏のレポート「狂牛病『日本上陸』の真犯人は 農水省の独善・隠蔽体質だ」(『週刊エコノミスト』10/9号)は、こうしたいきさつを紹介しているが、それによれば、4月にはじまった農水省の調査事業は、その目的を「牛海綿状脳症(狂牛病)の清浄性の確認」においた、つまり日本では狂牛病が発生しないことを証明することを目的にしていたという。
 安全宣言の虚構を証明しようとうする不純な意図は、検査対象の牛をあらかじめ「狂牛病の疑いのある牛」と「その他の中枢神経症状を示した牛」に分類し、前者にだけ狂牛病検査を実施し、後者には通常の検査だけを実施するという検査要領(マニュアル)に端的に示されていた。狂牛病を判定する手段を持たない現場の獣医が、狂牛病に似た中枢神経症の症状を示す牛を「狂牛病の疑い」と診断するのは、農水省の強い意向も考慮すれば事実上不可能であろう。事実、今回発見された牛も現場の獣医によっては「敗血症」と診断された牛だったのである。
 では、それがどうして「狂牛病の疑いのある牛」の発見につながったのか。土門氏のレポートは以下のように述べる。「・・・千葉県関係者が実情をこっそり教えてくれた。『サーベイランス調査の要領では検査対象となる牛が少なく実績が上がっていなかったので、千葉県は起立不能のように中枢神経症状を示した牛も調査対象にするように網を広げたところ問題の牛が引っかかったんです。農水省が示した要領では狂牛病発見はとても難しいと思います』」と。
 ところが「狂牛病を疑われる牛」の発見という幸運を得てなお、農水省の失態がつづいた。狂牛病を確定する検査は、動物衛生研究所(動衛研)という独立法人ではあるが要は農水省の外郭団体と、各都道府県の家畜衛生研究所が行うと決められていたのだが、スイスで開発された最新の狂牛病判定キット「プリオニックス」をもつ動衛研が、こともあろうに検査に失敗するのである。その後、この判定キットを納入した医薬品販売会社は、「メーカー側の事前指導を受けるように求めたのに、農水省は『研究用だから必要ない』と受け入れなかった」(9/22:朝日新聞)と農水省に不満をぶつけ、判定を誤った原因も「同社は『牛の脳組織の採取が不適切だった可能性が高い』と見ている」(同前)と報じられるお粗末ぶりである。
 結局8月24日になって、千葉県東部家畜衛生保健所が、顕微鏡を使った病理組織検査で狂牛病の症状である脳組織の空泡を発見し、この報告を受けた動衛研が改めて免疫組織科学的検査を実施、9月10日になってようやく狂牛病の陽性反応を得るのである。問題の牛の発見から36日が過ぎていた。
 にもかかわらず農水省は、「10年前から研究者を英国に派遣して検査方法を学んでおり、今後、動衛研で確定診断は十分できる」と朝日新聞のインタビューに答えているのだ。これほどの失態を繰り返し、かつ誰も責任を取ろうともせずに、こんな強弁ができる官僚はおそらく日本にしかいないだろう。「日本の常識は、世界の非常識」が、改めて印象づけられたことだけは確かである。
 少なくとも歴代畜産局長は懲戒処分を受けて当然だし、事務次官と大臣は辞任してしかるべきである。こうした責任の所在の明確化があってはじめて、農水省という官僚機構は食肉の安全性の確保に真剣に取り組む基礎を築くことができる。

農業のコスト削減競争

 ところで、狂牛病の感染原因が肉骨粉にあることはすでに明らかだが、では、いったいなぜこうした素材が飼料の原料として使われるようになり、またこれほど広く流通するようになったのだろうか。
 それを解明しようと試みることは、検査の厳密化による当面の安全性の確保とあわせて、将来をみすえた抜本的な対応策を構想するために必要なことと思われる。
 肉骨粉は、食肉用に屠殺された牛のくず肉や骨といった食用にならない、いわば廃棄物のリサイクルを意図して製造されるようになったと言われる。『世界』11月号に掲載された「狂牛病 日本侵入の衝撃」(中村靖彦)によれば、1960年代にイギリスで羊の数が急激に増加し、それとともに急増した屠殺後のくず肉や骨といった廃棄物の処理法として、これを肉骨粉にして飼料に使う方法が注目されるようになったという。当時は豚や鶏の育成を早め、乳牛の乳の出がよくなるとの指導すらあったようだ。
 だが、廃棄物のリサイクルを兼ねて肉骨粉の原料となった羊には震え病と呼ばれる、スクレイピーという狂牛病によく似た病気があったのである。狂牛病は、このスクレイピー病の羊から製造した肉骨粉を飼料として与えられた牛が、これに感染したというのが定説になってもいる。

 家畜の育成を早める目的で、タンパク質やアミノ酸を添加した濃厚飼料という配合飼料を与える手法は、主要に戦後、アメリカ的な大規模畜産業の中で採用された。それは当初、アメリカやオーストラリアのような広大な土地を利用できるところで、大量生産された大豆などを配合した飼料が主流だったが、肉骨粉の飼料としての利用には、くず肉や骨などの廃棄物処理費用を軽減し、収穫量が天候に左右される大豆などの植物性タンパク質と違って安定供給が可能であり、なによりも安価であるという利点があった。
 こうした利点が注目されて、家畜飼料への肉骨粉の配合が急速に広まったのは、戦後資本主義を貫く貿易自由化の流れのなかで、国際的な食肉販売競争にさらされた伝統的な欧州の畜産業が、競争に勝ち抜き生き残るために強いられた選択であったとも言えよう。だがそれは反面、風土に適合的な畜産の伝統が育成の効率化(もちろん資本効率という意味の)を理由に打ち捨てられ、牛や羊という草食反芻動物に「共食い」を強制し、狂牛病という未知の病の大流行を生みだし、欧州畜産業に甚大な打撃を与えることになったと言うべきである。
 たしかに貿易自由化にしろ、その圧力を受けたコスト削減競争にしろ、世界中の食肉市場が拡大をつづける右肩上がりの経済成長の途上では経済的好循環を形成した。だがそれは過剰生産に直面するや、利潤率が低下し縮小再生産の危機に直面することになるのは資本主義経済の鉄則である。
 そして実は狂牛病大流行の転機も、70年代の石油危機を契機にした、とりわけヨーロッパ経済の停滞が背景にあったのである。原油価格の急騰に直面した欧州の肉骨粉生産業者が、コスト削減のためにくず肉等の煮沸温度を低く押さえる「新製法」を編み出した頃から、狂牛病の流行が始まったとする報告(前掲『世界』)の存在は、自然と対話する農業伝統を安易に捨てさり、コスト削減競争に収斂された戦後資本主義の農業政策に対する警鐘に他なるまい。

戦略的思考の欠如

 振り返って日本の畜産業は、70年代後半から強まった農産物輸入自由化の流れに対応して、とくに「高価」とされた牛肉は育牛コストの削減を強いられたことは疑いない。このコスト削減努力の過程で、アメリカやオーストラリアのような広大な大豆畑などを利用できない日本の畜産業が、イギリスなどで盛んになった肉骨粉の利用に向かうのは必然的でもあっただろう。
 もちろんそれは、コスト削減競争に収斂される戦後資本主義の農業政策の歪みの貫徹という、日本という一国だけでは対処しようのない事態も反映されてはいるが、同時に日本農業の将来を長期的観点から構想しようとする戦略的思考の欠如という、戦後日本の国家官僚機構が体質化してきた致命的な問題がはらまれてもいる。
 問題は、戦略的発想の転換にある。世界中の農民が、すべからく世界中を相手に商売をしなければならない理由はない。国際市場や国際流通網に依拠しない、もっと言えば流通資本が牛耳る全国市場に依拠しない、地域に根づいた農業や畜産を選択する自由も、保障されるべき民主的権利のはずなのだ。
 そしていま、日本農業の百年先の将来をいかに構想するかとうい戦略的な問は、中国産のネギとイグサをめぐる輸入規制の発動という混乱した対応が示すように、きわめて切迫した問題となった。だが日本の国家官僚機構は、こうした戦略的構想を練り上げる努力の代わりに、戦後日本の経済的成功を生んだ国際経済の、主要にアメリカ経済のキャッチアップを漫然と継続し、その限界が生み出す様々な矛盾を情報を秘匿したウソ、それが暴かれたときの傲慢な居直り、そして重大事の後で始まる泥縄式のドタバタ対応によってごまかしつづけているのだ。
 だがこうした官僚機構の怠慢は、まさに彼らが対応を迫られるグローバリゼーションの圧力によって、ますます放置できないものになりつつある。狂牛病をめぐる農水省の混乱した対応と数々の失態は、官僚機構の「日本的常識」に固執した政策では、民衆の食生活の安全性の確保すらおぼつかなくなりつつあることの証拠なのである。

(いつき・かおる)

 


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