●休会となった国労臨時大会●
私たちの人生を勝手に決めないで
自己決定権を求めてー国労闘争団、家族の闘い


自己決定権の行使

 5月30日に自民、公明、保守の与党3党と社民党との間で合意された「JR不採用問題の打開について」(「4党合意」)の承認をめぐる国労の臨時全国大会は7月1日、東京の社会文化会館(社民党本部ビル:社文会館)において、開会予定時刻からほぼ5時間遅れの午後6時すぎから開かれ、争議主体にほかならない闘争団と家族の追及と抗議を無視し、何としても「4党合意」承認を採択しようとする本部執行部の大会運営に怒りが爆発、闘争団と家族20人ほどが、大会警備組合員の暴行と妨害を押し返して宮坂書記長ら執行部を追及しようと壇上に駆け上がったが、本部役員らはこの争議当事者の話さえ聞こうとはせずに会場から逃げ出し、9時過ぎには大会議長の宣言によって休会となった。
 「JRに法的責任がない」ことを認め、14年におよぶ国労闘争団の苦闘を切り捨て、国家的不当労働行為を追及しつづけた国鉄闘争のすべてを清算する「4党合意」の臨時大会での承認は、文字通りの土壇場でかろうじて阻止された。

 大会翌日の7月2日、上京中の22闘争団が6月25日以降発行してきた上京闘争団ニュース『怒り』7号は、「当事者に自己決定権を!/『直接民主主義』としての臨時大会『壇上占拠』」の見出しで、「私たちは解雇と実際に闘ってきた当該であるにもかかわらず、代議制度の下では少数派に追いやられた。この『間接民主主義』の〃暴力〃に私たちは不当労働行為解雇の被害を受けた当事者としての『直接民主主義』を行使した」と、前日の臨時大会での行動を説明した。
 他方、この不当労働行為の被害当事者との対話もせずに逃げ出した国労本部も大会翌々日の7月3日になって、「第66回臨時大会と大会休会についての見解」を公表し、「演壇の議長席の机やイスをひっくり返し破損する等の暴力行為が発生し、演壇及び会場内が大混乱となり極めて遺憾な事態となり」、「中央執行委員会は、混乱の収拾を図り大会再開を目指しましたが、演壇での行為がエスカレートしたため、大会成功のために奮闘していた会場係の身の危険や会場の器物破損状況等々から、議長団・準備本部と相談し、大会議長権限による休会としました。/中央執行委員会は、これら一連の大会破壊の暴力行為に対し、非難すると共に憤りをもって抗議するものです」と、会場にとどまって事態を収拾する度胸すらなかった自らの醜態を棚にあげ、暴力的に大会が破壊されたかのような印象を作り出そうとしている。
 だが実際に大会で起きた事実は、壇上に登ろうとする闘争団員に対する大会警備組合員による殴る蹴るの激しい暴行であり、本部役員たちは「見解」の「混乱の収拾を図り大会再開を目指しました」という主張とは違って、闘争団員と家族の追及を恐れ、一目さんに会場から逃げ出したのである。

 「4党合意」承認という、国労の自壊による国鉄闘争崩壊の危機は、かろうじて阻止された。しかし事態は極めて緊迫したままである。それは国労本部の「4党合意」承認推進派が、例年8月に開かれる定期大会に向けた代議員選挙の以前に、本部支持が多数を占める臨時大会と同じ代議員構成で、休会された臨時大会の続開を強行する危険が依然として強くあるからである。

強まる「4党合意」への非難

 5月31日の国労全国代表者会議で臨時大会開催が強引に決定されて以降、「4党合意」の承認に反対もしくは強い危惧をいだく闘争団・家族そして支援による反撃は、限れられた時間のなかで「4党合意」の問題点とそれを国労が承認した場合の危機的な状況を大衆的にも明らかにし、チャレンジグループの意を汲む宮坂書記長と、西日本エリア本部を中心とする革同右派の意を体現する上村副委員長ら国労本部の右派勢力が、争議主体である国労闘争団とその家族の意志を無視して事をすすめるのを阻止するために、さまざまな要請や行動を展開した。
 その一カ月の攻防を簡単に振り返り、国労本部多数派が実は国鉄闘争勢力としては少数派であり、だからまた「4党合意」承認に対する批判と抗議に真っ向から反論すらできなかったことを確認していおきたい。

 「4党合意」承認に対する反撃は、まず東京の支援戦線からはじまった。6月6日に中小労組政策ネットの代表団が「4党合意」承認と臨時大会開催の再考を求める要請を国労本部に行ったのにつづいて、8日には「国労だから、女だから、そんな差別は許さない女のネットワーク」が、国労本部への同様の申し入れを行った。

 同じ8日に開かれた国鉄闘争支援中央共闘会議(支援共闘)の幹事会では、幹事組合の代表者たちから強い危惧の念が次々と表明された。国鉄闘争の当初から闘争団・家族への支援をつづけてきた東京清掃労組や東京都職労からは、「清掃労組として、4党合意を承認した国労中執決定の撤回を求める」(星野書記長)、「もし国労本部と闘争団が違う選択をした場合、当該である闘争団を支持して闘うというのが、都職労中執会議の決定だ」(橘書記長)など、国労本部の方針に対する強い危惧とともに、争議主体である闘争団の意志の尊重が訴えられた。
 幹事会の討議を受けて、中里支援共闘議長が提案した国労本部支持のアピール案は採択が見送られ、二瓶事務局長の預かりとなったという。

 この支援共闘幹事会の討議は、国労支援をつづけてきた労働組合を中心に結集した全労協にも当然のことだが反映し、18日の全労協常任幹事会では国労本部方針に対する強い懸念が多数の常任幹事によって表明され、全労協は19日づけで「4・30 4党合意『JR不採用問題の打開について』の見解について」を出し、「JRに法的責任がない」とする「政府・JR側の不当性」を指摘し、「解決にあたっては被解雇の当事者である闘争団員・家族の意見が尊重されることを期待する」と表明することになった。

 つづいて全労協は22日、国労本部のある東京・新橋の交通会館で、国労本部への要請のために上京した闘争団家族を迎え、「国労闘争団・家族を激励する6・22集会」を東京全労協との共催で開き、主催者あいさつに立った国労東京地本委員長でもある酒田東京全労協議長は、「闘争団・家族の納得できる解決まで、闘争団と家族を支援しつづけよう」と訴え、「14年間の苦労は、解雇された夫ひとりのものではない」という闘争団家族の訴えを受けて、会場から発言した国労新橋支部の篠崎委員長は「『4党合意』受け入れは大会決定違反であり、闘いはむしろこれからだ」と応じた。

 一方支援共闘は、27日には全国代表者会議を開催したが、そこでも「4党合意」への批判や具体的解決案の提示のないまま臨時大会を開くことへを強く危惧する意見が次々と表明され、二瓶事務局長は「中央共闘としては賛成とは言えない」として「大会は中止すべきと思う。国労本部に伝える」との意見集約を行ったという。

 また同じ27日夕には、「4党合意」の受け入れを決めた国労本部の動きに危機感を強めた支援の人々が呼びかけ人となって、「JRに『法的責任』あり!国鉄闘争の勝利をめざす緊急決起集会」が東京労働スクエアの大ホールで開催され、集会実行委員会の設楽事務局長は「国鉄闘争はひとり国労の闘いではなく、もし臨大で『4党合意』を承認するようなことがあれば、(A)国労闘争団のみならず全動労争議団など1047名の被解雇者の闘いと今後のJR労働運動の大きなマイナス要因となり、(B)労働委員会制度やILO(国際労働機構)を活用して闘っている労働者の闘いと、国際運輸労連(ITF)などとの国際連帯にも打撃となる」と、「4党合意」が承認された場合の重大な社会的影響を指摘して闘争団への支援強化を訴え、「4党合意」に断固反対し「国労組合員が『人間の尊厳』を守る決定を内外に示すよう切に要望します」という集会アピールを採択した。

 さらに翌日も、シニアワーク東京で開かれた「『首切り』自由は許さない!6・28集会」で、「整理解雇4原則」を次々と覆す東京地裁の動きを弾劾して集まった各争議団と共に、上京中の国労闘争団代表が「臨時大会の中止を求めて闘う」決意を表明を行い、JRの不当労働行為責任を免罪する「4党合意」承認の阻止を誓い合った。

 ▼これと平行して、国労内部でも厳しい攻防が展開された。6月10日、「4党合意」を受け入れる本部方針を各闘争団に説明するための闘争団・家族の代表者会議が、北海道、九州、本州の3ブロックで開催された。当事者からの意見聴取もなしに「解決策」を承認し、それから10日もたってから争議当事者たちにそれを説明するという手順じたいが本末転倒というしかないが、案の定というべきか、「七割を越える闘争団が解決内容の示されないなかでの臨時大会開催に反対」(6月20日「国鉄新聞」号外)する事態となった。にもかかわらず、例えば北海道を担当した宮坂書記長は、「臨大までに解決案を示せるように努力する」と、国労全国代で臨大開催を決定したときにも主張した「同時決着論」を繰り返すだけで、いわゆる水面下交渉の進展状況も解決水準の見通しも明らかにせずに会議を打ち切り、だからまた闘争団・家族の納得を得るにはとうてい至らなかった。
 しかし各闘争団の態度は、争議史上はじめて二分された。全国36闘争団のうち、本部方針反対は北海道を中心に22闘争団、やむなしではあれ本部方針支持が14闘争団となったのである。そしてこの闘争団の分断の背後には、共産党系革同派の統制強化と、社民党系労組や地方組織による圧力の影が色濃くつきまとっていただけでなく、本部の「4党合意」承認派が、闘争団と国労の分裂をも辞さずに臨時大会を強行しようとしていることを暴露するものであった。

 だが10日の闘争団代表者会議を前後して、各地の闘争団・家族、さらに各地本や支部と組合員から国労本部に対して、抗議・要請文や臨大開催の再考を求める意見書などが続々と届きはじめるのである。
 こうした状況の中で、国労の本務組合員のあいだにも「闘争団の意志を尊重し、職場討議を徹底するために、臨大は中止もしくは延期すべきではないか」との意見が広がりはじめ、東日本の左派地本を中心に、臨時大会の開催をめぐって各地本内部で、あるいは本部との厳しい攻防が展開された。
 そして6月26日からは、臨大の中止を求めて上京行動中の闘争団が「上京闘争団ニュース 怒り」を発行しはじめ、上京闘争団の行動や支援集会を刻々と伝えはじめた。

 臨時大会前日の30日、東京・なかのZEROホールで、「国鉄闘争勝利!全国集会」が闘争団、国労組合員を中心に1千人以上の結集で開催され、闘争団家族を代表して発言した音威子府闘争団家族の藤保さんは、「本部の都合で私たちの人生を勝手に決めないでください」「臨時大会中止を求めるため、私たちと一緒に闘ってください」との訴えを受けて、被解雇当事者の納得のいく解決のために、闘争団・家族とともに最後まで闘う意思統一がおこなわれた。

自分の人生を自分で決める権利

 臨時大会当日の経過は、ここでは詳しく述べない。なぜなら「臨時大会の攻防」は、休会という形で継続中であり、大会の経緯は決着の後に全体として検証するほうが賢明だろうからである。
 ただし国労闘争団・家族が、争議の主体であり国家的不当労働行為の直接の被害者である自分たちを無視して、「私たちの人生を勝手に決め」ようとする「4党合意」の承認を強引に決定しようとする本部の大会運営に危機感をつのらせ、採決の直前に本部を追及すべく壇上を「占拠」した事態が何を意味しているかだけは、ここで明確にしておかなければならない。というのもそれは、解決局面にある国鉄闘争の克服されるべき弱点と、同時にその克服の方向性を示唆する決定的な意義をもつ問題だからである。
 演壇「占拠」という事態は、闘争団自身が上京闘争団ニュースで表明しているように、「自己決定のための直接民主主義の行使」にほかならない。 むしろ問われているのは、この自己決定の権利という民衆自治の原則をほとんど顧みることもなく、「自己決定を切り捨てた」多数決ですべてを代行できると考える、国労右派の恐るべき「民主主義感覚」の欠陥なのであり、またこれを前提にだが、不当労働行為という基本的人権の蹂躙問題を談合政治の取引材料にできると考える政府・運輸省、JR各社、そして「4党合意」に係わった政党幹部たちと国労本部多数派幹部の、戦後資本主義の下ですら保障されるべきとされる基本的人権思想以下の「人権感覚」である。国労内部に色濃く残る、こうした民主主義感覚と人権感覚の欠陥、解決局面にある国鉄闘争の克服されるべき主体的弱点でもある。
 だから闘争団や左派組合員の間から「闘争団員全員による一票投票」の声があがりはじめているといわれるのは全く当然であり、これほどの大争議の解決であれば、それは最低限不可欠な民主的手続きであろう。
 だが、闘争団がぎりぎりの闘いを通じて突き出した自己決定権の問題は、いわゆる組合民主主義の問題にとどまらず、今日の日本の政治と社会に密接に関連した問題を含んでおり、だからまたそこに国鉄闘争の新たな突破口の可能性も秘められている。

自己決定要求の台頭

 今年1月、徳島市で行われた吉野川可動堰建設をめぐる住民投票で反対派住民が圧勝したのを受けて、中山建設相が「民主主義の誤作動」と発言して物議をかもしたが、ここに現れた対立は、今回の闘争団と国労本部の対立関係に驚くほど似通っている。つまり住民投票を要求した徳島市民と国労闘争団はともに自己決定権を民主主義のための当然の権利として要求したのに対して、これを代議制を脅かす「愚昧な大衆のわがままな行動」として排斥しようとする保守政治家の姿が、現在の国労本部多数派の、争議当事者の意見を平然と無視する姿と重なって見えるという類似性である。
 この自民党政治家と国労幹部の「民主主義感覚」の類似性は、55年体制と呼ばれた戦後政治の中にその根拠があるが、その歴史的総括は本稿の課題ではないので次の機会に譲りたい。ここで問題にしたいのは、グローバリズムという国際的圧力の下で急速に変化している社会の現実を反映できず、機能不全に陥っている現代日本の議会代議制に対して、徳島市民のような自己決定を求める労働者民衆の運動が、広範な社会的共感を得はじめている状況である。
 つまり国労闘争団・家族が、国労本部多数派につきつけた自己決定の要求は、社会の現実を反映できない代議制に抗して、労働者民衆自身が自らの運命を自ら決める権利を要求する、大衆自治と自己決定というより広範な民主主義のための運動と同質の、だから社会的な共感がすでに証明されている闘いと言って過言ではない。しかも徳島市の闘いの相手は建設省であり、住民投票運動が初めて勝利した新潟県巻町の反原発の相手は通産省・科学技術庁と、文字通り政府と中央官庁を向こうにまわして闘い勝利した先例がいくつもある闘争でもある。
 したがって、政府・運輸省による国家的不当労働行為の責任を追及する闘争団・家族の闘いは、国労本部多数派、社民党の代行的旧体質を直接民主主義の要求で串刺しにして、政府・運輸省に自己決定の要求を突きつける運動として、広範な社会的共感を組織できる可能性をもつのである。政党間の合意ではなく、当事者である闘争団の声と要求を直接聞くよう運輸省に迫る闘争は、7月1日の国労臨時大会で闘争団・家族が突き出した自己決定の要求の貫徹にほかならない。

 大衆自治と自己決定という「最も徹底した民主主義」(レーニン『国家と革命』)の萌芽は、1871年のパリ・コミューンに、あるいは1917年のロシアの労農ソビエトにも現れた歴史的経験である。だがこの民衆自治の萌芽はボナパルチズムによって押し返され、自己決定を切り捨てた多数決という硬直した代議制に置き換えられたのも歴史的現実である。ただ確かなことは、労働者民衆のぎりぎりの闘いのなかでは、こうした民主主義の徹底の要求は、いわば必然的要求として現れることである。
 だから階級的労働者は、国労臨時大会での闘争団・家族の行動を全面的に支持、自らの人生を自ら決めようとする人々の勝利まで、確信をもって闘いつづけるのである。

  (7月7日:きうち・たかし)


国鉄topへ HPTOPへ