●靖国参拝にアメリカ政府が「失望」した訳

 中国、韓国両政府に格好の攻撃材料を与えた
 安倍政権内に蔓延る「根拠のない誤った認識」

(インターナショナル第217号:2014年3月号掲載)


▼安倍政権の「危うい」外交路線

 めまぐるしく変化する国際情勢の中では、昨年暮れの安倍首相の靖国参拝に対するアメリカ国務省の「失望」声明はすでに旧い話題なのかもしれない。
 しかしウクライナの政治的混乱に乗じたプーチン政権のクリミア半島への「事実上の侵攻」に対しても、「北方領土」返還交渉への影響を考慮して明確な批判を回避する安倍政権の外交は、ますます不透明で不安定さばかりが増しているように見える。というのも、安倍首相の靖国参拝に対するアメリア政府の不快感に反発し、これまでの「対米追従外交」を超克するかのような見せかけの一方で、この国の国際的地位をどのように構想するかという将来像が、実は全くし明らかではないからである。
 そうした意味では、改めて安倍首相の靖国参拝とアメリア国務省の「失望した」という強い批判の意味を検証しておく必要がありそうだ。

 現在の安倍政権の「危うさ」は、自らの主観が客観的にはどう見られ、あるいはどう評価されるかについて、正確に認識していないのではないかと思える点だ。つまり政府の公人とりわけ総理大臣という最高責任者による靖国参拝という行為がもつ政治的意味について、第二次大戦の戦勝諸国政府つまり国連に象徴される「国際社会」がどのような評価を持っているのか、正確な認識がほとんどないのではないかと思えるのだ。それは例えば1941(昭和16)年、「フランス領インドシナ(仏印)」の占領は「アメリカの許容範囲内」だとする何の根拠もない「不正確な情勢認識」のままに進駐を強行し、これに激怒したアメリカが対日石油禁輸という強硬措置に踏み切ったことに驚愕、狼狽し、ついにはその年の12月、何の見通しも勝算もない対米戦争へと追い込まれることになった、そんな過去と「二重写し」になるような危うさである。
 具体的には、どういうことか?
 内閣総理大臣の靖国神社への参拝が、日本国憲法に規定された「政教分離」の原則に反するという批判や提訴はこれまでもあったが、それが中国や韓国が強く反発する外交問題へと転化したのは、いわゆる「A級戦犯」が1978年に祭神として合祀(ごうし)され、その後は昭和天皇も靖国に参拝しなくなって以降のことである。天皇への忠誠を尽くして戦死した軍人を祀る国家神道の総社・靖国神社に天皇が参拝しないのは文字通り「異常事態」だが、そこには第二次大戦後の日米講和(サンフランシスコ講和条約の締結)の前提として、「A級戦犯」に一切の戦争責任を押し付けた「極東国際軍事裁判」いわゆる「東京裁判」を敗戦国・日本が「受諾した」という歴史的事実がある。
 後でさらに詳しく検証するが、要するに「A級戦犯」の靖国への合祀は日米講和の大前提である「東京裁判」を事実上否定する「政治的行為」に他ならないのであって、その祭神を政府の最高責任者が参拝すれば、第二次大戦の連合国(=国際連合)諸国政府に、「対日講和を反故にしようとする意図」を疑われても不思議ではないのだ。しかも昭和天皇の不興を買ってまで「A級戦犯」の合祀を強行した宮司・松平永芳は、1992年12月号の『諸君』収録の講演録で、〈私は(宮司)就任前から、「すべて日本が悪い」という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました〉と、東京裁判を否定する意図を隠そうともしていない。
 したがって安倍首相と政権幹部たちがどのような詭弁を弄したところで、「国際社会」では「日本は過去の戦争を蒸し返すのか?」と見られる以外にはないのだ。ところが安倍政権には、そうした歴史的かつ政治的認識が極めて希薄だと思えるのである。
 だがまさにその結果として安倍政権は、中国、韓国両政府が靖国参拝を非難して日本の国際的孤立を画策する、実に格好の口実を与えたのだ。
 
 ▼不可解な「日米講和祝賀」とアメリカ政府の「失望」
 
 さらに言えば安倍自身と首相補佐官ら取り巻きたちが、こうした歴史的背景を持った政治的問題を「すり抜けられる」と勘違いをしているフシもある。そしてこの「勘違い」こそが、前述した「根拠のない不正確な認識」と二重写しになるのだ。
 その「勘違い」の典型が昨年の4月28日、沖縄県民の猛反発を押し切って行われた「サンフランシスコ講和条約61周年祝賀式典」だと思う。そもそも節目とはなり得ない「61年目」に、これまで誰もしたことのない祝賀式典を挙行したこと自体が「不純な動機」を強く示唆しているのだが、これが靖国参拝に対するアメリカ政府の「不快感」を緩和しようとする「姑息な意図」に基づいていると考えれば、安倍首相とその取り巻きたちの「危うい」発想の裏づけになるだろう。
 改めて言うが、日米講和の大前提が「日本政府による『東京裁判』の受諾」だったことは前述のとおりである。しかもそれは「紳士協定」のような精神的前提などではなく、サンフランシスコ講和条約第11条に明記された「講和の条件そのもの」に他ならないのだ。講和条約第11条には、以下のように明記してある。
 『日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判(judements)を受諾し・・・云々』と。
 蛇足ながら、日本語訳は「裁判」だが「judements」という複数形は「判決」と訳すのが普通である。そして実はこの条文解釈をめぐって、「東京裁判の受諾と『A級戦犯』等への判決の受諾は別」といった為にする議論もあるのだが、安倍首相とその取り巻きといえども、この条文や論争を知らないほど無知ではないだろう。
 したがって安倍にとっての問題は、この条文をそのまま受容すると首相在任中の靖国参拝を断念して「痛恨の極み」を再現しかねないことだったに違いない。そこで考えられたのが「誰もしたいことのない日米講和の祝賀式典」で日米同盟を賞揚する一方で「東京裁判を否定する靖国参拝」も行うという、外交としては通用するはずもない「二元論的バーター」が意図されたのではないか、ということである。だがそうだとすれば安倍政権の「危うさ」は、こんな子どもだましが国際政治で通用すると「何の根拠もなく思い込んでいる」ところに端的に示されているという他はない。
 当然ながら、こんな浅知恵はアメリカには通用しなかった。というのも「祝賀式典」から半年後の10月3日、アメリカのジョン・ケリー国務長官とチャック・ヘーゲル国防長官の2人が千鳥ヶ淵の戦没者墓苑を訪れて献花したからである。わずか60年前の「敵国の戦没者」に外務大臣と国防大臣とが揃って献花するという行為は、もちろん戦後の日米関係の良好さを強く印象付けるものだが、同時にそれは「アメリカ政府の閣僚は靖国を参拝しない」ことで、安倍の靖国参拝を強くけん制する行為でもあった。
 さらに11月上旬、中国が防空識別圏(ADIZ)を一方的に拡大した直後に日本、中国、韓国を歴訪したアメリカのバイデン副大統領は、安倍首相との共同記者会見で中国に抗議する一方、公邸で開かれた夕食会では安倍首相に日韓関係改善に取り組む必要性を説き、その後に訪れたソウルでは朴槿恵韓国大統領に日本への歩み寄りを促し、その際、日本にも善処を求めたことを明らかにしたと言われる。しかもこの歴訪でバイデン副大統領が中韓両国首脳に対日関係の改善を説く際に言ったのは、「日本(安倍政権)は自制しているのだから・・・」だったと言われている。
 しかしこの歴訪から数週間後の12月26日、安倍首相が靖国を参拝したことでバイデン副大統領の外交努力は水泡に帰したばかりか、日本の同盟国アメリカの副大統領としての面目を潰されてしまったのだ。それはアメリカ政府を激怒させても不思議ではない「裏切り」に等しい行為だったし、事実バイデン副大統領の歴訪に同行したホワイトハウスのスタッフは、安倍首相に対する「スーパーな怒り」を隠そうともしなかったと言う。その限りでは「失望した」という国務省声明の文言は、日米関係に最大の配慮をした上での、だが極めて強い調子の非難であることは明白であった。
 ところがこのアメリカ国務省の反応について、衛藤晟一首相補佐官に代表される安倍の取り巻きたちからは「失望したのは同盟国としての日本の方だ」「民主党政権だからこんな対応をするのだ。共和党政権からは何も言われたことはない」などと、外交的配慮もない感情的としか言いようのない反論が飛び出すのである。とくに衛藤補佐官は参拝を前に密かにワシントンを訪れ、東アジア・太平洋担当のラッセル国務次官補と接触して靖国参拝についてのアメリカ政府の感触を探ってきた当の本人であり、アメリカ側が一様に参拝の自重を求めていることを誰よりも熟知していたはずなのに、である。
 しかも彼らは、ひとつ重要な事実に目を塞いでいる。それは2006年6月、当時の小泉首相が日本の首相として初めてアメリカ議会で演説する案が浮上したとき、共和党の重鎮・ハイド外交委員長(故人)が、東条英機元首相ら戦犯が祀られている靖国を参拝する小泉の議会演説は「元兵士たちの感情を害する」として、小泉が靖国参拝をしない確約を求める内容の書簡を下院議長宛に送っているという事実である。民主党のオバマ政権は靖国参拝を非難するが、共和党政権なら非難しないなどという「根拠のない認識」は、同盟国アメリカに関する無知の自己暴露かそうでなければデマゴギーである。
 明らかなことは現在の安倍の取り巻きたちは、「A級戦犯」合祀を強行した松平宮司と同様の確信犯であり、それこそ「根拠のない不正確な認識」否「根拠のない誤った認識」で日本の将来をリードしようとしているということである。

▼「東京裁判の否定」から「批判的検証」へ

 最後に付け加えておきたいのは、第二次大戦後にこの国が「国際社会」に復帰する、つまり国連加盟の前提となった「極東国際軍事裁判」は全面的に否定されるべきだとする「東京裁判史観の否定」と、この裁判が敗戦国に対する戦勝国による一方的な裁判であり批判的な再検証が必要だという事実は、同じことではないということである。
 実際に講和条約第11条に関して、当時も強い懸念や批判があったのは事実である。それは講和会議の席上、ラファエル・デラ・コリナ駐米メキシコ大使が「あの裁判(=「東京裁判」)の結果は、・・・法なければ罪なく、法なければ罰なしという近代文明の最も重要な原則、世界の全文明諸国の刑法典に採用されている原則と調和しないと、我々は信ずる」と述べ、イポリト・ヘスス・パス駐米アルゼンチン大使も同様の批判を述べている。この両者の指摘は、東京裁判以前にはなかった「人道に対する罪」などの新しい法規範にもとづいて「戦犯」が裁かれたことに深い憂慮を表明するものであった。
 こうした、当時から指摘されていた東京裁判への批判を含む再検証を通じて、第二次大戦後には一般化した「戦争犯罪」の定義により普遍的な内容を付与しようとする試みや、いわゆる「A級戦犯」に指名された一握りの人々に戦争責任のすべてを押し付け、他は「一億総懺悔」の掛け声だけで戦争協力の責任には頬かむりをし、「鬼畜米英」から一夜にして「アメリカ民主主義の麗賛」へと転じた「戦後日本の精神的荒廃」を批判的に検証する作業は、必要という以上に歴史的教訓を活かす重要な取り組みであろう。
 だが「A級戦犯」の合祀を強行した松平宮司と、これを強力に後押した当時の靖国崇敬者総代会の総代(定員10名)、そして靖国神社の合祀名簿を作成していた厚生省引揚援護局という「トライアングル」が画策してきた「A級戦犯」合祀による「東京裁判史観」の否定は、歴史的教訓に背を向け、日本近代化の過程で恣意的に創作された国家神道の復興をめざす時代錯誤の政治運動以外の何者でもないのだ。
 靖国神社は英語で「War Shrine」つまり「戦争神社」と表記されるのだが、拝殿に隣接する「遊就館」に展示された兵器類を見れば、この表記があながち的外れではないことが実感として理解できる。だからこの神社への参拝が「非戦の誓いだ」などという詭弁は、この国の外交的信用と品位とを著しく傷つけるだけなのだ。

【3月13日:ふじき・れい】


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