【07年参院選のバランスシート】

挫折した自民党改革路線と民主党の「バラマキ」公約

●格差是正ではなく、生存権の防衛へ●

(インターナショナル第175号:2007年8・9月号掲載)


▼党派別獲得議席と得票率

 7月29日に投開票された第21回参議院選挙は、民主党の大躍進と安倍自民党の歴史的惨敗という結果になった。
 自民党は、改選64議席を37議席にまで減らし、連立与党の公明党も12議席から9議席に後退した。対する野党は、共産党が改選5議席から3議席に、社民党も改選3議席から2議席に後退したが、民主党が改選32議席に対して60議席を獲得し、共産、社民両党の後退を補って余りある躍進で圧勝し、小沢が公言してきた参議院の与野党逆転が現実となったのである。
 ちなみに、自民党の郵政造反組が結成した「国民新党」は改選2議席を維持し、田中康夫・前長野県知事を代表とする「新党日本」は新たに1議席を獲得、本紙前号で触れた東京選挙区の川田龍平氏は、自民党2候補との競り合いを制して当選した。
 また昨年来の「護憲統一候補擁立運動」(本誌167号「政党に物申す市民運動の登場」参照)の理念を客観的には継承したものの、結局は新社会党が中心勢力となった「9条ネット」は、273,755票(得票率0・46%)に止まり、議席獲得には至らなかった。

 こうした議席の増減を、党派別得票率の増減で比較してみると、自民党は選挙区得票率が31・4%(1860万票余)で、小泉政権の下でも民主党に敗れた前回04年選挙の得票率35・1%(1968万票余)から更に3・7ポイント減少し、比例区得票率でも30・0%(1679万票余)から28・1%(1654万票余)と、こちらも1・9ポイント減少した。
 また連立与党の公明党は、選挙区得票率では前回04年選挙の3・9%(216万票余)から6・0%(353万票余)と140万票ほど増やしたが、獲得議席は3から2に後退し、比例区得票率は15・4%(862万票余)から13・2%(776万票余)と、2・2ポイント減少した。
 公明党が選挙区得票率を増やしながら議席を減らしたのは、今回の選挙区公認候補5人に対して、前回04年選挙では3人だったからである。しかも5人の現職候補は、小泉ブームで自公連立与党が圧勝した01年選挙の当選者であり、この党の実力を越えたバブル議席だったと言えなくもない。
 それでもこの党の選挙戦が、投票率の上昇(前回56・57%→今回58・64%)や、今回の場合は民主党を押し上げた無党派層の投票行動など、選挙情勢に大きく影響されることが改めて確認できよう。つまり埼玉、神奈川、愛知という、いずれも定数3の選挙区で、現職が民主党候補と最後の議席を競ったあげく次点で落選したのは、安倍自民党の連立与党として、その責任を問われた結果と言うほかはないからである。
 これに対して民主党は、選挙区で39・1%(2193万票余)から40・5%(2400万票余)に、比例区でも37・8%(2113万票余)から39・5%(2325万票余)と、それぞれ1・4ポイント、1・7ポイント増加し、自民党との差を選挙区で4・0から9・1ポイントに、比例区でも7・8から11・4ポイントにまで広げた。
 投票総数6千万票余の10%=600万票という自民党と民主党の得票差は、公明党の基礎票800万票に匹敵する大差であり、それは民主党の当選者が20だったのに対して、自公両党合わせても21であった比例区当選者数に端的に現れている。
 一方、改選議席を減らした共産党は、選挙後のコメントで「比例区〃得票数〃が増加した」などを強調して敗戦を認めようともしないのだが、この党の比例区〃得票率〃は、前回の7・8%(436万票余)から7・5%(440万票余)と0・3ポイント減少しているのである。さらには、ついに東京の議席を失うことになった選挙区の得票率は、9・8%(552万票余)から8・7%(516万票余)へと、1・1ポイントも減少している。
 また社民党は、選挙区得票率を1・8%(98万票余)から2・3%(135万票余)に増加させたが、これは、東京や千葉など定数増の選挙区で新たに公認候補を擁立したためであり、事情は少し違うが、公明党の選挙区得票率の増加と同じである。だが選挙の見通しを楽観し過ぎた選挙区での公認候補擁立は、結局は14選挙区の全敗に終わり、比例区の得票率も前回の5・3%(299万票余)から4・5%(263万票)へと0・8ポイント減少した。

▼総括の焦点は何か

 こうした選挙結果は、年金記録の紛失や相次ぐ政治資金疑惑を契機に、安倍内閣の支持率が急落したことで事前に予測されていたことであった。さらには、1人区で自民党が6勝23敗と大敗した「地方の反乱」が象徴するように、小泉−安倍とつづいた「構造改革」が生み出した格差拡大への不満が、「生活が第一」を掲げた小沢民主党を押し上げたことも明らかである。
 したがって選挙総括の焦点は、その勝敗の原因を探ること以上に、この選挙結果が、変革主体の再生を含むわたしたちの今後の闘いにとって、どんな意味を持つのかを見極めることであろう。
 その意味で第1の焦点は、小沢民主党を押し上げた有権者の選択が何を意味するのかを明らかにすること、言い換えれば「バラマキ政治」への回帰とも言える民主党の選挙公約が、はたして「構造改革」への現実的対案たり得るのか、という問題である。
 というのも、小泉政権が推進し安倍へと引き継がれた改革路線は、右肩上がりの経済成長を前提とした「バラマキ政治」が、赤字国債の累積で持続不能となった結果の転換だったのであり、旧来型の自民党的政策が今後、本当に可能か否かが検証されなければならないからである。
 そして第2は、年金記録問題や政治資金疑惑を契機にして、改革路線が生み出した社会的格差に対する広範な批判が野党・民主党を大勝させた選挙で、護憲を全面に打ち出した共産党と社民党という「戦後革新勢力」が、両党合わせても12%(比例区)の支持しか獲得できない惨敗を喫したのは何故か、を明らかにすることである。
 少なくともこの両党の敗北は、有権者の圧倒的多数の関心事であった格差拡大を厳しくそして全面的に批判することもなく、改憲を掲げた安倍政権の思想的外観に囚われ、さらには9条護憲を自らの専売特許であるかのように振る舞うことで、これまでの「ゆるやかな支持層」にさえ見放されたことを強く示唆するからである。

 ところでわたしは、05年9月のいわゆる「郵政解散・総選挙」で、小泉自民党が都市と地方を貫く大勝を収めた直後に、以下のように書いた。
 「だがその上で、都市と地方を貫く改革幻想が間もなく(と言っても2〜3年を要するかもしれないが)裏切られるのは、これまた断言することができる」(158号『都市と地方を貫く小泉圧勝の意味』)と。
 確かに自民党の歴史的大敗は、改革幻想の「崩壊のはじまり」と言うことができる。だが問題なのは、いわば「構造改革」の必然的結果であった社会的格差の拡大を、かつての自民党的な「バラマキ政治」で解消もしくは是正できるか否かである。

▼経済成長と格差是正の矛盾

 前述のように、01年の自民党総裁選で、主流派つまり当時の橋本派から、小派閥の「変人」小泉へとドラスティックな政権移行が起きたのは、膨大な赤字国債を累積させた利権まみれの「ムダな公共事業」が厳しい批判に晒され、「バラマキ政治」の破綻が露呈したからだが、それはまた資本主義・日本が、グローバリゼーションという世界的分業の再編成に直撃され、輸出産業が牽引する経済成長戦略の展望が失われ、「バラマキ」を可能にした潤沢な国家資金が枯渇しはじめたからでもあった。
 こうして、グーバリゼーションに対応する「構造改革」を掲げる小泉政権が登場したのだが、竹中をブレーンとして推進された新自由主義的改革の実態は、国際競争の激化に直面する日系多国籍資本を支援するために、企業収益の一部を社会的格差の是正に投入してきた旧来の再分配システムを「ぶっ壊し」、国家資金の流れを逆転させるシステムに転換することであった。
 自治と分権を口実にした地方交付税や補助金の大幅削減と、介護保険の改訂や社会保険料の相次ぐ値上げは、都市と地方の、あるいは都市内部の「格差是正」に投じられてきた国家資金の削減だったし、大幅な企業減税と、社会保険料の企業拠出分を含めた人件費=労働分配率の切り下げを可能とする労働法制の規制緩和などは、企業が負担する社会的費用を軽減し、多国籍資本に資金を集中する施策に他ならなかった。
 もちろん小泉は、企業業績の改善が景気を回復させ、それが労働分配率を再び上昇させて豊かな生活が戻るという期待を抱かせることを忘れなかったが、それ自身、輸出産業の活況が国内景気をリードして経済成長を達成するという、旧来型の成長モデルを前提とする幻想であった。
 なぜならグーバリゼーションの進展は、市場の狭隘化つまり過剰生産に直面した戦後資本主義が、リスクの高い金融投機や目まぐるしい商品開発競争によってしか利潤を確保できない状況の反映であり、だからまた高付加価値商品を次々と市場に投入する技術革新への投資=資金の集中を継続し、1%でも多い国際シェア(市場占有率)を確保しようとする、いわば「自転車操業」を企業に強いる経済システムへの移行だからである。そうである以上、国際競争でしのぎを削る多国籍資本は、文字通り生き残りをかけて、1円でも多くの余剰資金を留保する欲求に突き動かさざるを得ないのだ。
 かくして、国家の支援によって潤沢な資金を手にした多国籍資本が、最高収益記録を次々と更新する一方で賃金は一向に上昇せず、格差を緩和する国家資金の削減が、地方の疲弊と都市貧困層の増加を加速し、「痛み」ばかりが人々を襲う格差社会が人々の実感となり始めたのである。

 ところが今回の選挙で民主党は、地方農村部では「農家の所得補償」を訴え、都市部では、特に若い世代の強い関心事である「子育て支援」を訴え、小泉−安倍の改革が生み出した「痛み」を、民主党が緩和・是正するというメッセージを全面に押し出すことで勝利したのである。
 それは、自動車や電機など、輸出産業多国籍資本が要求した農産物自由化の進展で苦境にある地方農山村部と、「グローバルスタンダード」と称する労働規制緩和が促進した低賃金で、結婚や子育てが困難になった都市の下層民衆に、新たなバラマキを約束する選挙戦術だったが、その財源、つまり「枯渇した国家資金」を回復する手段が同時に提示されなければ、これらの公約は絵に描いた餅に過ぎまい。
 もちろん、企業減税をやめ、社会保険料の企業拠出も含めた労働分配率を元に戻すことは可能だし、消費税率などを引き上げることで、税収を増やすことも可能である。だが前者は、自動車産業の一部を除けば依然として弱いとされる日系多国籍資本の「国際競争力を強化しない」道であり、後者の対策は、人々の大衆的反感に直面するリスクを覚悟しなければならない。
 いずれにしろ民主党の格差是正策は、右肩上がりの経済成長を求め、多国籍資本の国際競争力を強化しようとする限りは〃絵に描いた餅〃であり、増税をしてでも「高負担による高福祉」システムに転換するのであれば、「アメリカ経済のキャッチアップによる経済大国・日本」という「戦後レジーム」に代わる、新たな戦略的レジームが提示される必要があるだろう。
 だが民主党のマニフェストを見る限り、この党にそうした戦略的準備があるとは、とうてい考えられない。だとすれば、この参院選の延長上に民主党の政権奪取が実現したとしても、そこには新たな幻滅が待ち構えているだけであろう。

▼格差問題と乖離した「護憲」の限界

 だが、民主党の選挙公約にはらまれた矛盾は、実はひとり民主党が抱える矛盾なのではなく、戦後日本の保守勢力を引き裂く矛盾でもある。
 自民党が、参院選の大敗にもかかわらず安倍続投の選択しかできなかったのは、この同じ矛盾に引き裂かれた自民党が、改革路線を進むも地獄、そこから撤退して「バラマキ政治」に戻るも地獄の立ち往生に陥ったことを示しているのであり、小泉−安倍両政権による「改革政党」への転換の試みが頓挫し、この党の戦略的転換が決定的に制約されることになったからなのである。
 こうして自民党は、格差に対する大衆的不満を沈静化させる対処療法の優先に追い込まれ、内閣改造に際して、政権批判を公言してきた舛添要一参院議員を厚生労働相に抜擢するなど、小手先の対応に終始せざるを得ない事態に直面したのだ。
 ところが、こうした戦後保守勢力の危機的状況にもかかわらず、「たしかな野党」を自認してきた共産党も、「民イズム」を唱えてきた社民党も、まったく有効な対案を持っていなこともまた、今回の参議院選挙で明らかになったのである。

 前述のように共産・社民の両党は、「戦後レジームからの脱却」と称して、9条改憲を争点にしようとした安倍政権の思想的外観に囚われ、いわば改憲阻止の「決戦」を挑むかのように、護憲を前面に押し出す選挙戦を展開し、結果として、人々の最大の関心事だった格差問題から目を背けることで惨敗を喫したと言える。
 しかもこの両党は、同じような改憲の危機感から、「護憲統一候補」の擁立を求める市民派や環境派の運動にも背を向け、自らだけが「真の護憲勢力」であると言う内向きで独善的な態度に終始し、支持基盤をむしろ狭めたとさえ思われる。
 もちろん、自民党が進めようとする改憲に反対することは、単に戦後日本の平和主義を守るためだけではなく、日本国憲法に明示された民衆の諸権利を発展させ、あるいは国家権力の横暴を抑止し、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(日本国憲法第25条)を実現する、そうした「市民社会の理想」を追求する社会的運動の、ひとつの道標としても必要である。
 だがそうだとすれば、小泉改革が生み出した社会的格差の問題と切り結び、自民党の国家主義的改憲を批判する護憲の訴えは、社会的生存権の保障を明示した前掲25条の「完全実施」を前面に打ち出してこそ、効果的だったとは言えないだろうか。
 なぜなら、社会的格差を象徴する「ワーキング・プア」や「ネットカフェ難民」の急増は、労働規制緩和という「改革」の直接的結果であるだけでなく、前掲25条の後段にある「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という規定を、自民党政権が踏みにじっている証拠に他ならないからである。
 つまり参院選最大の争点となった社会的格差の問題は、それ自身として、自公連立政権による「憲法違反」を追及する内容をはらんでいたのだが、共産・社民の両党はこれを無視するように9条護憲、つまり平和主義の擁護に「護憲の理念」を切り縮めたと言っても過言ではない。
 それではなぜ、共産・社民両党は護憲の理念を切り縮め、25条に明記された社会的生存権の擁護を全面に押し立てて護憲を訴えることができなかったのだろか。
 実はここに、共産・社民両党が惨敗した本質的要因が隠れている。

▼護憲の理念と時代認識

 戦後革新勢力の護憲の理念は、敗戦後のアメリカによる占領期にまで、その源流をさかのぼることができる。
 「『非武装中立』という戦後革新の国際戦略は、日本を無力な小国に再編しょうと試みたアメリカの『前期占領政策』に依拠していた」のだが、それはまた「・・・・朝鮮戦争特需を契機に、本格的な経済復興がはじまるのと軌を一にして、『非武装』は条文護憲へと矮小化され、『中立』は、冷戦という国際関係から日本だけを切り離す『局外中立』という願望に転落し、積極的な国家目標や理念としては劣化しつづけてきた」(本紙161号「条約改定のない日米安保の変質」)。
 しかも戦争放棄を謳う9条に関しては、当初は共産党が自衛戦争の観点からこれに異議を唱え、むしろ当時の吉田首相が、国会答弁で「自衛の戦争も放棄する」のだと明言していたのである。
 つまり共産・社民両党の護憲の理念は、第二次大戦後の東西冷戦という国際的条件の下で、日本が再び戦争に〃巻き込まれる〃ことを拒否しようとする、敗戦直後の保守・革新両派に共通する外交戦略の基本理念だったのであり、逆に言えば外交戦略以上の意味を与えられなかった結果として、社会的生存権との関係を極めて希薄にしか認識しない内容だったとも言える。
 だがこれだけが、護憲の理念が「切り縮められた」理由ではない。というのも、いわば「究極の人権侵害」である戦争に反対して基本的人権を擁護する護憲の思想は、「平和的生存権」として、すでに60年代には提唱されていたからである。

 ところで憲法9条には、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。
 つまり憲法9条の規定は、単に「国際紛争を解決する手段」として戦争を放棄しただけでなく、第二次大戦後も容認されてきた「国家の権限である戦争の発動」を放棄するというものであり、9条の最後にも、「国の交戦権は、これを認めない」と明記されているように、「国家の権限の放棄」が、いわば二重に確認された9条の理念的核心と言うことができる。
 ところが戦後革新勢力は、この「国権の発動たる戦争」の放棄、言い換えれば「国家主権の一部を自らすすんで放棄する」という9条が含意する理念を、必ずしも明確にしてはこなかった。かつて共産党が、自衛戦争という「国家の権利」を擁護したように、「国家主権の自発的放棄」について、戦後革新はその最左派を含めて、極めて曖昧でありつづけてきたのである。
 しかし「国家主権の自発的放棄」という理念は、民衆のあらゆる権利を超越する「国家の権限」を制限して、「市民社会の理想」である「自律的社会」の発展に期待する、当時もそして今でも十分に「進歩的」な理念というだけでなく、マルクス主義が提唱する「国家の止揚」にも通ずる、優れた現代的理念とは言えないだろうか。
 だが共産・社民両党は、国家権力に依拠して「社会変革を代行する」自らの戦略を批判的に検証しないことで、結果としてではあれ、戦後資本主義の下で発展した進歩的諸成果を過小評価し、だからまた基本的人権思想の発展など、これまた戦後資本主義の下で台頭した進歩的思想についても一貫して懐疑的だったと言えよう。
 9条護憲と、社会的生存権の擁護とを分断した共産・社民両党の選挙戦術は、旧い時代認識を継承する両党の、綱領的破産の現れだったのである。
 いずれにしろ、憲法25条の規定にもかかわらず、改革路線が強いた社会的生存権の侵害という「痛み」と非和解的に対決する姿勢を鮮明にすることなく、日本一国の平和を守る9条護憲を訴えるのは、格差の拡大を無視して改憲を振り回す安倍に劣らず、人々の生活実感からは掛け離れた観念論と受け取られて当然であった。

▼不断の努力による権利の保持

 結局のところ共産・社民両党は、冷戦時代の護憲の理念に固執し、「生活防衛」というお得意のスローガンさえ後景に追いやり、多くの支持者に〃見捨てられた〃と言っていいのかもしれない。
 だが同時に、「生活が第一」を掲げた民主党の公約も幻想に終わる可能性が強いのだとすれば、新自由主義的改革によって生じた社会的経済的格差に対して、いかなる対案が求められているのだろうか。
 それはまず何よりも、小泉−阿部とつづいた新自由主義的改革がもたらした社会的格差が、憲法25条に規定された社会的生存権の侵害であるという、明快な認識から出発しなければならない。
 この点では、民主党の「農家の所得補償」や「子育て支援」の主眼は、「拡大し過ぎた格差」の是正にとどまり、社会的生存権という基本的人権の侵害であるとの認識は、ほとんどない。
 と同時に「わたしたちの対案」は、国家による社会保障に没主体的に依存したり、行政的な「バラマキ」補助金に寄りかかるのではなく、わたしたち民衆自身が、再分配の優先順位を当事者として考え、グローバリゼーションの時代に、言い換えれば右肩上がりの経済成長が望めない時代にも適合できる、自発的な相互扶助や住民自治によって補完される必要があるだろう。
 なぜなら、あらゆる福利厚生を国家に依存することは、いずれにしろ国家の増収のための増税や、基幹産業とされる多国籍資本への国家的支援を必要とするのは前述のとおりだからである。だがさらに言えば、国家の施策への過度の依存は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」という憲法12条の規定に背を向け、結局は政党や官僚機構による「福祉の代行」に追従し、国家官僚の恣意的な行政指導を容認することになるからでもある。

 こうした、一見「理想論」と思える対案の姿は、もちろんいまだ微力で萌芽的であるとは言え、着実に日本社会に広がりつつある新たな動向の中に、その現実的可能性を見いだすことができる。
 資本にとって都合のいい、非正規・低賃金労働者として使い捨てにされてきた若い労働者たちが、個人加盟の一般労組(ゼネラル・ユニオン)に結集して権利の回復を要求しはじめた現実は、「企業にとって有用な人間」だけを「労働力商品」として評価し、生存権の否定すら厭わない新自由主義的システムに対する、自発的抗議を通じて現れた「当事者による対案」でもある。
 あるいは過疎と財政難に直面した農山村部の自治体で、雪下ろしなど一人暮らしのお年寄りの支援に、都市の若い世代のボランティアが参加しはじめたことも、国家や行政機構に過度に依存しない、社会的生存権を保障する自発的な社会運動の萌芽と言うことができるだろう。
 これらの事例は、「低成長時代」の社会的生存権の保障に欠くことのできない、自発的な相互扶助と住民自治の芽生えであり、自民民主の二大政党も、そして戦後革新たる共産社民の両党も組織できていない、「もう一つの世界」の基盤である。

(9/7:きうち・たかし)


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