【07年統一地方選挙の結果について】

退潮つづく自民党はなぜ「強気」なのか

−自公連立と対峙する「野党連立」の構想−

(インターナショナル第173号:2007年5月号掲載)


▼具体的争点の後景化

 今年の統一地方選挙は、4月8日投票の前半戦では東京都など13の知事選挙が、4月22日投票の後半戦では沖縄と福島の参院補選が最大の話題とされ、この2つの選挙結果から、安倍・自民党の「健闘」がクローズアップされた観がある。とくに都県知事選と参院補選は7月参院選の前哨戦と喧伝され、安倍政権との対決姿勢を強める小沢・民主党の、「与野党逆転」の可能性ばかりが焦点化されたと言っていい。
 たしかに今回の都県知事選と参院補選は、夏の参院選の行方を占う選挙には違いない。だが焦点化されたこれらの選挙からは、地方分権をめぐる「三位一体の改革」や「平成の大合併」で自治体が直面する課題は、むしろ見えてはこない。
 というよりも、「二大政党制の定着」という恣意的前提に立ち、その二大政党が対決する典型的な選挙戦、つまり東京都知事選(自・公vs民・社)と、沖縄(自・公vsオール野党)と福島(自民vs民主)の2つの参院補選を意図的に焦点化した選挙報道の結果として、地方自治体をめぐる肝心の争点が後景に追いやられたと言うべきだろう。
 例えば東京都知事選挙は、三選をめざす現職の石原と元宮城県知事の浅野をかつぐ「与野党激突の首都決戦」とされ、自民党の推薦を辞退した石原の思惑や、民主党の出馬要請を断りながら「市民派」として立候補した浅野陣営の勝算など、憶測だらけの「対決の構図」が報じられ、ついには石原の「低姿勢」や「反省」ばかりが話題となり、石原都政二期8年の功罪という肝心の争点は、ほとんどかき消されてしまった。
 結果として07年統一地方選挙は、参院選の前哨戦に貶(おとし)められ、地域間格差の拡大によって生じた「公共サービスの格差」、過疎による自治体財政の危機やこれと連動した高齢者医療と介護制度の危機など、都市と地方の再分配の見直しを突き付ける自治体選挙ならではの争点は、財政再建団体となった夕張市の市長選挙が象徴的に報じられただけで、ほとんど争点化することなく終わったのである。

▼自民党の衰退と争点の観念化

 だが、肝心な争点が後景に追いやられたのは、マスメディアの恣意的な選挙報道のせいばかりとは言えない。
 もちろんマスメディアには、「世論のミスリード」の責任はある。「郵政民営化選挙」と同じようにである。しかし注目すべきなのは、「争点の観念化」とでも言うべき対決の構図の変化にある。
 現実の社会的必要に応える具体的政策を競うのではなく、改憲とか教育制度改革とか、いわゆる戦後政治の理念を根本的に変えることが「改革」の継続であり、それこそが最大の政治課題だとする「改革派」の論調が日本政治を広く覆っている事態が、自治体選挙の争点を後景化させ、与野党の観念的対決と政権の行方がクローズアップされた本当の要因だと考えられる。
 共産党から民主党まで、野党各党が掲げた格差是正も、社会保障拡充の具体的要求を掲げる以上に、新自由主義批判や日本的互助の美徳を語ることで、むしろ争点の観念化を助長した。
 もちろんこうした争点の観念化は、「美しい国」と言った観念論を振り回す安倍政権が仕掛けたことだし、「参院選で改憲を争点にする」と言う安倍の宣言は、この事態に拍車をかけてもいる。だが争点の観念化のより本質的な背景には、「どぶ板選挙」と呼ばれた戦後保守政治の伝統的手法、つまり地域社会の経済的要求を吸い上げた地域ボスが、国や自治体から「資金を引っぱって来る」政治の衰退がある。
 戦後半世紀にわたって、自民党の政権独占を可能にしてきた公的資金による支持基盤の扶養は、国家と自治体の財政難のために困難となり、自民党支持率の長期低落を招くことになったが、それは包括政党・自民党に変質を迫るものでもあった。
 そして、こうした「旧い」自民党支持基盤の衰退は、今回の統一地方選挙の結果にもはっきりと現れていた。

 統一地方選挙前半戦の中で、44道府県議会選挙と15の政令指定都市議会選挙を見ると、前回2003年との比較で自民党は、県議選の議席数で97、得票率で0・5%減少し、逆に民主党は議席数で170、得票率も7・2%増加した。また指定都市議会の選挙では、自民党は議席数を24増やしたものの、得票率では1・4%減らしており、議席増も、定数が全体で152議席増えたおかげに過ぎない。他方の民主党は、議席数で68、得票率でも5・7%増加しており、自民党は、民主党に完敗したと言える。
 では後半戦はどうか?
 後半戦の市区町村首長と議会選挙は、その数だけで895にものぼり、全体を分析することはできないが、全国310の市議会議員選挙だけ見ても、民主党は374人を当選させ、全当選者に占める民主党当選者が、前回の2・8%から4・7%と倍増したのに対して、自民党の当選者の割合は7・9%から7・5%に僅かながら減少し、87年の統一地方選挙から5回連続の当選者減となった。
 にもかかわらず、自民党が「健闘」し安倍の「求心力が回復」したとの評価は、どこまら生まれたのだろうか。

▼組織選挙プラス「理念型党首」

 それは沖縄という「革新派の牙城」で、オール野党共闘の知事選と今回の補選という2回の「1人区」選挙に連勝した自民党が、安倍を看板にした選挙戦に自信を深めつつあるということである。
 今夏参院選の勝敗を別ける「1人区」選挙のモデルとして、自公の全面協力による組織選挙に、「安倍人気」で無党派票の取り込みが加われば十分に勝てるというのが、自民党執行部の総括である。
 とかく「選挙に弱い」イメージのあった安倍が、沖縄に直接2回も乗り込んで応援した上での勝利は、安倍が総裁になって以降の党内不協和音を沈静化させることになったし、知事選と補選の連勝という高揚感が、この多分に主観的な自信となっただろうことは十分に推察できる。
 だがそれでも、これを「主観的過信」として切り捨てるのは禁物である。というのも小泉政権の5年間は、前述した戦後保守政治の伝統的手法が「守旧派」として排撃され、代わって「構造改革」なる理念が選択肢として提示される「自民党の変質」が進展したのであり、その意味で安倍の「改憲」という理念的選択肢の提示は、変質した自民党の現実に合致するからである。
 もちろん安倍による理念の提示は、沖縄の地元ゼネコンと創価学会という、旧態依然の利益誘導型組織選挙に補完されてはじめて効果があったという意味では、「自民党をぶっ壊す」と言った理念で圧勝した小泉の参院選には遠く及ばない。だがこの点では、安倍政権との対決姿勢を強めている小沢・民主党の方が、依然として理念型とは言えない組織選挙でしか闘えなかったことの方が、より重要であろう。
 民主党の小沢党首は、沖縄補選の敗戦について「力負け」と総括したが、それは民主党の組織力の弱さ、つまり民主党の社会的基盤が脆弱で「風だのみ」に依存するひ弱さに対する、的を得た指摘ではある。
 現に民主党は、この統一地方選で議席を急増させたとはいえ、44道府県議会議の議席数では、自民党の1465議席に対して476議席と3分の1に過ぎず、後半戦の市議会選挙でも第1党の公明党が974議席、つづく共産党が772議席、3位自民党の598議席に次ぐ第4位、374議席に甘んじている。しかも市議会の隠れた「第1党」は、定数8025議席中5080議席を占める「無所属」であり、その大半は地元利益と一体化した風見鶏、要は「強い方に付く」勢力であろう。
 ここで問題なのは、自民党が衰退しつづける組織的支持基盤を補うように、小泉と安倍といった「理念型総裁の支持率」に依拠した集票機能を模索してきたのに対して、民主党の側には、党として政治理念を明確にすることで寄り合い所帯が空中分解する懸念があるとして、これに対する警戒感が強いという現実があることなのだ。
 「風だのみ」の民主党が、理念を押し出せずにその可能性を自ら閉ざし、文字通り敵失による「風」しか期待できない状況に陥ったのに対して、逆に自民党が、衰退する組織力を補う理念や党首の人気で選挙を闘い、しかもこれがある程度功奏したことが、自民党の自信回復の背景なのである。

 こうして、参院選の前哨戦と言われた07年統一地方選挙の結末は、参院選での「自民党の善戦」を示唆するものとなった。
 もちろん、小泉人気で大勝した01年参院選獲得議席の改選である以上、自民党が議席を減らすのはほぼ確実であろう。しかしそれでもなお自・公両連立与党が、参議院の過半数を維持するであろう可能性が、まさに野党各党の主体的混迷の結果として強まったと言えるだろう。

▼「統一候補」と「連立政権」

 その上でだが、小泉から安倍が受け継いだこの「理念的選択」の選挙が、戦後日本の利益誘導型選挙からの転換だと考えるのは、早計に過ぎる。前述のようにそれは、なお旧態依然たる利益誘導型組織選挙に補完されてはじめて、一定の効果が期待できるに過ぎないからである。
 つまり統一地方選挙で自民党が展開した選挙戦術は、マスメディアのミスリードに助けられて「理念的選択」まがいの外観を持ったのが実態であり、テレビを駆使したイメージ選挙に他ならないのだ。
 実際に、日本の選挙が利益誘導型から政治理念にもとづく選択型へと変わるには、選挙運動員が、マニフェストや公約である諸政策の内容を、個々の有権者に説明する機会が保証されなければならない。ということは、戸別訪問も、不特定多数者への政策チラシの配布も、果てはインターネットを使った政策宣伝すらできない現行の公職選挙法の下では、日本の選挙が「理念選択型」に変化するのは不可能であろう。
 そうであればこそ、阿部政権に対決しようとする民主党や野党各党は、小沢の体現する旧来型の組織選挙以上に、自民党の「理念まがい」に対抗する「理念とイメージ」を、大胆に構想する必要に迫られているとは言えないだろうか。

 それにはまず、小選挙区制という現行制度が「二大政党制を人為的に作り出す」という固定観念を、わたしたち自身の側でも払拭する必要があろう。
 たしかに小選挙区制は、二大政党を人為的作り出しはするが、同時に自民・公明連立政権の実例が示すように、それは「連立する二大勢力」が対峙する構造に置き換えることも可能だということである。
 つまり、民主・共産・社民が一定の政策協定を締結し、3党「連立」によって自民・公明の「連立政権」に対抗すると言った「イメージ」を有権者に訴えるような、大胆な発想の転換の必要である。
 こうした発想の転換にとって最大の障害であった改憲に関する態度は、阿部政権による民主党への最後通牒、つまり国民投票法案の与党単独強硬採決によって、むしろ合意の可能性が生まれてもいる。それは「改憲論議の仕切り直し」という一点で、3野党の合意を形成できる可能性である。
 もちん、参院選挙に向かうこの3党の現実は、政策協定とか連立には程遠い「主体強化論」が幅をきかせ、護憲を信条とする保守リベラル派や自公連立に不満を抱く自民党支持層を含めて、野党勢力は分断されたままである。当面の可能性として追求された、いわゆる「市民派」と社民党の連携や「9条改憲反対」の一点で共産、社民、市民派が共闘する「統一候補」擁立運動も、共産党と社民党の主体強化論によって阻まれた。
 だが参院選での自民党の「健闘」が現実となったとき、こうした統一候補や連立政権の発想は、改めて検討される必要があるのではないだろうか。

(5/18:きうち・たかし)


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