【原発立地地域の苦悩と柏崎市長選】
過疎と高齢化を克服する「対案」の提唱へ
(インターナショナル第226号:2016年12月号掲載)
▼新潟県知事選と柏崎市長選の明暗
去る11月20日に投開票が行われた柏崎市長選挙は、柏崎・刈羽原発の再稼動の是非が主な争点になったが、「慎重な容認派」を自認する桜井雅浩氏が、共産党、社民党の推進を受けて「再稼動を認めない」と訴えた竹内英子氏を破って当選した。桜井氏の30,220票に対して、竹内氏は1,6459票と大差の結果となった。
ほぼひと月前の10月16日に行われた新潟知事選挙では、自民・公明両党の推薦を受けた前長岡市長・森民夫氏の当初の楽勝ムードが一変し、柏崎・刈羽原発再稼動に反対する姿勢を鮮明にした米山隆一氏が6万3千票余の差をつけて圧勝したことと比べると、今回の柏崎市長選挙での原発再稼動反対派の大差での敗北は、改めて原発立地自治体を捉える「原発依存」の現実を示したものと受け止められた。
東日本大震災による福島原発の過酷事故以降、過疎と高齢化に悩む地方自治体の財政的切り札として原発誘致が持てはやされる状況は、さすがに「過去のこと」になった。だが原発誘致を地域経済活性化の中心に据えて、つまり原発立地によって地元自治体の安定財源となる巨額の固定資産税収入と、「原発誘致への謝礼」とも言える多額の交付税を原資に将来プランを構想してきた自治体や地域住民にとっては、その原発が休止したまま廃炉に追い込まれる事態は、経済的メリットの喪失と同時に様々な「リスク」だけが押し付けられる、実に不本意な状況であるには違いない。
こうした原発立地地域の悩ましい状況は、実は再稼動反対派が圧勝した県知事選にもくっきりと現れていた。新潟県全体では528,455票対465,044票と大差をつけた米山新知事だが、今回の市長選で反対派が大敗を喫した柏崎市の得票数では森氏の23,078票に対して3千600票ほど少ない19,481票であり、同じく原発立地地区である隣の刈羽町でも森氏の1,668票に対して米山氏は1,040票と、600票ほど及ばなかったのである。
原発立地地域では脱原発派が苦戦を強いられ、結局は県知事選では圧勝しても原発立地地域の自治体首長選挙では勝てないという現状は、しかし一方では、ひとつの重要な事実を私たち脱原発派に教えていると思う。
それはこれまで難攻不落と思われてきた「原発ムラ」の実態は、実は比較的小さな「原発立地地域」という限定的な基盤しか持っていないという厳然たる事実である。しかもその基盤たる原発立地地域は、当該自治体が直面する過疎と高齢化という「弱みに」つけ入るように、潤沢な「原発補助金」を使って地域ごと買収したと言い換えても過言ではないのである。
しかし他方ではそうであるが故の、つまり原発立地地区が過疎と高齢化に悩む地域であるという現実が、私たちにひとつの課題を突きつけてもいる。
▼民進党の「対案なき与野党相乗り」の選択
ところで柏崎市長選を制した桜井氏は市長選出馬の記者会見で、「原発推進・反対両派から出馬要請を受けたことを明らかにし」(新潟日報:9月29日)ている。
実は桜井氏は市議4期を経て04年と08年の2回、原発容認を訴えて市長選に出馬し、原発増設には慎重だった当時の会田市長に敗れている。そして2011年の福島原発の過酷事故の後は、「これまで訴えてきた根拠が崩れた」との理由で政治活動を引退、その後は学習塾を経営するなどしてきたという少し変った経歴の持ち主である。
推進・反対の両派に出馬要請されたという桜井氏は同じ記者会見で、「柏崎は約50年、原発賛成、反対でけんかしてきた。両方の間の細い道を目指してくれと言われて出馬を決めた」とも語っている。その意味で桜井新市長は、原発利権に絡め取られたいわゆる「原発推進派」とは少しばかり毛色の違う、文字通り「条件付容認派」なのだろう。
かくして桜井氏は政党からの推薦をまったく受けずに市長選に立候補し、「国に対し、より一層の安全、安心を求める」という、かなりあいまいな再稼動容認の条件を掲げただけだったにもかかわらず市民の圧倒的な支持を得たのである。
つまり条件付原発容認派市長の誕生には、原発立地自治体といえども福島原発の事故以降は「原発ムラ」の言い分を丸呑みにはできない、にも関わらず「リスクの高い金のなる木」を抱え込んでしまった悩ましさが象徴的に現れているように思えてならない。言い換えれば今回の柏崎市長選挙とは、「現存する」原発との対決へと踏み出すことはできないし、そうかと言って原発に依存しつづけることにも大きな不安が付きまとうという矛盾と逡巡、いわば「行くも地獄、引くも地獄」といった文字通りの手詰まり状況を打開する方策を見出しえない結果として、「両方の間の細い道」という至難の道に一縷の望みをかける選択だったのではないだろうか。
だがもちろん「両方の間の細い道」は、現実には限りなく原発再稼動へと傾斜せざるを得ないだろう。と言うのも地域の行政的判断に大きな影響を及ぼすのは、結局のところ地方自治体の財政を左右できる権力と資金力なのであって、それは両方とも国家官僚機構と巨大企業が群がる「原発ムラ」の側にあるからである。
だからもし桜井新市長の言う「両方の間の細い道」が原発の再稼動により慎重ならざるを得なくなることがあるとすれば、それは「対案」つまり「原発ムラ」に依存しない地域活性化の新たな展望の提示があった場合に限られるだろう。逆に言えば、そうした対案的展望を提示することなしには、原発立地時自体で原発再稼動反対派が多数を占めることは、ほとんど不可能だと思うのだ。
県知事選では急転直下「米山支持」を決めた民進党が、当初は県知事選でも自民・公明が推進した森氏との対立を避けて「自主投票」としたのは、原発推進に固執する電力労連への気遣いというだけでなく、原発に代わる対案を何一つ持ち合わせていない結果に過ぎないのだ。だからまた同党の柏崎支部は、柏崎市民の苦悩と逡巡に目を塞ぎ、これまでどおり原発推進派との共存を選択することで自己保身を図ったのだろう。
では、過疎と高齢化に悩む「原発立地地域」で提唱されるべき「原発に代わる新たな展望」を、脱原発派はどう考えるべきなのだろうか?
▼福島復興計画と『里山資本主義』ブーム
2011年3月の東日本大震災とこれにつづく東京電力福島第一原発の過酷事故の発生は、これまでの「原発安全神話」を瓦解させただけでなく、大量の電力を「空気のように」消費する社会のあり方に対しても、広範な批判的再検討を呼び起こした。現在の広範な「脱原発」の源流は、やはりここにあると思う。
そうだとすれば、原発立地地域の悩ましい現状を打開する「対案」は、この福島の教訓を踏まえてはじめて人々の共感を得ることができるのだと思う。
その福島県の震災復興計画は、当然のことだが「脱原発」を大きなテーマとして策定されている。福島県が策定した「福島県農林水産業振興計画(ふくしま農林水産新生プラン)」の第4章第6節‐(5)は、「地域資源を活用した再生可能エネルギーの導入促進」と題して「農山漁村に豊富に存在する土地、水、バイオマス等の資源を活用して再生可能エネルギー生産を推進する」として、太陽光と太陽熱、小水力発電や風力発電、「間伐材等木質バイオマス」発電など「効率的・効果的エネルギー導入」を謳い、すでに各地で導入されている「再生可能エネルギー」事業の実例も紹介している(P152−153)。
また震災後に国が策定した「福島復興再生基本方針」の第1部第3−(3)にも、「福島県は、今般の原子力事故を受け、『脱原発』という考え方の下、・・・原子力に依存しない社会を目指すという理念を掲げ、再生可能エネルギーの推進やリサイクルの推進などを通じ、環境との共生が図られた社会づくりを行うとしている。・・・国は、この福島県が掲げる理念を尊重し、原子力に依存しない安全・安心で持続的に発展可能な社会づくりを責任を持って後押しすることとする」(P9)と明記されてもいる。
福島の「脱原発」復興にも触発されて、原発に代わる新たエネルギーへの期待の高まりは一昨年、『里山資本主義』(角川新書:13年7月刊)が10万部を超えるベストセラーとなって2014年の「新書大賞」を受賞したことにもうかがわれる。地域エコノミスト・藻谷浩介氏とNHK広島取材班が中国山地の過疎地ではじまっている“世界最先端”の取り組みを紹介したこの本は、「マネー資本主義」の対極として「里山資本主義」を提唱したとして人気を博したのだが、その核心的テーマは「地域資源を活用した地域循環経済」という「お金に依存しない経済のあり方」であった。
もちろん、こうした「対案」には「電力の安定供給」やら「生産コスト」など山のような批判があり、中でも「資源小国たる日本」は必ず指摘される問題でもある。資源の少ない日本はエネルギーの大半を輸入に頼らざるを得ないが、その輸入依存を軽減できるのは原発の使用済み燃料を再処理する「核燃料サイクル」しかないと言った論法は、福島原発事故による安全神話の崩壊後、破綻した国策=核燃サイクルを擁護するほとんど唯一の口実である。「核燃サイクル」構想の破綻を象徴する「高速増殖原型炉・もんじゅ」の廃炉が決定されてなお、「資源小国・日本」という口実だけはますます声高に唱えられ、それが「原発は絶対に無くならない」という虚構を支えつづけているのだ。
だが『里山資本主義』でも紹介された「ギュッシング・モデル」と呼ばれる資源小国・オーストリアの実例は、この原発を擁護する最後の口実を脅かす。
▼エネルギー自給の「ギュッシング・モデル」
実はこの「ギュッシング・モデル」は、昨年の『月刊世界』(15年12月号)でも8頁にわたって紹介されている。
1980年代の終わりごろまでは「オーストリアで最も貧しい地域」と言われてきたギュッシング市は、オーストリアの首都ウイーンから車で2時間ほど東に行った、人口4千100人の小さな地方都市である。東京の江戸川区ほどの面積(49・3平方キロ)の同市を含むギュシング郡全体でも人口は2万6千500人、面積も485平方キロである。
この地方都市もまた過疎に直面していたのだが、それに危機感を強めたと当時のペーター・バダッシュ市長と市議会は1990年、「自分たちのエネルギーを自分たちで生産し、それを購入することにすれば、(外部からエネルギーを購入する)お金は地域に残る」というオーストリア政府の地域開発協会の提案を受け入れ、「地元でのエネルギー生産」というコンセプトを取り入れて「エネルギーを石化燃料から木材に置き換えていく」ことを市議会の全会一致で決定したのである。
こうしてギュッシング市で「地域に存在する再生可能資源を用いて、地元のエネルギー生産を分散化する戦略」の下、「石化燃料からの自立」をめざす「木材、農業残余物・廃棄物、太陽からのエネルギー生産」が始まったのである。
だがこうしたエネルギー自立の構想が、地元ギュッシング市の努力だけで実現された訳ではないことを踏まえておく必要はある。間伐材を利用したバイオマス発電所への投資は全額、EU、政府、州政府の負担で市の負担はゼロだし、著しい実績を誇るバイオマスによる地域熱供給プラントの投資額のうち3分の1は政府やEUの補助金で、3分の1は利用者による利用料金で賄われ、残り3分の1が市の負担というように、行政のイニシアチブと継続的な投資があってはじめて実現されたからである。
だが翻って日本の現実を見れば、行政のイニシアチブによる確かな構想と継続的な投資の意思があれば、それはこの国の過疎地にも適用が可能だということでもある。現状では虚しく浪費されている原発推進資金を「未来への投資」に切り替えさえすれば、ギュッシング市のような継続的投資も十分に可能だということなのだ。そう!これは「未来への投資」を促す対案なのであり、実際にギュッシング市は、いまや再生可能エネルギー生産の最先端技術の研究開発地域として注目を浴びるまでになっているのだ。
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改めて確認するまでもなく、「ギュッシング・モデル」はひとつの成功例に過ぎない。
だが過疎と高齢化に悩む地方に「原発事故のリスク」を押しつけ、それに目を塞いで「都市と大企業の繁栄」を追求する社会と経済のあり方は、あの3・11の大震災によって限界を見せ付けられたのではなかったか?
しかも難攻不落と思われた「原発ムラ」もまた、その中心的基盤である原発立地地域でもほころび始めたとするなら、脱原発派に求められるのは原発に代わる有効で効果的な対案の提示なのではないだろうか。
そうした対案を真剣に検討することもなく「与野党相乗り」を選択する最大野党・民進党に期待が持てないとするなら、脱原発を追求する市民と住民の側から「原発に代わって過疎を克服する対案」の模索を始め、民進党を中心とする野党共闘にそれを提案する大衆的な運動こそが重要な意味を持つに違いない。
【12月24日:いつき・かおる】