●沖縄米軍基地問題と鳩山の辞任

(インターナショナル:2010年6月号掲載)


 鳩山首相が辞任した。同時に小沢幹事長も辞任した。
 鳩山は辞任会見で、普天間基地問題で社民党を連立離脱に追い込むことになり、自らの政治とカネの問題で党に迷惑をかけたからだと述べたが、辞任の直接的な契機が、普天間基地の「移設問題」だったことは明らかである。
 昨年末、日米の「安保マフィア」勢力の日米合意遵守と年内決着の大合唱に抗して、「最低でも県外」を明言した鳩山首相が、結局は自民党政権時代の「辺野古沖埋め立て」案に舞い戻るという最悪の選択を表明したのだから、沖縄の反感と不信はもとより、内閣支持率も福島社民党党首の罷免によって辺野古案を決めたことで、内閣支持率も急激に低下することになった。
 さらに、マスコミではあまり報じられなかったが、民主党議員160余名を含む180名もの国会議員が、普天間に関する閣議決定を批判する文書に署名、これが鳩山首相に届けられるなど、与党・民主党内部からも、鳩山への批判がつよまっていた。
 7月11日に投開票が予定されている参議院選挙をにらみつつ、民主党の代表選挙と、衆参両院での新たな首班指名選挙など、国会はにわかに慌しい動きを見せているが、いったい沖縄の米軍基地問題とは何なのだろうか。

▼鳩山の挫折と親米派の沖縄差別

 5月4日に沖縄を訪問した鳩山首相が、県知事はじめ沖縄県下の各自治体首長たちに普天間基地の「県内移設」を要請したが、沖縄県の各首長たちは予想どおり揃ってこれを拒否し、鳩山首相が繰り返し表明してきた「5月決着」は頓挫することになった。
 これに対して、普天間移設に関する日米両政府の合意を早期に履行するように声高に要求し、あるいは「日米同盟の危機」を振りかざして、沖縄米軍基地の固定化という自らの負債をかえりみようともしない自民党をはじめとする「親米派」は、この県外・国外移設の挫折をはやしたて、あろうことか、鳩山が「沖縄の人々の無用な期待を煽った」などというとんでもない非難を繰り広げている。
 なぜ、とんでもない非難かと言えば、「無用な期待を煽った」という鳩山に対する親米派の非難は、「沖縄県民に米軍基地撤去の期待を持たせるべきではなかった」ということを意味しているからであり、それは「依らしむべし、知らしむべからず」という、民衆を見下した戦後保守政治の悪弊を象徴する物言いなだけでなく、基地の負担に耐えつづけてきた沖縄の人々に対する露骨な差別に他ならないからである。
 この「沖縄差別」は、たったひとつの例を挙げるだけで明らかである。昨年11月7日の琉球新報の社説は、訪米中の松沢神奈川県知事が「辺野古移設しか選択肢はない」と述べたことに反論、「確かに、全国どこでも移設案が上がれば反対するだろう。世論の反発でむずかしいというのは理解できるが、それなら沖縄も同じだ」と指摘していた。いわば「究極の迷惑施設」である米軍基地の受け入れについて、日本のあらゆる場所で反対の声があがるのは当然だと見なす一方で、沖縄の反対つまり「県内移設反対」の声「だけ」は「無用な期待」として切捨てることに、沖縄の人々以外はほとんど誰も矛盾を感じてこなかったことを意味しているからである。それは言い換えれば、沖縄の「基地負担の軽減を求める声」は端から「期待してはならないこと」として一方的に切り捨ててきた、あるいは沖縄振興事業と称する「札束外交」で沖縄の民意を分断して基地負担を押し付けてきた、歴代自民党政権の沖縄に対する差別的政策を暴いて余りある。
 「同じ日本国民」でありながら、沖縄以外の「米軍基地受け入れ反対」には同調し、沖縄のそれだけは「無用な期待」であろうはずはない。この矛盾がまったく自覚されていないからこそ、「沖縄差別」と呼ぶほかはないのだ。
 ところで周知のように、日本各地と沖縄にある米軍基地は日米安全保障条約(日米安保)によって、日本が提供する義務を負っているものである。
 ということは、普天間基地の移設問題で問われているのは単に「普天間基地の代替基地をどこに決めるか」ということなのではなく、日本中で米軍基地の受け入れを拒否された以上、政権を担う政党がどこであれ日本政府は、安保条約に規定されている「日本側の基地提供義務」を見直す必要に迫られるということなのであり、この点に沖縄米軍基地問題のはらむ、もうひとつの大きなテーマが潜んでいる。

▼安保と軍事の政策論争を封じた自民党政権

 民主、社民、国民新3党の連立合意には「日米地位協定を見直す方向」が盛り込まれたが、そうした問題が国民的課題として議論されるべき客観的な政治環境が、普天間基地の移設という具体的な問題を介して提起されていると言えるだろう。
 沖縄の米軍基地の「本当の役割は何なのか?」「極東を越える周辺事態にとって、沖縄の地政学的優位論は本当に有効な論理なのか?」等々、戦後日本の政治が、より具体的には後に述べるように1960年の日米安保改定を契機にして、自民党政権が回避・封印してきた安全保障政策と軍事問題が、文字通り国民的レベルで論議される必要性が提起されることになったのである。
 ところが、である。わが連立政権の鳩山首相は、沖縄県下の自治体首長たちとの会談の後で行われた会見で、歴代自民党政権と全く同じように「海兵隊の抑止力」に言及し、海兵隊の沖縄駐留にお墨付きを与える見解を披歴することで、すっかり親米派の論理に巻き込まれてしまったことを暴露することになった。
 この鳩山の、在日米軍の「抑止力」に関する認識の変更をめぐって、首相としての資質の議論がかまびすしいが、問題は鳩山個人の資質などではなく、歴代自民党政権下で促進された「安全保障に関する愚民化政策」の結果に他ならない。
 と言うのは、安保条約の自動延長を決めた1960年の改定以来、歴代自民党政権は「アメリカの抑止力」に依拠した自国の安全保障政策について、国民的議論どころか国会の論戦すら事実上封印し、軍事と安全保障の問題を「聖域化」もしくは「極度に専門化」することで、いわば「安全保障に関する愚民化政策」を積極的に促進してきたからである。いわゆる「平和ボケ・日本」は戦後日本の平和運動が生み出したのではなく、この安保と軍事に関わる論戦の封印によって、いわゆる「安保マフィア」なる「専門家勢力」の跋扈と一対の現象としてもたらされたというべきである。
 結果として70年代以降の日本では、外務省や防衛省の官僚たちによる日米関係や安全保障の解説がマスコミを通じて一方的に垂れ流され、軍事を含む安全保障に関する議論がほとんど成立しなくなったと言っても過言ではない。まさにこうした条件の下で、「普天間問題で日米関係が危機的になった」といった、何の根拠も整合性もない論評が一方的に流布される状況が生まれたし、「抑止力とは何か」という核心問題を無視した「抑止力としての沖縄駐留海兵隊」などという議論がまかり通る事態が生まれたのだ。
 以上が、鳩山の辞任という結論に至った普天間基地問題の最も本質的な問題なのである。

(6/2:きうち・たかし)


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