国労闘争団共闘会議(準) 結成集会
田川(衆院議員)さんと藤保(闘争団家族会)さんが固い握手

 


3000人の異色の集会

 5月30日、日比谷公会堂を3000人で満杯にして「がんばれ闘争団 ともにGO@集会」が開催された。
 闘う闘争団も、もちろん支援もそうだと思うが、参加者数を予想しながら会場に着くまで、ひょっとしたら超満員、もしかしたらガラガラ、ふたを明けてみないとわからないが前者であってほしいと祈る気持ちで向かったのではないだろうか。祈りは実現し、開会時間には会場は満員となった。
 階段に座り込んだり、立ったままの仲間もたくさんいた。国労は地本・支部とも動員指令をおろしたところはなかったが、後から聞いたところでは、500人の国労組合員がこの集会に参加したという。
 まずはじめに、この集会に至る1年間をコンパクトにまとめたビデオが上映された。いわゆる4党合意が発覚したのがちょうど1年前の5月30日。それから夏、秋、冬、春をむかえ、4回の大会をへて「闘う闘争団」と「JRの不当労働行為は許さない! 国労闘争団共闘会議」が結成されたのだ。
 本当に激動の1年だったことを思い起こさせる。その激動の結論として、集会はこれまでの集会と比べると異色のものだった。

川田悦子さんの講演

 まず司会がちがう。大単産の見慣れた顔から、この間闘争団・闘う闘争団の側にたってカメラを回しつづけてきたビデオプレスの松原さんと、長期の争議を闘ってきた昭和シェル労組の大須賀さん。主催者を代表してのあいさつも作家の宮崎学さんだ。
 宮崎さんは去年5月の4党合意発覚後、闘争団の闘いを支援するために文化人によびかけ、アピールを発し、集会を重ねてきた。作家としての立場から、いま政府がすすめている「個人情報保護法」は言論の自由を大幅に制限することをねらったものだが、それに対する闘いと、国労本部からも弾圧されながら屈服しないで闘う闘争団が姿は同じなのだから、今後も闘争団と苦楽を共にしようとよびかけた。
 はじめの講演は、衆議院議員の川田悦子さん。息子の龍平君とともに、薬害エイズ被害について政府、製薬会社に謝罪を求めて闘ってきた経験をかたった。川田さんは、はじめは薬害エイズ被害者の家族として名前を出さないで被害者の会合などに出席していたが、エイズ予防法案が国会に出されようとしたのをきかっけに政府・製薬会社にたいする闘いをはじめた。
 エイズ予防法案は、元ハンセン病患者を長期にわたって隔離してきた、政府の控訴断念で話題を呼んでいる「らい予防法」をもとにして作られたものだという。だが闘いをはじめるとき、連れ合いに反対された。しかし龍平君がぽつりともらした「死にたくない」の一言を聞いて、政府・製薬会社に責任をとらせようと決意したという。それから龍平君といっしょに闘いつづけてきた。
 裁判は最終的に和解で終了したが、和解の前日、和解調書に当初裁判所も合意していた「謝罪」の言葉が入らなくなったことを聞かされたという。
 裁判所は「謝罪も陳謝も同じだ」と説明したが、陳謝を謝罪に変更することはしないと言ったという。弁護士からも川田さんが反対したら和解はつぶれると、受け入れるように「説得」されたという。龍平君はあまり泣いた姿を見せない子だったが、この時は「どうして謝罪のことばが入らないんだ」と大泣きしたという。しかし泣き止んだとき「お母さん、自己実現ってわかったよ」とかたったという。そしてあきらめずに闘いつづけることを決意したという。
 母と子の闘いは、ひとつではなかった。母は子の闘いを、子は母の闘いを尊重しながらともに闘ってきた。別れた連れ合いをふくめ三人三様それぞれの確信で現実に対応してきた。しかし「謝罪」をかちとる闘いはまだ終わっていない。
 川田さんは、国労闘争団の闘いは正直いって詳しく知りませんとかたった。しかしエイズ予防法案との闘いから、私たちもあまり知らなかったハンセン病患者の隔離を知り、そしてハンセン病の判決の日、熊本地裁前にかけつけた川田さんの闘いは、国家という大きな敵にひとりひとりの力をあわせていどんでいけば、社会をうごかして必ず勝てるという確信を、講演を聞いていたみんなに与えてくれた。

藤保さんと川田さんの握手

 二人目の講演は、音威子府家族会の藤保美年子さん。闘争団の闘いを支えてきたというよりは、家族ひとりひとりが闘争団の一員だと実感させられる、家族としての14年間がはなされた。
 上の子が学校を終えて家を出るとき、「お母さん、ときどき下の子を励ましてやってね。私たちはお母さんたちが闘争のこと、生活のことを話しているとき、お互いに励ましあって頑張ってきたのよ」といわれたという。夫婦で、闘争のことや生活のことを話したり言い争っていると、2人の子供は自分たちの部屋に入って出てこなかった。子供たちにも、親の苦労を知ったうえでの、これ以上の苦労かけまいとする闘いがあったのだ。
 藤保さんの講演のあと川田さんがふたたび登場、2人は堅い握手をかわした。

壇上と会場が一体に

 支援・連帯のあいさつにうつる。
 都労連の矢沢委員長。「4党合意に社民党も加わっているとしたら、党としての責任もある。都労連は不当解雇撤回をめざして闘う闘争団と連帯して最後まで闘う」。
 加藤晋介弁護士。「不当労働行為は、労働者が不当労働行為と主張してこそ不当労働行為になる。声をあげ、解雇を撤回させるまで闘おう」。
 さらに日本消費者連盟の富山洋子さんが、また遠路かけつけたオホーツク連帯する会の代表と大分県国鉄闘争に連帯する会が、激励と決意をかたった。
 上京している闘う闘争団(20闘争団22名)全員が登壇、1分間のリレーアピールを力強くおこなった。
 最後は、壇上と会場が一体となって、それぞれ「がんばれ闘争団 ともにGO!」と染めぬかれた赤、青、黄のバンダナをひろげて振りながら「がんばれがんばれ闘争団、ともにGO!ともにGO!」と、おおきく声を張りあげた。

I


国鉄闘争topへ HPtopへ