●沖縄県知事選挙

県外移設に豹変した仲井真氏の再選

― 沖縄の民意を侮る親米派論陣の根拠なき楽観 ―

(インターナショナル第198号:2010年12月号掲載)


 11月28日に投開票が行われた沖縄県知事選挙は、現職の仲井真弘多氏が、米軍普天間飛行場の地元である宜野湾市の前市長・伊波洋一氏を破って再選された。
 事実上の一騎打ちとなった仲井真氏と伊波氏の得票はそれぞれ335,708票と297,082票で、その差わずかに38,600票余の大接戦だったが、選挙戦の特筆すべき特徴は最大の争点が曖昧にされたこと、もっとありていに言えば最大の争点が消されてしまった≠アとであった。
 知事選最大の争点と見なされていたのは、言うまでもなく普天間基地の県内移設を容認するか否かであり、現職の仲井真知事は4年前の知事選で「県内移設容認」を掲げ、当時の自民党政権との良好な関係を維持し、沖縄北部の地域振興策など経済的支援の獲得を前面に押し立てて当選したのに対して
、伊波氏は、普天間基地の地元である宜野湾市の市長として「基地返還アクションプログラム」を打ち出すなど、沖縄駐留米軍基地の返還と「整理・縮小」を主張しつづけてきた。
 そしてこの争点は今年1月、同県名護市長選挙で、同市辺野古地区への普天間基地「移設」に反対する稲嶺進氏が当選するまでは、文字通り不可避の争点と考えられてきたのである。
 こうした事態を大きく変えた契機は、昨年夏の鳩山民主党政権の登場と、挫折したとは言え「最低でも県外(移設)」という鳩山首相の「公約」が、「県外移設」を要求する巨大なうねりを沖縄県内に呼び起こしたことであった。まさにその結果として仲井真氏は、4年前の選挙で表明していた「県内移設容認」の態度を豹変させ、「普天間の県外移設」を唱えることで、事実上、選挙戦最大の争点を無くしてしまったのである。
 こうした争点隠し≠ヘ、投票率が前回を3・66ポイント下回ったことに象徴されるように選挙戦を低調なものにすることで、現職知事に有利に作用したのは疑いない。というより も、名護市に県内移設反対を唱える稲嶺市長が誕生したことで加速された「県内移設反対」の県民世論に迎合する≠アとなしには、仲井真知事の再選はかなり危うかったのが現実であり、仲井真氏の再選は彼の陣営の戦術的勝利と言えるだろう。

▼仲井真再選歓迎論の「思考停止」

 ところで、仲井真知事の再選という結果に胸をなでおろしたのは日米の「安保マフィア」勢力、つまり沖縄米軍基地の維持と強化は日米同盟の堅持に不可欠の要件であると唱え、普天間問題では辺野古への移設という「日米政府間合意」の遵守と履行を声高に求め、「県外移設」を挫折させるために一大キャンペーンを展開した人々である。
 このキャンペーンの主要な担い手であった読売新聞の社説(11月29日朝刊)は、仲井真再選という選挙結果を歓迎すると同時に、「仮に伊波氏が当選していれば、事態は深刻だった。非現実的な国外移設に固執し、普天間飛行場は現在の危険な状態のまま長期間固定化する恐れがあった」と、安堵の思いとともに容易ならぬ危機感を抱いて沖縄県知事選を注視してきたことを吐露している。これこそが、日米の「安保マフィア」勢力の偽らざる心情であろう。
 その読売新聞の社説は、仲井真氏の再選を「沖縄県が引き続き政府と連携し、米軍普天間飛行場の県内移設に含みを残す―。それが県民の選択だった」という、恣意的な楽観にもとづいた憶測に満ちた不可解なロジックで歓迎の意を表明し、早速、菅政権に「仲井真知事との対話を重ね」普天間の辺野古
への移設という「日米合意へ理解を得るよう最大限の努力をすべきだ」と、注文をつけている。
 だが、仲井真知事が「県外移設」へと豹変することで再選されたという選挙結果は、読売新聞のこうした主張の妥当性をこそ問うているのではないだろうか?
 その問い返しの核心は、鳩山政権の掲げた「県外移設」をめぐって露呈した問題、つまり「日米同盟」の必要性を声高に唱えながら、そのための負担、とりわけ沖縄県民が執拗に訴えてきた「基地被害」という負担を「国民が等しく分かち合う」ための説得や努力すら端からしようとしない、政府と本土の人々の「平和ボケ」した在日米軍問題への無関心と言う問題である。
 ところが仲井真知事の再選を歓迎するメディアや知識人の論評は、押しなべてこの問題をことさらに無視しようとしているように見える。それは戦時下のイラク戦争に自衛隊の派遣が決まった後、多くの親米派知識人が陥った思考停止を彷彿とさせる。既成事実の前に為す術もなく迎合し、自らの信条とは矛盾する現実―沖縄の米軍基地問題では「基地被害への同情」と「沖縄米軍基地の維持」という矛盾―を「無い事にする」がごとき思考停止は、親米右派論客たちの思想的堕落を示して余りある。
 そうした主張のひとつの典型である読売の社説は、少なくとも2つのことを意図的に無視するか、あるいは自ら積極的にその問題に目を塞ぎ、それこそ思考停止を露呈しているというべきかもしれない。
 ひとつは前述したように、仲井真氏の豹変がなければ「事態は深刻だった」可能性が強かったという現実である。要するに「県内移設にも含みを残す。―それが県民の選択」なる楽観論は、現実にはほとんど不可能に等しいことである。
 読売の社説は、仲井真知事が「県内移設反対」とは言明していないことを根拠に「含みを残した」と強弁するのだが、それは「県外移設」へと豹変することで接戦の末にようやく伊波氏の挑戦を退けた仲井真知事が、再度「県内移設」へと転じるのがどれほど困難なのかを「考えようともしない」、つまり思考停止が編み出した戯言(たわごと)と言う他はない。「県内移設容認」から「県外移設」への転換がそれほど軽々しい決断なら、仲井真知事の最大の支援勢力である沖縄の土建業界が、自主投票なる苦渋の選択せざるを得ない事態をおしてまで、当選目当の転換を決断するだろうか。
 そしてもうひとつは、「県内移設が必要なのは何故か?」 について、「日米(政府間)合意」を錦の御旗にする以外は沈黙を守ることで、沖縄県民に過剰な基地負担を押し付けているという、覆い隠しようもない現実の無視である。
 仲井真陣営が「県内移設反対」の明言を避けたとは言え、「県内移設の容認」から「県外移設」へと主張を換えざるを得なかったのは、1995年の米兵による少女暴行事件を契機に注目されるようになったこの「沖縄の過剰な基地負担」という論理に対して、説得力のある反論がますます出来なくなったからに他なるまい。
 それはまた言い換えれば、沖縄に基地負担を押し付ける「ヤマト政府」の「差別的政策」が沖縄米軍基地問題の核心問題であることを、読売の社説が代表する親米派の論陣が無視しつづけていることを暴き出してもいる。

▼基地と引き換えの振興策の限界

 その読売の社説が、仲井真知事の再選を歓迎する理由として、こともあろうに「普天間飛行場は現在の危険な状態のまま長期間固定化する恐れがあった」からだと主張するのは、普天間基地の移設問題が「県内移設」では進展しなかった事実にさえ目を塞いだ、悪意に満ちた論法と言うべきである。
 なぜならそれは沖縄県民が直面する危険の深刻さを無視して、その基地被害を他人事として言及する「評論家の言説」に過ぎないからだ。それは基地の危険性そのものを無視する以上に、あたかも危険な状況の理解を共有しているかのように騙り、他方でその被害の切迫感を切り捨てるという意味で、より悪質でさえある。
 これまでも繰り返し指摘してきたことだが、普天間の辺野古への移設案は、地元・名護市に「移設容認派の市長」が在任していた15年間でさえ、ついに実現できなかった「日米の政府間合意」に過ぎないのであり、これこそが唯一の現実なのだ。つまり普天間が「危険な状態のまま長期間固定化する恐れ」は、「日米合意」以前の危険を除外してもすでに15年間もそこにありつづけた危険≠ネのであって、今回の知事選の結果いかんで一挙に解決に向かうような問題ではすでにない。
 もっとも読売の社説も、こうした現実をまったく無視することは出来ずに、仲井真知事の再選が「5月の日米合意の早期進展が期待できるわけではない」と状況の厳しさに言及し、さらに「(仲井真)知事は、基地負担の大幅軽減を求めて伊波氏に投票した多数の県民への配慮も求められよう」と述べ、沖縄県民から「日米合意への理解を得る」には、なお多くの困難がある現実を示唆してはいる。と言うよりも社説に盛り込まれたこの示唆は、「5月の日米合意」が日米両国政府によって見直される以外になくなった場合の「保険」と言う方が当を得ているかもしれない。
 と言うのも「沖縄米軍基地の長期的な固定化」を最も強力に推進してきたのは、こうした日米同盟の堅持を大業に言い立てる親米保守派に押された歴代自民党政権であり、沖縄県民の「米軍基地への理解」と引き換えに「地域振興策」なる経済的支援を札束で買おうとする連中の言動が「長期的な米軍基地の固定化」を強いてきたのだし、同時に沖縄のこうした現状を多少とも改善するために真剣に考え調査し、それを広く報じることを止めている政治とマスメディアの「思考停止状況」が、沖縄米軍基の整理・縮小の願いを覆い隠しつづけてきたと言って過言ではない。
 だがこうした沖縄に基地負担を押し付ける「地域振興策なるアメとムチ」の手法が、明らかに限界を迎えている。本誌194号(2010年3月号「沖縄・普天間基地移設問題(下)」)でも指摘したことだが、名護市辺野古への普天間「移設」受け入れを条件に、この10年間で770億円にのぼる「北部振興予算」が投じられたが、それが地域経済の活性化にはほとんど効果をもたらさなかったことが、それを象徴している。
 基地と引き換えの経済援助は、所詮は究極の迷惑施設=駐留外国軍基地に対する不満や抗議を黙らせるためのアメ≠ナあり、基地の受け入れを拒めば、現にいま名護市向けの振興予算執行が止められているように、自治体を制裁するムチ≠ノ化ける「掴み金」が、地域の未来を切り開くような投
資に向けられるはずはない。
 そして仮に、基地と引き換えの振興策で経済が活性化して豊かになるのなら、沖縄は今頃、日本一豊かな地域経済を謳歌しているはずではないだろうか。

                                                                                             

 かくして、12月の菅首相の沖縄訪問は、何の成果もないままに終わった。しかも、これまでの仲井真知事は基地問題では難色を見せながらも、政府との良好な関係をアピールする笑顔を忘れなかったが、今回の首相との会談では終始苦渋の表情を浮かべ、事態がこれまでとは比較にならないほど深刻であることを印象づけた。
 一方で日本の外交戦略は、沖縄で挫折した鳩山から菅に変わった民主党政権の下で、親米と反中国への傾斜を急速深めている。それは一見、歴代自民党政権と何も変わらない対米追従外交の継続に見えるが、むしろリーマンショック以降の世界的な経済危機の持続とドル基軸通貨体制の終焉が不可避となった歴史的局面で、今後の数十年を左右する重要な戦略的選択が、政治的な混乱の中で無自覚的に行われようとしている観がある。しかもそれは、ドル支配体制つまりアメリカの覇権が持続するという決定的に誤った認識に基づいてなされる可能性すらある。
 詳しい分析は次号以降にゆずるが、そうした「誤った認識」に基づく無自覚的選択は、日本という国家と社会の危機をさらに深刻にするだろう。

(12/30:きうち・たかし)


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