【拉致事件被害者の人権回復を考える】
誰が 何をがまんするのか
拉致被害者が政治に翻弄されないために日本政府は「約束違反」を謝罪すべきだ
(インターナショナル130号:2002年11月号掲載)
被害者が直面する不条理
10月29−30の両日、クアラルンプールで開かれた日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下:共和国)の国交正常化交渉第12回本会談は、11月中に安全保障協議を始めることで一応の合意はしたが、懸案の拉致被害者家族の帰国問題などは進展のないまま終了した。しかも唯一の合意だった安全保障協議の開始についても、11月下旬に日本政府が「今月中の開催は困難」との見通しを表明した。
それは次回本会談の日程さえ決まっていない状況を考えれば、日朝交渉がふたたび長期の中断に追い込まれることも十分に懸念される事態である。
当初は年内の国交正常化さえ期待された平壌合意がほころびはじめたのは、拉致被害者5人が1−2週間の日程で「一時帰国」している間に、家族会の強い要望を受けた日本政府が滞在期間を無期限に延長する決定を行ったことからである。この決定が、共和国の反発を呼び起こした。
信頼関係を損なう「約束違反」だとする共和国政府の主張に対して、日本政府は「被害者の現状回復」という原則を対置し、拉致被害者5人を一旦は共和国に返せという共和国側の要求をはねつけた。クアラルンプールでの本会談が決裂に終わった最大の要因も、この対立にあった。
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だが本会談の決裂は、拉致被害者にとっては全くの不条理である。外交交渉に際しての信頼関係の維持か、国家犯罪に対する原則的態度の堅持かという、一見すると二律背反する日本政府のジレンマ(そう!これは被害者や家族のジレンマではなく、日本政府のジレンマなのだ!)が、被害者家族の離散の危機へと転化されたからである。
ところが多くのマスコミは、「これは、がまんくらべ」などと無責任に主張する政府や評論家の言説を紹介し、それを補うかのように金正日体制の悪逆非道ぶりを伝聞情報にもとづいて垂れ流す始末である。一部のリベラル派からは、「反スタ主義」と見まがう金正日非難まで飛び出している。
いったい誰が何を「がまんする」のか。日本政府と「北朝鮮に詳しい」評論家たちは、何のがまんも必要としない。不条理ながまんを強いられるのは、被害者当人と共和国に残されたその家族なのである。こうした不条理こそが糾弾され、最も優先して解消されるべきではないだろうか。
だから国家によるいかなる人権侵害も許さない原則を繰り返し確認しょうとする階級的労働者は、日本政府が「約束違反」については公式に謝罪して膠着状態を打開し、改めて被害者家族の早期の来日を共和国に求めるよう、他ならぬ日本政府に要求することになるだろう。要するに「一見すると二律背反」のジレンマは、実は小泉と外務省が自らの失態で失った面目にこだわりさえしなければ、打開の可能性はあると思えるのだ。
だがこうした、本当に被害者とその家族の心情に配慮した原則的な主張や論評は、私の知る限りほとんど見うけられない。
むしろ現実は、金正日体制の人権抑圧や軍国主義をあげつらい、拉致問題の解決とは無縁な思想的対立を煽り、はてはフジ、毎日、朝日各社のキム・ヘギョンさんのインタビューや『週刊金曜日』の曽我さんの家族への取材を「北朝鮮の宣伝に利用されている」と断罪するに至っては、拉致被害者や家族の心情への配慮という正当な要求を越えて、批判的見解や多様な意見を封殺しようとする異様な論調としか言いようがない。
もちろん、金親子もまたその亜流であるスターリニスト官僚によって、東アジア各地でも反革命の汚名を着せられて殺されたトロツキストたちの闘いを継承しようとするわれわれは、金正日体制が擁護されるべきだなどとは全く考えもしない。この反民主的で、60年前の日本の現実でもあった大日本帝国を手本にしたような軍国主義体制は、歴史の屑籠に投げ捨てられるべきである。
だが共和国の、政治革命を含む社会変革という課題と拉致事件の解明や被害者救済が不用意に混同され、国家犯罪被害者の現状回復が日朝両国政府の思惑や、金正日体制打倒など別個の政治目的に振り回されてはならないのは、当然のことであろう。
小泉こそが方針を示すべきだ
そもそも日本政府がこうしたジレンマに陥ったのは、被害者たちの帰国で正常化交渉のムードを盛り上げようとでもしたのか、彼らの帰国を急ぐあまり、25年にもおよぶ被害者たちの共和国での生活基盤や家族関係を無視して、家族とは別に一時帰国させることで共和国と合意したことにある。
ところが、「家族も一緒に帰ってもいいと言われた」という蓮池さんの証言もあるように、日本政府の交渉次第では家族も一緒に帰国できる可能性はあったのだ。もちろん他方で、家族を日本に連れてくるには、被害者自身が家族に拉致事件を説明する時間的猶予も必要だったのかもしれない。
しかし、すでに国家犯罪の事実を認めて謝罪し、帰国にも基本的に同意していた共和国政府が、家族との帰国に強く抵抗したとは考えにくい。そしてこうした条件の下でこそ、被害者の現状回復という原則にもとづく早期帰国の要求は、道義的威力を発揮したのではなかっただろうか。
だが、日朝首脳会談の「英断」で支持率を上げた小泉は、家族と一緒の帰国という方針を示したわけでも、だから外務省が共和国と行った「約束」の軽率さを責めるでもなく柔軟路線と強硬路線の間で動揺し、クアラルンプールの本会談では一転して強硬派に寄りかかって強気を押し通し、自ら膠着状態を招いてたとしか言いようがない。
だいたい強硬路線の根拠となった状況認識は、「経済状況が厳しいから援助が欲しくて譲歩するだろう」といった、実にあやふやな予測だけだった。しかもこうした評論家たちの言動を、本音はどうあれ政府が公式に否定しなければ、日本政府も同じ認識だと悟られて当然だ。それは金正日をいたずらに刺激して態度を硬化させるだけの、交渉戦術としても最悪の部類に属するものだ。
しかも、共和国経済が一段と逼迫して大量の難民が発生するなどの混乱は、韓国と中国そしてロシアが最も懸念する事態なのであり、これを回避するための緊急援助などが全くあり得ないとも断言はできない。現に中国政府は、共和国との良好な関係を見せつけるように、経済難民たる「脱北者」救援活動への弾圧を強めている。
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もっとも私自身は、すでに帰国した被害者をもう一度共和国に帰すことは、被害者家族たちが長い苦難の結果として共和国に抱く不信や不安を考慮すれば、単に被害者当人たちの意志だけの問題とは言えないし、支持もしない。むしろ永住帰国を前提とする帰国でなければ、侵害された人権回復の第一歩とは言えないのも当然だ。しかしだからこそ日本政府は、事実として「約束違反」になった「一時帰国」に関する方針転換を公式に共和国政府に謝罪して膠着状態の打開を図るべきであり、それは平壌合意の最高責任者たる小泉自身が決断し指示すべきことなのだ。
不信感の増長、交渉中断の危機
だがもっと深刻なことは、金正日と共和国が「約束違反」に固執して家族の帰国を拒絶しつづける本当の理由が、帰国した5人の被害者の扱い以上に、日本の強硬派とくに「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連)」や、共和国政府が「反共和国宣伝」と見なす『現代コリア』誌などに引きずられ、これをコントロールするイニシアチブを発揮しないことに不信感を強めている可能性である。
とくに共和国政府が神経を尖らせているのは、『現代コリア』誌の主幹で「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」の代表でもある佐藤勝巳氏らの動向であろう。
佐藤氏はかつて、在日朝鮮人の共和国への帰国運動にも協力した共和国支持派だったのだが、共和国の「テロ路線」が絶頂を迎えていた80年代はじめに共和国批判派に転換し、以降は「北朝鮮の脅威」や「独裁体制打倒」を公然と呼びかける朝鮮専門雑誌『現代コリア』を発行する「現代コリア研究所」の代表を務めている。もちろん事の経緯は部外者のわれわれには知るすべもない。だが旧韓国情報部(KCIA)関係者が同研究所に出入りしてと言われる同氏の動向を共和国が注目しないはずはないし、彼が救う会代表として被害者家族と強い信頼関係をもっていることに相当の警戒心を抱くのも当然だろう。
また強硬派の代表格である安倍官房副長官は拉致議連の主力メンバーの一人なのだが、その拉致議連の会長・中川と幹事長・西村の両自民党代議士は、「自虐史観」を批判する「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採用を後押しする議員連盟「歴史教科書を考える会」の主力メンバーでもある。
外務省の田中アジア大洋州局長が反対した帰国者の滞在期間延長が決まって以降、拉致問題のイニシアチブは完全に安倍に移ったと言えるが、それは共和国から見れば、小泉が外務省から拉致議連の路線に乗り換えた、と見えたとしても不思議はない。
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拉致被害者の人権回復にとって重要な問題は、救う会や拉致議連の思想傾向や経歴ではない。彼らとわれわれの間に非和解的対立があろうともである。
むしろ最も肝心な問題は、平壌合意で日朝国交正常化交渉の再開を決めた小泉政権が基本方針を明確にできず、結果として救う会や拉致議連をコントロールできない無能ぶりを金正日に印象づけ、その不信感を増長することなのだ。したがって事態打開と交渉進展に必要なことは、小泉自身が日朝交渉の基本方針と原則そして成功に向けた強い決意を、金正日へのメッセージとして明確にすることなのである。
もしそれができなければ、またもや日朝交渉は頓挫し、拉致事件の更なる解明も、まだ残っている可能性の高い被害者の救出も不特定の未来へと押しやられ、冒頭に述べた被害者にとっての不条理が何年にもわたって固定化されるのは明らかだ。だが当の小泉は、拉致問題の具体的対応を問われると「安倍副長官にまかせてある」と思慮もなく例の「丸投げ」で答え、拉致議連会長の中川は「国交正常化するかしないかは私たちに関係ない」と公言してはばからない。
これでは、拉致被害者とその家族、死亡と伝えらえた被害者家族が直面する不条理は、全く解消されないだろう。階級的労働者はこんな不条理は容認できない。
だから小泉政権と外務省に対して、共和国との「約束違反」を公式に謝罪して膠着状態を打開し、共和国による拉致という国家犯罪の徹底的な解明のために、国家によるいかなる人権侵害も容認しないという原則を示し、日本政府もまたこの原則にそって大日本帝国当時の国家犯罪被害者に真摯な謝罪と賠償をおこなう、そうした基本方針の表明を強く要求するのである。
(11/26:さとう・ひでみ)