●沖縄・普天間基地移設問題(下)

政治が決めるべき課題と戦略定まらぬ日米両政府

「期限つき決着」ではなく「持続的圧力」へ

(インターナショナル第194号:2010年3月号掲載)


▼「示された民意」の深層

 1月24日に投開票が行われた沖縄県名護市の市長選挙は、米軍普天間基地の県内移設反対を掲げ、民主、共産、社民、国民新、沖縄社会大衆、そうぞうの6党・団体の推薦を受けた稲嶺進氏が、普天間の移設受け入れを表明してきた現職の島袋吉和氏を約1600票の僅差で破って当選した。
 稲嶺氏は当選直後にも、集まった支持者を前に「ここで答えが出た。辺野古には基地はいらない」と改めて移設反対を宣言し、普天間基地をかかえる宜野湾市の伊波洋一市長も「沖縄の声が一つになって、県内移設には反対ということを示した。新政権とともに新しい歩みが始まっており、これを後押しするものだ。米国の主張する日米合意を見なおす力になる」と稲嶺氏当選の意義を指摘した。それは辺野古への普天間移設という日米の合意が、事実上「白紙に戻った」ことを印象づける選挙結果であった。
 実際にも県内移設反対を掲げる新市長の誕生は、日米安保条約にもとずく基地提供の義務と権限とが日本国政府にあり、地方自治体つまり名護市にはそうした外交上の権限がないとしても、97年の日米合意から実に13年ものあいだ進展しなかった普天間基地の移設問題に最後のダメを押したとは言えるだろう。
 だが今回の名護市長選の重要な意義は、「辺野古に基地はいらない」という民意が示されたという以上に、経済振興策という国家資金のバラマキと引き換えに米軍基地の負担を押しつける政治手法が、そのお先棒を担いできた土木建設業界の弱体化ともあいまって、決定的な限界を露呈したことである。
 なぜならそれは、1972年の施政権回復以来はじめて、沖縄の民衆が自ら「本土政府による経済振興策なくして沖縄経済は成り立たない」という呪縛を振りほどき、地縁・血縁をフルに活用した移設推進派の締め付けに抗して、つまり個々人の意思に従って「これ以上の基地負担には耐えられない」と声を上げ、それが僅差ながらも首長選挙で多数を制したことを意味するからである。
 こうした選択の背後には、普天間の移設受け入れを条件に10年で770億円もの「北部振興予算」が投じられたのに、地域経済が上向いたとは到底言えない厳しい現実があり、この5年間に名護市内で10社が倒産した建設業界の苦境が、その典型である。
 故・岸本市長が、厳しい条件つきながら移設受け入れを表明した99年の翌年2000年から、名護市では公民館の建て替えが相次いだ。市内55地区のうち24地区で新しい公民館が建設されたが、そのうち14地区では事業費の9割が米軍再編交付金など防衛予算が占め、名護市の関連収入の比率も15%から01年には30%に跳ね上がり、中には年間売り上げの2割以上をこれらの事業に依存する会社も出る「基地バブル」が名護市を覆った。
 だが06年、公正取引委員会が沖縄県発注工事の談合で県内152社の排除命令を出したのを機に、事態は暗転する。談合による利益配分システムが壊れて安値受注競争が激化し、大型工事ほど資本力のある県中南部の業者に奪われ、名護市の中小建設業者の倒産が相次いだ。公民館建設などのいわゆるハコモノ中心の振興事業が、地元が期待したほどの経済的波及効果をもたらさなかった結果でもあった。

 「商売人の作法」として選挙とは距離を置いてきたという名護市のある商店主は、「基地で豊かになれるなら、沖縄はとっくの昔に豊かになっていたでしょ」(朝日:1月21日)と語ったが、この一言は、県内移設反対が多数を占めた97年の住民投票以来、自民党政権が札束で持ち込んだ地域社会の分断と諍(いさか)いをへて、名護の人びとがようやくたどり着いた「答え」を象徴しているようだ。

▼沖縄の地政学的位置?

 当然のことだがこの市長選の結果は、「5月中に普天間の移設先を決める」としている鳩山政権の方針に大きな影響を与えることになる。少なくとも辺野古移設案の最大のアドバンテージだった「地元の同意」が失われたことで、「日米合意どおりの移設」は極めて困難になった。と言うよりも普天間の移設先は全くのゼロベースで探す以外になくなったのだが、前号でも指摘したマスコミの「親米キャンペーン」は、またもや安保マフィアたちの情報を鵜呑みにして「県外・国外移設の困難さ」を強調している。
 これらの主張は、「海兵隊の即応展開」つまり紛争地域に急派できる部隊が、最良の「地政学的位置」にある沖縄に駐留していることが「アメリカ軍の抑止力」を担保しているのだから、海兵隊の県外や国外への移駐は抑止力を低下させる可能性があるというもので、これまでも自民党政権と防衛省が繰り返してきた説明と同じである。
 だがこうした主張は、前号で紹介した「琉球新報」の社説が指摘した、「米軍が北海道への移設を打診した」経緯などを全く無視した強弁に過ぎまい。
 そしてむしろオバマ政権は、沖縄駐留に固執していない可能性が強い。例えば名護市長選直後の1月29日、早稲田大学で日米同盟に関する講演を行ったルース駐日大使が、米軍の日本駐留の重要性を強調する一方、「沖縄米軍基地」の重要性や「沖縄の地政学的位置」には一言も触れなかったのは、その傍証のひとつである。
 この講演でルース大使は、東アジアの抑止力である「米軍の前線部隊」は「日本に駐留する4万9000人の陸・海・空軍兵士と海兵隊員」であり、「次にこの地域に近い場所に配備されている陸上戦闘部隊は、ハワイの陸軍部隊」なので、「日本から」海兵隊が撤退すればその「機動性と有効性に影響が及び、・・・・米国の関与について否定的な見方が広がる可能性がある」とした上で、「米国は、沖縄の歴史的経験に配慮し、沖縄県民の懸念とその戦略的重要性との間でバランスを取る必要性を認識し・・・・人口密集地にある米軍基地の用地を70%近く返還」しようとしているのだと述べている。つまりルース大使は沖縄に配慮した米軍の日本駐留≠フ重要性を強調したのである。(http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-20100129-71.html)
 もちろん彼は「現在の計画」つまり辺野古移設案は、日米両政府が長年の議論を経て「最善の選択肢である、との結論に達したという事実」を指摘することを忘れなったが、それは新たな選択肢が示される前に過去の合意を反故にはしないという、いわば交渉のイロハだろうし、ルース大使が、知日派つまり安保マフィアの大物であるジョセフ・ナイ教授(ハーバード大)の駐日大使就任という大方の予測を裏切って任命された経緯を考えれば、在日米軍と普天間基地に関するオバマ政権の本音が、この講演に反映されていると考えるのは的外れではあるまい。
 そしてさらに有力な「反論」もある。しかもそれは、在日米軍基地司令部やアメリカ太平洋軍司令部の高級軍人たち自身の証言、つまり米軍の現場の声である。

▼「政治が決めた」グアム移転

 米軍再編と在日米軍基地に関連する高級軍人たちの証言を丹念に取材したのは、「沖縄タイムス」の論説兼編集委員である屋良朝博(やら・ともひろ)氏である。彼はその取材をもとに月刊『世界』(2010年2月号)に「米軍は沖縄にこだわっていない」と題したレポートを執筆している。
 このレポートの主眼は、「安保の負担とさまざまな矛盾を小さな沖縄に押し込めてきた日本の戦後。そろそろ清算すべき時期ではなかろうか」という屋良氏の一言に尽きる。と同時にこのレポートで報告された「海兵隊のグアム移転の顛末」とアメリカ軍における文民統制(シビリアン・コントロール)の徹底ぶりは、沖縄に基地負担の大半を押しつけつづけてきた戦後日本の「政治的不作為」を暴いて余りある。
 ところで普天間の「国外移設先」としてグアムの名が度々上がるのは、06年9月に、国防総省のHP上で「沖縄と米本から9,700人の海兵隊とその家族8,500人がグアムに移転する」計画が公表され、これを知った普天間基地返還を求める沖縄の関係者の間で、「普天間の県内移設は不必要ではないのか」と話題になったからである。
 もっとも日米両国政府は「正式な決定ではない」としてこの移駐計画を1週間でHPから削除したのだが、この「グアム移駐計画」それ自身、実は「政治のハプニングのようなもの」だったと屋良氏のレポートは述べる。
 彼が「ハワイの米太平洋軍司令部で米軍幹部から聞いたグアム移転の顛末」とは、03年11月に米軍再編協議を兼ねたアジア歴訪の途中たまたま沖縄に立ち寄ったラムズフェルド国防長官(当時)が、表敬訪問した稲嶺・沖縄県知事から深刻な基地被害の実情を執拗に訴えられ、これに憤慨した長官が沖縄駐留海兵隊が1万8000人であることを確認したうえで、「沖縄から引くぞ」「1万人でどうだ」と言い放ち、韓国駐留陸軍削減などの米軍再編に沖縄駐留海兵隊1万人の削減計画が追加されたと言うのである。
 そしてこのとき、屋良氏は自民党政権と防衛省による「沖縄の地政学的位置」なる説明に対する決定的な「反論」を聞くことになる。彼が、ハワイの米太平洋軍司令部で海兵隊幹部に「なぜ今、海兵隊のグアムへの移転が可能なのか」と質問すると、彼は「政治が決めたからだ」と拍子抜けするほどあっさり答えたというのである。
 たしかに、中央アジア全域から中東まで含む「不安定の弧」と呼ぶ広大な地域をカバーする戦略を構想する米軍にとって、その「前線基地」が沖縄か北海道に存在するかにさほどの違いがなとしても不思議ではない。しかも外国に基地の提供を求めて交渉をするのは政治つまり政府の仕事であり、その政府の命令に従って戦略・戦術を練るのが軍事専門家たる軍人の仕事である。事実「政治が決めたからだ」と答えた海兵隊幹部は、「政治が与える基地の上に作戦を組み立てるのが俺たちの仕事だよ。どんな決定であれ、最良の結果を引き出す」とこともなげに答え、屋良氏が取材した米軍司令官や退役将軍たちも「日本が提供してくれるなら、基地はどこでもいい」と答えている。
 こうした米軍司令官たちの証言は、日本の外務省や防衛省が繰り返す沖縄米軍基地に関するいかなる解説や説明よりも説得力がある。と同時に沖縄の基地負担の解消なり軽減は、政治の努力によって実現すべき問題であることも明確となる。
 そうだとすれば政治は、つまり振興事業と引き換えに基地負担を沖縄に押しつけてきた自民党政権に代わって、「米軍基地のあり方の見直し」を主張した民主党を中心とする連立政権には、どんな努力が望まれるのだろうか。

▼オバマ政権の対中外交の迷走

 連立3党が、それぞれの移設案を提出する予定だった2月16日の沖縄基地問題検討委員会はとりあえず先送りされたが、まさにここからが鳩山政権の正念場であり、問われるのは日米関係を中心とする日本外交の新たな戦略である。
 確かに政権交代によって、東アジア共同体や米中との等距離外交(二等辺三角形)など新たな外交的枠組みが提唱されてはいるが、それはなお理念のレベルであって現実的な外交戦略と呼ぶには程遠い。しかも日本が必要とする新たな国際戦略は、東西冷戦下で踏襲されてきた「親米追従外交」が、BRICsの台頭に象徴される国際関係の変化、とりわけ中国の政治・経済的台頭によって抜本的な見直しを迫られた結果として、あるいはブッシュ政権による「米国の覇権による新世界秩序」の目論見が挫折した結果として、否応なく日本に突きつけられた課題に他ならないのである。
 その意味で新たな国際戦略の核心問題は、アメリカと中国という二大大国(G2)との関係を両国間のバランスを含めて再構築するという、戦後日本外交の歴史的転回をはらむ課題とならざるを得ないのであり、だからまた日米安保条約の再定義や在日米軍再編の見直しも避けて通ることができない問題になるのである。
 普天間をふくむ沖縄の米軍基地問題は、こうした新たな国際戦略という枠組みの中でその出口を見い出す以外にはないが、まさにこの点で鳩山政権は現実的な展望を打ち出せていないのであり、それが日米両国政府の「率直な意見交換」を困難にしてもいる。基本方針を定めていない相手との議論は、どれほど率直であろうと信頼関係を醸成はしないからだ。ところが新たな国際戦略の展望を見出せないでいるのは、オバマ政権もまたそうであることが事態を混迷させる大きな要因のひとつなのである。
 たしかにオバマ政権の1年目は、ブッシュ政権下で大きく傷ついた外交的イニシアチブの再構築に果敢に挑むように、核廃絶を訴えたプラハ演説(3月)、イスラム、パレスチナとの和解による中東和平を訴えたカイロ演説(6月)、そして日米同盟を機軸としつつも「戦略的パートナーとしての中国」という考えを明確にした東京演説(11月)など、新たな理念を矢継ぎ早に打ち出すことには成功した。だがこの理念を実現するイニシアチブの発揮と言う点では、ほとんど見るべき成果が無かったのも事実であろう。画期的な中東和平の提案は腰砕けに終わり、ノーベル平和賞の受賞にもかかわらず、イラク・アフガン戦争の出口戦略は先行きが不透明なままだからである。
 中でもオバマ政権の対中外交の迷走は、年明け早々には中国製品への課徴金を決定し、台湾への武器輸出を容認し、グーグル問題で中国政府を批判するなど、オバマ政権の対アジア外交の基本が定まっていないのではないかとの疑念を抱かせ、それが在日米軍基地を含む東アジアの米軍再編の見直しを困難にし、だからまた海兵隊の移駐をともなう普天間の返還と移設問題での「率直な意見交換」を阻害する要因ともなる。
 国内的にも景気の低迷と高失業率、医療保険制度改革の行き詰まりなどで支持率が低下したオバマ政権の与党・民主党は、昨年11月のニュージャージー州とバージニア州の知事選挙につづいて、今年1月19日のマサチューセッツ州の上院議員補欠選挙でも共和党に敗れ、オバマ政権は議会の数的有利を失いつつある。鳩山が期待したであろう日米関係の再構築に向けたオバマ大統領のイニシアチブが、こうした厳しい状況の下で有効に発揮されるのは、現実には不可能であろう。

▼基地返還アクションプログラム

 かくして普天間基地の返還と移設をめぐる問題は、「事を決めるべき政治」つまり日米両国政府の脆弱さのゆえに混迷せざるを得ない。あえて言えば普天間基地返還交渉は、日米の安保マフィアがどれほど大騒ぎしようが、逆に鳩山首相がどれほど強い決意で臨もうが、政治が機能しないことで膠着状態に陥る可能性が強いのである。
 もちろん鳩山政権が、新たな移設候補地を5月中に決めることは、かなり困難ではあれ出来るかもしれない。だが仮にそれが出来ても、それは「日本側の提案」が示される以上の意味はないし、オバマ政権がこの提案に応えて国防総省と軍を説得して政府内の意見調整に積極的に取り組み、普天間基地の返還計画を推進することになる訳ではないのだ。むしろ内政的には苦境にあるオバマ政権は、こうしたデリケートで手間のかかる問題を先送りし、議会共和党との融和を優先したいと考える可能性もある。
 そうである以上、普天間問題に関する時間的制約はまったく二義的な問題とならざるを得ないのであり、現在のような「期限を区切った問題の立て方」そのものをリセットしなければならない局面が訪れつつあるとは言えないだろうか。
 たしかに普天間基地の返還は、周辺の住宅密集地が日々直面する危険と被害を考慮すれば一刻を争う課題である。しかし同時に、5〜7年以内の「早期返還」を強調した96年の橋本首相とモンデール駐日大使の合意が代替基地の県内移設を条件にしていたことを考えれば、時間的制約が沖縄の人々の期待に沿うとばかりも言い切れない。
 むしろ必要なことは、沖縄米軍基地の「整理・縮小」の機運を堅持するための両国間の対話を、官民を貫いて継続・拡大することを鳩山政権に求め、同時に代替基地建設を伴なわない「基地機能の分散化」や「基地使用協定による運用規制の強化」など、実質的な基地被害の軽減を図る具体策を追求するアクションプログラムの策定と実行を、やはり鳩山政権に迫ることではないだろうか。
 08年の「沖縄ビジョン」に、普天間基地の即時使用停止を掲げた「普天間基地返還アクションプログラム」策定を提唱した実績を誇らしげに記載した民主党が、この要請に背を向けるとは思えないが、この「実質的な基地被害の軽減」という一見遠回りに見えるアプローチは、ほとんど米軍の言いなりだった自民党時代の米軍基地政策を根底から見直し、時代錯誤の不平等がまかり通ってきた日米地位協定の改定交渉を引き寄せ、在日米軍再編計画の見直しにまで至る可能性も秘めた、いわば大衆的で持続的な政治的圧力を組織することにほかならない。
 もちろん鳩山政権といえども、こうした大衆的圧力に公然と同調することはありえない。にもかかわらず宜野湾市の三次にわたる「普天間飛行場返還アクションプログラム」が、「基地被害の軽減」を求める地元の持続的圧力を組織することで、今回の普天間問題でも確かな存在感を示すことにつながったように、いずれにしても仕切りなおしにならざるを得なくなった在日米軍基地の返還を含む米軍再編に関わる日米両国の協議に、基地周辺住民の意思を反映させようとする意思と努力が、今後の日米交渉に少なからぬ影響を与えることになるのは疑いない。(http://www.city.ginowan.okinawa.jp/2556/2581/2582/2613/36675.html)

 2月24日、沖縄県議会は「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める意見書」を全会一致で採択した。名護市の市長選挙に示された意思が、沖縄の声をひとつにした歴史的な意見書採択の突破口を切り開いたのであり、普天間の辺野古移設の可能性は完全に失われた。

(2/28:きうち・たかし)


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