●右派中執の居座りを許した国労の続開大会●
採決を中止しさせた闘争団の闘いと一票投票に隠された自決権の否定
「4党合意」の破産ー右派幹部たちのねらい


釈然としない妥協

 自民、公明、保守の与党3党と社民党による「4党合意」の大会承認をめぐって、これに強く反対する闘争団・家族の激しい抵抗で休会となった国労の7月臨時全国大会の続開大会が、8月26日に東京の社会文化会館で開催された。しかし続開大会は、冒頭に高橋委員長が、(1) 今大会で「4党合意」承認の採決はしない、(2) 全組合員一票投票で「4党合意」の是非を問う、(3) 10月末の定期大会で執行部の信を問うという「特別発言」を行い、これを全体が拍手で承認してわずか10数分で閉会となった。
 前日の夜半まで、連日にわたって国労本部に臨大の中止を迫りつづけ、当日も未明から、機動隊が会場周辺を制圧する中で臨大を強行しようとする動きを封じようと会場前に座り込んでいた闘争団員と家族そしてこれを支援する労働者たちは、「4党合意」の承認が阻止されたことに安堵しながらも、一様に割り切れない思いにとらわれた。
 なぜなら、「4党合意」の承認を強要しようと闘争団相互の対立と分断を画策し、自ら組織的な混乱を引き起こした本部中執の責任を追求してきた闘争団や支援にとって、前日25日の対本部交渉は、臨大の中止と本部中執の総辞職寸前まで宮坂書記長や上村副委員長らを追い詰めたという実感があったにもかかわらず、それが文字通りの土壇場で「委員長の特別発言」というあやふやな妥協が行われた結果が、続開臨大の10数分での閉会にほかならなかったからである。
 しかも、臨大で本部方針の採決ができなかったことで事実上不信任されたとも言える本部中執の居直り(引責辞任の棚上げ)を黙認し、国労内の新たな分断と対立の火種になりかねない「全組合員による一票投票」という方針を、ほかでもないこの本部中執の手で行うことを容認する妥協が、対本部交渉の先頭に立ってきた闘争団の代表たちが直接関与するかたちで図られたことに、「4党合意」に反対してきた闘争団員・家族と支援の労働者たちが、釈然としない思いと苛立ちを覚えたのも当然であった。
 5月30日の突然の「4党合意」の公表から厳しい7月臨大の攻防をへて、劣勢を立て直してじりじりと右派を追い詰めてきた闘争団員・家族と支援の闘いは、いま一歩のところで「4党合意」を完全に葬り去るには至らなかったのである。

追い詰められていた本部中執

 実際に、国労本部のチャレンジグループと革同右派は、続開臨大直前には極めて厳しい状況に追い詰められていた。
 それはなによりも、上京闘争団ニュース「怒り」を発行して7月臨大を闘いぬいた20闘争団と有志が、闘争団員一人80万円の「見舞金」とか、JR復帰とは限らない数10人程度の関連企業での「再採用」といった、「4党合意」の裏で行われていた低水準の取引内容を徹底的に暴き、宮坂書記長が繰り返してきた「同時決着」や「大会決定後に本格交渉が始まる」といったウソとペテンを完膚なきまでに打ち砕いたからであった。
 いまや「4党合意」は、国労闘争団の切り捨てのみならず、JR連合との組織合併に労働組合官僚としての自己保身を見い出そうとする国労幹部たちが、自ら国労の解体を画策するまったくの裏切りとペテンであることが誰の目にも明らかとなった。
 こうして自民党と運輸省が、さらには西日本をはじめとするJR各社も、国労本部が請け合った「4党合意」による政治決着をいぶかって国労内の攻防の静観を決め込み、チャレンジグループと革同右派はまったくの窮地に追い込まれることになった。宮坂や上村が演じる「解決交渉ならざる解決交渉」の茶番劇は、JRと運輸省という相方が一方的に舞台を降りたことによって、下手な一人芝居になってしまったからである。
 それでも上村副委員長ら革同右派は、なお「4党合意」に固執しつづけていた。だがそれも8月19−20日づけの「赤旗」紙上で、共産党が「4党合意」に反対する態度をはじめて明らかにしたことで転機を迎えた。
 言うまでもなく今日の革同派の実態は、事実上は日本共産党の国労内フラクションと言ってさしつかえないだろうが、その革同派内部で右派が「4党合意」推進の多数派を形成しえたのは、共産党本部が必ずしも反対ではないとの認識があったからであろう。事実7月の全労連大会では、旧全動労を含む建交労などの産別から「4党合意」反対の意見が相次いだにもかかわらず、全労連本部がついに態度表明をしなかったことも、党本部のそうした態度の傍証と見なされたであろう。しかし「4党合意」をめぐる攻防が社民党や支援労組を巻き込んで激しさを増し、その低水準の実態も次々と暴かれるに及んで、共産党本部が「赤旗」論文で「4党合意」反対を表明するに至ったことで、革同派は、党本部に逆らっても「4党合意」を推進するか否かの決断を迫られることになった。右派イニシアチブの動揺が始まったのである。

    組合員一票投票は民主的か

 こうして国労本部の右派・チャレンジグループと革同右派、対する20闘争団・家族と支援戦線の攻防は、明らかに攻守ところを変えつつあった。事実、闘争団との交渉の過程では、追い詰められた中執が一旦は総辞職を表明する事態もあったのだが、この窮地から脱しようと、7月臨大で闘争団と家族の闘いが突き出した「直接民主主義」の要求を逆手に取るように、「国労全組合員による一票投票」を提案したのは西日本革同派出身の上村副委員長だったと言う。
 たしかに、組合員全員による一票投票は、一見きわめて「民主的な手続き」のような外見をもっている。「全員で決める多数決が最も民主的」という論である。
 だがことの本質は、争議の当事者が自らの運命を自ら決める権利、つまり国家的不当労働行為の直接の被害者である闘争団員と家族が、自らの自由な意志で争議の解決を決めることができるか否かであり、故岩井章氏がかつて提案した「闘争団員の一票投票」ならいざしらず(これでも闘争団の実態を十分に反映できない可能性があるが)、組合員の一票投票は、自己決定権という実質的な民主主義を組合員全体の多数決という形式的な民主主義にすり替えるものであろう。7月臨大とその後の闘いを通じて闘争団と家族が求めてきた「直接民主主義」とは、こうした当事者の「自己決定」を保証する民主主義なのであって、それは「4党合意」に現れたような労働組合官僚とその利害を代行する政治家たちの談合による政治決着ではなく、労働者の「大衆自治と自己決定」に基づく争議解決の要求にほかならない。
 ところが8月臨大で提起された組合員の一票投票とは、「採用差別と闘ってきたのは国労全体である」という建前に立って、「全組合員の意志」なるものに争議当事者の運命を委ねることを強要する、その意味で闘争団員と家族の「自己決定」の権利を否定しようとするものなのである。これこそが組合員一票投票の最大の問題点であり、実態としては大衆的民主主義の装いをもって被害当事者たちを再度少数派へと追いやり、労働組合官僚主義と代行主義の復活の余地をつくり出すだけであろう。
 それは、吉野川可動堰建設に反対する徳島市民の住民投票を否定するために、「流域全地域の意向」を持ち出した自民党と建設省官僚の姿を連想すれば明らかである。
 そして第2の問題点は、解決交渉の責任を誰が取るのかをまったく曖昧なものにすることである。いかなる解決案であれ、それが組合大会という最高の議決機関で決定されたものであれば、それを提案した執行部と大会でこれを支持した代議員たちが責任を取らねばならないのは明らかである。だが組合員の一票投票という形式民主主義は、実はこの責任の所在を不明確にし、現実には談合や裏取引に直接関与した執行部の責任を曖昧にすることで、組合幹部たちの官僚主義と代行主義を正当化するのである。
 それは「4党合意による解決に責任を持てるのか」といった、臨大直前に闘争団が本部中執を追い詰めたような責任追及を、「全組合員の意志」という顔の見えない「観念的な主体」を盾にして封じ込め、解決交渉の結果や内容に誰も責任を持たない無責任な官僚主義を擁護する道具となるだろう。
 加えてこの一票投票が、本部中執によって構成される選挙管理委員会が実施・管理するに至っては、形式民主主義としての正当性すら疑われて当然である。信任を問われる者自身が信任投票を管理するような選挙は、通常は「お手盛り選挙」と呼ばれ、その結果はいかなる正当性を持つこともできないことは、今や社会的な常識である。だからこれを平然と実施しようと考える国労本部中執の民主主義感覚には、やはり重大な欠陥があると言うほかはない。
 つまり国労の8月臨大で提起された「組合員の一票投票」は、その実施以前に、国家的不当労働行為の被害当事者の自己決定権を否定し、解決交渉に対する無責任体制を正当化するなど、重大な民主主義的欠陥が問題とされるべき方針であり、だからまたそれは中止されるべきものなのである。

無意味な一票投票の中止を

 こうした「4党合意」の是非を問う組合員一票投票のもつ民主主義的欠陥を確認した上で、しかし最も肝心なことは、「4党合意」の是非を問うこと自体が、すでにまったく意味を失っていることである。なぜなら「4党合意」は、前述したように運輸省とJR各社が舞台を降りてしまったことで、すでに国鉄闘争の「解決の枠組み」としては何の実態もなくなり、すっかり意味を失っているからである。
 自民党と運輸省そしてJR各社にとって、「4党合意」の最大の眼目は国労闘争団の解体にあった。それは労働委員会が認定しILO中間勧告の前提にもなっている不当労働行為の事実はあったにしろ、その責任を追及する被害当事者がいなくなれば、採用差別事件そのものを「なかったこと」にできるという企てだったのである。だから国労闘争団が、これに頑強に抵抗して闘争継続の意志を鮮明にした7月臨大の直後、運輸省の幹部は「形式的に組合が4党合意を認めても、過半数の闘争団が闘い続けるようなら、4党合意は何だったのかという話になりかねない」と不満を述べたのである。
 しかも続開臨大では、運輸省幹部が不十分だと指摘した「形式的な承認」すら断念に追い込まれた以上、自民党と運輸省そしてJR各社が「4党合意」の終焉を確認するのは必然的ですらあり、大会決定以上に形式的な組合員一票投票など、本音では歯牙にもかけていないと考えるべきであろう。
 にもかかわらず、闘争団員と家族の追求をまんまと逃れて本部中執として居座った右派チャレンジグループと宮坂書記長らが、あるいは革同右派と上村副委員長らが、「4党合意」が依然有効であるかのようにその残骸をかつぎまわって一票投票を実施しようとしているのは、それが本部中執の責任を追求して続開臨大の中止を求めて闘ってきた20闘争団の中に、新たな対立と分断の火種だねを撒くことになるからである。
 その意味で彼らは、なお闘争団の解体をあきらめた訳ではないのだ。そうであれば、この火種に油を注いで国労闘争団の対立を煽り立て、国労全体を混乱に陥らせて分裂させようと彼らが奔走することは、火を見るよりも明らかである。なぜなら、それだけが「4党合意」による争議の幕引に失敗したチャレンジグループと革同右派が、労働組合官僚として生き延びるために唯一残された方法だからである。
 こうして階級的労働者は、「4党合意」の是非を問う組合員一票投票がすでに意味を失っていることを徹底的に暴露し、しかもそれは闘争団員・家族の自己決定権を否定し、ひいては右派幹部たちの労働組合官僚主義と無責任性を正当化するものであることを訴え、一票投票の中止を本部中執に迫る闘いに全力をあげることになるだろう。
 高橋委員長が「信を問う」とした国労の定期大会は10月28−29日に予定され、この定期大会代議員の選挙と同時に「4党合意」の是非を問う全組合員による一票投票が強行されようとしているが、これを中止させるための闘いは、国労の分裂を画策しつづけてきた右派・チャレンジグループと革同右派の一連の策動に終止符を打ち、少なくとも闘争団員と家族、そしてこれを自らの闘いとして支援しつづけてきた支援戦線の労働者と共に、すでに勝ち取られた労働委員会命令と昨年11月に出されたILO勧告の実現を最大限追求する新たな国労執行部を、10月定期大会で選出することができるかどうかを占う重要な前哨戦となるであろう。

  (きうち・たかし)


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