●日銀総裁が空席に

金融政策を議論する好機は活かされたか

−低金利と円安が支えた「小泉改革」の破綻−

(インターナショナル第179号:2008年4月号掲載)


▼金融政策を議論する好機

 金融政策の要である中央銀行=日銀総裁人事の混乱がつづいている。
 ことの始まりは3月12日、政府が提案した武藤俊郎・副総裁の総裁昇格案に、民主党など野党が多数を占める参院が不同意を決めたことであった。
 不同意の理由は、「財務省出身の日銀総裁は、財政と金融の分離原則に反する」ということだったが、その背景には、5年前に武藤氏が副総裁に就任したときから、財務省が彼を「次期総裁」と位置づけており、当時の官房長官としてこの人事に直接かかわった福田首相には、他に選択の余地がほとんどなかったという事情もあった。
 したがって参院の不同意は、財務官僚による「日銀支配の野望」を排し、福田がイニシアチブを発揮する好機でもあった。
 だがあろうことか、福田は「財務省のパラシュート隊員(天下り)の典型」とも言われる田波耕治・国際協力銀行総裁を新たな総裁候補として提案、民主党など野党の態度を硬化させたのである。結局、福井・前総裁の任期が切れる3月19日、参院は政府案に不同意を突きつけ、日銀総裁ポストが初めて空白となる事態になった。
 この「非常事態」について、自民党や経済界からは、経済環境が厳しいこの時期に、日銀総裁ポストの空白を招いた民主党の対応は遺憾だと、非難の声が上がった。しかしながら、サブプライムローン問題で世界的な金融市場の混乱がつづいているとはいえ、総裁が空席でも日銀の機能が止まる訳ではないし、金融政策の変更が緊急の課題になっている訳でもない。
 ならばむしろこの機会に、財務省を含む政府から「独立した金融政策」を期待される中央銀行の役割とは何か、日銀総裁に求められる資質とは何かなど、これまでないがしろにされてきた問題を、時間をかけて議論する方が生産的ではなかろうか。

▼「日銀も政府の一員」なのか?

 中央銀行の「政府からの独立」が重要とされるのは、金利、貨幣の供給量、通貨の交換レートなど、経済動向に大きな影響を与える金融政策は、政治的な思惑に左右されない中立性が確保される必要があると考えられているからである。
 例えば日本の場合「円安」は輸出に有利だが輸入には不利だし、「低金利」は借金する側には有利だが貸手には不利に作用する。だから金融政策を司る中央銀行は、この相反する利害のバランスを保つ「中立性」を堅持するために、これを損なう恐れのある政府の政治的思惑とは、厳しく一線を画す必要があるということである。
 欧米諸国で、「中央銀行マンたる者、用もないのに国会の敷居を跨いではならない。ましてや政治家と気安く金融政策を話題にすることは、厳に謹まねばならない」という、オランダの中銀マン(センターバンカー)が長く守ってきた不文律が、その規範として尊重されてきたのはこの為である。
 そしてこの規範に照らせば、「日銀も政府の一員」と公言してはばからない武藤氏は、不同意で当然だろう。なによりも彼は、大蔵省が財務省と金融庁に分割されて以降、財務省の悲願となったOBの日銀総裁就任の切り札として、5年前から準備された人事であることは前述のとおりである。
 ところが不同意をした野党が、こうした理由を明示せず「金融と財政の分離」を繰り返すだけでは、肝心の「中央銀行の役割」の議論が抜け落ちてしまう。
 しかも武藤氏は、副総裁だった5年間、ほとんど自分の意見を表明したことのない、典型的な「調整型」副総裁だったと言う。そんな「足して2で割る」式の調整で金融政策を決める日銀総裁は、それこそ「経済環境が厳しいこの時期」に、はたして金融政策のトップとして厳しい決断ができるのだろうか。おそらくは現状維持、つまり超低金利政策を継続し、円安を期待しながら円高=ドル安が止まらない為替相場を傍観するのが関の山ではなかろうか。
 だからもし日本の金融政策が、超低金利と円安を期待するドル安の傍観しかないのであれば、日銀総裁は武藤氏でも構わないことになる。ところが「中央銀行の役割」に関する肝心の議論が抜け落ちては、「日銀総裁に求められる資質」という問題も明らかになるはずはなかった。
 もちろん、庶民に分かりやすいスローガンとして「金融財政分離」や「天下り反対」を掲げた意図は解らないではない。だがそれにとどまるなら、それは福田の失策つまり敵失に便乗した戦術的攻勢を意味するだけで、小泉−安倍の「改革路線」と、そのなし崩し的転換を画策して政権にしがみつく自民党との違いを明確にし、政権交替後のビジョンを示すことはできないだろう。
 せめて国会という、それなりに政策のプロが議論する場で、もう少し踏み込んだ政策論争ができなければ、一時的とはいえ日銀総裁が空席になったというせっかくの好機は、いたずらに解散総選挙を狙う政局優先の党利党略に堕落することになる。

▼低金利と円安への見識

 日本の現在の金融政策は、デフレ脱却のためという低金利と、輸出の促進を眼目とする円安の維持を特徴としている。それは「輸出産業が牽引する経済成長」という、60年代の高度経済成長以来、歴代自民党政権が一貫して追求してきた経済成長モデルを前提とする金融政策であり、小泉の「改革路線」を下支えしてきた政策でもあった。
 というのも、「小泉改革」は『国際競争の激化を口実にして、その多くが輸出産業である日本の基幹産業に資金を集中し、結果として社会的格差を耐え難いまでに拡大した』(本紙178号「世界同時株安の再燃」)が、輸出産業への資金集中には「円安」が大きく貢献したし、歴史的な「超低金利」は、バブル経済当時の過剰投資のツケである企業部門の莫大な債務(借金)の金利を軽減し、あるいは家計部門が得るべき預金利息を金融機関に移転して、企業部門ばかりが好況を甘受するのを大いに助けたからである。
 だが「小泉改革」は、今年初頭からの「日本株の一人負け」によって、『輸出産業優遇と土建投資偏重の経済成長戦略から脱却することに失敗した』(同前)ことを露呈した。なぜなら「日本株の一人負け」は、対米輸出に依存する日本の好況は、しょせんアメリカ景気に翻弄される以外にないことを暴露したからである。それは小泉改革の「破綻」を暴き出したというべきであり、そうである以上、現状の「円安」と「超低金利」について、日銀総裁候補の見解を問うてしかるべきではなかっただろうか。
 もちろん、中央銀行の独立性を尊重すべき国会が、日銀総裁候補に「円安は好ましくない」とか「超低金利は異常」などの意見を押しつける訳にはいかない。
 だが少なくとも、福田の候補者選定基準との違いを鮮明にするために、円の低金利が「円キャリートレード」(金利の低い円を借りて、金利の高い外国通貨で運用して利ザヤを稼ぐ金融取引)を増加させ、これが、円を他国通貨に交換する際に起きる大規模な円売りで「円安」圧力を高めた問題への見解や、円高が輸出に与える悪影響と、原油や穀物など高騰する原材料を輸入する際の利益とのバランスをどう考えるかなど、政府推薦の総裁候補がどんな見識を持っているか質すことはできたはずだろう。
 しかしここでも民主党は、金融政策に対する見識や資質によって中央銀行総裁が選ばれるべきだという、自民党とは違う基準を示すことはなかったのである。

 本稿執筆直後の4月9日、日銀総裁人事は、3月12日に副総裁として同意された白川方明氏の総裁昇格で決着した。
 だが、財務官経験者である渡辺博史氏の副総裁案は不同意となり、副総裁ポスト2つの内1つは空席のままである。しかも、渡辺副総裁案については民主党内で対応が別れ、3人が賛成、5人が棄権・欠席をする「おまけ」つきであった。
 中央銀行の役割や総裁の資質など、踏み込んだ議論ができなかったツケは、民主党など野党各党の対応への不信感を持たせただけかもしれない。

(4/10:みよし・かつみ)


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