●護衛艦と漁船の衝突事故

イージス艦はなぜ漁船との衝突を回避できなかったか

−「防衛省」への昇格と幹部自衛官の慢心−

(インターナショナル第179号:2008年4月号掲載)


▼最新鋭艦の漫然たる運行

 2月19日未明、房総半島野島崎沖で海上自衛隊の護衛艦と漁船が衝突、沈没した漁船に乗っていた漁師親子が行方不明になった海難事故は、その後つぎつぎと暴露された防衛省の迷走もあって、自衛隊という「武装した国家官僚機構」にも、他の省庁と同よう、自己保身に汲々とするお役所体質が蔓延していることを浮き彫りにした。
 事故を起こした護衛艦は、弾道ミサイル迎撃システムを搭載した最新鋭イージス艦「あたご」(7750トン)で、沈没した漁船は、新勝浦市漁業協同組合所属のマグロ延縄(はえなわ)漁船の「清徳丸」(7トン)だが、海上保安庁などによるその後の調査では、「あたご」側に衝突回避義務があったことも明らかになった。
 だが衝突回避義務ばかりをクローズアップすることは、船舶運航の実態を知らない人に誤解を与える危険がある。1988年に、釣り客ら30人が死亡した潜水艦「なだしお」と釣り船の衝突事故では、92年12月の横浜地裁判決が、「前進強速」の指示を出して回避義務を怠った「なだしお」に事故の第一次的原因があったと認定した一方で、釣り船の側にも、回避措置を取らずに直進したなどの過失を認定している。それは、衝突直前の回避義務が自衛艦の側にあるとしても、衝突回避の義務は、全船舶が相互に等しく負っているからである。
 むしろ「なだしお」の事故で問題だったのは、事故直後の救助活動の遅れや航海日誌の改ざんなど、防衛庁(当時)が責任逃れを画策したことだったのである。
 その意味で今回の事故でも、「衝突回避義務」云々以上に、「あたご」が30分以上も前に清徳丸を含む漁船群に気づいていたにもかかわらず、その動きを監視・追跡もせずに漫然と自動操舵で航行をつづけ、漁船群との距離が数キロに接近しても警笛を鳴らすこともなく、衝突直前には「全速後進」つまりブレーキをかけただけで舵さえ切らなかったという事実にこそ、注目すべきなのだ。
 と言うのもその後、規定より少ないレーダー要員しか配置されておらず、レーダーによる漁船群の監視が行われていなかったこと、本来は艦橋外のブリッジで見張りをするはずの隊員が、雨を理由に死角の多い艦橋内に退避中だったなど、東京湾口という、多くの船舶が行き交う「危険水域」を航行する艦船としてはあまりの緊張感の無さに唖然とする事実が明らかになったが、それは「漫然と自動操舵で航行した」という、護衛艦の側の慢心の傍証だからである。
 ではなぜ最新鋭護衛艦は、こうした慢心に囚われていたのだろうか。

▼「省」昇格と幹部自衛官の心情

 まずわたしが思ったのは、旧大日本帝国海軍の軍艦と漁船の衝突事故の有無と、その原因であった。もっともこれは、「旧海軍の悪弊」が海上自衛隊にも継承されているのではないかという、戦後左翼にありがちな憶測であり、官僚機構の悪弊を軍国主義に還元したがる思考なのかもしれない。
 そして残念ながらこれまでのところ、正確な事実は判らずじまいだ。ただし、旧帝国海軍の乗組員と称する人々のネット上の書き込みでは、旧海軍軍艦と漁船の衝突事故は無かったという。
 なぜなら当時は、漁船の方が軍艦に道を譲るのが当然だったからだと言う。しかもそれは、漁師たちが海軍を恐れていたからではなく、むしろ海軍が自分たちの権益を守る存在であることを素朴に信じ、海軍もまた「漁船(国民)を守る」のを当然と考えていたからだと言う。当時の海軍にとって、漁船を含む民間船舶は、いざというときには補助船舶として徴用される貴重な戦力の一部であり、これを不用意な事故で損なうことは、それこそ不祥事では済まされないことだったのだろう。だから旧海軍の経験者たちは、今回の事故を「海軍の怠慢」と憤り「海軍の威信を汚す」と嘆いてもいる。
 なるほど、国民の資産まで徴発する総力戦体制の下では、海軍と漁民との関係は、現在の自衛隊と漁船の関係とはずいぶん違っていたのは確かだろう。
 だがそうだとすれば、「あたご」が囚われていた慢心は、現代的な背景を持つものだということになる。

 この現代的背景を説き明かすヒントは、防衛庁の省への昇格と、防衛省事務次官経験者が収賄容疑で逮捕されるという、前代未聞の事件にあると思う。
 昨年11月28日、防衛省前事務次官・守屋武晶が、防衛商社の専務から長年にわたって賄賂を受け取っていた容疑で逮捕された事件はまだ記憶に新しい。
 守屋・前事務次官は、防衛庁で「天皇」と呼ばれた辣腕の官僚と言われるが、同時に彼は庁内で「発言する防衛庁」を標榜し、いわゆる国士気取りで政治的発言を繰り返す異色の官僚でもあったという。
 在日米軍の再編問題では、「アメリカの言いなりでは駄目だ」と自衛隊の主体性を強調したり、「高度な装備と優秀な人材を持つ自衛隊にふさわしい地位を占めるべきだ」と、防衛庁の省への昇格を声高に要求するなど、威勢の良い発言が庁内での求心力を高めたとも言われている。
 だがこうした、高級官僚の国士気取りの発言は、厳密に言えば、選挙で選ばれた訳でもない専門職の官僚が、防衛政策という政治的専権事項に容喙(ようかい)する越権行為に他ならない。なによりも行政官僚は、政策の是非についてはその責任を問われることはないからだ。ところが官僚機構のトップである事務次官の守屋は、自民党竹下派との間に築いた人脈と庁内の求心力を背景に、政府に「省益」を認めさせる辣腕官僚として名をはせていたのだと言う。
 つまり守屋・前事務次官は、「天皇」と呼ばれる庁内の絶対的権力と与党に食い込む人脈を駆使し、文民統制(シビリアンコントロール)を浸蝕する言動を繰り返し、他方では年間2兆円もの装備調達費の差配を通じて私腹を肥やしてきたのだろう。
 そしてまさにその事務次官の下で、防衛庁は省への昇格という悲願を達成したのだ。つまり「優秀な人材を持つ自衛隊」という、根拠のない防衛官僚の主観的自己評価が、防衛省という「一流官庁」に昇格して「ふさわしい地位」を得たことで、幹部自衛官たちに慢心の起きやすい状態を生み出したとは言えないだろうか。
 しかも、アメリカ海軍にも数隻しかない、弾道ミサイル迎撃システムを搭載した最新鋭イージス艦の艦長というエリート自衛官であれば、そうした慢心に囚われた可能性を過小評価することはできまい。

▼情報隠蔽の疑惑

 もう一度、護衛艦が漁船と衝突するまでの状況を考えてみよう。
 前述のように、事故のあった海域は東京湾に出入りする多数の船舶が行き交う「危険水域」であり、時間も午前4時と、海上は真っ暗であった。事故後、この海域の船舶運行経験者が口を揃えて証言したように、漁船群をレーダーで追跡・監視する指示もせず、低速とは言え自動操舵で航行すること自体、すでに異常であろう。
 さらに、漁船群の監視にとって最も重要と思われる艦橋両翼に張り出したブリッジの見張り要員は、雨を避けて艦橋内に退避中だったというのでは、「あたご」の側には当初から、自らが衝突回避行動をとる意志がなかったとしか考えられない。そして現に、「漁船の方が避けるだろう」と考えたという隊員の証言もある。
 だが、「漁船の方が避ける」と考えていたとすれば、極めて重要な情報が隠蔽されている可能性がある。それは装備されているはずの「衝突防止ブザー」が、正常に作動したかどうかである。
 『週刊ダイヤモンド』誌3月8日号で、政治評論家・鈴木棟一氏が紹介した「防衛議員の話」は、この問題を鋭く指摘する。
 「衝突防止ブザーが装備されているはずで、湾外だと1マイル、湾内では0・5マイルに近づくと警笛が鳴る。鳴れば漁船は避ける」「当直員が海保に『5回鳴らした』と言ったが、付近の漁船は『いっさい聞いていない』と食い違っている。警笛は艦内にも大きく響く。寝ている者が起きてしまうのでブザーを切っていた可能性がある」。
 この点は今だ明確にされていない。しかし事実を事実として明らかにしなければ、事故の再発防止は絵空事になろう。そしてもし、こんな非常識が最新鋭護衛艦の中でまかり通っていたとすれば、これを慢心と言わずに何と言うべきだろうか。

 今回の衝突事故について、自衛隊の規律のゆるみや「軍隊としての緊張感の欠如」を云々し、軍法会議の設置が必要だと唱える人々もいる。公言はしなくとも、いわゆる防衛族議員の中にはこれに密かに同調し、自衛隊の最大の悲願である軍法会議の設置、言い換えれば殺人や破壊行為を犯罪とする一般刑事法とは区別された、殺戮と破壊とを自衛官に強要できる軍法の制定に利用しようとする輩もいるに違いない。
 だが以上のべてきたように、今回の事故の背景にあるのは、防衛省内に蔓延する慢心である可能性の方がはるかに強い。つまり「武装」の如何にかかわらず、官僚機構の「根拠なき主観的自己評価」が、守屋のような国士気取りの高級官僚に扇動されて、まったく非常識な慢心を生み出す意識を醸成した可能性が検証されなければならない。
 それは、自衛隊の文民統制の問題という以上に、官僚機構への依存と癒着を常態化してきた戦後保守政治が、官僚の慢心を統制できないまでに劣化していることを暴き出した事件と言うべきなのである。

(3/30:きうち・たかし)


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