戦術的妥協の選択と戦略的攻勢への転機
改革法を認めた国労臨時大会とわれわれの見解


必要だった戦術的後退

 国労は3月18日臨時全国大会を開き、「やむを得ざる選択」として1047人の採用差別と国労差別の元凶である国鉄改革法を認め、政治解決に臨むことになった。高橋国労委員長は大会あいさつで、「解決の目途がたった」として改革法を承認することを明らかにすると同時に、5・28判決の取り消しを求める裁判闘争の継続と、改革法を承認しても不当労働行為は許さないことを明らかにし、さらに闘争団の納得のいく解決に向けて闘うと発言した。そして昨年夏の定期大会で宮坂書記長から提案された「補強5項目」提案の2項目以降は取り下げられた。
 1986年の修善寺大会(労使共同宣言締結を拒否した臨時全国大会)から13年、国労の今回の決定を修善寺大会への裏切りとする向きもあるが、果たしてそうした見解は正しいのだろうか。
 これに答えるためにはまず、今回の国労臨時全国大会決定の評価を明らかにしなければならない。「補強5項目」のうち2項目以下は削除されたが、第1項目の「国鉄改革法」を承認したのは、明らかに国鉄闘争の後退である。国労闘争団を中心とする1047人は国鉄改革法によって首を切られたのであり、またJRに移行して以降の国労に対する組合差別や不当労働行為も改革法にそって行われてきたのだから、改革法の承認は誰が見ても国鉄闘争の後退であることは明らかである。だがそれが国労執行部、とりわけ高橋委員長の「裏切り」なのかと問うなら、答えは当然「ノー」である。
 昨年夏の全国大会以降、国労が直面していた事態は「補強5項目」をめぐる内部対立の激化であり、それは国労組織の内部分解と崩壊の危険性をはらんでいた。労せずして国労を自壊させることのできる内部分解と組織的崩壊の事態こそは、政府・自民党、運輸省そしてJRの最も望むところであったろう。
 だが逆に言えば国労と国鉄闘争は、そうした局面だけは絶対に避けねばならなかった。なぜなら、それは10年以上にわたる国鉄闘争の蓄積を瓦解させ、国労闘争団に対して巨大な困難を強制することになるからであり、日本の労働者階級が21世紀に向けた労働運動再建の重要な橋頭堡を失うことを意味したからである。そして仮に「国鉄改革法」を承認することでこうした自壊が回避され、採用差別問題について対政府交渉の窓口をこじ開けることが可能なら、それはやむを得ざる選択、すなわち戦術的後退という選択だったと言えよう。戦術的な後退をすることによって、反撃のための基盤を再構築することがぜひとも必要になっていたのである。

国労の孤立と5・28判決の打撃

 それではなぜ国労は、現局面で戦術的後退を選択せざるを得なかったのか。
 国労が自壊の危機に直面したのは、国鉄闘争の本質と深く関わっている。国労が80年代に入って直面したのは、国家意志としての国労解体、すなわち国家的不当労働行為との対決だった。日本においてこのような攻撃と10数年にわたって対峙してきた労働組合は、国労だけである。
 だが、階級闘争の先端を走りつづけてきた国労に連帯して闘う勢力は存在せず、国労は孤立無援であった。確かに支援組織は存在したが、それは60年の三井三池闘争に対する総評の存在とは比較にならないほど小さなものでしかなかったし、さらにそれはあくまでも支援であって、国労と同等の質の闘いを引き受け、連帯して共に国家的不当労働行為と闘う存在ではなかった。そうした中での孤立した闘いは、闘う主体の中にエネルギーの枯渇を生み出す。共に闘う相手を見いだせない孤立感からすれば当然のことである。
 闘争の大義と主体的エネルギーの枯渇というギリギリの状況下で、内部対立の引き金となったのが、昨年の5・28東京地裁判決の敗北であった。この判決での勝利に闘いの焦点を絞り込み、その結果にいっさいを賭けてきたと言ってもよい国労にとって、地裁判決の敗北は深い打撃となった。東京地裁民事11部の萩尾裁判長、同19部の高世裁判長の訴訟指揮は、事前の和解案の提示も含めて国労有利と認識させる内容を含んでいたからであり、国労が判決結果に展望を見いだそうとしたのは、無理からぬ要素を含んでいた。
 ところが民事11部は改革法23条を盾にして中労委命令の取り消しを命じ、民事19部は救済方法として「採用手続きのやり直し」をすべきであるとして、これまた中労委命令の取り消しを命じた。
 地裁判決の勝利を信じていた国労は、予想外の結果に無方針状況に陥った。だが5・28判決結果は、この10年間の国鉄闘争の力関係がどのようなものであったのかを冷厳に示したのであり、国労は従来の闘争水準から一歩戦術的に後退して、次の戦略的攻勢のための準備をする必要に迫られたのである。

国鉄闘争の戦略的成果

 戦術的後退とは、従来の方針の中で譲れるものは譲り、次の戦略的攻勢のために必要なものは絶対に手放さないという選択を意味する。「補強5項目」は、国鉄闘争の全成果を無にしかねない要素をはらんでいたが、改革法の承認という妥協は、国労の闘争基盤と10年間の闘いの成果を全て失わせるものではない。高橋委員長を中心とする左派のこのような戦術的選択と、チャレンジグループの対応とは明確に区別して考える必要がある。
 チャレンジグループの「補強5項目」は、5・28判決での敗北にショックを受けた路線転換を伴う全面敗北の方針であり、闘争団の切り捨てを含む国鉄闘争の10年間の成果を瓦解させるものであった。いまチャレンジグループは、臨時大会での改革法の承認を手放しで賛美しているが、彼らは次の局面に向けた戦略的攻勢のための戦術的後退という意味を全く理解していないのである。それは今回の臨時大会での改革法の承認を「裏切り」だと批判する部分と同様なのである。
 それでは、国鉄闘争にとっての10年間の成果とは何であろうか。また5・28判決の水準にとどまらざるを得なかった国鉄闘争の弱点とはどのようなものであろうか。具体的な今後の展望を述べる前に、もう一度この点をふり返っておきたい。
 80年代以降の国鉄闘争が突出していたのは、国鉄の分割・民営化に反対したという点である。分割・民営化に反対するというのは、国鉄の経営権に対する介入であり、経営権を聖域化してきた総評労働運動が決して手を出さなかった領域であった。そして分割・民営化に反対したことによって必然的に、公共交通である鉄道輸送をどうすべきかの発想が生まれ、それは「鉄道交通政策」の提言へと結実していったのである。
 また国労が80年代以降直面したのは、企業社会の核となる「企業運命共同体」構造との対決であった。年功序列賃金、終身雇用そして企業別組合という従来の労資関係を基本にした生産性向上による賃上げ、これが企業運命共同体の構成要素に他ならない。この企業運命共同体が強固に確立されて戦後労働運動を覆い尽くした頂点で、連合は結成されたのである。分割・民営化に反対し、「労使共同宣言」の締結を拒否した国労は、こうした企業運命共同体の全構造と激突することになった。その結果、国労は企業すなわちJR各社からの独立を強制され、それでも闘いつづけるために労働運動以外の社会的領域の運動とも結合し、闘争領域の拡大を行ってきた。また国労闘争団は、企業別組合の限界を超えて地域を組織し、労働者生産協同組合という新しい労働運動の領域を切り開くことにもなったのである。
 ところが今日、資本はグローバリゼーションの名の下で企業運命共同体を自ら解体しようとしている。市場原理の貫徹と規制緩和は、企業別組合では対応できない広範なリストラを進行させ、労働者を外部労働市場に追いやろうとしている。これは80年代以降、10数年にわたって国労が直面してきた状況と同じである。国労は時代に先駆けてこのような攻撃に直面したがゆえに、孤立せざるを得なかったのである。だからまた国労は、時代に先行する攻撃と対峙する体験と闘争の蓄積によって、客観的には今日の労働運動をリードする資格を唯一保持しているのである。

大衆自治と自己決定

 ところで、このような企業運命共同体の崩壊の進行によって、連合を頂点とする企業別労働組合は衰退の危機に瀕している。企業別労働組合の衰退とは、観点を変えれば、戦後民主主義を特徴づけた代行民主主義の崩壊を意味する。
 これまでの企業別労働組合は、企業運命共同体の中で自己の経済的要求を実現させ、それ以外の政治的・社会的諸課題は社会党(あるいは現在は民主党)に代行させるという、典型的な代行民主主義の枠組みの中にいた。その代行民主主義のシステムが、企業運命共同体の解体に伴って崩壊しようとしている。今日の政治不信や政党不信の噴出は、この戦後民主主義を特徴づけた代行民主主義に対する不信と一体のものである。今や代行民主主義に取って代わる運動が求められているのである。
 それは直接民主主義、大衆自治、自己決定に裏づけられた新しい運動である。その市民運動としての典型が柏崎原発、御嵩町の産廃処理場、徳島市の吉野川第十可動堰などに対する住民投票条例直接請求の運動であり、それは大衆的支持を受けている。労働運動も同様であって、そうした要素を内包した萌芽はすでに登場しつつある。例えば一昨年から昨年まで続いた労基法改悪NO!の運動や、昨年秋から開始された倒産・失業NO!の運動がそれである。これらの運動は下からの自発性に依拠し、自分たちが直接立ち上がるという点で自己決定と大衆自治の方法論を持った運動であると言える。
 10数年にわたる国家的不当労働行為との対峙の中で、あるいはその孤立のゆえにエネルギーを枯渇させた国鉄闘争は、ここから新たな闘争エネルギーを補給しなければならないのである。ところが国労には、企業運命共同体と激突し、企業からの独立を強制されたとはいっても、なお従来の〃国鉄一家〃を特徴づけた上意下達的な意識の残滓が存在し、この新しい運動とは必ずしも十分に結合することができなかった。
 そしてこの点は、支援戦線にも問題を投げかけている。国鉄分割・民営化から13年たったことによって、国鉄闘争の支援者達の平均年齢も引き上げている。したがってそれは、国鉄闘争を支援するダイナミックな全国運動展開にも影を落としているのであり、5・28判決に影響していなかったとは断言できない要素をはらんでいる。
 国鉄闘争は敵の矛盾をつく新しい戦術を設定し、そのもとで新しい支援の戦線を形成していかなければならない。例えば国労は、5・28判決に対してILOに対する提訴を行った。5・28判決の内容が国際的基準からしても極めて問題のある内容であることは明らかであり、勝てる見込みは充分にあると言われている。そうであるのならば、ここが敵の矛盾点の一つである。国労はILOの提訴を持ってITF(国際運輸労連)やICFTU(国際自由労連)の支持を取り付け、これを武器に連合傘下の各単産や人権問題を扱うNGOなどに支援戦線の拡大を計るべきである。以上の観点からする支援戦線の点検と大胆な再組織化が、改めて必要になっていると思われるのである。
 戦術的後退の中から戦略的攻勢を準備するということは、このような意味も含んでいるのである。

戦略的反攻のための課題

 それでは国労は今後、具体的にどのような闘いを展開すべきなのか。この点についてはすでに「労働情報」をはじめ幾つかの媒体に提言が掲載されている。重複する点もあるが何点かを書き留めておきたい。
 その第1は、すでに述べた5・28判決とILO提訴をめぐる攻防である。「労働情報」525号で国労闘争団の金児事務局長が語っているように、敵の側は「改革法を認めたのだから5・28の控訴とILO提訴を下ろせ」と要求してくるだろう。こちら側は、改革法を認めたからといって労基法、労組法上の不当労働行為は許さないとして、5・28判決に反対する闘いをさらに強化する必要がある。
 第2はJR職場をめぐる攻防である。会社側(JR連合、JR総連を含めて)は、改革法を認めたのだから会社の施策について、労資協調の立場をとるように要求してくるだろう。これに対抗するには、二つの方法を取る必要がある。それは『ひとびと』(74号)で川副詔三氏が述べているように、JR会社に対して改革法を認めたのだから現在行われている組合間差別を直ちに止めろと要求して闘うことであり、もうひとつは、JRの就業規則自体が労基法に違反しており、また派遣法に違反する派遣労働者を大量に雇用している現状を踏まえて、先にも述べた「倒産・失業NO!派遣法・職安法改悪反対」運動と結合することである。この運動と結合しつつ、現在のJR職場の実態を社会的に明かにしていくことが有効な対抗策になっていくだろう。
 そして第3は、これも「労働情報」で金児事務局長が語っているように、「具体的な要求の鮮明化」あるいは「譲れない要求の具体化」である。こうした要求をめぐって闘争団と家族がぎりぎりまで討論することが、争議の解決局面では求められるのである。この討論が深められれば深められるほど、闘争団の団結と闘い方に厚みが増し、敵に対する脅威となるはずである。しかもこうした過程を通じて国労闘争団の自立はさらに深まり、「譲れない要求」の切り下げに対する反撃の武器にもなるはずである。
 第4には、国労組織の在り方と今後の展望である。「補強5項目」のうち第1項以外の4項目は取り下げられたが、今後の全国大会に向かう過程で、この4項目は姿を変えてでも必ず復活してくるだろう。その焦点は組織方針である。なぜなら国労とJR連合の合併は敵の戦略的方針だからであり、合併の組織形態はJR各社ごとの企業連である。
 したがって戦術的後退を選択した国鉄闘争にとって、戦略的反撃の準備のために絶対に手放してはならないのは、国労が全国単一組織であるという点である。改革法を認めたとしても、国労が各JRごとの企業連ではなく全国単一組織であることで、企業からの独立は保障されるのである。国労が全国単一組織を手放したとき、国労闘争団は国労組織から切り離され、各種左派勢力に対する選別が息を吹き返すだろう。
 しかもいま労働者階級が置かれている現状は、リストラが典型的に示しているように、資本による労働者の切り捨てであり、労働者の派遣化(外部化)である。国労は維持されている全国単一組織を活用して、企業連労働組合では絶対に手を着けられないJR周辺労働者の組織化に全力を上げて乗り出すべきである。

 最後に言わずもがなのことではあるが、86年の修善寺大会と今回の臨時大会の違いについて触れておきたい。
 修善寺大会は人材活用センターに収容されていた数万の国労組合員を切り捨て、それ以外の組合員を救うという意図のもとに「労使共同宣言」の締結が提案された。したがってそれは、否決する以外のいかなる選択肢も存在しなかった。今回の改革法の承認はそれとは明らかに異なる。解雇された87年の段階では、「解決済み」だとして一顧だにされなかった国労と闘争団の闘いを政府・自民党が無視できなくなり、政治的解決に応じてきているのである。「改革法の承認」はその交渉に向けて敵の側が出してきた条件なのであり、その場合の闘い方は、すでに触れたとおり多様に存在するのである。これは明確に13年間の闘いの積み重ねが局面を突き動かしていることの証しであり、このことにもっと自信を持つべきなのである。
 そして国労はこれから戦線を整備し、時代の転換に対応した新しい労働運動の可能性、すなわち大衆自治、自己決定という直接民主主義の可能性を包含した運動と結合することで、戦術的後退を戦略的転換の出発点にしなければならないと考えるのである。

  (4月20日)


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