●民主党代表選挙と野田政権の発足

党内主流派が支える「菅政権の後継」

―党内融和と「財務省との蜜月」が意味すること―

(インターナショナル第203号:2011年9月号掲載)


▼民主党にも「振り子の原理」?

 菅内閣の財務大臣だった野田佳彦が民主党代表選を制し、民主党で3人目の総理大臣になる可能性は、たしかにそれほど高いとは言えなかった。
 有力候補の一人である前原誠司・前外相の不出馬を見越していち早く代表選への出馬を表明し、その分だけ他候補に一歩先んじたとはいえ、党内最大勢力「小沢派」の支持を得るのに失敗したうえ、前原・前外相が意を翻して出馬を表明し、その思惑は大きく外れてしまったからである。代表戦直前には、陣営内にすら「(勝算がなくなった以上)前原支持で一本化すべきではないか」との意見まであったといわれる。
 だが蓋を開けてみると、野田は第1回目の投票で、その有力候補である前原を大きく上回る得票(野田102票と前原70票)で第2位に食い込み、決戦投票では第1位の海江田万里・前厚労相を逆転して政権与党の代表に選出された。
 野田の勝因は、印象的な「どじょう演説」を含めて様々に解説されているが、事実として明確なことは、彼が菅や前原そして岡田・前幹事長のグループの支持を得て、つまり「菅政権下の党内主流派」の支持で小沢一郎・元代表が推した海江田を押しのけ、第95代総理大臣に就任したということである。
 したがって野田政権は、「小沢側近」と言われる輿石東・参院議員会長を党幹事長に起用して党内融和と挙党体制を強く印象づけ、あるいは発足直後の高い支持率が示す民主党政権のイメージチェンジを象徴するとはいえ、いわゆる自民党政権当時の「振り子の原理」とは位相が異なることを確認しておく必要があるだろう。
 なぜなら1974年の田中政権から三木政権への交代や、2001年の森政権から小泉政権への交代が典型と言われる自民党の「振り子の原理」とは、いわば自民党内の対極の路線やリーダーへの〃乗り移り〃によって「自民党の政権」が維持されてきたことを意味するが、新たに発足した野田政権は「3・11以前の菅政権」、つまり環太平洋パートナーシップ協定(TPP協定)の協議参加に積極姿勢を示し、「成長戦略」の重要な柱に原発ビジネスを据えた「発足当初の菅政権」の「正統な後継政権」という性格を持つからである。
 この事実を確認しておくことは、野田政権を「民主党政権の自民党化」と評したり、だからまた08年夏の政権交代の歴史的意義とその後の民主党政権への幻滅とを混同し、戦後日本政治の一大転換期という客観的な可能性に背を向ける危険に、私たちが陥ることを防止するのに役立つだろうからである。
 ではその野田政権の客観的性格とは、どのようなものなのだろうか?

▼「財務省が生んだ首相」という評判

 「民主党代表選の第一回投票で、野田佳彦氏が二位(百二票)に食い込むと、テレビに釘付けだった財務官僚から『ウォー』と歓声が上がった。/決戦投票にもつれ込めば、野田氏の勝利はほぼ間違いない。新入閣が財務大臣で、副大臣から数え二年間どっぷり財務省に浸かった野田氏はいわば『財務省が生んだ総理』(官邸関係者)。これで長年の懸案である消費税引き上げが見えてくる。財務省の『消費税シフト』はほぼ同時に始まった。」
 民主党代表選で野田が選出されたことを報じる『週刊文春』の記事(9月29日号「THIS WEEK 霞ヶ関」)の一節である。
 この報道は、野田政権が、消費税率の引き上げを「目論む」財務省官僚の「傀儡(かいらい)」であると示唆する、ひとつの典型である。
 たしかに野田は、民主党代表選でも震災復興財源を各種の増税で確保するという「苦い薬」の必要を公然と主張してきたし、「政治主導」の掛け声の下、酒席で官僚と同席するのがはばかられた鳩山政権下でも、財務省官僚たちと一緒に酒を飲むことも厭わない人物との評判があった。さらに発足当初の菅政権もまた、参院選の争点に消費税率の引き上げを唐突に持ち出して批判されたように「財務省との蜜月」を演出したのであり、その意味では民主党と財務省の蜜月の復活が連想されて不思議ではない。
 しかし菅政権の「財務官僚との蜜月」は、政権交代の高揚感の中でスターとした鳩山政権下で生じた国家官僚機構との「無用な抗争」に終止符を打ち、「官僚の中の官僚」と呼ばれる財務官僚(かつての大蔵官僚)と誼(よしみ)を通じ、政権担当能力に疑問符が付き始めていた民主党政権を安定させようと、官僚機構との協調を印象付けようとした政治的配慮という色彩が強かったと言っていい。
 というのは菅政権もまた「脱官僚依存」を掲げ、財務省以外の省庁との関係では、予算を握る財務官僚との連携を介して「政治主導」を堅持しようとしていたと考えられるからである。事実、菅政権下の首相随行秘書官は民主党職員であり、各省庁から出向した官僚は菅首相に随行するのを許されなかった。
 対して野田政権の財務官僚との蜜月は、「政治的配慮」というよりも、国家官僚機構を活用して国家を運営するノウハウを、「菅政権下の党内主流派」が習得しつつある現実の反映と考えても的はずれではないように思われる。
 野田の弁を借りれば、震災の復旧・復興と原発事故の収束等々「しなければならない」当面の課題を着実に推進するために、形式的な官僚との協調を超えて、政権と官僚機構の連携を重視する姿勢と言っていいだろう。他方で野田は、「中流階層」の厚さを回復するなど「(野田首相として)やりたい事」を当面の課題と峻別し、それによって「やりたい事」を大上段に構えて挫折した鳩山、菅の両政権との違いを鮮明にしているのだろう。そこには、政権党である民主党内の、熾烈だが不毛な党内抗争の影響もあって批判が集中している震災復旧事業の遅れなど、文字通り「当面する課題」で成果を積み上げ、もって民主党政権への期待と支持の回復を目指すという、実に手堅い政治手法という野田の特徴を見て取ることができる。
 その意味で野田が代表選で強調した「ノーサイド(試合終了)」は、反小沢VS親小沢という民主党内の不毛な抗争のみならず、「政治主導」の掛け声の下で、実態としては「官僚の排斥」へと堕した民主党政権2年間の混迷に終止符を打つ、言い換えれば「民主党政権の再スタート」とでもいった意気込みの表現だったのかもしれない。

▼戦後日本の「官僚主義の弊害」

 もっとも、戦後日本政治の弊害の主因を国家官僚機構の「官僚主義」に見い出そうとする人々にとって、野田の「官僚機構との親和性」は、「脱官僚依存」を掲げた民主党政権の質的転換や「裏切り」に見えるかもしれない。菅政権の発足当初に、唐突に持ち出された消費税率の引き上げに対しても同様の非難があったし、これによって菅政権が払った犠牲も小さくはない。少なくとも菅政権の場合は、「コンクリートから人へ」や「国民の生活が第一」のキャッチフレーズにはらまれていた「経済成長一辺倒」や「利便性の過度な追求」に対する批判的な理念と理想とを一時棚上げに、あるいはなし崩しにすることで「市民派」という政治ブランドの信用を著しく傷つけ、結果として3・11震災後の政治に、とりわけ原発政策をめぐる180度の路線転換に、重大な混乱と制約とをもたらすことになったからである。
 しかしそれでも、ひとつだけ確認しておきたいことがある。
 それは戦後日本の政治と経済の「諸悪の根源」のように語られてきた「官僚主義の弊害」は、単に中央省庁という国家官僚機構が握る巨大な権限や、これに依拠した「恣意的な行政指導」だけが問題なのではないということである。むしろそれは、故・森嶋通夫氏が指摘したように、戦後日本を代表する巨大企業のほぼすべてが「私的官僚制」と呼ぶべき形態で肥大化し、90年代のバブル景気の崩壊以降は、この「私的官僚機構」たる巨大企業がこぞって社会的責任を放棄して国家による優遇や保護を求め、国家官僚機構はこれに応えるように、新自由主義なる名分の下で企業の社会的責任の放棄=企業年金基金の解散やら、非正規雇用の急増やら、法人税の減額やら=を支援する諸施策を、文字通り強力推進してきた事実である。
 こうした戦後日本の政治・経済の基本構造を無視して、中央省庁の官僚主義だけを批判する90年代以降に流行した手法は、小泉政権がゴリ押しした「郵政民営化」に似て、郵政省という国家官僚機構と、大手銀行という「私(わたくし)的官僚機構」による「国民資産の争奪戦」を覆いかくす「隠れ蓑」にもなりかねないのだ。
 こうした「戦後日本」という歴史的条件の下で、国家官僚機構とどう向き合い「どう使いこなすか」という問題抜きに「官僚主義の弊害」を論じても、実のある議論にはならないと思うのだ。
 その意味では野田政権という、2年間の政権運営を通じて経験と学習を重ねてもきた「菅政権下の党内主流派」政権が、国家官僚機構とどう付き合おうとしているのかを冷静に見定める時間が、私たちにも必要だと思う。

 ところでこの「私たちに必要な時間」は、潜在的にはすでに充分に煮詰まっていると言える政党再編の行方を考える上で、大きな意味をもつと思われる。
 と言うのは、民主党と自民党という二大政党が共に「党内に重大なねじれ」を抱え込み、それが政党間の論争を曖昧で不明確なモノにし、逆に戦略的な政治論争に代わって官僚主義批判とか、金と政治の問題とか、魔女狩りのような失言追及など、現実的な必要とは乖離した「代替争点」ばかりが焦点化する、極めて効率の悪い政治が常態化している現実が、まさに08年の政権交代によって明らかになったと言えるからである。
 つまり野田政権が、国家官僚機構を政治的決定の下にコントロールすることに成功する度合いに応じて、不毛な官僚主義批判は政策的是非をめぐる分岐に、同様に反小沢VS親小沢なる不毛な対立は、党内論争の活性化(あるいは党内の風通しの良さの実現)に成功する度合いに応じて、政策的収斂の過程に取って替わる可能性があるということでもある。それは、好むと好まざるとにかかわらず、政党再編を促進する政治戦略をめぐる論争にとって必要不可欠な、「この国の形」に関わる政治的分岐を明確化する道を掃き清めることになるからである。
 とりあえず「手堅い政治手法」を買われて「菅政権下の党内主流派」の支持を得た野田首相は、こうした可能性を、無自覚的にではあれどこまで達成できるのか。私はこうした観点から、野田政権の今後の動向を見定めたいと思う。

(10/2:きうち・たかし)


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