国鉄労働組合第68回定期全国大会
情勢に背を向けた選択
捨てられた旗の批判的検証から主体の再建へ

2001年11月(122号)掲載


 10月13日〜14日、国労定期大会が開催された。詳細はすでにさまざまなところで報告されているので、むしろいま国労、国労闘争団、闘う闘争団のおかれている状況について問題提起をしてみたい。

2つの集会のコントラスト

 大会のまえの9月25日と26日、主催者がちがうが2つの労働運動の集会が開催された。25日は闘う闘争団共闘会議(準)の「JRの不当労働行為は許さない・首切り反対国鉄闘争勝利集会」約1000人が参加した。参加者の内訳をみるなら平均年齢ほぼ50歳、圧倒的に男性だった。動員がめだつ。
 この集会もすでに報告されているので2点だけふれておきたい。
 挨拶にたった東京清掃労組のい星野委員長は、国労は企業内意識、大国主義から脱皮しなければならないと提言した。会場からも同意の声があがった。きびしい提言だったが、ではこの提言を真摯に受けとめたものはどれくらいいただろうか。闘う闘争団をふくめ国労内、そして協会派関係者には理解できなかったのではないか。
 星野委員長の発言を聞いた側の主観的解釈だが、企業内意識とは、闘いの土俵をJR内部での力関係に設定しているということではないのか。大国主義とは、現実には2万人の組織になっているのにいまだ主流派意識でいることである。プライドとしての主流派意識は必要なことだが、主流派として長期抵抗路線を押しつけるのは、現状では「勝つ気がない路線」の押しつけでしかなく、勝利のために闘おうとしているものたちの足を引っ張ることにもなりかねない。
 この2つの意識は一体のものであり、功成的に闘おうと提案をするものたちと齟齬をきたしたりする。
 もう1つNTTの分社化にたいする闘いに立ち上がった電通労組の挨拶があった。国鉄よりさきに民営化されたNTTでの分社化に国鉄闘争はなにをアドバイスし、闘争を支援してきた全国の労働者となにを共有するか。闘う闘争団はおそらく、この作業をはっきりさせなければならない。まさか「14年負けないで闘え」ではないであろう。
 26日には「跳ね返そう!リストラ・倒産・失業 非正規雇用労働者の権利確立を!小泉行革に反対する秋の集会」が、420人の参加で開催された。前日の半分の数だが平均年齢は若く、男女の比率も同数にちかかった。組織動員すらできない中小の労働組合、非正規労働者があつまった。
 特徴は、労働者がおかれている立場をこえてどのように小泉政府と対決していくかということに焦点をあてている。構造改革の名のもとの攻撃は労働者を「揺りかごから墓場まで」個別解体しようとしている。いまはそれにたいする闘いが必要となっている。
 この2つの集会のコントラストが、国鉄闘争のいまの局面を浮き彫りにしている。

情勢と国鉄闘争の落差

 10月13、14の両日、国労68回定期大会が開催された。会場前にはバリケードが築かれ、機動隊が警備していた。4党合意の受諾を決めた1月の大会のときと同じ光景だ。
 1月は一日中大雪だった。それでも多くの支援の労働者はバリケードの前に立ちつづけた。10月2日は一日中晴天だった。しかしバリケードのそとには、高崎地本や新宿地区労センターなどの国労組合員のほかは支援は少なかった。同日、米軍のアフガン攻撃に反対する大集会が開催されていたからだけではない。結果がわかっていたからでもない。人々を引きつける魅力を失っているのである。
 今回の大会にむけ対案が準備されていた。(『がんばれ闘争団ともにGO!』News4掲載)これまでの大会での修正案提出からは踏み出した、功成的な準備がすすんでると思われた。しかし大会にむけて、それが大衆的に論議されたわけではなかった。ときここにいったっても、修善寺大会のときのような本部を包囲する下からの大衆的突き上げと支援の要請、世論の喚起はやはりなされなかった。支援の側からみると、どう説明をうけても国労本部と闘争団も結局仲間内で争っているようにしかみえない。大会を防衛するバリケードのほかに、見えないバリケードが闘争団と支援との間にもあるのだろうか。
 国鉄闘争は国家、政府を相手にした闘いである。いま他の労働争議も国家、政府にたいする政策、制度要求の闘いを強めている。これらの闘争が合流して闘われる必要が問われているとき、国鉄闘争がもっている本質問題と闘争の当該にずれを生じさせながらすすんでいるようにおもえてならない。
 このようなことを感じさせた国労の10月大会だった。                              ( I )

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【解 説】 国労の先祖返りの完成

 国労の10月定期大会は、大会初日に突如配布された、事実上裁判の取り下げを提案する追加方針を含めて、ひきつづき4党合意にもとづく争議解決をめざすとする本部方針を賛成80、反対32で採択した。
 4党合意なる解決案が国労に全面屈服を強いるものであり、争議の主体である闘争団の激しい抵抗が明らかになるとそれを国労本部自らが切り捨てることを迫るものであることは、これまでの経緯で明白である。その意味で国労10月大会の本部方針採択は、かつての左派・社会主義協会向坂派や革同派内の「企業内労組回帰派」とでも呼ぶべき右派をふくむ大会代議員の多数派が、国家的不当労働行為と闘う路線を清算し、いわば先祖返りを完成させた大会となったのである。
 だがこの方針の行き着く先が、善くも悪しくも戦後日本労働運動の中軸をになってきた国労の名実ともの消滅であることは、大会論議で指摘された「秋田地本疑惑」問題に端的に示されていた。それは4党合意の熱心な推進派であった秋田地本の強硬派が、闘う闘争団の切り捨てを決断できない中央本部にいらだち、JR連合との組織合併を目的とする新組織の結成を画策して、国労資産(秋田地本北奥羽支部大館事務所)を勝手に売却しようとした疑惑である。
 しかしこの事態は、本部方針の二重の破産を雄弁に物語る。なぜなら、4党合意の最終目標であるJR連合と国労の合併は争議主体の解体つまり闘争団の解体が前提であり、その実現なしに政府・国土交通省が解決案を提示することはないだろうからである。ところが三桁の団員を要する闘う闘争団が独自にILOへの情報提供をはじめ、あるいは採用差別事件裁判に訴訟参加をするなど、自立的闘争体制を築きはじめている現実が争議主体の解体を阻んでいるのだ。いかに強力な労組執行部といえども、自立的争議主体を解体する手段を持ち合わせているはずもないし、周知のように現在の国労本部は、お世辞にも強力な執行部とは言い難い。
 そうであれば4党合意にもとづく解決は、闘う闘争団全員を排除するか、あるいは本部自らが国労を解散して闘争団と絶縁しJR連合の軍門に下る以外にはありえない。秋田地本の事態は、業を煮やした強硬派が後者の道を先取りしたにすぎない。
 修善寺大会の清算と先祖返りの完成。だがその先に待ち受けるのは、争議主体の全面的排除か執行部自らによる組合の解体である。それはいずれにしろ国労の自滅だが、これが国労10月大会の選択であった。

捨てられた旗への批判

 だが国労右派の破産が、闘う闘争団の勝利を自動的に保障する訳でもない。争議の勝利的解決には、勝利の展望にもとづく、国労組合員と支援戦線を貫く主体の再構築が不可欠だからである。闘う闘争団の成立は、この主体再構築の前哨戦であった。そして国労10月大会では、4党合意を破棄し闘う闘争団とともに闘おうとする勢力がはじめて対案(本部方針に対する全面的修正案)をかかげ、対立候補を立てて闘ったのである。
 たしかに大会報告にもあるように、それはなお「国労内部の抗争」との印象はぬぐえないし、対案が主体を再構築しはじめたとはいえない状況もある。にもかかわらず4党合意を破棄して新しい闘いの道に踏み出すことを公然と提起し、この対案の実現に責任をもつ新執行部の用意のあることを宣言する対立候補の擁立という事実は、少なくとも今後の争議の主体を明確にするという意味で画期的なことであろう。
 むしろ今後の課題は、支援する側も含めて、ここまで窮地に追い込まれた国鉄闘争の弱点と限界を克服する新たな展望を、10月大会に提出された「対案」を出発点にしていかに切り開くのかなのである。
 その重要な焦点は、国鉄の分割民営化反対という「国労本部が捨てた旗」を拾い上げ、その闘いを継承するだけでは新たな展望にはなりえないという問題である。それはまた護憲や反合理化といった「総評が捨てた旗」を継承することにとどまってきた全労協が、現実の労働運動や反戦運動などで十分に積極的役割をはたしえていないという現実とも共通する課題なのである。
 国労10月大会はむしろ、国労本部が捨てた「企業内本工主義を省みない民営化反対」の路線では国家的不当労働行為との対決で勝利の展望を切り開けず、結局は先祖返りするしかなかったことの証明である。だからまたこの「捨てられた路線」の批判的総括にもとづく転換と飛躍が、新たな闘争主体の重要な基盤にもなるのである。
 われわれは以降も、こうした課題の検証をつづけていくつもりである。                      ( T )


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