竹中ショックで株価が急落

日本経済の低迷を増幅する「小泉改革」の政治的混乱

注目される分権的な地域金融再生の試み

(インターナショナル131号:2002年12月号掲載)


 柳沢金融相を更迭し、竹中経済相に金融相を兼務させる9月30日の内閣改造をへた10月3日、不良債権処理の加速策をまとめる「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」(PT)メンバーが発表されると、株価は「底割れ」した。竹中ショックである。
 この株価急落は、内閣改造の必然的結果であった。なぜなら柳沢金融相の更迭は、不良債権処理は順調で金融機関は健全化しつつあるという政府見解を事実上否定するものだったし、これに加えて竹中が、日銀出身のコンサルタント会社社長・木村剛氏をPTに入れたからである。不良債権の隠された実態に迫る「30社リスト」の作者である木村のPT入りは、「不良債権処理について、今後は容赦しない」という、竹中金融相のメッセージと受け取られたからである。
 したがって10月の株価急落の主役は、銀行株であった。内閣改造日の9月30日から10月9日までの日経平均の下落率は9%だが、同じ時期のりそなホールディングスは23%、三井住友銀行は26%、みずほホールディングスは39%、UFJホールディングスにいたっては46%と、銀行持ち株会社の株価は軒並み急落し、日経下落率を下回ったのは東京三菱ファイナンシャルグループの8%だけという惨状である。結果としてみずほとUFJの株価は50円額面換算なら170円台にまで下がり、98年の金融危機当時、旧富士銀行株が200円割れした状況に匹敵する。そして10月10日には一時的ながら、日経平均は83年3月以来の8,200円割れを記録した。
 しかしなんと言っても今回の銀行株価急落とそれに伴う金融危機再燃の懸念は、小泉政権による不用意な政策転換、もしくは「戦略なき正論」を強行するポーズという、まったくの政治的要因によって引き起こされことが特徴的であった。

          不良債権処理の挫折と混乱

 ところで、現在でも日経平均は8,500円そこそだが、これは日本資本主義にとっては極めて危機的な水準である。
 なぜなら戦後日本の640カ月余りにおよぶ各月毎の総平均株価は8,478円であり、これを長期に下回る平均株価は、株式資本という資本主義の現代的システムが文字通り機能不全に陥っていることの証明となる。それは日本の株式資本の信用が国際的に失墜することを意味することで、比喩的表現ではない文字通りの意味の「日本売り」、要するに大規模な資本の海外流出を誘発するかもいれない危険なのである。
 ところが、一時的な株価急落を押してでも不良債権処理を加速し、日本経済の金融不全を突破しようとしたかに見えた竹中の不良債権処理策は、例によってというべきか、与党3党と当の銀行経営陣の激しい抵抗と猛反発をうけ、1カ月後の10月29日には、たのみの小泉が竹中の原案に引導をわたすかたちで中途半端な総合デフレ対策に落ち着くことになったのである。
 危機はまたしても小泉自身によって先送りされた。もっとも、竹中の不良債権処理策が表現上いかに過激なものであれ、それができるのはせいぜいが「既定路線プラス香辛料」(『週刊東洋経済』10月26日号)であろうとの見方はあった。
 既定路線とは、昨年5月の「骨太方針」に示された「主要16行の破綻懸念先以下の債権処理」の前倒し、香辛料とは、木村の「30社リスト」にもとづいて、問題企業数社の債権を再精査して各銀行に追加の引き当て金を積み増しさせ、自己資本が毀損されれば公的資金の投入と引き換えに銀行と問題企業の経営トップを退陣させる「象徴的処理」ということだとする見解である。
 こうしたごまかしの結果は見えている。ゼネコン、不動産、大手流通・販売に集中する巨額の不良債権処理はずるずると引き伸ばされ、信用を失った株価の低迷が金融機関の含み損を拡大し、これに追い詰められた銀行が資本の毀損を回避しようと貸渋りや貸し剥がしに走り、月末のたった1日の資金繰りがつかないだけで有意の将来性ある中小企業が次々と倒産に追い込まれ、それとともに失業率も上昇し、それが大衆消費の低迷を持続させて企業の業績不振を招く、典型的なデフレスパイラルの一段の悪化である。
 結局小泉政権は、当初かかげた不良債権処理について、まったく事態を好転させることができないことが明らかになった。

          粉飾会計の責任追求

 これだけの経済的失政を重ねれば、これまでの自民党政権なら退陣ものである。だが小泉に対する批判は、相も変わらず「弱者切り捨て反対」を隠れみのにした既得権益の防衛が大半である。銀行経営陣が竹中の不良債権処理策に反発したのも、膨大な不良債権を抱えるゼネコンや流通・販売業者ともども、公的資金という税金を使ってメガバンクも救済する、これまでの路線の変更に対する不満にすぎないとさえ言える。
 だが不良債権問題の核心は、処理は進んでいるという公式見解の背後に潜む不正会計であると指摘するのは、金子勝・慶応大学教授である。「腐った経営者」の不正会計・粉飾決算の追及なしには厳格な債権査定はできないばかりか、竹中の言う現行法(預金保険法)の枠内では、この肝心な経営者の不正行為の責任追及ができないのだと。
 「・・・・追求すべきは一部経営者の不正会計疑惑である。実際、山一証券や日本長期信用銀行の事例が示すように、この国では金融機関が破綻しないと、会計粉飾の罪が問われない」が、「重要なのは、不正会計疑惑を放置したままでは、厳格な査定も企業再生も行いえないという点である」。「腐ったトップが罪に問われないままでは、銀行と問題企業のもたれあいは解消されない。そして銀行や企業の現場が企業再生のために本気で動くことなどできない」(『週刊エコノミスト』12月24日号)。まったく正論である。
 その上で金子教授は、トップエリートの腐敗で資金の流れるパイプが目詰まりをおこしているのだから、それを打開するために分権化による「住民ニーズに合った小さな公共事業」を地方で直接発注し、年金制度も転職や雇用形態が変わっても継続できる拠出方式に変えるよう提案、その入り口として不正会計に厳罰を適用し、不良債権処理に必要な60〜70兆円の公的資金を投入できる特別立法の制定を提唱している。
 後述するようにわたしは、金子教授の公的資金投入には必ずしも賛成しない。だが金融不全の不断の源泉となっている不良債権処理について、経営トップの責任追及が是非とも必要なことは明らかである。
 バブル景気の破綻後に暴かれた異様な貸しつけ競争の中では、あらゆる不正行為が行われていたことは容易に想像できるし、その不正行為の隠蔽が不良債権処理を遅らせてきた大きな要因であることも疑う余地はない。この根本問題にメスを入れずして公的資金を投入しつづけるのは、単に国民負担が膨張しつづけるだけでなく事実上犯罪に手を貸すようなものであり、企業を再生しようと本気で動く新たな人材が台頭してくるはずがないのも当然だろうからだ。
 だが特別立法によって税金投入と引き換えに「腐ったトップ」の責任を追及する手法は、企業再生に名乗りをあげる新しい経営者も結局は政府や金融庁の紐付きになり下がり、やがて新たな癒着の構造を生み出すことになる可能性も高いと思えるのだ。
 そうではなく、「住民ニーズに合った小さな公共事業」と分権化の発想を発展させ、大衆的運動として経済の再生を目指すような対案が問われていると思うのだ。

          ミニ地方債・地域通貨の可能性

 竹中の不良債権処理策に対する批判は多くあったが、少し毛色の変わった批判という意味では加藤寛・千葉商科大学長(慶応大名誉教授)のものがある。
 加藤は、竹中を小渕政権の経済戦略会議に推薦した張本人である。これを機に竹中は森政権のIT戦略会議に入り、小泉政権では経済担当大臣に任命されたのだから、彼は竹中を政治の舞台に押し上げた恩人であり、竹中以上の自由主義者を自認してもいる。
 その加藤は「今、彼(竹中)の向かっている方向は正しいとは思わない。あれでは政策は失敗する」(『週刊東洋経済』11月9日号)と手厳しい。加藤の批判を要約すれば、銀行に引き当てを増加させれば倒産と失業が増えるがその手当がない。特に地方にカネが回らなくなる。そうすると公的資金の強制注入となるが、政策金融を使って金融機関を救済するのは「典型的な社会主義」であり、政策金融を潰そうとする小泉の「構造改革」に逆行するジレンマだ、というのだ。
 そして加藤は、ヒトラーの統制経済を批判したハイエクやミーゼスの中央銀行不要論やシルビオ・ゲゼルのスタンプ通貨(地域通貨)論を援用して「郵便貯金を地方分割する」ことを提唱する。「これは民営化とは違う。地方で集めたおカネが地方で使われれば、地方にある地場企業の資金繰りのメドが立って生き残る」。「郵政省の中ではすでに分割論議が始まっている」と語り、それが実現するまでの間不足するおカネは、地域通貨で賄えとも主張し、神戸のみなと銀行の地域通貨の発行や、世田谷区や千葉県での試みの例をあげているのである。
                  *
 1929年にニューヨーク株式市場を襲った大暴落は、その数年前から地方経済の疲弊という形で予兆が現れていた。そして今日の日本でも地方経済の疲弊が進行し、その打開を求めて改革派知事が台頭している。
 と同時に地域通貨やミニ地方債という、地方分権的な金融の新たな試みが、地方経済の疲弊に抗する手段として注目を集めはじめてもいる。地方経済の分権的再生の試みが、分権化した通貨や債権の発行として、あるいは中小企業を主要な対象とした金融の再生をめざす「金融アセスメント法」制定運動などとしてはじまりつつある。
 紙数の都合で詳しくは紹介できないが、日本の地域通貨も『エンデの警鐘−地域通貨の希望と銀行の未来』(NHK出版:02年4月)に紹介された実践だけでも苫小牧市のガル、千葉県のピーナッツ、湯布院町のユフ、滋賀県のおうみ、東京渋谷のアール、信頼ネットワークのWAT清算システムなどがあり、個人向けに販売される小口(1万円〜10万円)のミニ地方債は全国21自治体で1120億円と、02年度の見込みの5倍というブームだという(朝日新聞:11月21日)。
 また地域と中小企業への円滑な資金供給に努力する金融機関を評価し公表する「金融アセスメント法」制定運動は、中小企業家同友会全国協議会が中心となって早期制定をめざしているし(朝日新聞:10月1日)、『週刊エコノミスト』の12月3日号には「米国型『中小企業金融』の理論と実践」と題して、地域への円滑な資金供給システムとしての「コミュニティ開発金融機関」や「地域再投資法」の紹介記事が掲載されている。
 もちろんこれだけで対案が構成されるわけではない。だが現実にはじまりつつある、いわば草の根の地域経済再生の試みは、金融機関の社会的役割を軽視し、利潤の極大化を追求して「不採算企業」の淘汰を促進する小泉構造改革とは対照的であり、自発的で大衆的な運動であることにも多くの可能性がはらまれていると思えるのだ。
 しかもこうした運動が、加藤のような有力な経済学者も注目するほどに台頭しはじめている現実は、大いに示唆的である。
          (きうち・たかし)


日本topへ HPtopへ