●「鴻海事件」の衝撃

「モノづくり日本」の虚構と産業政策の混迷

―「日の丸家電」の挫折は何を教えているのか―

(インターナショナル第208号:2012年5月号掲載)


▼「世界の亀山モデル」の挫折

 3月27日、シャープ電機はEMS(電子機器の受託製造)世界最大手の鴻海(ホンハイ)精密工業との資本提携を発表した。それによるとシャープは、2013年3月までに鴻海グループ企業4社に669億円の第三者割当増資を実施、これによって台湾資本である同グループはシャープ株式の10%を保有し、日本生命保険を抜いて一気に筆頭株主に踊り出ることになった。経済界でいう「鴻海事件」である。
 つい8年前の2004年、液晶パネルとテレビの一貫生産工場として稼動したシャープ亀山工場(三重県)で製造された液晶テレビ「アクオス」は、「世界の亀山モデル」というブランド化戦略によるキャンペーンを展開し、テレビの地上デジタル化とも相まってオーディオを中心とした国内家電市場の活況を演出する役割を担ったこともある。それは製造業の生産拠点が次々と海外に移転し、「産業空洞化」の危機感が戦後日本の産業政策に大きな転換を迫るなか、高度な最先端技術の開発とブラックボックス化した最新鋭工場をもってすれば、「モノづくり日本」は国内生産拠点を維持して世界市場をリードすることができるといった期待を、まさに過大に掻き立てる「事件」であった。
 だがそれからわずか5年後の2009年、シャープは亀山第一工場の設備を中国資本に売却し、工場を誘致した三重県からは補助金6億4200万円の返還を請求されることになる。それは利幅が急速に縮小した小型液晶パネル生産を外部生産に転換し、替わって利幅の大きい大型液晶パネル(40インチ以上)製造に資源を集中した結果だったのだが、4200億円もの巨費を投じて同じ年に稼動した大阪・堺の大型液晶パネル工場も昨年秋以降は稼働率が5割を切り、巨額の減損処理が懸念される事態に直面していた。
 結局、堺工場を運営するシャープディスプレイプロダクトの株式46・5%が、鴻海の董事長・郭台銘(テリー・ゴウ)氏個人に660億円で譲渡されることになり、堺工場は近い将来、シャープの連結子会社から外れて鴻海との共同運営になるという。
 「鴻海事件」と呼ばれたこの一連のシャープの資本提携の動向は、業界紙などでは「日本テレビが白旗を掲げた日」などと報じられた。しかし事件のより重要な側面は、むしろ通産省から経済産業省へと引き継がれてきた「日の丸産業政策」の終焉を象徴する出来事だということであり、本質的には「原料を輸入し工業製品を輸出する」という、戦後日本の「輸出立国」という国家戦略が、少なくとも家電という、自動車と並ぶ戦後日本の基幹産業において重大な限界に直面した事実であろう。

▼「日の丸半導体」エルピーダの破綻

 家電とくにテレビやIT分野での日本メーカーの苦戦は、アジアを中心とする新興諸国の勃興と軌を一にして深刻化してきた。シャープの鴻海との資本提携はこうした日本メーカーが行き着いた末の事件だが、その1ヶ月前の2月27日には、戦後日本の産業政策の破綻を象徴するような「事件」も起きていたのである。
 この日、日本の半導体メーカーを代表する日立製作所、NEC、三菱電機という3社のDRAM部門を統合して設立された国内唯一のDRAMメーカーであるエルピーダメモリ株式会社(以下:エルピーダ)が、東京地裁に会社更生法の適用を申請したのである。経済産業省の肝いりで3社の半導体部門を統合して誕生した「日の丸半導体メーカー」は、債権者が期待した国家資金投入などの救済策が取られることもなく、あえなく経営破綻に追い込まれたのだ。
 DRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリー)はIT機器の記憶素子として広範に使用されるメモリー部品だが、日本の半導体産業は「大型工業技術研究開発制度」という、特定の技術に巨額の補助金を交付する国家プロジェクトの支援を受けて開発した最先端技術(1メガビットDRAM)を武器に世界市場を席捲、80年代には半導体の黄金時代を謳歌したこともある。つまりDRAMは、「モノづくり日本」と「輸出立国」の成功体験を象徴する存在であった。
 だが周知のように「IT革命」と呼ばれた情報技術の日進月歩は、最先端と言われた技術が数年で陳腐化する極めて早い「技術の世代交代」を常態化し、同時にグローバリゼーションの展開が「最先端技術の流出」を加速した結果として、工業的先進諸国のIT関連商品の開発と生産とは、設備投資の減価償却もままならない事態に直面することになった。これに追い討ちをかけたのが、新興諸国が賃金格差を最大の武器にして仕掛けた価格競争である。実際に日立、NEC、三菱の3社が、いわばプライドをかなぐり棄ててエルピーダの設立に踏み切ったのも、韓国のサムスン電子とSKハイニックスという、今では世界上位2強となった韓国半導体メーカーをはじめとする新興諸国の激しい追い上げを受け、単独では太刀打ちできなくなったからに他ならない。
 しかしこうした事業統合が政府(経産省)の主導で行われること事態、市場を通じた「自由競争」を歪めるものではないだろうか。世界の半導体市場で敗色濃厚な商品を生産する企業を、国家が支援することで延命させるだけだからである。しかもこれは、前述した国家プロジェクトによる先端技術開発の支援とは違って、未来志向の公金の使い方とは到底言えないであろう。
 ところがこの「国家プロジェクトによる先端技術開発の支援」という、戦後日本の経済的成功をバックアップしてきたシステムも、「1メガビットDRAM」の開発に成功した「超LSI技術研究組合」以降は、失敗の連続という体たらくなのである。

▼日の丸プロジェクトの破産と延命

 「大型工業技術研究開発制度」を取り仕切る旧通産省(現・経産相)の部局は、機械情報産業局(現・商務情報政策局)だが、90年代の歴代事務次官7人のうち6人が同局長・局次長の経験者であることからも判るように、文字通り省の中核部局であった。
 ところが一方では、1976年に始動した「超LSI技術研究組合」の成功を受けて、その後も次々と立ち上げられた日の丸プロジェクトが、ことごとく失敗していたのである。
 第5世代コンピュータ、シグマ計画、TRONプロジェクト、グーグルに対抗する国産検索エンジン開発と、まさに屍累々のありさまなのだが、それも当然と言わねばならない。なぜなら先にも述べたように、情報通信の世界は技術の世代交代が早く、その分、需要構造が短期間で大きく変化してしまうからである。一定規模の需要は見込めないが、他に先んじれば大金を稼ぐこともできるこうした事態に対応できるのは、アメリカ・シリコンバレーに集まるようなベンチャー企業群なのであって、特定の技術を標的にした大企業の共同開発という方式は、質、量、スピードのいずれにおいても太刀打ちできるはずもないからである。その意味ではDRAMは、巨額の開発費と設備投資の資金を国家が支援してくれれば一定程度の需要は見込める、そうした製品ではあったのだ。
 もっとも経産省が、この状況に無頓着だった訳ではない。開発資金に苦慮する新興国の企業ならいざ知らず、補助金と官庁のイニシアチブで技術開発を奨励する産業振興政策が時代遅れであることは明白だった。だから経産省も「大型工業技術研究開発制度」を止め、規制緩和による市場原理型の競争に舵を切ったのだ。
 ところがエルピーダは、2005年に経産省が打ち出した「新産業創造政策」の下で生き残ってしまったのだ。アジアの新興マーケット開拓を政策目標に掲げた「新産業創造政策」は、アジアの新興マーケットでより大きな需要を見込めるのは高品質・高価格の日本製品ではなく廉価製品であり、廉価製品をアジア市場に投入するには、企業の枠組みを越えた合従連衡による過剰設備と過剰債務の解消が不可欠だとしたのだが、当時すでに廉価製品となっていたDRAMは、この政策に見事に合致したのである。こうして経産省は、あろうことか事業会社に公的資金を注入する「禁じ手」まで使ってDRAMに期待をつないだのである。
 こうして結局、時代遅れの産業振興策は延命されたのだ。しかも、アジアの新興市場には「日本の高品質・高価格商品は向いていない」という見当はずれの、アジア蔑視を色濃く漂わせたアジア市場の分析を土台にして、である。
 ちなみに、当時はシャープの堺工場とパナソニックの姫路工場という最新鋭工場の建設が急ピッチで進んでいたが、今となれば誰の目にも明らかなこの過剰投資を、経産省は「重要なモノづくり≠ヘ日本に回帰しつつある」と、無邪気に歓迎してもいたのだ。
 そして今また同様の日の丸プロジェクトが、産業革新機構が2000億円(70%)を出資する形で動きはじめている。東芝、日立、ソニーの中小型液晶パネル事業を統合した「ジャパンディスプレイ」がそれである。
 スマートホンやタブレット端末向けに需要が拡大している中小型パネル分野は、駆動方式や表示方式などで日本企業が独自の高精細技術を持つ分野なのだが、新興国の追い上げで苦境のつづく家電メーカーには事業化の資金はなく、いわば産業革新機構がベンチャーキャピタルの役目を担おうという目論見なのだろう。
 だが大企業連合方式の問題点は、スピードや量のほかにも技術や設備の融合が困難だという大問題がある。破綻したエルピーダの坂本幸雄社長は辣腕で知られる経営者だったが、その彼をもってしても技術的融合が困難だったと言われる以上、ジャパンディスプレイが現状のアメリカ・アップル社の下請けを脱し、2015年までに株式上場にこぎ着けるかどうかは、やはり不透明と言うほかはない。

▼「モノづくり日本」という虚構

 かつて通産省(現・経産省)は、欧米で「悪名高き通産省」と呼ばれたほど、手ごわい産業振興策を駆使する存在だったのは間違いない。
 だが大量生産・大量消費そして大量廃棄型の経済成長が行き詰まり、自動車や家電に代表される大衆消費財の市場が飽和状態になるにしたがって、得意の産業振興政策が必ずしも効果を発揮しなくなったのは、先に述べたとおりである。否むしろ「大企業連合」を産業政策の主要な手段にしたことで、ベンチャー企業の育成などにとっては逆効果になったことさえあっただろう。
 だがより本質的な問題は、政府・通産省がこうした産業振興政策から抜け出せなかったのは、結局のところ「モノづくり」と「輸出立国」という、永遠につづくはずもない経済戦略に呪縛されていたからではなかったのかということである。
 日の丸半導体やら日の丸家電のジリ貧に手をこまねくしかなかったように見えるのも、実はこの「モノづくり」と「輸出立国」に固執し、結果として次の時代を見通すような産業政策なり展望なりを見い出すことに失敗し、むしろ新しい業種に後追い的に対応することしか出来なかったからではないだろうか。
 たしかに日本には匠(たくみ)とか職人と呼ばれる人々の、年季を積んだ独特の技術の伝統があり、なかには金属の研磨や造船の溶接技術など、近代産業にも受け継がれるような職人業もある。だがそれは、ベルトコンベアーと製作ロボットが液晶パネルや大容量メモリーを大量生産する技術とは、何の共通性もないのだ。
 にもかかわらず、それこそ造船や金属産業で世界に名を馳せはじめた高度経済成長の始まりの時代の幻を追うかのように、大量生産の自動車や家電を「モノづくり」として語り、相も変らぬ「輸出立国」を経済戦略の軸にしつづけている政府・中央官庁のありようは、どう考えても「未来志向」とは言い難い。
 と同時に、すでに市場としては「成熟」して久しい自動車や家電をいまだに「輸出立国」の主役に据え、これら輸出産業の業績が悪化することばかりを懸念して「円高」阻止に巨額の公金を投じるのは、究極の「守旧志向」であろう。だいたい円高対策として投じられる公金は、輸出産業への「隠れた補助金」と言うべきものだ。
 日本経済の未来を、この「モノづくり」の虚構と「輸出立国」とは完全に切り離したところから考え直す必要に迫られている。エルピーダの経営破たんや台湾資本に最新鋭工場を明け渡さざるを得なくなったシャープ電機の苦境が、それを教えている。

(5月28日:きうち・たかし)


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