●秘密保護法の制定と日本版NSCの発足

「改憲立法」を主導する戦争責任を逃れた外務官僚

(インターナショナル216号:2013年12月25日号掲載)


▼「情報公開」に関する日米間ギャップ

 安倍自民党政権の肝いりである日本版NSC(=国家安全保障会議)にとって不可欠な法律だとして国会に上程されていた「特定秘密保護法(案)」(以下「秘密保護法」)は、12月6日深夜の参院本会議で可決・成立した。
 すでにご承知の読者も多いだろうが、この法案の最大の問題点は秘密とされる情報に関するあらゆる権限を行政機構自身が独占し、その運用に関する客観的な検証や監視のシステムが完全に欠落していることである。言い換えればそれは、民衆が行政権力の不正や怠慢を監視し選挙や行政訴訟を通じてそうした行政の不正・怠慢を正すという、民主主義の形式的正当性をすらないがしろしにして、「依らしむべし、知らしむべからず」式の「お上による愚民政治」を促進しかねない、「知る権利」が広く認められてきた今という時代に逆行する時代錯誤の法律と言っていい。
 安倍政権はこの法律を、前述のように日本版NSCの設置にとって不可欠だとして強引に制定したのだが、その理由として2007年8月にアメリカとの間で締結した「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)を引き合いに出し、軍事情報保護のレベルをアメリカ並みに厳しくすることがアメリカとの同盟関係を維持するのに必要であり、それは日本の秘密情報保護のレベルを国際的水準に合わせることだといった説明をしてきた。
 だがこうした「グローバル・スタンダード」を口実にする理屈はたいてい、都合の良い部分だけのつまみ食いの場合が多い。今回の秘密保護案の国会審議でも「知る権利」をどう保障するかが大きな争点だったが、安倍政権が「国際水準の手本」とするアメリカは情報保護が厳しい一方で、半世紀ちかい昔の1966年に政府に情報公開を義務づけた「情報の自由法」(FOIA)を制定しており、こうした法整備の発端はすでに第二次大戦中、当時のマスメディアの幹部たちが「戦争中であっても、軍事情報をふくめ国民に必要な情報はもっと知らされるべきだ」という議論をしたことだったのだ。
 こうしてアメリカでは原則30年後にはあらゆる公文書が公開されており、それによって1972年の沖縄返還協定に際して核持込を容認する日米間の秘密協定があったことも確認されているのだが、もう一方の当事者である日本政府は今なお秘密協定の存在そのものを認めてはいないのだ。この事実ひとつだけでも、制定された秘密保護法が行政権力によって恣意的に運用される危険性を指摘するのに十分だろう。
 情報秘匿は国際水準で情報公開は旧態依然というこの情報管理の「二重基準」にこそ、この法案とそれを強引に制定した安倍政権の、行政権力の強化によって社会的危機に対処しようとする国家主義的な思想傾向が端的に示されている。

▼事実上の改憲立法「国家安全保障基本法」

 秘密保護法反対運動の過程では、当然のことだが「知る権利」の保障や秘密情報に関する客観的な評価機関の設置など、前述した「秘密とされる情報に関するあらゆる権限を行政機構自身が独占」する事態に歯止めをかけようと「第三者機関による評価と監視」や「秘密指定期間の限定」などが焦点となってきた。しかし冒頭でも指摘したように、秘密保護法が日本版NSCの設置にとって「不可欠の処置」として提起されたことを考えれば、そのNSC=国家安全保障会議の設置が何を意味するかについての議論が不十分だったのではないかとの思いが拭いがたい。
 改めて言うまでもないが、安倍首相とこれを支える「国家主義者」たちの長年の悲願は、その方法が公然たる憲法九条の改訂であれ九条解釈を変更する解釈改憲であれ、「集団的自衛権行使」の解禁にあることは明白であり、これを実現しようとする彼らの核心的ねらいは衆院選でも参院選でも自民党の公約として掲げられてきた「国家安全保障基本法」の制定にあると考えるべきだと思うからだ。というのも、「集団的自衛権行使を可能とする」という文言を枕詞(まくらことば)にした自民党の「国家安全保障基本法(案)」は、集団的自衛権の行使を可能にする「事実上の改憲立法」に他ならないし、今国会で安倍政権が強引に成立させた秘密保護法を必須の条件とする日本版NSCとは、この「基本法」の具体的な執行機関に他ならないからである。
 こうした「事実上の改憲立法」についてわたしたちは、日米同盟の堅持を謳ってイラクへの自衛隊派遣を可能にした小泉政権当時の「イラク特別措置法」を思い返すべきであろう。国連平和維持活動(PKO)への参加という枠組みを取り払って海外派兵を可能にした特別措置法は、専守防衛を旨として国外への軍隊(自衛隊)の派遣を禁じた憲法規定を事実上反故にしてしまったと言って過言ではない。そして来年の通常国会に上程されると思われる「国家安全保障基本法(案)」はさらにそれを一歩進め、集団的自衛権の行使として自衛隊の海外派兵を可能にしようとする改憲立法というべきなのである。
 ところが、この「事実上の改憲立法」の執行機関であるNSC設置関連法案はすでに11月27日、自民、公明、民主、みんな、維新の賛成多数で成立し、秘密保護法案の国会審議が緊張を増した12月4日にはNSCが発足、12月17日には外交・安全保障政策の指針となる「国家安全保障戦略」と新たな「防衛大綱」「中期防衛力整備計画(中期防)」も閣議決定されてしまってもいるのだ。
 集団的自衛権の行使を可能にする「国家安全保障基本法」の国会審議を後回しにして集団的自衛権をめぐる論争を回避しつつ、まずはその執行機関であるNSCの発足や情報秘匿の行政権限を強化する「秘密保護法」を成立させるなど既成事実を積み上げる安部政権の手法は、麻生外相が放言した「ナチスのように人々が知らないうちに憲法が変わっていた」状況そのものといっていいだろう。
 だがそれは安倍政権の閣僚や主要な幹部たちが、既成事実を積み上げて「事実上の改憲」を達成する手法について十分に自覚的であることを意味しており、口の軽い麻生はそれをうっかり漏らしたということに過ぎないのかもしれない。

▼日本版NSCと外務官僚の「戦争責任」

 安倍政権の集団的自衛権行使の容認にむけた一連の動きを主導しているのは、防衛省ではなく、元外務官僚を含む外務省だと言われている。「暴走する安全保障政策」という特集を組んだ『月刊世界』2013年12月号に掲載された論文「岐路に立つ安全保障」には、以下のような指摘がある。少し長いが引用する。

 「政権発足から2ヵ月後の今年2月、有識者による『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』の議論を再開させた。これは第一次安倍内閣時の2007年4月に発足したが、安倍は5ヵ月後退陣したため、報告書は福田赳夫首相に提出された。その内容は@米国を狙った弾道ミサイルの迎撃、A米艦船防護、B国連平和維持活動(PKO)での武器使用基準、C多国籍軍への後方支援―を含め4類型を検討し、米艦船防護とミサイル迎撃で集団的自衛権行使を認める必要があるとの結論だった。・・・・・・(中略)・・・・・・
 安倍はこれを蘇らせようと、懇談会を再開させた。ただ、その時に懇談会を主導する柳井(懇談会座長・元外務事務次官)、国際大学長の北岡伸一は既に、次の報告書では4類型にこだわらず、包括的に集団的自衛権の行使を容認する提言をまとめる方向に傾いていた。・・・・・・(中略)・・・・・・
 背後には、元外務事務次官で内閣官房参与を務める谷内(やち)正太郎、外務担当の官房副長官補である兼原信克ら集団的自衛権の全面的な行使容認に前向きな外務官僚の存在も大きく影響している。ちなみに兼原は第一次安倍内閣時の・・・新外交戦略『自由と繁栄の孤』構想の立案者で・・・(中略)・・・外交安全保障政策の司令塔となる日本版『国家安全保障会議(NSC)』設置関連法案を主導したのも谷内、兼原、そして外務省と二人三脚の北岡であり・・・(後略)」。

 戦後日本の反戦平和運動は、日本国内の主要な危険を「軍国主義の復活」と見なし、その主要な担い手を軍人つまり防衛庁として復活した幹部自衛官と考え、これへの警戒と批判を中心に展開されてきたと言える。
 しかし湾岸戦争での外交的失策を契機に、外務相の「アメリカンスクール」と呼ばれる親米派官僚を中心に国連安保理の常任理事国を目指すなど、新たな安全保障政策を追求しようとする勢力が台頭し、まさにその過程で「イラク特別措置法」があり、「事実上の改憲立法」の準備が着々と進められてきたと言えるだろう。
 しかも、NSCの成否を握る事務局=各省庁の実務官僚60人ほどで構成される国家安全保障局の初代局長に就任するだろうと見られている元外務事務次官の谷内は東大在学中、岸政権による日米安保条約改定に反対する全学連を批判して活動した「木曜会」なる右派学生組織に参画した経歴をもつ、ある意味では筋金入りの「日本版ネオコン」と呼んでも良いかもしれない人物なのだ。
 だが前述のように戦後日本の反戦平和運動は、外務省が九条改憲を主導するといった事態を想定してこなかった。もっと言えば中国侵略や絶望的な対米戦争へとこの国の進路を誤らせた軍部に対して、外務省は日米戦争の回避を懸命に追求した「非戦派」として認識する「神話」に囚われてきたとさえ言える。
 この外務省に関する「非戦派神話」は、軍部に抵抗した気骨の外交官・吉田茂が戦後長く首相を務めたこととも相まって、ナチス・ドイツとの軍事同盟へと踏み込んで日米戦争への道を掃き清めた「外務省の戦争責任」を後景に押しやってもきた。だが日独伊防共協定の締結を推進した当時の外相・松岡は外務省内で孤立していた訳ではないし、気骨の外交官・吉田も、すでに敗戦が確定的となった対米戦争の早期終結を主張したのであって、絶望的な対米戦争に向かう外交路線に異を唱えた訳ではないのだ。
 つまり外務官僚たちは、アメリカの対日政策によって一度は徹底的に解体された内務省や軍部とは違って、ただの一度も「戦争責任」を追及されることもなく、だからまたあの戦争への道のりを真剣に反省する契機を持たないまま戦後へと生き延びた官僚機構と精神文化の継承者である事実を忘れてはなるまい。

▼支持率が最低になった安部政権

 安倍政権の下で国家安全保障会議が発足し秘密保護法が成立したいま、8月参院選での圧勝を背景にして、第一次安倍内閣では成しえなかった安全保障政策の全面的再編にむけた一連の立法攻勢が功を奏し、あとは来年の通常国会に提案する「国家安全保障基本法」の内容を詰める作業を残すのみとなった観がある。
 わたしは安倍自民党が圧勝した8月参院選挙の直後に、以下のように書いた。
「・・・安倍政権が直面する最も重要な当面する課題は、『アベノミクス』で煽られた金融市場の活況に冷水を浴びせかねない消費税率の引き上げと、TPP交渉で迫られる「聖域なき貿易自由化」の2つであって、改憲ではないからだ」【本誌××号】と。
 もちろんつづけて「もっともこうした難航が予測される経済的課題に対して外交・安全保障の面では、安倍カラーがそれなりに発揮される可能性は十分にある」とも指摘はしたが、民主党が秘密保護法について最後の土壇場で反対を貫きはしたもののNSC設置関連諸法ではあっさり賛成に廻ったこともふくめて、わたしの「経済政策での難航が安保政策の推進にも影響を与えるのではないか」との予測は、的を射てなかったのかもしれない。
 ところが日本経済新聞の12月22日朝刊に掲載された世論調査では、安倍政権にとっては順風万帆に見えたこの時期に、政権支持率が発足後最低の56%と前月比7ポイントの下落を記録したのである。しかも成立したばかりの秘密保護法については「評価しない」が58%と「評価する」の28%を大きく上回り、高い支持率の主要な原因でもある経済政策についても「来年は今年より景気が良くなると期待できるか」との質問に対して「期待できない」が49%と「期待できる」39%を上回り、TPP(環太平洋経済連携協定)についても「妥協するくらいなら合意すべきではない」が46%と「妥協もやむを得ない」の39%を上回り、消費税率引き上げに伴う軽減税率の導入も「賛成」が74%占めた。さらに印象的なのは「衆参のねじれが解消した国会の姿」についての質問に、「望ましくない」との答えが49%と「望ましい」の39%を上回る結果になったことである。
 安倍政権による安全保障政策の再編にさほど批判的とはいえない日経新聞の世論調査で秘密保護法への否定的評価が6割近くに達し、高い内閣支持率を支えてきた経済政策についても否定的評価が増加しつつある現実が安倍政権にとってどの程度の逆風になるか、現時点では判然としない。
 だがひとつだけはっきりしていることは、アベノミクスなる「合理的期待形成」政策による好況への期待が(予想どおり)剥落しはじめ、怪しげできな臭い安全保障政策の性急な転換への戸惑いが、「民主党憎し」で自民党に傾斜してきた人々をも捉えはじめているということである。
 ちなみに日経新聞の世論調査による政党支持率は自民42%(前回比−5P)、民主9(+3)、維新3(−1)、公明3(−1)、みんな2(−1)、共産5(+2)、社民1(0)だった。

(12/23:きうち・たかし)


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