●邦人襲撃、人質事件の背景と深層

人質を見殺しにした安倍政権・外務省の遠謀

―「邦人の安全」の切捨てか「人間の安全保障」の堅持か―

(インターナショナル第220号:2015年4月号掲載)


▼テロへの反感を利用する安倍政権

 2010年末に始まる「アラブの春」と呼ばれた一連の反独裁大衆運動の端緒を開き、その後も欧米諸国からは「反独裁・民主化運動の優等生」との賛辞を送られてきたチュニジアの首都チュニスで、イスラム原理主義グループによる観光客をねらった襲撃事件が起きたのは3月18日であった。
 この無差別テロでは日本人3人を含む外国人観光客ら22人が死亡、負傷者も42人にのぼったが、日本人にとっては、2月に邦人人質を殺害したイスラム国が「予告」したとおりの邦人殺傷テロが実行されたのでは、と考えられるだけに大きな衝撃であった。
 ところがこうした衝撃をある程度は予測していたかのように、安倍首相は国会答弁でチュニスのテロを強く非難して「対テロ戦争」への支援をさらにすすめるとする強硬な姿勢を見せたのだ。安倍のこうした強硬姿勢には、いわゆるアラブ地域で今後も邦人を標的としたイスラム原理主義者によるテロの発生を前提にして、あるいはテロによる「邦人の犠牲者」さえも利用して、欧米諸国が主導する「反イスラム国有志連合」の一員であることの既成事実化をさらに進めるとともに、欧米諸国と肩を並べて世界各地の紛争に軍事的にもコミットできる道を掃き清めようとする意図が透けて見える。
 というのも、2月の邦人人質殺害事件に関する日本政府の対応の検証作業が遅々として進まない一方で、アメリカとNATO(北大西洋条約機構)諸国そしてイスラム国を脅威と見なすアラブ諸国で構成される「反イスラム国有志連合」の一員であることを事実上追認あるいは容認する安倍政権の対応が、イスラム国による「邦人を標的とするテロ」宣言の根拠であることが、ますます明白になっているからである。
 まずは、世論調査で「日本政府はよくやった」との評価が過半数を占めた「表向きの対応」の陰で、安倍政権がどのように「人質救出」に背を向け、その可能性さえ潰しにかかったのかを検証したいと思う。

▼旅券返納=渡航制限という外務省の横暴

 安倍政権による「人質見殺し」の検証を始める前に、ひとつの事件を思い起こしていただこう。なぜならこの事件こそ、首相官邸と直結している外務官僚が、「政府は人質救出に全力を尽くした」という虚構を維持するために、政権の意図に沿わない人々の現地取材や報道による「不測の事態」を妨害している証拠だからである。
 それは2月7日、一人のフリーカメラマンのシリア渡航を阻止すべく、旅券法19条の条文を根拠に、旅券返納を命じてシリア取材を妨害した事件である。
 旅券法19条には「旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」に外相などが旅券の返納を命じることができるとあるが、 1951年制定の同法19条の適用は文字通り初めてだったにもかかわらず、「緊急の場合の例外規定」を使って必要な聴聞手続きさえ省略するという乱暴さである。旅券の返納を命じられた杉本氏は「取材にあたっての安全対策を説明したが、ハナから受け入れる意思はなかった」と報じられてもいる。これは「渡航の自由」や「報道(取材)の自由」に対する侵害というだけでなく、「生命の安全」を国家官僚機構が「恣意的かつ一方的に判断できる」とする国家主義者の極めて危険な傲慢さという深刻な問題を孕んでいる。と言うのも、仮にこんな恣意的で一方的な「お役所の判断」がまかり通れば、「近代」がもたらした数少ない成果である「個人の自由」という価値が、行政判断と強権発動で簡単に蹂躙できる前例になり得るからである。
 驚くべきことは、この外務省の措置を支持するマスメディアが現れたという事態である。しかも外務省を擁護するその論調は、10年前のイラク人質事件で声高に語られた「国に迷惑をかける非国民」といった的外れの非難キャンペーンと相通ずる、その意味では10年前にアメリカ政府高官によって批判された小官僚的メンタリティーが、今もまったく変わらぬまま存続していることを暴くものであった。
 事実、10年前のイラク人質事件当時も「非国民キャンペーン」を精力的に展開した読売新聞は、2月11日の社説で「取材の自由が制限される」といった外務省批判に反論して「これはおかしい。一民間人が自らの安全を確保できると考えていたら、認識が甘く、無謀と言わざるを得ない」と断じて旅券返納命令を擁護しているのだ。これは「国民の生命と権利を擁護すべき」近代国家の建前を「生命の保護」に矮小化し、さらには「それ」つまり「生命の保護」を担保できない国家は「国民の権利を制限してよい」という、本末転倒で国家にとってだけ都合の良い、文字通りの官僚的言い分であろう。加えて紛争地の取材経験が豊かなプロの「一民間人」に向かって「甘い」「無謀」と罵声を浴びせるに及んでは、「お上」に擦り寄る下司(げす)=小役人根性の露呈という他あるまい。
 だが問題の深刻さはこれに止まらない。一面の記事では歯切れ良く外務省の措置を批判した東京新聞も、社説では「憲法が保障する『渡航の自由』は、十分に尊重されねばならない」とトーンダウンするし、毎日の社説も「政府は抑制的に対応し、今回の措置を例外にとどめるべき」と言うだけである。「例外的措置」なら、一方的で恣意的な強権発動も許容されると言う程度の問題ではないだろう。
 この新聞各社の体たらくに比べれば、8日のフジTV「Mr.サンデー」で、「・・・危険だって所はニュースがある所なんだ。行かなきゃ伝えられないの。それができなきゃ人の知る権利に応えられないわけですよ」「それをね、たかが外務省がね・・・止められるのかと。・・・基本的に間違ってますよ」という木村太郎氏の痛烈な外務省批判が、まっとうなジャーナリストの発言として特筆されるべきだろう。
 この旅券返納事件を改めて振り返ったのは、2004年4月にイラクで発生した日本人人質事件から10年を経てなおこの国の中東政策には何の変化もない、というよりもアラブ世界に対する偏見と蔑視が少しも払拭されていないし、こうした事件では基本的人権の擁護よりも「お上の意向」が優先される「愚民化報道」も機能しつづけているという、恐るべき現実を確認しておきたかったからである。

▼脅迫ビデオ公開前の無為無策=常岡氏の証言

 月刊『世界』4月号に掲載された「対談・イスラム国―問われる日本の中東政策」に登場した常岡浩介氏は、アフガン、エチオピア、チェチェンなど戦場の取材経験豊富なフリージャーナリストであり、パキスタン取材中にタリバンに一時拘束された経験もある、その意味でもイスラム世界や外務省の動向に詳しい人物である。
 その常岡氏が、2月の邦人人質事件に関して以下のように証言している。
「脅迫ビデオが公開された後で殺害されなかった人は、これまで一人もいません。やはり、公開前の五ヶ月間に日本政府が何をしていたのか、そこが重要です。その時点では解決が可能だったのに、外務省や警察は何もしなかった」。
 さらに「トルコの場合は事件発生が六月、解決が九月二十日です。湯川さんはこの期間の間に拘束されています」とトルコ人人質の解放交渉にふれたうえで、「当時は湯川さんは重要な人質として扱われてはおらず、私のもとにきたIS(イスラム国)側からの連絡も、危害は加えていない、欧米の人質とは違う扱いをする、裁判をしたいから通訳をしてほしい、という内容でした」。
 そして、これにつづく次の証言は重要である。
「しかし、日本政府は私の出発前日、『私戦予備・陰謀罪』という荒唐無稽な容疑で私への捜査を行い、その動きを潰してしまった。それで日本政府が自ら動いて湯川さんを救い出すというのであればいいのですが、結局そういう動きは何も起こさず、結果として後藤さんが湯川さん救出をめざして現地に行くことにもなり、今回の結果を招いてしまった。トルコ政府に働きかけた形跡もありません」。「トルコ政府への働きかけ」の意味するところは、後に述べる。
 とにかくこの証言どおりだとすれば、政府・外務省は端から湯川さん救出の意思が無かっただけでなく民間人による救出行為を放置ではなく妨害した、ということである。脅迫ビデオ公開前の5ヶ月間の無為無策どころか、人質の救出を妨害してその可能性を自ら投げ捨てた政府・外務省が、脅迫ビデオ公開以降は一転して「人質解放優先」を繰り返し、人質殺害後は「テロを絶対に許さない」と声高に叫ぶという姿は、ギャップというには芝居がかっており、むしろ「隠された意図」を疑わせるに十分ではないか。
 そして対談はトルコ政府への働きかけを話題にするのだが、ここで常岡氏が「いま、ISに食い込んでいるのはトルコの情報機関です。ヨルダンの情報機関も強力だと言われますが、CIAなど西側先進諸国との関係が強い」と指摘したのに対して、元共同通信記者の春名幹夫氏が「今回の人質事件で対策本部をトルコに置かず、ヨルダンに置いたことからも、どんな基本姿勢で対応しようとしていたのか、日本政府の姿勢が垣間見えます。おそらくアメリカ側からのお勧めもあったのではないかと思います」と応じている。
 春名氏の指摘はもっともだが、日本政府が本気で人質の解放交渉に臨むのであれば対策本部の設置場所など公表すべきではないし、対策本部長が交渉の最中に記者団に報告するなんてことも厳に慎むべきことだろう。つまりこうした外務省のパフォーマンスにも、芝居がかった演出で「本音を隠す」意図が感じられるのだ。
 政府と外務省の「隠された意図」を疑わせる証言は、もうひとつある。それは「邦人人質の存在を、政府は何時から知っていたのか」という問題についてである。常岡氏は以下のように証言する。
「・・・映像が公開された当初は、官邸内部で安倍首相は二人が人質になっていることを知らなかったことにしてはどうか、ということまで相談していたといいます。この案はさすがに却下されて、結果的に二人が人質になっていたことは知っていたけれど、イスラム国が犯人だとは知らなかったというストーリーで発表したわけです。しかし、それ自体でたらめな話で、そんなことがあるはずはない。その手口から見ても容易にISだと推定できるわけで、それを『断定できませんでした』というのは政治的発言に過ぎない」と。
 そう!政府・外務省は湯川さんと後藤さんという2人の日本人がイスラム国に拘束されていることを十分に承知した上で安倍首相の中東歴訪に踏み切り、例の「2億ドルの援助」をカイロ演説で大々的にぶち上げたのである。
 安倍首相の、カイロ演説における問題の部分は以下の通りである。
「イラク、シリアの難民・難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラの整備を含め、ISILと闘う周辺国に、総額で二億ドル程度、支援をお約束します」。カイロ演説では、その後政府が盛んに強調する「人道目的」には一言も触れていない。むしろ「ISILと闘う周辺国に・・・支援」と述べることで、「イスラム国と闘う」ための「支援」であることを異論の余地無く表明したというべきなのだ。

▼「人質見殺し」と「テロへの憤激」に隠された本音

 イスラム国が邦人2人を拘束しており、イスラム国の常套手段が外国人人質を脅迫に使うことも知りながら、あえて「イスラム国と闘う諸国への支援」を大々的に表明することが、イスラム国による脅迫を惹起する可能性を首相官邸と外務省がまったく予測しなかったとは考えられない。だとすれば方策はあったはずである。
 「有志連合」への経済支援を約束する中東歴訪の予定は変更できないとしても、大々的な支援表明の必要は必ずしも無かったはずだし、人質脅迫事件のリスクを伝えれば「有志連合」側が派手な演出にこだわったとも思えない。そうだとすれば事件は、日本政府が「あえて取ったリスク」の様相を呈する。
 つまり今回の人質殺害事件は、安倍政権にとっては一定の予測の範囲内の事件であり、その場合の対応策もまた、一定程度準備されていた可能性を否定できないのだ。
 もちろん安倍の中東歴訪以前に人質の解放が実現すればそれに越したことはない。だが解放交渉が失敗してそれが世界に公表されるリスクを考えれば、むしろ放置する方が政治的リスクは小さくて済む。しかも政府とは無関係の民間人による解放交渉は、成功であれ失敗であれ、政府の無為無策を批判する格好の材料になりかねない。これらのリスクは、確たる根拠のない「安倍政権の支持率」に悪影響を及ぼすだけである。
 かくして安倍政権と外務省は、[邦人人質の存在を無視]して中東歴訪に踏み切り、脅迫ビデオの公開以降は[人質解放の可能性がほとんどないことを前提]に、ひたすら「人質解放優先」や「人命第一」など耳障りのよい言辞で真摯な対応を演出し、10年前のイラク人質事件で世界のひんしゅくを買った「非国民キャンペーン」を徹底的に押さえ込み、イスラム国との交渉をヨルダン政府に丸投げすることも、事前に大筋では決めていた可能性がある。なによりも前述した旅券返納事件では10年前と同様の反応を見せた読売新聞が、今回の人質事件では安倍首相と歩調をそろえた真摯な態度に終始したという「不思議な現象」も、事前に官邸側から婉曲な指示があったとすれば納得できる。
 したがって人質殺害後は一転して「断固としてテロと戦う姿勢」を強調し、自衛隊による人質救出作戦などという非現実的な構想まで口走ったのは、人質解放に失敗したという政治的失策の衝撃を和らげようとする過剰防衛であると同時に、「残虐なテロリスト」に対する人々の憤りを煽りたて、それを政治的目的に利用しようとする意図に貫かれていたとしても不思議ではない。
 多少乱暴な推測だが、安倍政権は、「中立と非軍事」を看板にした経済援助を通じてアラブ地域に裾の広い親日派を形成するという戦後日本の中東外交路線を抜本的に転換し、中東・アラブ地域において欧米諸国の権益と一体化した日本の権益擁護の為の「武力行使」=軍事的コミットに道を開き、いずれは国連安保理の常任理事国という「大国の座」を手にしたいという、親米右派外務官僚の「悲願」達成を推進していると思われる。
 つまり今回のように「邦人の安全」を自覚的に切り捨て、その結果生じる「邦人の生命の危険」をあわよくば「邦人保護」目的の自衛隊派遣の口実として利用し、人質救出失敗後は「テロリスト」への憤りを煽動して「テロとの戦争」とこれに対する支援を正当化する。このストーリーをマスメディアに垂れ流せば、「中立と非軍事」から「安保理と武力」への転換を謀る効果的な宣伝となるに違いない。そして事実、今回の邦人人質殺害事件では「政府は良くやった」との評価が多数を占めたのである。

▼官邸直結型外務官僚と現場密着型外交官

 これまでも指摘してきたことだが、元外務次官にして日本版NSC(国家安全保障会議)の初代局長に就任した谷内(やち)など、安倍政権のブレーンには多くの元外務官僚が居並んでいる。そしてこの親米派の元外務官僚たちこそが、安倍政権の「憲法骨抜き路線」の中心的な推進力にほかならない。
 それは、防衛庁(現防衛省)の制服組の暴走を警戒してきた戦後日本の反戦・平和運動にとって、ひとつの盲点になっている可能性がある。つまり日本外交における武力行使の解禁を執拗に追求しているのは防衛省の制服組(軍人)と言うよりも、「湾岸戦争のトラウマ」といった虚構を吹聴し、国連安保理の常任理事国入りを「悲願」に祭り上げた、いま首相官邸の中枢を占領している親米右派の元外務官僚たちだからだ。
 たしかに、かつての軍部の暴走が悲惨な戦禍を招いたとする戦後反戦運動の原点は、歴史認識としては重要である。だがこの原点に囚われ、あるいは「文民統制」の原則に過大な期待を抱いて「今現在の敵」を見まちがえてはなるまい。
 では私たちはどこに注目して、この右派外務官僚の暴走と闘うべきだろうか?
 現在の外務省が「官邸外交官」と「地域外交官」に2分されていると証言するのは、先にも紹介したフリージャーナリストの常岡氏である。
「・・・首相官邸とつながって、その意向にしたがって動く人と、地域に深く食い込んでいるエキスパートに分かれている、と。今回の事件への対応でも、外務省の中の中東エキスパートが中心になっていれば、経過は変っていたかもしれません。しかし実際に中心を担ったのは外務省領事局の邦人テロ対策室でした」と述べ、テロ対策室が対応した2004年のイラク人質事件の迷走ぶりや、常岡氏がタリバンに拘束されたとき領事局関係者がマスコミに流した「自作自演」説などを紹介し、同時に「『地域外交官』の典型のような人」の活躍で解決したキルギスのJAIC職員の誘拐事件を紹介して以下のように述べる。
「安倍首相が考えているような日本版CIAも、結局は官邸外交官と警察の公安のテリトリーとなるだけであれば、無意味な集団ができるだけでしょう。地域ごとのエキスパートを育てていき、そうした人たちを最大限に生かしていくのが、日本のインテリジェンスでないといけません」。「アメリカ式のインテリジェンスを志向する必要はなく、日本外交が唱えてきた『人間の安全保障』という観点に沿ったインテリジェンスを考えればいいと思います」と。
 今回の人質殺害事件が、安倍政権による「邦人の安全の自覚的切り捨て」であった可能性があればこそ、戦後日本掲げてきた「人間の安全保障」という外交理念は、地域のエキスパート外交官たちと共に私たちが守るべき理念となるだろう。

(2015年4月4日:きうち・たかし)


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