総評労働運動の限界をこえる国鉄闘争の勝利を闘いとろう
−三池争議を越える解決法がもつ歴史的意義−

(インターナショナル88号 98年4月 掲載)


国労の2月大衆行動

 2月16日から20日にかけて、国労は上京した闘争団を中心にして、運輸省と東京地裁、さらにはJR東日本本社に対して、争議の全面解決を要求する集中した大衆行動を展開した。この行動は、東京地裁民事19部が昨年7月、「採用者名簿を作成した国鉄が、所属組合による差別と選別という不当労働行為を行っていたことをJR設立委員会が認識していたことを立証する必要がある」という求釈明を行ったことを受けて、2月18日に予定されていた口頭弁論で斉藤元経団連会長や杉浦元国鉄総裁を証人として採用させ、不当労働行為を立証するための弁論を民事19部が行うよう求める闘いを焦点に設定された。
 この立証活動は、斉藤や杉浦らの証言を通じて当時の差別と選別の実態を暴き、国鉄改革法23条を楯に「使用者責任はない」とするJR各社の主張を突き崩すためのものに他ならない。したがって18日当日は、16日から連日つづけられてきた運輸省前での座り込みや日比谷公園前での座り込みに加え、日比谷野音での裁判報告集会や東京地本の決起集会も設定され、十分な審理と公正な判決を求める各種の行動が予定されていた。
 だが18日当日の民事19部の口頭弁論は、国労が申請した斉藤や杉浦を証人として採用しないという決定が下された反面、後述するような意外な展開となり、当日ただちにJR東日本本社に対して争議解決を求める大衆行動が組織され、新宿南口のJR東日本本社前では、争議の解決をかたくなに拒絶するJR東日本に向けて、抗議のシュプレヒコールがひびきわたった。

東京地裁の判決表明

 2月18日の口頭弁論で民事19部の高世裁判長は、JRへの採用について国労とJRが話し合うように命じた中労委命令の取り消しを求めるJR原告事件と、各地の地労委命令に従って1047名の採用をJRに求める国労原告事件を分離し、前者(JR原告事件)に対する判決を民事11部と同じ時期に言い渡すとの方針を明かにした。この判決はいわゆる「中間判決」で、国鉄改革法23条を楯に、採用差別があったとしても「別法人であるJRには使用者責任がない」というJR側主張の当否だけを判断するものだが、ここでJR側の主張が認められれば、JR各社を被告に国労組合員らの採用を求める国労原告事件は審理の対象とはならなくなる。いわゆる門前払いである。しかし同時に民事19部は、国労原告事件の次回弁論期日を5月27日に指定することで、国労原告事件の審理継続を表明したのである。それは「中間判決」でのJR側敗訴を前提にしているとしか言いようのない、その意味では異例な訴訟指揮であった。
 こうした民事19部の方針は、判決時期をわざわざ同じにしたことに端的に示されるように、同地裁民事11部の動きに連動したものであることは明かである。その民事11部の萩尾裁判長は昨年5月、JR、中労委および国労の各当事者と、補助参加している国鉄清算事業団の4者による「和解勧告」を行い、昨年末には具体的な和解内容をJR側に打診するなど和解の斡旋に動いてきた。
 そして去る2月2日には国労、中労委、JRという裁判関係者に「裁判所の意見」を示し、5月下旬から6月頃を目処に中間判決の言い渡しを通告した。しかもこの「裁判所の意見」に示された内容は、「解決策の枠組みについて提示するなどして、再三にわたり和解の席に着くよう要望した」(裁判所の意見)がJR各社がこれを拒絶したこと、したがって「一応和解を断念し、昨年5月に終結した口頭弁論に基づき、判決を言い渡すこととする」(同)こと、にもかかわらず「早期に抜本的な解決を図るべき時期に来ているとの認識に変わりはない」ので「判決言い渡しの前後を問わず、また、その結論如何にかかわらず」(同)そうした解決に尽力するよう関係者に要望するというものであり、事実上、不採用となった国労組合員などのJR採用につて関係者が話し合うなどの方法つまり和解によって、「早期に抜本的な解決」をする以外にはないとの見解が、JR側の和解拒否を受けてなお繰り返されたのである。
 その2週間ばかり後の民事19部の異例な訴訟指揮が、この萩尾の「意見」と連動している以上、東京地裁の意図は明白である。改革法23条がどうあれ、JRを国労との和解に応じよさせようとする圧力がそれである。

国鉄闘争の現局面

 われわれは昨年5月、この東京地裁民事11部が提起した「和解勧告」について、本紙82号(97年6月号)で「東京地裁民事11部は、判決を出さざるを得ない事態へと追い込まれつつある」と指摘し、しかもこの中間判決がJR各社、とりわけ国労との和解に一貫して強く反対しているJR東日本とJR総連に争議の収拾を迫る圧力として利用される可能性すらあること、だがそうであればこそ東京地裁の中間判決を前後して、国労自身が和解の内容を主導するイニシアチブを取るための準備が必要であろうと述べた。
 2月に入ってからの東京地裁の矢継ぎ早の動きは、こうしたわれわれの予測に沿ったものであると言うこともできるのだが、むしろ状況としては、民事11部が判決言い渡しの目処としている5月から6月という判決以前に、和解に向けた様々な動きが一段と強まることになるだろう。と言うのも、事態はすでに政府・運輸省やJR各社にとっても、そしてある意味では国労にとっても、裁判所の判決という方法では全く打開できないところにまで至っているからである。つまり国鉄の分割民営化は根本的に破産しているのであって、法廷での勝敗はこの破産を取り繕うことすらできないということである。
 例えばJR側が勝訴し国労の要求が退けられる最悪の場合を想定してみよう。それは確かに国鉄闘争にとっては大きな打撃にはなるが、かといって国労が押し潰される可能性は、闘争団が自活して長期争議を闘う体制を構築した今となってはほとんど考えられない。そればかりか、JR会社とJR総連・革マル派の異様な癒着構造が生み出したJR内の様々な矛盾や弊害をめぐって、現にJR内部の抗争が水面下で激化しはじめ、それが国労との融和路線かJR総連との癒着体制の維持かという抗争として顕在化する可能性があり、そうした事態は政府・運輸省とJR各社にとっては、それこそ収拾のつかない混乱の危険性をはらんでいる。さらに28兆円にも膨らんだ国鉄長期債務の処理をめぐって、「国鉄とJRは無関係」との判決があったとしても、JR各社が一切の追加負担から逃れることもできはしないだろうし、北海道、九州、四国という三島会社の構造的赤字についても、いずれは何らかの負担や解決が求められるのも確実である。そして裁判でのJR側の勝訴は、結局のところこれらの難問を何ひとつ解決できはしないのである。
 それはまたある意味で国労にも言えることである。今年5−6月頃の中間判決でJRが敗訴すれば、今度は国労原告事件、つまり地労委命令にもとづいた地元JRへの採用を求める行政訴訟の審理と判決となるが、仮に国労がこれに敗訴すれば、JRが取り消しを求め、敗訴の結果として取り消されなかった92年5月の中労委命令が効力をもつことにならざるをえない。東京地裁の民事11部と19部が、繰り返しJRに和解を促してきたことを考えれば、司法が想定している〃落としどころ〃は十分に推測できるだろう。地元JRへの復帰という要求は、結局は国労とJR各社の交渉へと委ねられる可能性は高い。
 こうして、国家的不当労働行為と対峙しつづけてきた国鉄闘争は、文字通りの意味で解決に向けた大詰めの局面を迎えていると言えるのであり、それはまた16年にも及んだ国鉄闘争がジリジリとではあれ当初の劣勢を挽回し、政府・運輸省そしてJRとの力関係を膠着状態にまで押し戻した、そうした勝利的前進の結果としてだけもたらされたと評価されるべき局面でもある。
 だがそうだからこそこの大詰めの局面で、闘争主体である国労自身が解決のためのイニシアチブをとることが決定的かつ主体的課題となっている。それはまた政府・自民党そしてJRにも、解決のための有効なイニシアチブが存在していないとう事情によって二重に決定的でもある。

自民党とJRのジレンマ

 東京地裁民事19部が異例の訴訟指揮を行った前日の2月17日、自民党総務会は梶山、河野ら反執行部派の反対を押し切り、2月2日の最初の提案以来2週間ぶりで、ようやく国鉄長期債務処理法案を了承した。この法案に対する梶山らの批判は、JR各社に追加負担を求めるのは、国鉄改革法やその後の経過から言って妥当性を欠くのではないかと言うものであり、もし追加負担を求めるのであればJR各社の了承を取りつけるのが先決であると言うものである。
 批判の前半は、分割民営化の際に国鉄長期債務を切り離して〃健全な民間企業〃としてJRを発足させるとした建前と、当初見込みを大きく上回る膨大な長期債務を処理するための追加負担という現実的解決策の間にどう整合性を保てるのかという、問題の核心をつく批判と言える。それは1982年、自民党三塚委員会が「管理経営権及び職場規律確立に対する提言」を発表して以来、国鉄の分割民営化という大失策を推進してきた張本人である自民党自身のジレンマの指摘だからである。そして批判の後半は、自民党加藤執行部のいわば不手際を追及する、反執行部派の戦術に過ぎない。
 したがってここで問題にしたいのは、前者の自民党のジレンマである。前述の裁判をめぐる状況でも触れたように、国鉄とJRは全く別の法人であり、だから国鉄時代の債務も労働協約も、果ては採用差別という不当労働行為さえもJRには無関係であるというのが、分割民営化に際しての政府・自民党と運輸省の主張であった。JR各社が追加負担に強く反対するのは、その限りで当然でもある。だがそもそもバブル景気に踊った債務返済見込みが大きくはずれ、当初見込み13兆円の倍以上にまで膨れ上がったのがケチのつきはじめなのだから、この分割民営化当時の建前と、民間企業JRに追加負担を求める現実的解決策の間には、もちろん何の整合性も見いだすことはできない。もっともJRが追加負担に応じたところで、一般会計に付け替えられる債務、具体的には税金の投入という形で労働者民衆に押しつけられる負担は24兆3千億円もの巨額にのぼるのに、国鉄資産を格安で手に入れた、民間企業とはいえ黒字経営の公益事業体であるJRが、僅か3千6百億円の追加負担に反対するなどというのは、庶民感覚としては許しがたい傲慢である。というよりもそれは、旧国鉄とJRには何の連続性も関連性もないなどという「国鉄改革」の建前自体が、文字通りのご都合主義であったことを雄弁に物語っているのである。
 ところでこうしたジレンマは、実は採用差別事件をめぐる争議の収拾にも付きまとうことになる。つまり自民党がJRに国労との和解を迫ることは、JRが一旦は「正当な理由で」採用を拒否した旧国鉄職員を、政治もしくは司法が介入することによって改めて採用させることを意味するからである。自民党と政府・運輸省が、採用差別事件に関する東京地裁の再三の和解推進のシグナルにもかかわらず積極的イニシアチブたり得ないのは、差し迫った難問の解決策と国鉄分割民営化という大失策を推進した経緯に、何らの整合的な理由を見いだし得ないというジレンマの結果なのである。
 そしていまひとりの当事者JRは、破産した分割民営化の見直しや変更をめぐって激しい水面下の抗争の渦中にあり、争議解決のイニシアチブどころか、むしろ債務処理と争議の解決について最大の障害と混迷要因でありつづけている。言うまでもなく争議解決の最大の障害は、JR各社の中で抜きん出た経営規模と財力をもつ東日本が、JR総連・革マル派と癒着した利権構造の防衛のために、分割民営化が生み出した体制のあらゆる変更に抵抗していることである。
 だが改めて指摘するまでもなく、巨額の債務と三島会社の構造的赤字、日常生活に欠かせないローカル線の寸断と第三セクター鉄道の経営危機や破綻、頻発する重大事故や災害時の失態の連続などなど、僅かばかりの都市部の運賃値上げ抑制と引き換えにされた分割民営化に起因する数々の社会的弊害は、直ちに何らかの対策が講じられねばならない深刻な問題として山積しており、いずれは現行JR体制の見直しを含む政策転換へと向かう以外にはないだろう。その意味で東日本経営陣のあらゆる変更と見直しへの抵抗は、他のJR各社にとっても異様なものである。
 にもかかわらずJR7社は、国鉄改革法の建前にのっとて発足した民間企業として、被告席であれ原告席であれ東日本と同席して国労に対抗せざるをえない。ここに東日本とJR総連・革マル派を嫌悪するJR内勢力の、解き難いジレンマと危機感がある。
 こうして国鉄闘争の大詰めの局面は、闘争主体たる国労以外にはイニシアチブを取り得る当事者が不在であるという、これまた分割民営化の破産を象徴する事態を生み出すことになったのである。

三池闘争を越える新地平

 では、この大詰めの局面を迎えた国鉄闘争の解決内容を、どのように考えるべきだろうか。もちろんそれは、まず何よりも国鉄闘争の主要な推進力であった闘争団組合員の多数が納得できるものである必要がある。しかし膠着状態という現実的な力関係を踏まえたとき、採用即退職のような形式的な職場復帰や小人数の象徴的な職場復帰は問題にもならないが、地労委命令が救済を命じた全員の職場復帰は極めて困難であろう。その上で国鉄闘争は、どのような具体的獲得目標をもてるのかが、争議解決の積極的イニシアチブたるために求められているのである。
 われわれは、今日の国鉄闘争が獲得すべき最大の目標は、戦後日本労働運動史上最大の争議であり、しかしついに国策の壁を打ち破れなかった三池闘争を名実ともに越える地平を切り開き、戦後日本労働運動の最良の歴史的伝統を復権させることであろうと考えている。その可能性は、炭労大会の決定とはいえ三池労組が中労委斡旋案を受け入れざるをえなかったのに対して、国労が中労委の斡旋もその後の命令も拒否して闘う体制を築いたことによって切り開かれたのだが、この歴史的意義を踏まえた解決こそが、国鉄闘争が譲ってはならない一線であろう。
 その三池闘争は、指名解雇の白紙撤回と抱き合わせの即時自主退職という形で収拾されたが、それは三池労組の形式的勝利と引き換えに、政府と三井資本が、当時総評最強と言われた炭労の中核組合・三池労組の手足をもぎ取るという実質的勝利を手中にする収拾であった。以降、総評における同様の解雇撤回争議は、この三池闘争の収拾方法をある意味では労働運動の常識としてきたと言える。だからまた国鉄闘争でも、旧総評の幹部や社会党国会議員までもが加わってこうした〃常識的な解決案〃を国労に持ちかけ、幾度となく闘争の撹乱要因ともなった。とすれば国鉄闘争が、この三池闘争の解決方を越えて、数百の単位の組合員が、実際に職場復帰をすることによって〃総評的常識〃を越えることには決定的な意義があろう。
 たしかに、国労が掲げる「全面解決要求」は、地労委が救済を命じた1047名全員を地元JRに復帰させるように要求してきた。したがってこうした考えは、ある意味では妥協である。だがこうした獲得目標をもった妥協を国労が自覚的に推進し、総評全盛期の、総資本と総労働の対決と位置づけられた三池闘争を越える成果を達成するなら、それは文字通りの意味で総評労働運動の常識を、とりわけ「国策には勝てない」という常識を無自覚のうちにも継承する日本労働運動に、大きな衝撃を与えることだろう。それは倒産と失業の時代を迎えて資本と国家に不信をつのらせ、連合の労組官僚にも疑惑の眼差しを向け始めたすべての労働者にも、解体に追い込まれた総評を越える、その意味で新たな日本労働運動の再生の可能性を、強い印象とともに指し示すことになるに違いない。
 だからそれは、総評の解体とともに3つに分裂したナショナルセンターの枠を超え、労働者大衆との新たな結合を実現し、国鉄分割民営化として開始された行財政改革や規制緩和という日本帝国主義の国家・社会再編の攻撃に対する、本格的な労働者の大衆的反攻のための基盤を獲得する可能性を切り開く、しかも国家的不当労働行為と対峙してきた国鉄闘争の担い手たちが、主体的に選択しうる戦術なのである。
 かくして、階級的労働者の当面する任務は明白である。総評最大の争議にしてその限界をも示した三池闘争を越える日本労働運動の新地平を切り開くために、闘争団自身が得心する解決内容をもってJR各社に争議の解決を要求する国労の支援を全力を挙げて強化・拡大することである。この闘いは同時に、行財政改革や規制緩和としていま推進されている日本帝国主義の国家・社会再編の突破口とされた国鉄分割民営化の破産を徹底的に暴きだし、JR7社体制の見直しを実現する闘いの第一歩となるであろう。

 国労とともに、三池を越える日本労働運動の新地平を切り開こう。

  (きうち・たかし)


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