●北朝鮮ミサイル問題の舞台裏

アジアでの孤立を深めた日本の突出した強硬路線

−外交的大失態を見過ごす、批判的検証の自己規制−

(インターナショナル第166号:2006年6月号掲載)


 メディアが時の権力に追従し、無残な国家的破綻に至った敗戦からわずか60年しか経っていないのに、同様の無批判的追従が「無自覚のうちに」進行する事態は、この国と社会の危機的現状の象徴だろう。
 北朝鮮のミサイル発射をめぐる日本外交を検証できないばかりか、「大失態」とさえ言える一連の外交を「成果」と持ち上げる日本のマスコミの知的怠惰は、「9・11テロ」で思考停止状態に陥り、イラク戦争へと人々を扇動したアメリカ・マスメディアの危機と二重映しになる。

▼ミサイル発射と各国の反応

 北朝鮮(=朝鮮民主主義人民共和国)が、周辺諸国の要請や忠告を振り切ってミサイルの発射に踏み切ったことは、核開発とミサイル輸出をめぐる外交交渉の基盤を脅かす行為であり、私もまた金正日政権の「軍事をもてあそぶ」瀬戸際外交なる手法を、強く非難しておきたい。
 だが同時に日本政府とこれを鵜呑みにしたマスメディアが、「日本にとって重大な脅威だ」と騒ぎ立てることには、何の根拠もありはしない。発射された7発のミサイルすべてが、ロシア沿岸寄りの日本海の一定海域内に落下した事実が示すように、金正日も北朝鮮軍部も、「ミサイルで日本を攻撃する」ほど無謀でも、常軌を逸してもいないことは明らかである。
 それは、北朝鮮の政治や軍事を熟知する人々が繰り返し指摘したとおり、アメリカとの二国間協議を切望する北朝鮮の政治的デモンストレーションであることは、国際的には十分に明白な事実である。
 したがって「6カ国協議」に関わってきた各国は、「挑発的行為」(ハドリー米大統領補佐官)、「地域に危険をもたらす行動」(韓国外交通商相)、「強い懸念」(ロシア外務省)、「情勢を緊張させ複雑化する行動」(中国外務省)などと非難しつつも、比較的冷静な対応を模索していたと言える。
 それはアメリカのライス国務長官が、ミサイル発射確認後の記者会見で「6者協議はこうした問題の解決に役立つ外交的基盤だ」と述べ、「6カ国協議」の枠組みで問題の解決をめざす考えを強調したしことに端的に示されていたし、「ワンボイス」つまり「各国の対応の一本化」こそが、アメリカが当初から目指した対応策でもあった。
 ところが日本の対応は、各国外交団が驚くほど素早いものであり、その内容も極めて強硬であった。

▼挫折した日本の強硬路線

 日本の強硬な対応を主導したのは、拉致問題を通じて「対北朝鮮強硬派」として名を馳せた、安倍官房長官である。
 安倍は1発目のミサイルが発射されてから1時間後には首相官邸に入って情勢分析会議を主宰、午前6時15分には1回目の記者会見を行い、7時前にはシーファー駐日アメリカ大使との会談をこなし、以降4回の記者会見で北朝鮮を激しく非難する官房長官声明や万景峰号の入港禁止などの制裁措置を次々と発表した。そしてミサイル発射から5時間後には、国連に緊急安全保障理事会(安保理)の招集を要請したのである。
 いつもはアメリカの顔色ばかり窺い、曖昧な対応に終始する日本外交を知る諸国外交団が目を見張る素早い対応は、もちろん周到に準備されていたものであった。
 しかも当初は、日本政府の閣僚や外務省幹部がアメリカと共同で安保理に提出した「制裁決議案」の採択に強い自信をみせていたのは、その周到な準備が、アメリカとの共同歩調にもとづいていると「確信していた」からだったことも容易に想像できる。
 ところが前述のように、アメリカ政府の本音は北朝鮮に核とミサイル開発の断念を迫る国際的「ワンボイス」の形成、つまり「6カ国協議」を軸にした関係諸国の対応を一本化することであり、中国をこの構造にしっかりと組み入れることで、北朝鮮の最大の逃げ道を塞ぐことであったのは、その後の事態の推移から見ても明らかである。
 こうして、外務省幹部が盛んに喧伝した一気呵成の「制裁決議案」の採択は、中国による北朝鮮の説得を見守りたいと言うアメリカの意向によって先送りされ、当初は制裁決議に同調していたイギリスとフランスも、「日米」と「中ロ」の妥協を促す調停へと路線転換し、「アメリカに寄り掛かりながら日本が主導した」対北朝鮮強硬路線は、あえなく頓挫したのである。
 日本政府・外務省が採決を望んだ「制裁決議」は、中国とアメリカが折り合う形で「非難決議」に落ち着き、直後のサミットではアメリカのブッシュ大統領が、「あなたの指導力に感謝したい」と中国の胡錦濤国家主席を持ち上げ、中国もこの「アメリカの期待」に応えるように、中国の銀行に開設されていた北朝鮮関係口座を凍結する「制裁措置」に踏み切るのである。
 民主党の小沢が、「珍しく日本が先頭に立って(制裁を求める)決議案を提案する事態になったが、強硬論を言う役割をさせられて、裏では米中、米ロの談合が行われていた。日本は・・・・米国の本音について何も聞かされていなかった」(日経新聞:7/17)と批判したのは、当然であった。

▼「親米マフィア」の思い込み

 これは、明らかに日本外交の失策である。しかもその背景には、「9・11テロ」以降の一時期にアメリカ外交のイニシアチブを握ったネオコン(=新自由主義勢力)の戦略に全面的に迎合した、小泉政権下の対米追従外交があるのも疑いない。
 なぜなら、安倍官房長官と外務省がブッシュ政権の対北朝鮮政策、より正確には対中国戦略を完全に見誤って失態を演じたのは、二期目のブッシュ政権で外交的中枢を担うライス国務長官らの本音と、一期目のブッシュ政権で外交を主導したネオコン(=新自由主義勢力)の意向とを混同し、後者がブッシュ政権の路線だと頑なに主観しつづけている結果だからである。
 つまり対北朝鮮強硬路線で日本と共同歩調をとったアメリカのボルトン国連大使が、ネオコンとして著名な人物であることを知りながら、またイラク戦争の泥沼化を背景に、二期目のブッシュ政権が欧州連合(EU)との関係修復を図るなど軌道修正を始めたことが明白にもかかわらず、外務省の「親米マフィア」は、ネオコンの路線に無批判的に追随しつづけた小泉外交の4年間に、今なお固執していると言うことである。
 まさにその結果として、日本の対北朝鮮外交は厳しい事態に直面することになる。非公式な折衝を含めて、北朝鮮との外交チャンネル全体がマヒするのは確実だが、それは拉致問題など、両国間の懸案をめぐる情報交換の可能性さえも閉ざすことであり、あるいは金正日にとって最大の脅威である日本・中国・韓国の協調は、日本に対する中韓両国の反感と不信の高まりによって、さらに困難となるだろうからである。
 だが最も決定的なのは、肝心のアメリカが日本外交への期待を失い、今後ますます中国や韓国への「依存」を深めて対アジア外交を展開するかもしれないことである。実際にサミットの席上で、ブッシュ大統領が胡錦濤国家主席に向けて述べた「感謝」は、アメリカが日本と中国とを秤にかけ、問題と状況に応じて選択・利用する可能性が十分にあること、だからまた「史上最良」と言われる日米関係の実態は、必ずしも安定した同盟関係として機能してはいないことを再確認させるものであろう。

 ところがである。この外交的大失態について、日本のマスメディアはただの一言も批判しないばかりか、一部ではこれを「成果」として誉めそやすという、ほとんど信じられない事態が起きたのである。
 それは国連安全保障理事会の常任理事国をめざして挫折した、昨年の外交的大失態を批判的に検証することさえ不十分にしかできなかった、日本のマスメディアの知的怠惰を暴き出して余りある。

▼「親密な日米関係」なる虚構

 改めて確認するが、「制裁決議」を「非難決議」へとランクダウンしても、中国が北朝鮮の銀行口座を凍結するなら、アメリカにとっては、その方がはるかに上出来の外交的成果と言うことができる。
 逆に日本は、どれほど威勢のいい強硬姿勢をわめき立てようが、「アメリカに寄りかかる」ことでしか、対北朝鮮経済制裁の実効を達成することはできない。なぜなら北朝鮮への経済制裁が有効であるためには、アメリカが海上封鎖などで北朝鮮の対外流通を本気で規制し、これを中国が「黙認」を含めて容認した場合だけだからである。
 この点からしても、今回の外交的駆け引きで最大の成果を手にしたのは「中国を抱き込んだアメリカ」であり、日本は何の見返りも無しに、いやもっと言えば日本の立場をさらに悪化させることで、その尖兵役を努めたとさえ言えるのだ。
 ところが読売、産経など、ネオコン路線に追随した自衛隊派兵などを声高に支持してきたメディアは、「国益に立って一定の役割を果たせた」(読売:7/17)とか、「日本外交にとって画期的なことと評価」(産経:7/17)と誉めそやす有り様である。朝日、毎日、日経などの各紙はさすがに積極的に評価するまではしなかったが、少なくとも北朝鮮のミサイル発射をめぐる一連の外交について、多少とも批判的な検証などは全く掲載されることはなかったし、せいぜい前述の、民主党・小沢代表による批判的見解が小さく掲載されただけであった。
 こうした事態はメディアの知的怠惰を印象づけるが、それ以上に気に掛かるのは、「北朝鮮問題」の扱い方である。
 それはかつての「満蒙問題」と同様に、一切の批判的見解を自己規制し、併せて多くのタブーを自ら作ることで事実を歪め、声高だが偏狭な「中国バッシング」を繰り返しているうちに、取り返しのつかない破滅に向かう軍部の独走を「許した」、あのメディアの退廃と堕落とを彷彿とさせると言っては、言い過ぎだろうか。
 「日露戦争の多大な犠牲」で手にした「満蒙の権益」が「帝国の生命線」だとされて以降は、その権益確保の是非は論じることさえ許されなかったのと同様に、北朝鮮の金正日体制は「議論の余地さえない悪」とされ、強硬姿勢の是非を論じること自身が「許されない」かのような状況は、北朝鮮という「厄介な隣人を無害化する」ための効果的方法について、客観的な議論そのものを抑圧するのは確実である。
 それは結果として、今回のように「アメリカに振り回された」外交的失態を批判的に検証することをも妨げ、だからまた失敗から学んで軌道修正や路線転換の必要を認識する機会を自ら閉ざし、この国の将来を危うくするに違いない。

 以上のような、北朝鮮のミサイル発射をめぐる外交的失態によって明らかになったことは、日本とアメリカという二つの経済大国の外交関係が、外務省が盛んに宣伝するほど親密でも良好でもない現実である。それは小泉とブッシュの「個人的友情」が、どれほど親密だとしてもである。
 このことは昨年、国連安保理の常任理事国になろうとした日本が、中国の意向をより重視したアメリカに〃見捨てられた〃ことですでに明らかであった。そして今回の失態は、「史上最良の日米関係」と言った誤った認識を、外務省の「親米マフィア」がなお堅持している事を再確認させる。
 だがそれは、アジア諸国が新たな地域共同体に向かう趨勢に逆らい、日本をアジアの孤児へと導く誤認なのである。

(7/31:きうち・たかし)


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