●第45回総選挙のバランスシート


自民党の自壊と新政権の可能性

−左派勢力は、可能性を活かすためにどう闘うべきか−

(インターナショナル第190号:2009年9月号掲載)


▼鳩山連立政権の成立

 「政権選択」が最大の焦点となった第45回総選挙は8月30日に投開票が行われ、民主党が衆院の過半数を大幅に超える308議席を獲得して圧勝し、連立与党の自公両党はそれぞれ119議席(改選前比181減)、21議席(同10減)と惨敗、自民党は結党以来はじめて衆院第1党の座から転落した。
 この選挙結果を受けて、9月16日には、総選挙後の臨時国会で鳩山・民主党代表が総理大臣に指名されて同日夜に新内閣が発足、政権交代は現実となった。

 わたしは本紙前号(189号)で、今回の総選挙が「自民党の時代」の終焉という画期的な転機をはらんでいると指摘したが、それは自民党の歴史的敗北として現実となっただけでなく、戦後日本の保守政治そのものと言ってもいい「自民党政治」の歴史的終焉を告げることにもなった。
 しかもこの転機は、「自民党と民主党には政策的違いはほとんどない」とか、「結局は何も変わらないだろう」と言ったあらゆる悲観的な予測にもかかわらず、戦後日本の政治の歴史的転換点となり得る多くの可能性をはらんでいる。
 以下、民主、社民、国民新の3党連立で成立した鳩山政権が、マニフェストに掲げた当面の政策にはらまれる可能性と、今後の課題について考えてみたい。まずは総選挙の結果を概括していくつかの特徴を明らかにすることで、民主党の勝因と自民党の敗因を探ることから始めよう。

▼自民党の敗因=支持基盤の自壊

 民主圧勝、自民惨敗の結果について、与党候補者の敗戦の弁ばかりか、マスメディアの報道でも「民主に追い風」「自民に逆風」といった文言が頻繁に使われ、このドラスチックな選挙結果が「風」によって、つまり無党派層や「浮動票」と呼ばれる有権者の「一時的気まぐれ」が主な原因であるかのように語られている。
 たしかに、自民・公明両与党の閣僚経験者や幹部クラスの候補者が民主党の新人候補に次々と敗退する事態は、05年の郵政選挙に典型的だった「小泉旋風」を思わせるものではあった。だが報道各社の出口調査で明らかになった人々の投票行動を見ると、今回の選挙結果は、「自民党支持基盤の自壊」と言う方が的を得ている。
 と言うのは、読売、朝日、毎日など新聞各社の出口調査によれば、今回、比例区で民主党に投票した自民党支持層は30%前後にものぼり、05年郵政選挙では10%台だった自民から民主への票の流失が、実に3倍にも急増しているからである。この自民党から民主党への「くら替え率」は、小泉旋風が吹き荒れた05年郵政選挙でさえ、民主党支持層から小泉自民党に「くら替え」したのは10%前後に止まり、結果的には流失と流入が同程度だったことと比較すれば、その異常な高率は明らかであろう。
 つまり自民党支持層の3分の1が、今回の選挙では雪崩を打って民主党支持へと転じた結果が、民主圧勝、自民惨敗を決定づけたと言えるのであり、「風」と呼ばれるいわゆる無党派層の投票行動は、30〜40%が小泉を支持した05年と比較すると、自民党支持がほぼ半減し、民主党支持が過半数(50%台)を得たに過ぎない。
 あえて「過半数を得たに過ぎない」と言うのは、投票した有権者の20%程度を占める無党派層の過半数は、単純計算では全体で10%ほど民主党を押し上げる「だけ」であるのに対して、投票した有権者の40%前後を占める自民党支持層の30%は、同じく全体では12%を占め、これが対立する政党=民主党の支持に移行すれば、両党の差は24%にも達するからである。事実その効果は、自民党にとって壊滅的であった。
 残念ながら小選挙区の全国的な投票行動について、政党支持層の動向を明らかにする同様の集計資料は見当たらない。だが9月1日の朝日新聞朝刊の記事によれば、東京都内の小選挙区では、自民党支持層の29%が民主党支持に転じたという。つまり少なくとも大都市部に限ればだが、比例区と同じ程度の自民党支持層が、小選挙区でも民主党支持に転じたと考えられる。
 また前回05年選挙の小選挙区での両党の得票率(得票数)は、自民党が47・9%(3,251万8,202票)で民主党が36・4%(2,480万4,139票)だったのに対して、今回は自民が9・1ポイント減の38・7%(2,730万1,982票)、民主は11・0ポイント増の47・4%(3,347万5,334票)とほぼ逆転した勘定だが、両党の1000万票ほどの増減をみれば、全国平均でも20%程度の自民党支持層が、小選挙区でも民主党に「くら替え」したと推測できる。
 したがって今回の選挙結果は、まず何よりも自民党支持基盤の自壊の結果と言うべきなのであり、一時的現象を意味する「風」は、この傾向を助長したと言うことができるだけである。ここに、自民党の時代の終焉が象徴的に示されている。

▼大衆的政治経験としての政権交代

 もうひとつは、今回の総選挙でも05年の郵政選挙と同様、二大政党制を人為的に作り出す小選挙区という選挙制度の「威力」が示されたが、それと同時に、民衆自身が投票という行為を通じて「政権を選んだ」意義を確認しておく必要があるだろう。
 政権もしくは政治は、「選挙民の意志で変えることができる」という、ほとんど初めてと言える「大衆的な政治経験」は、人々の政治もしくは政権に対する意識を、より主体的で能動的に変化させる可能性を開いたと考えられるからである。それはまた衆議院選挙の本来の意味が、選挙後の国会の首班指名を通じて、「政権を選ぶ行為」であることを再認識することにも通じよう。
 小選挙区制の「威力」は、改めて言うまでもない。例えば比例区の民主・自民両党の得票率42・4%対26・7%と、両党の議席占有率48%(87議席)対30%(55議席)はそれなりに対応するが、小選挙区の得票率と議席占有率は大きく乖離するからだ。今回の総選挙でみれば、得票率47・4%の民主党は221議席を得て議席占有率が73・6%になり、得票率38・7%の自民党は64議席で議席占有率は21・3%である。わずか8・7%の得票率の差が、議席占有率では実に52・3%と6倍強の差になったのだが、これは文字通り小選挙区制の「威力」と言う他はない。
 そして問題なのは、こうした「威力」を発揮する小選挙区制の下で、政権を選ぶ選挙という「総選挙本来の意味」が忘れられれば、前回05年総選挙がその典型だが、政治不信が助長されるということである。
 05年のいわゆる郵政選挙は、当時の小泉首相が、ただただ自らの政権基盤強化のためにだけ参院の郵政法案否決を理由に解散を強行したのだが、それは「政権選択」と言うよりも「郵政民営化をめぐる国民投票」の様相を呈し、それ以外の政治課題では「白紙委任」を強要する選挙であった。
 この解散・総選挙を正当化したのは、「解散権は首相の専権事項」なる理屈だが、小選挙区制と議員内閣制のお手本であるイギリスでは、こんな理屈は通用しない。なぜならそれは人々から政権選択の機会を奪うに等しい暴挙であり、「解散権の濫用」と考えられているからである。
 だが05年の郵政選挙は、今回同様に小選挙区制の「威力」によって、「政権構想なき巨大与党」、言い換えれば「政権党の資格がない巨大与党」を誕生させ、衆院の3分の2以上の議席を得た自公連立政権が、衆参二院制をないがしろにする「衆院での再議決」を繰り返し、自公政権への不信と共に政治不信を助長したと言うべきなのだ。
 つまり郵政選挙を容認した自民党は、総選挙が本来「政権を選ぶ選挙」であることを顧みることなく、政権党でありつづけるためには手段を選ばない政党に堕落したということであり、安倍、福田、麻生とつづく政権の専横によって、あえて言えば「議会制民主主義への信頼」を裏切り、自ら墓穴を掘ったと言えるかもしれな。
 したがって今回の総選挙は、小選挙区制という制度上の問題もさることながら、衆議院選挙が本来、議会制民主主義という制度の下では「人々が政権を選択をする唯一の機会」であること、保守派に解り易いように言い換えれば「憲政の王道」と言う議会政治の基本について、「政権ボケ」した自民党が背を向けてきたことを暴き出したのである。いや、より正確に言えば、霞ヶ関の官僚機構もマスメディアも自民党の政権独占に慣れ切って、この「憲政の王道」をすっかり忘れていたことが暴露されたと言える。
 もっとも1994年に小選挙区制導入を推進した当時の自民党自身、政権党のぬるま湯に浸りきり、「政権選択の選挙」など考える必要さえ感じなかったのだろう。そしてこの点では、他のどの政党よりも自覚的だったのが民主党だったという事実だけは、認めなければなるまい。
 もちろん、大量の「死に票」という犠牲を払って民意をひとつの政党に収斂する、小選挙区制という「劇薬」の是非は繰り返し問われなければならないし、現在のような多様な選択肢が検討されるべき転換期に、「人為的な民意の収斂」がふさわしい方法かどうかも問われるべきである。
 だがそれでも、政権は「選挙民の意志で代えることができる」という「大衆的な政治経験」は、今回の総選挙の重要な意義であることに変わりはない。自らの生活や生命を左右するであろう政治に人々が主体的に関与することが、いわゆる「市民社会の成熟度」のひとつの指標だとすれば、「政権選択選挙」の大衆的な政治経験は大きな転機となるに違いないからである。
 したがって、総選挙を代議士への「白紙委任」としか考えず、政権構想の替わりに「選挙の顔」のすげ替えに終始して惨敗した自民党の「再生」は、この「憲政の王道」と言う議会制民主主義の基本に立ち返ることができるか否かにかかっているのだ。

▼改革イデオロギーの清算

 では、鳩山新政権の当面の政策にはらまれる可能性とは、どのようなものだろうか。次に、それを考えてみたい。
 わたしは本紙前号(189号)で、民主党と自民党の争点とは必ずしも一致しなとしながらも、今後の政党再編の動向を含めた「戦略的分岐」として@「小泉改革」とマネタリズムの清算、A国家による再分配の「間接的」分配か「直接的」分配かの分岐、そしてB中央集権的政治か分権的政治かの分岐という3点をあげておいた。
 @については、民主、社民、国民新3党による連立政権の合意文書に、「小泉内閣の主導した競争至上主義の経済政策をはじめ、自公政権の相次ぐ失政によって、国民生活、地域経済は疲弊し、雇用不安が増大し、社会保障・教育のセーフティーネットはほころびを露呈している。/国民からの負託は、税金のムダづかいを一掃し、国民生活を支援することを通じ、我が国の経済社会の安定と成長を促す政策の実施にある」とあり、小泉改革の清算は明快である。
 もちろん、世界経済のグローバル化はなお抗し難い現実であり、マネタリズムに代わる経済戦略が明示されてもいない。それでも小泉改革の清算が明確にされたことは、決定的に重要なのである。
 と言うのは、戦後資本主義の経済的繁栄に大きな影響を与えた経済学者・ケインズは、その有名な著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』の末尾で、「経済学者や政治学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりもはるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外にないのである」と述べているように、小泉−竹中の市場原理主義と言うべきイデオロギーは、「健康で文化的な生活を保障する」(憲法25条)国家(政府)の責任を著しく軽んじ、企業が労働者の生存権を顧みないことさえ当然と考えるような、社会規範の逆転に大きな影響を与えてきた。
 そしてこの逆転現象が、「労働者の権利」や「企業の社会的責任」といった、戦後日本の民主主義体制が、その限界はありながらも定着させてきた社会的規範を「ぶっ壊し」て「不平等社会・日本」を出現させたのだとすれば、「国民の負託」に応える社会保障制度や社会的再分配システムの再構築を推進するためには、そのイデオロギーを公然と清算して転換を明確にすることが、是非とも必要なことなのである。
 逆に自民党の政治的混迷は、小泉改革からなし崩し的に転換を図り、その転換を明確にしないことで政策的なブレを繰り返した結果でもあるのだ。
 だが同時に重要なのは、この再分配システムの再構築が、自民党と同様のバラまきへの回帰では意味がない。というよりも業界と癒着したバラまき政治が破綻し、それが小泉改革に一定の正当性を与えた現実を踏まえるなら、新たな再分配システムの構築には「発想の転換」が不可欠なのである。

▼直接的再分配と市民的自立

 この発想の転換の一つの焦点が、Aの「間接的」再分配か「直接的」再分配かという分岐だが、民主党が掲げた「子供手当」や「農家の所得補償」は、個々の家計に対する直接給付つまり後者である。
 これは国家による補助金が、直接、家計の所得となることで消費を刺激するという考えにもとづいており、公共事業の発注や企業向け補助金として企業と業界に国家資金をつぎ込み、事業部門の活性化による波及効果で家計所得も増やせるとする、いわゆる設備投資を牽引車にする自民党の伝統的な景気刺激策とは様相を異にしている。
 この政策が、民主党が主張するように「消費が牽引する内需拡大」を達成できる「経済政策」として効果的かどうかは別として、肝心なことは、これが「業界と癒着したバラまき政治」つまり「間接的」再分配から、個々の家計への「直接的」再分配への転換を指向しているということにある。
 と言うのは、自民党の伝統的な経済刺激策である公共事業や業界向けの補助金は、地域や業界団体の「家父長的ボス支配」を助長して個々人を特定の集団に従属させ、いわゆる市民的自立を阻害するひとつの要因ともなってきた。例えば麻生政権の経済対策で、目玉政策とされた環境対応車(エコカー)購入時の補助金や同様の家電購入時に提供される「エコポイント」も、いま流行の「エコ」を看板にしてはいるが所詮は企業の販売促進対策に過ぎないし、「企業が儲かれば賃金も上がる(だろう)」という旧来的発想にもとづく間接的再分配であり、結局は企業社会への労働者の従属を補完するのである。
 しかもこの「発想」は、小泉改革によって企業業績が好転しても労働分配率は低下をつづけ、それが内需を一段と低迷させたと考えている、小泉改革に対する人々の批判的実感を無視するものである。
 これに対して民主党が唱える直接的な再分配は、政府による様々な社会補償を「国家と国民との契約」と考えるヨーロッパ型の社会契約により近い制度であり、そこに転換の大きな意味がある。
 もちろん直接的再分配が、長期的制度として持続してはじめて本当の転換と言えるが、その転換が提起されたこと自身に、一定の意義はあるのた。というのは、そこには「市民的自立」を促進する可能性がはらまれるからである。
 つまり直接的再分配への転換は、公共事業の受注を談合で調整する土木建設の業界団体や、農家に対する金融業と農業用地に関わる不動産業が主な生業となってしまった農協など、自民党の集票マシーンと呼ばれてきた中間団体の「特権的な」利益誘導の構造を確実に弱体化させることになるが、これは単に自民党支持基盤の弱体化ということではなく、個々の「市民」が、企業社会を含む「特定の集団」の意向に囚われず、自立的な判断にもとづいて政党や政策を支持することを容易にする、そうした可能性を広げることを意味しているからだ。
 まさにこの点に、間接的再分配から直接的再分配への転換がもつ意義がある。
 ところで「自立的市民」の自由な判断にもとづく政治は、あらゆる「理想社会」にとっても欠くことのできない必要条件であろう。そうであれば、その可能性をはらむ鳩山政権の成立は、社会変革をめざすすべての人々にとっても、無視してはならない一歩前進とは言えないだろうか。

▼「脱官僚」と政治責任の明確化

 わたしが3つ目の戦略的分岐として挙げたのは、中央集権的政治か分権的政治かという分岐だが、これは民主党の「脱官僚依存」とは、必ずしも同じではない。
 わたしが述べた分権的政治は、行政が必要な社会的サービスのすべてを請け負い、あるいは国家にすべての補償を要求するような、いわば「万能の国家」を前提にした民衆と政府(国家)の関係を、人々が自発的に参加する社会的活動や地域の自立と活性化をめざす多様な試みを活用し、広範な大衆自治をめざす政治の在り方である。
 これに対して鳩山政権が掲げる「脱官僚」は、自民党政権で常態化していた諸政策の企画・立案の中央省庁への「丸投げ」を止め、選挙で選ばれた政治家が諸政策の企画・立案の主導権を握るということであり、具体的には政策決定に関わる機能と権限を閣議と首相官邸(国家戦略局)に集中し、トップダウンで政策を決定し遂行するという意味で、むしろ中央集権的である。
 とは言え鳩山政権の「政治主導」と「脱官僚」の主張には、いくつか積極的な意味を見いだすことができる。その中でひとつだけ指摘したいのは、「政治主導」が含意する「責任の所在の明確化」である。

 例えば、一度決まった公共事業は、それがどんなに不合理でも止まらないとか、薬害問題などでその責任の所在が明らかにならない事態は、本来は担当大臣たる政治家が自らの監督責任を含めてその責任を明確にし、行政機構に法的・道義的な逸脱があれば官僚の責任も追及して原因を明らかにし、誤りを正すのが当然であろう。
 だが自民党政権では、責任を取るべき政治家がこれを明確にしないので、官僚も歩調をあわせてその責任を否定するという、政治家と官僚の癒着と馴れ合いが常態化した無責任が横行し、税金のムダ使いや薬害被害を放置してきたのである。
 この官僚との癒着の背後には、自民党が保守合同以来かかえ込んできた官僚出身議員を中心に、いわば気心の知れた官僚たちと「私的な折衝」ができる族議員が形成され、これが政策決定に大きな影響を及ぼす構造が、政務調査会という党の公式機関の下にシステム化されてきた現実がある。
 鳩山政権の「政治主導」と「脱官僚」は、イギリス的な手本をやや教条的に適用しようとする傾向はあるが、担当大臣や政務官以外は官僚との直接折衝を禁じ、あるいは政策決定を政府に一元化して与党内の根回しや調整という名の修正を認めないなど、族議員を生まないシステムの構築が構想されているようだが、これは政治家と官僚がもたれ合う「私的な折衝」を排し、行政官僚機構を「政治の道具」に限定することでもある。
 そして官僚機構が「道具」である以上、政策上の責任は、その道具を使う政治家しか負えないのは当然である。「政治主導」が含意する「責任の所在の明確化」とは、政策上の責任を負うのは選挙で選ばれた政治家だけだということを明確にし、選挙の洗礼を受けない専門家である官僚は「公僕」として実務に徹するという、当然の役割分担を確立することに他ならない。
 政治家と官僚の役割分担が明確になり、それによって政治の責任もまた明確になるとすれば、それもまた民主主義の観点からは一歩前進と言えるだろう。
 ところで、地方分権に向けた積極的性や情報公開への強い姿勢など、中央集権というより「官僚依存の弊害」を打破しようとする鳩山政権の意気込みはほかにも指摘できるが、これは今後、改めて論じる機会があると思うのでその時に譲ることにしたい。

▼民衆自身の「地位協定改定案」を

 最後にひとつ付け加えておきたい。それは本紙前号では触れなかった、安全保障に関する問題である。
 9月9日に正式に確認された民主、社民、国民新3党の「連立政権合意」には、「沖縄県民の負担軽減の観点から、日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」との一節が盛り込まれた。社民党の中には、「村山政権の失敗」に懲りて連立政権への拒絶反応もある中で、社民党がギリギリの決断をしてこれを連立3党の合意に盛り込んだことを、わたしは高く評価したい。
 たしかに戦後日本の左派勢力にとって、日米安保条約の廃棄は最も重要な政治課題のひとつだし、「9条護憲」の立場から、軍事同盟色の強い日米安保は容認できないと考えられてきた長い伝統もある。しかし思い起こすべきなのは、1995年に沖縄の少女が駐留米軍の兵士の暴行を受けたことを契機に「沖縄の基地被害」が全国的な注目を集め、保守勢力まで含めて、地位協定の改定を含む「沖縄の過剰負担の軽減」が、重要な政治課題として焦点化したことである。
 もちろん、日々の基地被害に悩まされる沖縄の人々にとって、米軍基地の撤去は悲願である。だが「安保廃棄による基地撤去」という「日付のない約束手形」が、日々の苦悩を解消しない事実もまた重い現実である。その意味では、日本国政府が「公式に」地位協定の改定を提起するのは、それ自身として重要な意味を持つのである。
 しかも日米安保条約を非軍事的な日米友好条約に変え、在日米軍基地を撤去するという大きな課題は、基地周辺の人々が日々直面する被害に真剣に向き合い、それを少しでも改善することで多数派を形成しようとする「息の長い改良の闘い」と不可分である。それは生存権を脅かすグローバリズムに抗して、憲法25条に明記された基本的人権の保障を求める「改良の闘い」を通じて、9条護憲を含む護憲勢力の強化を目指さなければならないのと同じことである。
 だとすればわたしたちは、直ちに日米地位協定に関する「民衆の改定案」を準備する作業に着手するべきであろう。鳩山政権の成立によって現れた日米地位協定の改定の可能性は、わたしたち左派勢力にとってもまた、大きな足掛かりだからである。

 以上、鳩山政権の成立がはらむ可能性として述べてきたことは、言うまでもなく「可能性」に過ぎない。
 だが肝心なことは、社会変革を目指すわたしたちを含む左派勢力が、「この可能性を活かすためにどう闘うか」にかかっているということではないだろうか? 日米地位協定に関する「民衆の改定案」づくりは、そのひとつの例である。
 自民党政権の歴史的敗北によって鳩山連立政権が成立したいま、問われているのは「革命派か保守派か」ではない。この対決軸は、東西冷戦の終焉とソ連邦の崩壊によって、すでに失われて久しいのだ。
 本紙前号で述べたように、自民党の時代の終焉がアメリカの時代の終焉でもあるなら、世界と日本はいま、大きな歴史的転換期にあるという「時代認識」こそが、社会変革のために必要なのである。
 そこに現れる新たな対立軸は、もちろんその姿を鮮明にしているとは言い難いが、そうであればこそわたしたちは人々の日常に深く分け入り、その人々の願いや苦悩に真摯に耳を傾け、その半歩だけ前に立って、未知の航海に臨む羅針盤となれるように心掛けたいと思うのだ。

(9/18:きうち・たかし)


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