転機に直面した国鉄闘争
国労「一票投票」での敗北とわれわれの見解
総評左派の歴史的終焉と突きつけられた課題


痛い敗北

 「4党合意」承認の採決ができないまま閉会となった国労の8月続開臨時大会で、高橋委員長が「特別発言」の中で提唱した「全組合員の一票投票」は、国労闘争団員と国労組合員、支援の仲間たちによる「投票禁止の仮処分申し立て」を含む反対や抵抗を押し切り、10月28−29日の両日に予定されている定期全国大会の代議員選挙と並行して、9月18日から29日にかけて強引に実施された。
 10月4日の国労本部の発表によれば、一票投票での本部方針支持(○票)は約13、000票で55・1%、反対(
×票)は約8、500票で36・0%、保留(△票)が4・8%、白票を含む無効票は2・3%、棄権1・7%という結果となり、これと並行して行われた大会代議員選挙でも「4党合意」承認に反対している代議員が50人弱なのに対して、本部方針を支持する代議員は70人を上回る結果となった。
 争議当事者の自己決定権を求めた国労闘争団と、これを支持して7−8月の臨時大会を支援の労働者・市民と共に闘い抜いた国労左派は、自決権を否定する「形式民主主義」の下で再び「少数派」へと追いやられ、10月定期大会で本部がなりふりかまわず進めようとするであろう「政治決着」との対決においても、劣勢に立たざるをえないことが明らかになったのである。

 右派・チャレンジグループと革同右派の拠点では、公然たる不正選挙が横行する不当な圧力の下で強行された一票投票だったとはいえ、4カ月に及ぶ激しい攻防の末に、1047人の不当解雇者を支援してきた国労組合員の過半が、100件を越える地労委勝利命令など一切の闘争の成果を顧みることなく、あるいは国労組合員であるが故の不当な差別と選別待遇への恨みを晴らすこともないまま、いわばすべてを投げうって採用差別問題にケリをつけJR各社の企業内労働組合へと回帰しようとする右派の方針に支持を与えた現実は、国鉄闘争の中に日本労働運動の主体的再生の可能性を見つづけ、だからまた最大の関心を払いつづけてきたわれわれに深刻な総括を突きつけるものである。
 もちろんわれわれはこの4カ月の間も、国労闘争団の要求と闘いを支持して全力で闘い抜いた。しかしそれは単に力及ばなかっただけでなく、実践的で具体的な助力や支援の点でもなお多くの限界や至らなさがあったことを痛苦の念をもって振り返らざるをえない。だからこの結果は、われわれ自身が社会的に有用な政治グループたりうるかをも問う手痛い敗北であると受けとめている。
 だがそうであればわれわれは、国鉄闘争を闘い抜いてきた多くの、国労内外の先進的労働者たちと共に、この敗北を直視し克服するための道筋を探ろうとする新たな闘いに挑む以外にはないとも考えている。
 以下の問題提起は、そうしたわれわれの、いまの時点で可能な、最も基本的な考え方と視点の提起である。

国労の疲弊と「転向」

 今回の一票投票と代議員選挙で、本部方針に反対するいわゆる左派勢力に対して、各エリア本部や各地本の幹部を中心とする右派・チャレンジグループが挑んだ論戦は、4党合意の是非というよりも「国労組織の存続」にかかわる問題であった。
 それは15年にも及ぶ長期争議によって、87年4月のJR発足当時でもなお5万人の組合員を擁していた国労が、徹底した国労敵視のJR労務政策の下で新規加盟者をほとんど獲得できない一方で、退職などによる組合員の減少がつづき、現在では2万3千人にまで組合員が減少し、これに伴って組織財政が逼迫している事実をあげ、その上で「階級闘争は力関係である」から、内容は「屈辱的ではあっても」ここで争議を収拾するしかないという主張であった。ここには、15年もの長期におよぶ国家権力との対峙が、大衆的労働組合に他ならない国労を組織的に疲弊させ、それが醸成する孤立感や焦燥が、強力な「転向」圧力として国労を締め上げつづけてきた現実が生々しく映し出されてもいたように思われるのである。
 たしかにそれは、現在の国鉄闘争の力関係を議会内の議席数や企業内の組織人員の多寡でしか判定できない旧態依然たる発想ではあっても、機関役員たちのまさに本音であるだけでなく、多かれ少なかれ国労組合員大衆の中にも潜んでいた思いに触れる「本音」ではなかっただろうか。むしろチャレンジグループの「当たり前の労働組合」という先祖返りのスローガンは、こうした組合幹部たちや組合員大衆の意識に「転向」の道筋を与えたに過ぎないのかもしれない。
 しかし一票投票が提案された8月続開臨大以降、20闘争団・家族を先頭とする左派は、先進的な一部の例外を除けば、「国労組合員の良心に訴える」闘いを超えて、この右派幹部たちの「本音」がはらむ労働組合としての自殺行為を暴き、これと全面的に対決するには至らなかった。しかもこうした左派の対応は、4カ月におよんだ攻防戦の節々で、つまり7月臨大でも8月続開臨大でもその直前までは右派を窮地に追い詰めながら、全体としては決して右派執行部に取って代わろうとはせずに、結果として4党合意の白紙撤回と右派執行部総辞職の好機を取り逃がす事態として繰り返されてもいたのである。
 それは国労の左派勢力が、「転向」の圧力に屈して国鉄闘争を清算しようとする右派との対決において明確な「対案」を、しかも以降も数年に及ぶであろう争議を見据えた戦略的対案を持っていなかったことを暴くものではなかっただろうか。
 だから一票投票において、かろうじて右派が過半を制し得たのは、客観的には転向圧力の結果ではあるが、他方では戦略的対案の不在という主体的問題の結果でもあったことは否めないと思うのである。

抵抗戦から戦略的対案へ

 実際に右派執行部は、闘争団と左派勢力による激しい抗議と抵抗によって窮地に陥っていた。とくに8月続開臨大直前まで本部中執との交渉に臨んだ20闘争団・家族の追及は、本部中執を総辞職寸前にまで追い詰め、4党合意の白紙撤回は目前であった。
 しかし同時にこの事態は、総辞職する右派中執に代わって、国労の左派勢力が新しい本部中執を具体的に構想し組織する責任を引き受け、だからまた4党合意が白紙に戻された後の、国労の運動方針を提起する責任をも引き受けることを意味していた。まさに左派勢力の「対案」が問われたのであり、結果として曖昧な妥協を選択した国労左派勢力の逡巡は、この新執行部の選出をふくむ戦略的対案の確立なしには、国労左派勢力が最後の一線を踏み越えることができないことを明らかにしたとは言えないだろうか。
 もちろんILO勧告を勝ち取り、中労委命令をめぐる裁判闘争を継続し、不当労働行為責任と安全輸送確立の社会的要求を結合させた新たな支援戦線の形成など、それなりの戦術的対案は提起され始めてはいたが、8月続開臨大直前に顕在化した国労左派勢力の逡巡がわれわれや先進的労働者たちに突きつけた核心問題は、闘争団をふくむ左派勢力の伝統的意識との格闘なしには、言い換えれば相互信頼にもとづく戦略的再武装のための協働を通じて、左派勢力の共通した戦略的対案を再確立することなしには、組織的疲弊と転向の圧力に直面しつづける国労の「堕落」には抗し得ないという、国鉄闘争それ自身の主体的限界ではなかっただろうか。
 なぜなら、本部中執を追及した左派は、旧来の左派である社会主義協会向坂派と革同派から登場した宮坂書記長や上村副委員長が、大衆的な長期的抵抗戦という伝統的左派路線を裏切ろうとすることへの大衆的反発に呼応し、ある意味で総評時代の「左翼バネ」と同様の大衆的抵抗を組織したのだが、実はその伝統的な左派路線そのものの行き詰まりが、宮坂書記長、上村副委員長らの裏切りと右転換を促進する本質的な要因であることが、一票投票の結果として明らかになったと言えるからである。
 国鉄闘争の現実に則して言えば、「国労という全国単一組織にまで切り縮められた社会党左派・共産党ブロック」を基盤とした長期的抵抗戦が、他ならぬ国労組織の疲弊とこれに伴う孤立感や焦燥によって伝統的な左派基盤の解体がジリジリと進行し、ついには「自然消滅の危機感」が国労組合員大衆までをも捉え始めていた現実こそが、チャレンジグループと革同右派の「右派ブロック」を成立させ、4党合意を推進した本質的な基盤であったと考えられるのである。
 そうだとすれば、伝統的左派からの転換とその戦略的再武装は、総評労働運動の左派を象徴してきた社会党左派・共産党ブロックの歴史的終焉を確認したうえで、だが他方では国鉄闘争の長期的孤立と国労の組織的疲弊を強いた連合・JC派支配の内的分化が確実に進行している現実と、これと連動する民主党の内的分化という政党再編の蠢動の中に、未来を担う新たな、日本労働運動の左派潮流を形成しうる基盤を見い出そうとすることであろうと思われる。

連合の動揺と民主党「分裂」

 JR連合と合流して企業内労働組合に回帰しようとする国労右派の路線は、実に14年遅れで「労使共同宣言」を受け入れるにひとしい。それは修善寺大会以降の14年の間に日本資本主義が陥った長期不況も、かつては日本資本主義の強さの秘訣とすらもてはやされた企業内組合が直面する閉塞状況も、まったく眼中にないかのような選択である。だが現実には、連合結成の数年後に頂点を極めた日本の経済的繁栄はいまやその面影すらなく、グローバリゼーションに追随するリストラに抗するすべもない企業内組合は正社員組合員の雇用すら守れずに組織基盤の縮小に悩まされ、連合傘下の各産別組織は組織統合や合併によって組織基盤の衰退に歯止めをかけようと汲々としている。
 このナショナルセンター・連合の構造的衰退は同時に、アメリカのブルジョア二大政党制をモデルにして総評・社会党ブロックを解体し、「政権交代可能な健全野党」の下にJC派に主導された労働組合勢力を組み入れ、階級対立を所得再分配の問題に、つまり労資間の利益分配率の問題にすり替えようとした行革路線=日本資本主義の国家再編の展望を破綻させることになった。なぜなら、アメリカ二大政党制の下で階級対立を所得再分配の問題に置き換え、労働者階級を「豊かな中産階級」としてブルジョアリベラリズムの支持基盤に組み込んだ支配制度は、大衆消費社会を実現したフォーディズム資本主義がその高い利潤率に裏打ちされた高賃金を保証するすることで実現されたのであり、バブル景気の崩壊を契機にした日本経済の行き詰まりは、こうした制度の経済的土台そのものを掘り崩し始めたからである。
 こうして、ブルジョアリベラリズムと労働組合勢力を基盤にして、自民党的な保守勢力と対抗するはずだった民主党は、選挙基盤としてはますます当てにできない労働組合勢力と、旧来的な保守基盤の間で動揺する野合政党として迷走することになり、次にはこの民主党の迷走が、連合の「制度政策要求」型労働運動の有効性を減殺する悪循環をつくだすことにもなった。しかも現在は、こうした日本資本主義の旧構造=55年体制の再編の行き詰まりばかりか、それに追い打ちをかけるように、グローバリゼーションの荒波が日本資本主義に更なる産業再編、社会再編を迫る国際的圧力として押しよせている。
 その意味で連合の内的流動と、これに連動した民主党の分裂をはらむ政党再編は、それほど遠くない将来の不可避的動向と考えていいだろうと思われるのである。

 だがもちろん、国鉄闘争を軸に連合と対峙してきた左派労働運動勢力が、その国鉄闘争で被った手痛い敗北の傷を負った現有の力だけで、たとえ連合と民主党の内的流動に介入できたにしても、そこから反転攻勢が組織できると考えるのはあまりにも素朴過ぎると思われる。新たな反転攻勢は、今日の情勢に対応する「社会的労働運動」の実践的な構築として、小さくとも社会的に有用で未来の可能性をはらむ大衆運動を組織し、連合と民主党も無視はできない主体の再生に向けて、戦略的防御のための戦術的迂回を余儀なくされているのも確かであろう。

社会的労働運動と社民党

 実は、この「社会的に有用で未来の可能性をはらむ」社会的労働運動は、国際的な視野にたてば、すでにひとつの潮流的勢力として台頭しつつあるとわれわれは考えている。それを象徴するひとつの例が、99年11月末にアメリカのシアトルで開かれた国際貿易機関(WTO)閣僚会議を包囲した、アメリカ労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)の5万人もの労働組合員であったと思う。
 かつて反共労働運動を世界に輸出してきたAFL-CIOの労働者が、多国籍資本による人権侵害や環境破壊に抗議する非政府団体(NGO)とともにWTO閣僚会議を包囲した闘いは、移民労働者や女性労働者の権利のために闘う社会的運動と結びついたAFL-CIO内の改革派が、会長選挙で現在のスウィーニー会長を勝利させたことを背景にしている。それはアメリカのグローバリゼーションの進展が急速に不安定雇用を拡大し、正規社員労組が主流であったAFL-CIOの組織率が低迷する中にあって、不安定雇用層の大半を占める移民労働者や女性労働者を支援する社会的運動と協力してこれを組織するという、スウィーニーが委員長だった国際商業サービス労組(SEIU)が実践した、アメリカ労働運動のある意味での質的転換が契機となって可能になった闘いであった。
 もっとも日本では、こうしたNGOに代表される社会的運動は脆弱であり、左派労働運動勢力がAFL-CIO改革派と同じように連携の相手を見いだすことは容易ではない。にもかかわらず、戦後ブルジョアリベラリズムの進歩的成果、つまり基本的人権や自立的民衆の自己決定権といった社会的権利を擁護して、多国籍資本の利潤を確保しようとするグローバリゼーションと対決する流れは、確実にこの日本にも波及しつつある。国際労働機関(ILO)による昨年11月の中間勧告と、これを支持して国労支援を表明した国際運輸労連(ITF)の動きもその一環と考えられるのだが、それに止まらない各種NGOの運動が日本の若い活動家たちによって担われはじめ、それが日本における政治表現を求めはじめる状況も生まれつつある。
 しかもその兆候は、4党合意をめぐる攻防戦のただ中で、具体的には社民党に対する4党合意見直しの要求と抗議の過程で見え始めたと言って過言ではないと思う。
 いうまでもなく4党合意は、社民党の労組関係議員が国労右派の意向をうけて作り出したものである。だがその4党合意の見直しを求める国労闘争団と支援勢力の要請に耳を傾け、それに協力的な対応をしようとする社民党議員が、例外的にという以上に存在することが明らかになった。ただし、そうした議員たちは「かつての左派」ではなく、自立的な反戦平和運動や人権擁護の社会的運動の経験をかわれ、かつての左派議員の大半が支援労組の意向を受けて民主党へと逃げ出した後に、現在の土井党首に請われて立候補し当選した議員たちであった。
 それは、基本的人権や自立的民衆の自己決定権を擁護する、ブルジョアリベラリズムの進歩的成果を擁護しようとする国際的流れが日本でも形成されつつあり、しかもそれは労働組合官僚主義と旧自民党ハト派の野合という過去の遺物を引きずる民主党にではなく、労働組合官僚主義が逃げ出した後の社民党へと流入し始め、だからまたこうした社会的変化を反映する「新しい社民党議員たち」が、国家的不当労働行為の直接の被害者として自らの運命を自ら決める自己決定権を鮮明にした国労闘争団の闘いを理解しはじめた、小さくとも決定的な転機をはらんでいるとは考えられないだろうか。

 われわれがいまの時点で、そして限られた時間と紙面で提起できるのはここまでである。そしてこの先は、国労内外の先進的労働者たちとの協働の中での評価や批判に委ねたいと考えている。                                              (10月12日)


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