● 2014東京都知事選の焦点

都知事選を一変させた元首相コンビの登場は
「戦後革新勢力」にどんな課題を突きつけたか


―「統一候補・連立政権」か「独自候補・保革対決」かの分岐―

(インターナショナル第217号:2014年3月号掲載)


▼争点隠し、脱原発票の分散、低投票率の帰結

 2月9日に投開票が行われた東京都知事選挙は、事前の世論調査や「期日外投票の出口調査」などに基づいた予測どおり、自民党東京都連が推薦し公明党の支持をとりつけた元厚労相・舛添要一が211万2千票余を獲得し、一昨年の都知事選にも立候補した元日本弁護士連合会(日弁連)会長・宇都宮健児と、小泉元首相の全面的応援を得て「脱原発」を最大の争点に掲げて立候補した元首相・細川護熙を退けて当選した。
 当選した舛添の得票率は42・86%、次点の宇都宮は98万2千票余で19・93%、3位の細川は95万6千票余の19・39%で、2人の「脱原発候補」の得票数の単純合計は、原発再稼動の容認を公言する舛添に10万票以上も及ばなかった。ちなみに、過去3番目の低さを記録した低投票率=46・14%から算出される絶対得票率は、当選した舛添さえ19・80%と2割を切る有様だが、他方で「脱原発」を掲げた宇都宮、細川両候補もそれぞれ9.19%、8.94%にとどまり、マスメディアの「中立を装った選挙の争点隠し」とりわけ「脱原発」を争点化しない懸命の妨害があったとはいえ、選挙戦というキャンペインにおける脱原発運動の「非力さ」もまた覆い隠しようもない。
 もちろんだからと言って、昨年末以来、鎌田慧氏ら文化人たちが呼びかけてきた「脱原発候補の一本化」が「無駄だった」と断じるのは早計である。と言うのもたいていの場合、テーマを絞った統一候補の擁立は「1+1=3」となるような相乗効果を生むからであり、その意味で脱原発運動は、絶好のチャンスを逃したのかもしれない。
 しかしもし脱原発運動が「絶好のチャンスを逃した」のだとすれば、脱原発運動という「主体」が自らの意思を体現する「統一候補」の擁立に失敗し、合計得票数でも「原発再稼動の容認」を公言する候補に遅れを取った厳しい現実を踏まえて、脱原発運動に、あるいは基本的人権を擁護して人間の自由な発展を促進するような未来社会を実現できると考える社会変革を追求する多様な市民的運動に、いったい何が不足し何が求められているのかを真摯に検討することが求められているはずである。

▼ 都知事選の様相を一変させた細川・小泉コンビ

 改めて確認しておきたいのだが、今回の都知事選の最大にして唯一の争点は、あえて断言するが「原発再稼動阻止」か「原発再稼動容認」かであった。
 言い換えればそれは、細川・小泉という保守派の元首相コンビの「政治的突出」によって「脱原発」という争点が提起されなければ、今次都知事選挙は猪瀬前知事の「徳州会スキャンダル」を素材に相も変らぬ「政治と金」問題で塗りつぶされ、それこそオリンピックとパラリンピックを控えた東京の「バリアフリー化推進」を名分にした公共事業という旧態依然たる経済対策をめぐって、物知り顔の学者や評論家が人々の生活実感や切実な課題とは無縁な「政策論争」を繰り返す、事実上は政治争点の無い選挙になって不思議のない状況だったと言うことである。
 そう!まず何よりも私たち―つまり最も広い意味で「戦後革新」と呼ばれる勢力は、都知事選の争点を積極的に形成できなかった「主体的脆弱さ」と、それを保守派の元首相コンビに補完されてしまった「立ち遅れ」を自覚する必要があるのだ。そして事実、細川・小泉コンビの都知事選への「乱入」が、選挙戦の様相を一変させた。
 ひとつは、自民党内の紛糾である。もちろん自民党東京都連は「小泉の乱」を昨年10月頃には察知し、自民党の傀儡(かいらい)としては望ましくとも「勝てる候補」とは言いがたい政府・与党が考える予定候補に背を向け、もっと言えば安倍執行部との確執すら覚悟して、党本部が絶対に「推薦」できない舛添要一に「勝てる候補」として白羽の矢を立てたからである。しかも自民党都連のこの決断には、都議会与党となる都連にとっても新知事との対立の火種を抱え込む不安も孕まれていた。
 詳細は省くが、自民党執行部が舛添を推薦できなかったのは、彼が自民党の旧態依然を批判して離党・新党を結成したことに「除名」という最も重い処分で対応した結果だが、それは要するに新都知事・舛添が既成の、特に既得権に固執する政党にとってはなはだ制御の難しいキャラクターだということであり、前都知事・猪瀬の制御に手を焼いた都議会自民党がスキャンダルに便乗して猪瀬知事を辞任に追い込んだと同様の、知事と都議会自民党の確執を再燃させるリスクを抱え込んだと言えるからである。
 そして二つ目が、連合東京の舛添支持による「民主党支持票の分解」である。
 これも敢えて断言するが最大の争点が「脱原発」でなければ、あるいは「脱原発」を最大の争点に掲げた細川を民主党が推さなければ、連合東京は自民・公明ブロックを公然と支持するに等しい「舛添支持」にまでは踏み込まず、「自主投票」という「隠然たる舛添支持」に留まったはずなのだ。現に連合東京の幹部は1月中旬まで、「自主投票」を強く示唆することで民主党との違いを強調していたのだ。
 だが「脱原発」を掲げる細川を民主党の東京選出議員らが応援することが明らかになった以上、東電労組出身の大野博を会長に戴く連合東京が、「原発政策の偏向」に抗して「原発再稼動容認」を公言する候補者の支持へと舵を切るのはある意味で必然であった。それは日本の原発メーカーの経営中枢にも貫かれはじめている「脱原発=廃炉ビジネスへの転進」と「輸出をテコにした原発推進」という分岐に対する、経営・労組を貫く現状維持派の強い危機感の表明でもある。
 そしてこの、「自民党内の紛糾」と「民主党支持票の分解」という2つの現象は、その本質において「自民党と民主党を貫く政党再編」の客観的基盤なのである。つまり理念的にも政策的にも「ゴッタ煮状態」としか言いようのない現在の自民党と民主党という二大政党内の政治的分岐が「脱原発」を巡って露になったのだが、この事実は、小選挙区制という「恣意的制度をテコにした離合集散」を通じてではなく、日本政治の大転換をはらむ「脱原発」のような具体的テーマを通じて政党再編が促進される、そうした可能性を始めてリアルに示唆したと言っても過言ではないだろう。
 細川・小泉コンビによる「知事選乱入」の最大の効用は実にこの点に、つまり理念的政策的分岐を通じた「政党再編の道筋を示唆した」事にある。

▼「左派・革新勢力」の分岐と課題

 そしてもうひとつ「様相を一変させた(させられた!)」のが、宇都宮選対と細川勝手連とに分解した「左派・革新勢力」である。
 鎌田氏らによる「脱原発候補一本化」の要請は、前述のように「1+1=3」という相乗効果の可能性を含めて、原発再稼動をめぐる一進一退の攻防局面を「脱原発」に向けて一歩でも前進させようとする野心的な試みではあったが、それは残念ながら実現しなかったばかりか、その候補者一本化が達成されなかったことによって「左派・革新勢力」の二極分解が現れることになった。
 もっとも選挙戦における二極分解が明らかになった時点で、脱原発運動にかかわる人々の間では漠然とではあれ、「選挙戦の対立を脱原発運動と連動させない」つまり選挙戦の分岐を社会運動には持ち込まないという相互了解が成立し、だからまた都知事選後の脱原発運動でも表立った対立や抗争が起きている訳ではない。だが同時に「宇都宮支持派」と「細川への一本化支持派」の間で交わされた議論がはらむ政治的分岐は、今後の脱原発運動の展開をめぐって繰り返し姿を現さずにはおかない戦略的分岐を孕むものであり、その意味では耳目を塞いでこれをやり過ごす訳にもいかないだろう。
 ではその「戦略的分岐」とは、いったいどのような分岐だったのだろうか。
 「宇都宮支持派」の主張は、基本的に細川・小泉コンビの過去の行状とくに小泉が首相当時行った数々の「悪行」を根拠にして、「たとえ脱原発では一致しても、それだけで候補者の一本化などできない」というものから「そもそも小泉も(そして細川も)保守派政治家であり信用できない」という頑ななものまであるが、共通しているのは「保守派への追従」や「保守派への屈服」に反対だ、あるいは主観的意図はどうあれ「そのように見なされる」選挙戦術に反対だということであり、その意味では「左派・革新勢力」としての自主・自立を貫くべしとする主張だと要約しても的外れではないだろう。
 対する「細川への一本化支持派」は「直感的判断」という非論理的な理由まで含めてその主張は多様だが、最大の共通項は「脱原発の実現には保守派との連携が不可欠だ」とする認識の共有だと言える。
 こうした「認識の共有」の背景には、原発技術者から最も強硬な原発技術と政策への批判者へと転じ、その後の脱原発運動に多大な影響を与えた故・高木仁三郎さんが、「日本の原発を止めるには、日の丸の鉢巻を巻いたお母ちゃんたちが原発を包囲して座り込むような闘いが必要だ」と、最も広範な人々を結集する反原発運動のイメージを語り続けていたことと同時に、福島原発の事故以来、必ずしも原発に反対ではなかった保守層の多くが真剣に「脱原発」を望み始めている現実がある。
 つまり誤解を恐れず両者の戦略的分岐を可能な限り単純化すると、前者が「左派・革新勢力」としての自主・自立の堅持つまり「原発政策でも保革の対決を貫くべし」とするのに対して、後者は福島の原発事以降の「大きく変化しはじめた(保守層の)現実」を踏まえて、あるいは「直感的に変化を感じ取ってきた」ことに依拠して、保守層を含む最も広範な脱原発の意思を結集させる必要がある、とするのである。
 本稿の見出しに掲げた「独自候補・保革対決」か「統一候補・連立政権」かという分岐のあり方が、都知事選ではこのように現れたのである。
 ところで私の立場はすでに述べてきたように後者だが、前者つまり「左派・革新勢力」としての自主・自立の堅持という選択を代表するのは、宇都宮選対でも街宣への動員や応援弁士の手配などで最も重要な役割をはたした日本共産党である。その共産党は最近、具体的には一昨年末の参議院選挙で大幅に議席を増やして以降、「自共対決時代の再来」という情勢認識を盛んに広めようとしているのだが、それは「広範な人々との共闘」とか「保守派との連携」とは逆に、「孤高の革新政党」としてあらゆる場面で「自共対決の構図」を追求する路線に他ならないのである。

 たしかに、「左派・革新勢力」の自主・独立性の堅持なる論理は、長く「戦後革新」の陣営で反戦・平和運動や労働組合活動に邁進してきた人々にとっては明快でわかり易い論理ではある。だが「戦後革新」という名に示されるようにそれは、東西冷戦という国際情勢の最前線に位置することになったこの国の地政学的位置を前提にして、ソ連邦が「労働者を主人公とする輝ける社会主義的未来」と信じられ、「日本帝国主義が(不当に)革命中国を敵視」していた時代に「現実性を付与されていた」に過ぎない論理であり、少なくとも「大きく変化しはじめた(保守層の)現実」に切り込むような論理ではない。
 ただ後者の側にも課題はある。「保守派との連携」を積極的に、言い換えれば「保守派との連携」が、より民主的でより格差の少ない社会を実現する運動にとって「なぜ有効なのか」等々、戦術的判断を越える意義を論証する仕事が残っているからである。
 最初に指摘したように、脱原発運動は「絶好の機会」を逃がしたのかもしれないし、原発政策をめぐる「保守派の分解」は都知事選で顕在化したとは言えない。
 だがその後の「集団的自衛権の行使」をめぐる自民党内の紛糾や、間に合わせの野合政党だったとはいえ維新の会の内紛の拡大は、旧来的な「保革対決」の枠組みとは違った回路とステージで、この国の未来に係わる重要な政治的分岐が進行中であることを示唆してはいないだろうか。もちろんこの現象が細川・小泉コンビによる都知事選への「乱入」の結果だとは言わないが、細川・小泉コンビが「脱原発」を掲げて戦後保守政党・自民党の深い政治的動揺に一石を投じたことの影響を否定することはできない。
 そうであれば、私たちを含む「左派・革新勢力」を自認する人々は、都知事選の後で様々に流布される「隠然たる非難の応酬」や「内部告発と暴露」を巡ってではなく、以上述べてきたような戦略的分岐の評価をめぐって、真摯な総括論議を行うことこそが求められていると思うのだ。

【3月7日:きうち・たかし】


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