【日銀のマイナス金利の導入】

黒田日銀の「サプライズ」と「デメリット」

(インターナショナル224号掲載:2016年4月号)


▼金融市場を「奇襲」した黒田総裁

 1月21日の参院決算委員会では、「現時点ではマイナス金利ということを具体的に考えていることはございません」とその可能性を明快に否定してみせた日銀の黒田総裁だったが、1週間後に開かれた日銀の金融政策決定会合(28−29日)はマイナス金利の導入を電撃的に決定した。29日の記者会見で黒田総裁は「・・・デフレマインドの転換に影響の出てくるリスクが高まっている。こうしたリスクの顕在化を未然に防ごうということで導入した」と、時折笑みを浮かべながら平然と述べたという。
 マイナス金利導入という黒田日銀の「サプライズ」は、2014年10月に国債買い入れの増額を突如決めて金融市場を大きく動かそうとした「質的・量的金融緩和(QQE)」第2弾の手口と同じである。そして確かに29日には為替が前日比2円安と大きく円安に振れ、株価も1万7800円台に急上昇したことで思惑どおりかと思われたが、その効果は極めて短く、わずか3日後の2月3日の東証の終値は前日比559円安と大きく反落、為替も1ドル=121円から117円に押し戻され、サプライズ効果は霧散したのである。

 ところで今回の日銀のマイナス金利導入の決定には、2つの問題点がある。
 ひとつは冒頭で述べたように、黒田総裁が好んで用いる「サプライズ」つまり金融市場を「奇襲する」という手法である。これは同じマイナス金利を2014年から導入してきた欧州中央銀行(ECB)が、1年以上かけて金融市場にマイナス金利の導入を織り込ませて実施したのとは対照的である。
 長期の不況に悩まされてきた日本では、市場が大きく反応する「サプライズ」がある種の好感を持って報じられることが多いのだが、金融政策の経済的効果という本来の意味からみれば、市場の急激で大きな価格変動(ボラティリティ)は投機を利するだけであって、経済の堅実な成長にとっては不安定要因を助長するリスク要因の危険性がある、あまり好ましいとは言えない方法なのだ。
 つまり黒田総裁の好む「サプライズ」は、前述のように人為的な投機機会の拡大を通じて金融市場のバブル化を促進し、バブル景気の高揚感を「デフレマインド」つまり「不況感」の払拭に利用しようとするある種の「ショック療法」であって、いわゆる「合理的期待形成論」の効果を過大に評価する、新たな金融政策の導入手法としてはいささか異質な劇場型手法と言うべきだろう。「黒田バズーカ」などと揶揄される所以である。
 そしてもうひとつの問題が、マイナス金利という金融政策が日本経済の今後に与える影響であり、もちろんこれが核心問題である。ではそもそも「マイナス金利」とはいかなる金融政策なのだろうか。

▼資金需要喚起という建前と「銀行課税」という本質

 マイナス金利の効果は、一種の「銀行課税」と考えられる。というのもマイナス金利の受益者は「借金をしている側」であって、資金を貸し付けることを生業とする銀行にとっては、「利子」という基本的な収益が日銀を介して政府(国家)に吸い上げられることを意味するからである。その意味で最大の受益者は1千兆円にも及ぶ巨額の借金=国債発行残高を抱える日本政府にほかならないのである。つまり日銀によるマイナス金利導入の直接的効果は、政府の借入金利息の支払い(利払い)を大幅に減額することで金融機関から政府への所得移転を行うことに他ならない。
 ところが前述のように、黒田総裁の説明は「デフレマインドの転換に影響の出てくるリスクが高まっている」ので、そのリスクを回避するのが目的だというものだった。つまり資金需要が停滞しつづけて「デフレに対する懸念が払拭されないリスク」が顕在化するのを防ぐためだというものだが、こうした説明には「金利が下がれば設備投資などの資金需要が喚起され、供給側(サプライサイド)の生産力が強化されてデフレから脱却できる」という、新古典派経済学によって喚起された「金融政策への過信」がある。
 というのも「リフレ派」と呼ばれる学派が展開するこうした論理は、インフレやデフレという物価変動を「流通するマネーの量」が引き起こす金融的現象、つまり「マネーの流通量が多ければインフレになり逆の場合はデフレになる」と捉え、最も基本的な物価変動要因である「需要と供給の関係」を極度に軽視する傾向を持つからである。だがこうした金融論理は、すでに破綻を宣告されていると言っていい。
 実際に、黒田日銀による「異次元の量的・質的金融緩和」による「2%のインフレターゲット」政策が始まって3年たつが、2%のインフレ率達成はほぼ絶望的だし、国債の大量買入れという「異次元の量的緩和」で市中にあふれかえったマネー(通貨量)は、融資や投資先を見出せないまま、民間銀行が日銀にもつ当座預金口座にただただ積み上げられてきたからだ。そしてまさに、こうした日銀当座預金口座に滞留しつづけるマネーを「課税の脅し」で強引に循環させようと言うのが、マイナス金利の導入に他ならない。
 だがどれほどマネーを溢れかえらせようとも「インフレターゲット」が達成できないという事実は、インフレとデフレとが単なる金融的現象ではなく、需要が無ければ供給は滞らざるを得ないことを雄弁に物がっている。
 ついでに付け加えれば、金融政策は昔から「凧のひも」理論が成り立つと言われる。「引っ張る」ことで凧を操作することは可能だが「押す」ことはできないという訳だ。つまりマネーの供給を絞る金融引き締めでインフレの抑制は可能だが、その逆はそもそも出来ない相談なのだ。「インフレターゲット」という金融政策は、潜在的な経済成長要因が不足していれば実現するはずもないのであり、この潜在的成長要因とは「社会的需要の拡大見通し」に他ならない。
 だが周知のように、戦後世界の経済成長を牽引してきた大衆消費財の需要が減退しつづける21世紀は、文字通りの意味で「社会的需要の拡大」が期待できない時代なのだ。BRICsに代表される新興諸国経済の成長が鈍化し始めた以上、それはますます深刻な「需要不足」を予測させる以外になく、だからまた設備投資による生産力の強化などという資金需要は、金利操作という金融政策によっては喚起されるはずもないのである。

▼資本主義の虚血症と退職後給付制度の危機

 ところで資金を「貸す側」から「借りる側」に所得移転が生じるとうい異常事態は、当然ながら様々な副作用あるいはデメリットをもたらさずにはおかない。
 「銀行課税」と指摘したように、まずは市中の銀行が軒並み減益となることは確実であり、それは銀行が「利ざや」以外の収益源を、例えば預金金利は引き下げずとも口座手数料などの値上げが検討されることになりそうだ。というのも預金金利のこれ以上の引き下げは、預金の流出すら引き起こしかねないからである。金利の引き下げに加えて手数料の引き上げなどで預金が実質的に目減りするなら、預金者はそれを金塊や貴金属などに転換するために資金を引き出すことを考えるだろうからである。
 資本主義経済を人体に擬(なぞら)えると、流通する貨幣(マネー)は「血液」に譬(たと)えられ、銀行つまり金融機関は「心臓」に譬えられる。銀行は、資本主義経済にマネーを循環させるポンプの役割を担う重要な機関ということだが、マイナス金利の最悪の副作用は、資本主義の血液たるマネーの循環ポンプへの流入を減少させ、マネーの多くが実物資産や現金として退蔵され、資本主義が虚血症に陥るリスクが増大することなのである。資本主義経済の虚血症はマネー流通の偏在を加速し、利潤率の低い経済の末端を次々と壊死させ、社会的格差を一層拡大するだけだからだ。
 では労働者にとっては、どんな直接的なデメリットが考えられるだろうか?
 まず考えられるのは、退職給付金や厚生年金の原資となる資産の運用益が圧迫され、将来の支給額が目減りする可能性だろう。たしかにそれもさることながら、実は「退職給付債務」の積み増しを迫られる企業がその負担増を嫌い、場合によっては退職給付金制度そのものが破綻する可能性も否定はできないのだ。
 年金や退職給付金の原資となる資産運用益の減少は、現状でも給付金の段階的引き下げや給付開始年齢の引き上げなど、退職後の労働者の生活に少なからぬ影響を与えてはいるが、マイナス金利で深刻になるのは「退職給付債務」の積み増し問題と見られている。
 「退職給付債務」とは、将来の退職金の支払いのために企業が資金を積み立てておく制度だが、企業の退職給付会計では、将来支払う金額の100%を積み立てて置くのではなく、将来得られる収益や年金資産の将来の評価額などを「現在の価値に換算した額」を積み立てることになっている。そしてこの現在価値に換算する際に使われるのが「割引率」なのだが、日本の上場企業の多くが20年物国債の利回りにほぼ連動した「割引率」を用いているという(『週刊東洋経済』3/26号)。
 つまりマイナス金利導入に伴う国債利回りの更なる低下は、年金資産利回りの低下に伴う「退職給付債務」の積み増しを企業に迫ることになる。例えばトヨタ自動車は割引率が0・5ポイント低下すると退職給付債務が2189億円増加し、2015年度の税引き前利益を147億円押し下げると試算しているが、「世界のトヨタ」をしてこの負担の増加でだとすれば、業績好調の企業が一転して減益に転落することになっても不思議ではないだろう。現状ではマイナス金利がどこまで続くか定かではないが、もしこの状況が長期化すれば、まさに「退職金未払い企業」が続出する事態さえ懸念されるのである。

▼利子率の低下と資本主義の機能不全

 ところで、「マイナス金利」導入という異常事態は、「異次元の量的緩和」という異常事態と比べれば、同じ異常事態ながら「金融政策の王道だ」との評価もあることはある。
 と言うのは、日銀が銀行から国債を大量に買い取る「量的緩和」策は、国債という金融資産のリスク評価を行う市場機能を破壊し、それこそ「合理的期待」などと呼ばれる投機の思惑で価格が乱高下する事態を引き起こすのに対して、「マイナス」という異常な水準ではあれ、金融政策とはそもそも金利を操作することだからだというのだ。
 だがそうだとしても金利がマイナスになるという事態は、「資本は利潤を生む」という近代経済システムの常識を裏切ることではないだろうか。
 こうした問題について、2014年3月に刊行された『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)の著者・水野和夫氏は、同書の中でこう指摘している。
 「なぜ、利子率の低下がそれほどまでに重大事件なのかと言えば、金利はすなわち、資本利潤率とほぼ同じだと言えるからです。資本を投下し、利潤を得て資本を自己増殖させることが資本主義の基本的な性質なのですから、利潤率が極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していないという兆候です」(同書16頁)。
 「このような資本利潤率の著しく低い状態の長期化は、企業が経済活動をいていくうえで設備投資を拡大していくことができなくなったということです。利潤率の低下は、裏を返せば、設備投資をしても、十分な利潤を生み出さない設備、つまり『過剰』な設備になってしまうことを意味しています」(同19頁)。
 数年毎に繰り返されるバブル景気は、資本主義経済が持続可能な経済システムではなくなり、繰り返すバブル経済を通じてしか利潤を生み出さなくなっている現状は、こうした資本主義の機能不全の結果だというのが、水野氏の見解だ。
 こうした見解に基づけば近代資本主義は、少なくとも将来の豊かな生活を人々に保障する持続的経済システムとしては、完全な限界に直面しつつあるということだろう。
 戦後の世界経済の発展を牽引してきた重要な経済圏の内の2つ、欧州と日本とで導入された「マイナス金利」という政策は、近代資本主義システムの歴史転換点を刻印することになるに違いない。

【4/4:きうち・たかし】


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