【日朝国交回復と拉致被害の責任】

日本政府は対アジア外交を転換し
拉致被害者家族に謝罪をすべきだ

国家によるあらゆる人権侵害を許してはならない

(インターナショナル129号・02年10月号掲載)


 9月17日の日朝首脳会談で、日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下:共和国)の国交正常化交渉の再開が合意された。これで1991年から始まりながら長く中断していた日朝の国交交渉は、2000年10月の2度目の中断以来2年ぶりに新たな国交関係の構築にむけて動き出すことになった。
 小泉訪朝直後の各種世論調査では、拉致被害者の大半が不審な死をとげていたという悲惨な安否情報が明らかになったにもかかわらず、交渉再開の合意は80%前後の高い支持率を得、低下ぎみだった小泉政権の支持率も10〜25ポイントも上昇して軒並み60%台を回復した。つまり日本の労働者民衆は、国交交渉の中断にはじまり共和国のミサイル発射、さらにはいわゆる不審船事件など日朝間の政治的緊張を、外交交渉によって解決することに強い支持を与えたのである。
 しかし同時に、日本政府が国交回復交渉再開の前提として要求してきた拉致事件解明に対する共和国側の情報提供は、すでに8人の被害者が死亡しているという衝撃的なものであったことで、右翼民族主義者と自民党タカ派を中心に、交渉再開に反対する強硬な世論も強まりつつある。
 われわれはすでに「インターナショナル」のホームページ(HP)に「日朝国交正常化交渉と拉致被害の賠償責任」と題する見解を掲載し、拉致事件と日朝国交回復に関する最小限必要な論評をしたが、ここではその抜粋を若干の修正のうえ再録しさらに幾つかの問題点を考察してみたい。

     日本政府の不作為の違法

 9月27日づけでHPの「気になった出来事」欄に掲載した見解は以下のとおり。・・・は省略、【 】は加筆である。
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 ・・・・さいわいなことに、国交正常化交渉をも白紙に戻すべきとする強硬意見は極少数派にとどまってはいるが、拉致事件の真相解明や責任追及、そして被害者とその家族と「遺族」に対する賠償や補償については混乱した議論がつづいているように見える。とくに、いわゆる左翼をふくむリベラル派の主要な論調が、日本による朝鮮の植民地支配と強制連行の歴史を理由にして、「日本もひどいことをしたのだから、拉致事件による被害は相殺されてもしかたがない」と言った調子であることに強い危惧を覚える。
 日本帝国主義による朝鮮支配がどれほど残酷なものであれ、それに直接関与したわけでもないまったく普通の日本の労働者・市民が被った被害がどうしてその歴史的負債と「相殺」されうるのか、少なくとも私には全く理解することができない。
 こんな論法は、「ではなぜお前達の家族ではなく、私たちの家族が犠牲にならなければならないのか。お前達の家族は身代わりになってくれたのか」と被害者家族に詰め寄られでもしたら、何も応えられないだろう。いや「日帝の歴史的負債を血済する」と主張する人々は、・・・開き直って被害者家族を「反動」呼ばわりするかもしれない。
 だがそこには、現実の日本政府ではなく過去の日本帝国主義を教条的に批判することを「左翼の証」とし、拉致被害を所詮は他人事として「大所高所から」評価し、被害者に同情を装いながら「階級の原則」を説教する、戦後日本左翼運動の破綻が刻印されていると私には思える。
 では北朝鮮・金親子政権の国家犯罪にほかならない拉致被害とその責任は、どう考えたらいいのか。
 ・・・・私は日本政府(歴代自民党政府と国家官僚機構という意味の)による不作為の違法行為がこの悲劇の最も主要な原因であると主張したいし、北朝鮮の国家犯罪を徹底的に追及するには、日本の政治自身がその追求にふさわしい道義性(理念と言い換えても良いが)を先んじて示す必要があると考えている。不作為の違法すなわち不作為犯は、「期待された行為を行わないことによって成立する犯罪」(『大辞林』89年版)であり、薬害エイズ事件や狂牛病問題で暴かれた、日本政府と国家官僚機構による事件や問題の放置もしくは対策の先送りということである。
 ・・・・少なくとも拉致事件が「疑惑」ではなく現実の事件であることが明になったのは、1978年8月に富山で未遂事件が発覚し、その後北朝鮮からの亡命者たちが日本人拉致を証言するようになった時である。だが日本政府はその後10年以上にわたってこの問題に取り組むことはなかった。88年9月、北朝鮮からの石岡さんの手紙で有本恵子さんが一緒であることを知った彼女の父親が、娘の帰国を実現しようと活動をはじめたときも、彼に会ってくれた国会議員はわずかに1人、外務省も「国交がないのでどうしようもない」と事務官が名乗りもせずに答えたという。
 この事実が日本政府と官僚機構の不作為の違法を雄弁に物語っており、これだけでも日本政府は拉致被害者と家族たちに謝罪し賠償をする義務がある。しかも日本政府自身の責任の所在を明らかにして事件の真相究明を迫る方が、北朝鮮政府に対する圧力にもなるというものだ。
 だがこれだけではない。日本政府は拉致事件の予防においても重大な不作為の違法を犯しつづけてきたのだ。・・・・拉致事件は韓国の沿岸でも頻繁に発生していた。ところが韓国の海岸警備が厳重になって工作員の侵入や韓国人の拉致が困難になり、「日本経由の韓国侵入」作戦の比重が大きくなったと言われている。とすれば日本政府が韓国のように沿岸警備強化をしなかったことも、立派な不作為犯と言わざるをえない。だが日本では最近の不審船事件が暴いたように、こうした「国民の生命と安全を守る」という「期待された行為」をほとんど行わず、逆に防衛庁(自衛隊)やアメリカ軍の警告(圧力)で泥縄式に不審船追及をはじめ、結果として装備の脆弱な巡視船に拿捕強行を命じ、銃撃戦から不審船の撃沈、海上保安官の負傷という惨事を招いたのだ《本紙127号「有事法制の核心問題は何か」を参照》。
 だが日本政府による被害者への謝罪と補償で、拉致事件の決着がつくわけではない。金正日が自ら認めたように、これは北朝鮮軍部による国家犯罪であり、国家犯罪としての断罪が必要である。
 しかし北朝鮮の国家犯罪を断罪するには、大日本帝国による国家犯罪に他ならない強制連行や従軍慰安婦の被害について、日本政府自身が率先して道義的責任を認め、謝罪と補償をしなければならないはずだ。過去の国家犯罪とはいえこれを自ら正す道義性(外交理念)なくしては、北朝鮮による国家犯罪に対する追及が貫かれることはありえない。
 いやそれ以上に、もしこうした道義性を率先して示すことなく北朝鮮の国家犯罪を断罪しようと日本政府が強硬な態度にでれば、北朝鮮のみならず韓国や中国の反日感情をも刺激するに違いない。なぜなら大日本帝国による国家犯罪の被害者は、過去にではなく現在を生きているからだ。それは結果として日朝国交正常化交渉を頓挫させ、日韓、日中関係にも新たな緊張をもたらす危険である。
 問題は「外交か被害者感情か」といった対立的二者択一なのではない。被害感情に深く配慮すればこそ【野党にも蔓延している】安易な弱腰外交批判や国家犯罪被害の相殺論を厳しく排斥して、理念なく浮遊をつづける日本のアジア外交を正すために日本政府と外務省を批判することが必要なのである。
(KS生)
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     国家犯罪のダブルスタンダード

 拉致被害者の安否情報についてはその後、外務省が情報を隠匿しようとしたとして批判が強まっているが、ではなぜ小泉と外務省はこうした「秘密主義」で日朝交渉を行うことになったのだろうか。
 実はここに、日本の対アジア外交戦略の不在が端的に示されている。簡単に言えば、日朝交渉の再開によっていやおうなく焦点化する懸案について、小泉政権と外務省は日本として貫くべき基本方針を持っていない、あるいは好意的に見ても動揺をかかえたままだということである。
 いうまでもなく拉致事件は、こうした懸案のうちでも最も難しい問題である。93年に国交交渉が中断したのは、日本側が拉致事件を持ち出した途端だった。と同時に共和国による国家犯罪にほかならない拉致事件の追及には、対アジア外交の根幹にかかわるジレンマが潜んでいることは、少なくともアジア担当の外務官僚にとっては常識である。それは日本もまた自らの国家犯罪について謝罪や賠償を認めないという、戦後処理の欺瞞をひきずっているからにほかならない。
 たしかに日本政府は、村山政権時代の95年に「過去の侵略によって与えた苦痛に対する真摯な反省と謝罪」を表明、以降はこれが対アジア外交の基本となった。だが他方で強制連行や従軍慰安婦などの被害に対する賠償責任は、日韓、日中国交回復時に政府間で合意した「相互請求権の放棄」を盾に、今も認めない立場を変えていない。それは侵略戦争と植民地支配という「国家に対する犯罪」は謝罪しても、民衆の直接的被害には謝罪も賠償もしないという態度である。
 こうした「個人に対する犯罪」の責任を棚にあげて拉致事件の責任を追及すれば、国家犯罪についてのダブルスタンダード(二重基準)のそしりを免れないし、徹底的な責任追及もできはしないだろう。なぜなら金正日は「主権侵害」だけを謝罪し、これは日本政府による対アジア外交の基調と同じだと居直ることもできるからだ。
 だが真に重大な問題は、拉致事件で共和国の責任を一方的かつ強硬に追及すれば、現に従軍慰安婦や日本軍による徴用被害者が生存する韓国や中国でも、広範な反日感情を刺激することになるのが明白なことであろう。それは日本の対アジア外交にとっては文字通り「薮をつついて蛇を出す」ことになるジレンマであり、「外交音痴」と揶揄される小泉本人でさえ、靖国参拝に対する中国や韓国の強い反発という経験を通じて実感せざるをえない現実である。
 だがこうして、小泉と外務省の拉致被害者と家族に対する3つ目の不作為犯罪、つまり自らの国家犯罪にほおかむりするために、あいまいな政治決着による拉致事件の幕引という危険が現実味を帯びるのだ。

     小泉の英断という虚構

 総理府と外務省の秘密主義は、こうした日本外交の動揺の現れであり、結局のところ拉致事件を日朝交渉の障害物と見なす外務官僚らの本音を暴くものである。
 にもかかわらず小泉と外務省は、首脳会談と日朝交渉の再開を決断した。それは一般には小泉の英断と称賛され、小泉政権支持率の急上昇も、そうした見方が大衆的に認知されていることを裏づける。
 だがもし小泉と外務省が、日朝間にある政治的緊張を緩和しようと積極的にイニシアチブをとったのだとすれば、なぜ彼らは訪朝前に日朝国交正常化に関する自らの信念を公然と表明し、様々な反対を押してでも日朝合意を実現しようとはしなかったのだろうか。かつて日中国交回復をめぐって、田中角栄が反対論の強い自民党内で公然たる論争を組織したようにである。
 つまり日朝首脳会談が「日本の独自外交の成果」であり「小泉の英断」であるという、野党までが評価している言説が実は虚構である可能性は極めて強い。
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 日朝国交回復交渉再開にむけて、外務省の田中アジア大洋州局長が1年も前から水面下で交渉をしてきたのは事実だし、「植民地支配への反省とお詫び、ならびに経済援助を含む国交正常化の用意」を日本側が提示したことが、金正日から拉致事件に対する初めてのまともな対応を引き出した切り札になったことも事実ではあろう。
 だが日朝双方がそうした妥協を事前に決意しなければ、わずか数時間の首脳会談でこうした「成果」が実現されるとは考え難い。言い換えればロシアのプーチン大統領が金正日を説得し、外務省と小泉には日朝交渉の支持もしくは容認というブッシュ政権の示唆がなければ、「悪の枢軸」と名指しされた共和国とアメリカの同盟国・日本の首脳会談が開催されることは、ほとんど不可能であると考える方が妥当ではないだろうか。アメリカ側の示唆が、ブッシュ政権内の「均衡戦略派」のイニシアチブに対する強硬派の妥協であったとしてもである。
 つまり日朝首脳会談はアメリカとロシアという国連安保理常任理事国の示唆を受けて、より厳しい言い方をすれば、米ロ両国の思惑に操られるようにして実現したのではなかったか。だからこそ小泉は、持ち合わせてもいない自らの信念を訪朝前に表明のしようもなかったのだし、外務省もまた秘密主義を貫く以外にはなかったのである。
 状況証拠はある。9月28日付け『週刊東洋経済』誌に掲載された歳川隆雄氏(『インサイドライン』編集長)の寄稿によれば、今年8月にウラジオストクで3回も行われた朝ロ首脳会談には両国の経済、エネルギー、鉄道担当の閣僚級幹部たちが同席し、その内のひとりであるロシアの極東管区全権代表・プリコフスキーは平壌まで金正日に同行、8月25、26の両日に行われた日朝局長級協議の当日には彼のほかにもロシアの鉄道相やエネルギー相が平壌に滞在していたという。
 さらに外務省の田中局長が共和国外務省の馬哲洙第四局長と拉致問題やミサイル問題という懸案事項を協議した同じ時期には、アメリカ国務省のサイード朝鮮部次長らが日本代表団と同じ高麗ホテルに滞在した事実も確認されているというのである。「日朝局長級協議のホットコーナーでロシアと米国が何らかの役割を果たしたことは間違いない」という彼の結論は、十分に説得的である。
 こうした事実から浮かび上がるのは、被害者と家族たちがそれなりに納得しうる拉致事件の解決について、なんの展望も持たずに首脳会談に臨んだあげく家族たちの怒りに直面して右往左往する小泉と外務省の醜態、そしてアメリカ外交のキャッチアップに終始してきた戦後日本の保守勢力によるアジア外交戦略の破産である。

     道義ある外交への転換を

 右翼民族主義者と自民党タカ派による国交回復交渉の延期要求は、まさに小泉と外務省のこうした動揺と弱点を突くものである。拉致被害者家族たちの怒りを代弁するかのように装いながら、大日本帝国による歴史的国家犯罪を絶対に認めようとしないこれらの勢力は、グローバリゼーションが日本の民衆に強いる犠牲に対する反米的反感も共有する民族国家至上主義勢力でもある。
 だがより深刻な事態は、戦後日本の進歩的知識人(リベラル派)や左翼が被害者家族たちの怒りを共有できず、右翼勢力による世論操作に有効な反撃をなしえていない現実である。そうした左派勢力の混迷のひとつの典型が、社民党の混乱であろう。
 周知のように社民党は、社会党時代から金正日総書記率いる朝鮮労働党と友党関係にあるとして、日朝国交回復にも強い意欲を表明してきた。そのためこの党には当初、拉致事件被害者家族から救援運動への協力要請が行われたこともあったのだが、社民党(社会党)はこうした要請を冷たくあしらい、ときには被害者家族に口止めとも受け取れる奇妙な要請まで行い、「拉致事件は作り話」という態度をとりつづけた。そして日朝会談の後には「(朝鮮労働党に)嘘をつかれてきた」と、苦しい弁解に追い込まれている。
 だが問われているのは、朝鮮労働党と共和国の実態を直視することを妨げてきた党の基本政策(綱領と言ってもいいが)の批判的総括であり、同時に社会主義の理念をいかに理解してきたかの自己検証である。
 しかもこれは、ひとり社民党の問題ではない。なぜなら、冷戦下でアメリカの軍事的な民族分断政策と対峙する共和国の現実と、この国を官僚的強権で支配する金日成・金正日体制を混同して政権それ自身を擁護する傾向は、日本帝国主義による植民地支配を糾弾して在日朝鮮人帰国事業を支援し、朝鮮戦争へのアメリカ軍の介入に反対して闘ったという歴史的経緯があるとはいえ、「日米反動勢力との闘い」を大義名分に日本の左翼的勢力の多くが共有してもきたからである。
 だが結果として「拉致事件は作り話」という主張は、拉致被害に対する刑事警察レベルの対応にさえ反対を唱え、冒頭に述べたような歴代自民党政府による不作為の違法、とりわけ拉致事件の防止に関する不作為の違法行為をつづけるように要求してきたに等しいとは言えないだろうか。
 すでに拉致被害の公表を契機に、右翼民族主義者による朝鮮学校生徒たちへの暴行が頻発しはじめている。それは在日外国人に対する排外的人権侵害というだけでなく、頑迷な日本外交のツケであるアジア民衆の広範は反日感情への重大な挑発行為にほかならない。だがこうした右翼の愚行と闘うために日本の左翼勢力が求められていることは、資本家の政府であれ労働者党の政府であれ、あらゆる国家権力による犯罪に明快に反対することで歴代自民党政府との「無自覚な共犯関係」に終止符をうち、拉致事件の真相究明を望む被害者家族たちの悲痛な思いに応える道筋を見いだすことなのである。
 そうであれば階級的労働者は、あらゆる国家犯罪、とりわけ国家権力によるいかなる人権侵害も絶対に容認しないという原則を再確認し、拉致事件被害の真相を徹底的に解明するためにこそ、日本政府が率先して大日本帝国によるすべての人権侵害に真摯な謝罪と賠償を行うように強く要求しなければならないのだと思う。
 自らの国家犯罪を認めない頑迷な対アジア外交を破棄し、アジア民衆が納得しうる道義ある外交戦略へと転換することこそが、アジアの広範な反日感情を挑発せずに、金正日に拉致事件の真相解明を迫ることができるただひとつの道である。そのときこそ再開される日朝国交回復交渉は、むしろこうした日本政府の道義にもとづくアジア外交への転換を広く国際社会にアピールする格好の舞台ともなりうるだろう。

(10/10:さとう・ひでみ)


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