【ライブドア事件とは何か】

不正取引の舞台をしつらえた日本版ビックバンと小泉改革

−庶民を投機に追い込む、社会保障制度の解体−

(インターナショナル第163号:2006年3月号掲載)


▼新しい時代の新しい事件

 1月17日、意表を突く強制捜査で幕を開けた「ライブドア」の証券取引法違反事件は、これまでにない経済事件へと発展した。
 強制捜査直後から大量のライブドア株の売り注文が殺到、東京証券取引所(東証)は翌1月18日、売買処理システムのダウンを回避するために、1878年の開所以来はじめての取引全面停止に追い込まれた。さらに昨年末、晴れて日本経済団体連合会(経団連)の正規会員に迎えられた、「ホリエモン」こと堀江貴文社長以下ライブドア経営幹部が次々と逮捕され、金融市場を翻弄した数々の「錬金術」が暴かれている。
 だが「これまでにない経済事件」とあえて呼ぶのは、それが様々な前代未聞の事態を引き起こしたからだけではない。むしろこの事件が、90年代後半から始まった日本版金融ビックバン、つまり70年代のサッチャー・レーガン改革を模した一連の「金融規制緩和」という背景抜きには、決して説明できない新時代の事件だからである。
 実際に、この事件を契機にして、広く人々に知られるようになった株式分割や株式交換による企業買収(M&A)など、ライブドアが株式時価総額を極大化するために駆使した数々の「錬金術」の手段は、文字通りの意味で、この金融規制緩和政策によって可能になった手法である。
 もちろん、規制の変更・緩和とこれの悪用を企む事は、同じではない。
 それでもこの事件は、一連の規制緩和を促進するために喧伝された、新自由主義的価値観の蔓延なしには考えられない。ITを駆使した金融投機が「最先端の金融事業」であるかのように持て囃され、「株主利益重視」の「株式時価総額経営」がグローバルスタンダード(世界標準)として称揚されることなしには、堀江のライブドアが、「自分を含む」個人株主の利得を最大限〃偏重〃し、法の抜け穴や制度的欠陥を巧みに突くモラルハザード=倫理的退廃へと突き進めたとは、考えられないからである。
 では「日本版ビックバン」の何が、どのように問題だったのか。まずはそこから、この事件の検証をはじめたい。

▼「借り物の規制緩和」の破綻

 これまでのルールを変更する場合、とくに市場の規制の在り方を「事前の規制・監視と行政指導」から、「事後的な取り締まり」へと180度転換するような変更は、これに伴って生じる制度的不備や法の抜け穴を監視し、迅速に不正を摘発する機能を再構築することと一対であるべきだろう。
 現にサッチャー・レーガン改革を経た80年代後半、欧米金融市場で、インサイダー取引などの不正が急増した教訓がある。だとすれば、日本で金融規制緩和を実行する時に、アメリカ証券取引委員会(SEC)と比べ、余りに貧弱だとの指摘が以前からあった証券取引等監視委員会(証券監視委)の増強や再構築が、検討されて当然だったのだ。
 ここでSECと証券監視委の規模や構成、機能や権限を比較する余裕はないが、「事後的取り締まり」を基本とするSECには、新型の不正、つまりルール変更によって新たに生じる「未知の犯罪」に対処する機能と権限が与えられている。これに対して日本の場合は、そうした機能や権限は無いに等しいと言えるほどの落差がある。
 こうした、日本の金融市場の欠陥と未熟ぶりは、「日本最強の捜査機関」と言える東京地検特捜部が、ライブドア摘発に乗り出した事実が逆説的に証明している。公正な証券取引に責任を持つべき東証や証券監視委は、ライブドアを告発できなかったばかりか、不正取引排除の勧告すらできなかった。まさにその結果として、地検特捜部の捜査が始まったと言えるからである。
 だがそうした責任ということでは、政府・金融庁にこそ、最大の責任がある。
 というのも「風説の流布と偽計取引」という、聞き馴れない容疑で強制捜査が始まったことは、ライブドア事件が、規制緩和に伴う制度的欠陥や法的不備を突いた、「これまでにない経済事件」であることを強く示唆するからである。
 ライブドア幹部たちの自供で露見した粉飾決算は、もちろん明白な違法行為である。だが金融取引の中には、グレーではあってもクロ(違法)とは言えないものも多い。昨年1月、ライブドアがニッポン放送株を大量に買収した「時間外取引」も、まともな手法ではないとしても、違法ではなかった。
 「風説の流布」容疑、つまり最初の捜査対象である株価の高値誘導操作容疑も、「株式分割=株価操作だから犯罪」と言うほど単純ではない。なぜならライブドア株の急騰が、異常な水準の株式分割の直接的な結果だとしても、株式分割は違法行為ではないし、高騰した自己所有株式を売って儲けるのも違法ではないからだ。逮捕後の堀江が、頑強に無罪を主張するのもこの為である。
 だが当初から、密かに株価高騰を意図し、企業業績の上方修正などとからめて株式分割を行い、その相乗効果を狙ったとすれば、それは不正な株価操作という違法行為になる。さらにそこで自己所有株式を大量に売って莫大な利益を得れば、それは市場を騙して得た不正利得なのは明白だ。
 しかも今回の事件のように、個々の行為や取引は完全に合法だが、一連の、だが外部の投資家には公表されない、あるいは公表が義務づけられていない複雑な取引の全体を通じて株価高騰を演出する手法は、金融規制緩和によって、実に多様な金融派生商品や投資ファンドが、市場に溢れかえる状況があればこそ可能なのだ。
 だからこそアメリカには、『何人たりとも有価証券売買その他の取引において、不正手段の計画、履行をしてはならない』(SEC規制10b-5)という「包括規定」がある。だが日本には「風説の流布」(証券取引法157条)と「偽計取引」(158条)を禁じる、曖昧な規定があるだけである。地検特捜部が、いわば「国策捜査」として摘発に乗り出さざるを得なかったのは、この為であろう。
 つまり規制緩和を進めた日本政府・金融庁は、アメリカに倣って金融規制緩和を進めながら、それに伴う不正の監視や摘発といった機能を整えて来なかったという意味で、重大な政策的責任がある。
 そしてその背景には、規制緩和に伴うリスクや功罪に関する主体的評価を曖昧にし、結局は、戦後日本の政治と経済とに染み付いた「アメリカのキャチアップ」に頼り、「借り物の規制緩和」を進めた日本の政治と経済の、戦略的思考の貧困がある。

▼政府・金融庁と東証の「罪」

 政府・金融庁が、ライブドア事件の最も重大な政策的責任を負うとしても、金融規制緩和の掛け声に乗って、ライブドアに「偽計取引」の舞台を提供した東証もまた、「公器」としての証券取引所の機能不全を見過ごしてきたという意味で、金融庁に負けずとも劣らない責任がある。
 もっとも、「脇の甘い」株式公開買い付け(TOB)に付け込まれ、ライブドアが金融取引を飛躍的に拡大する原資となった1470億円もの資金を「提供した」フジテレビ。あるいはライブドアを正規の会員として迎え入れ、その取引に社会的信用を付与した経団連など、〃共犯〃とさえ呼びたい責任がある企業や経済団体は数多い。
 さらに、こうした風潮を利用して、自らの政権基盤の強化だけを目的に堀江に衆院選出馬を要請し、これを全面的に支援して彼の社会的信用を一段と強化した、小泉自民党の責任も問われて当然だ。
 だがこれらは、戦後日本の政治と経済の戦略的思考の貧困が、イラク人質事件で露になった付和雷同を生みやすい社会的意識とも相まって、日本中が、ホリエモンにコロリと騙されたことを暴くだけである。
 だが東証の責任、つまり証券取引所幹部たちが負うべき責任は、はるかに重大である。なぜなら彼らは、株式分割や、企業買収費用の調達に濫用された金融派生商品取引をさんざんに奨励しておきながら、それが引き起こす不正の危険性に全く頓着しなかった、実に無責任な、規制緩和の直接的担い手に他ならないからである。
 とくに「東証マザーズ」という新興市場を開設し、そこに資金を集めるために「虚業」企業の株式を次々と上場させ、さらに個人資産を市場に誘導しようと株式分割を奨励し、あげくにライブドアの不正に対処できなかった東証には、欧米であれば幹部全員が辞職して当然の重い責任がある。

 もちろん、リスクを極度に軽視した規制緩和と、それによって生じた金融市場の無軌道ぶりに、早くから警鐘を鳴らしていたエコノミストやジャーナリズムもある。だがそれは、ライブドアが強制捜査を受ける以前は、少数派に過ぎなかった。
 月刊『世界』05年5月号の「ライブドア対フジテレビ/市場のルールを踏み荒らす者は誰か」は、そうした少数派によるライブドア批判だが、『週刊東洋経済』05年2月26日号の「大幅分割の〃黒魔術〃」は、「市場規律を緩め株式市場を歪めている〃不作為〃に迫る」、異様な株式分割に対する最も早い時期の警鐘であろう。さらに同誌は、同年3月12号でも「ライブドア〃市場遊戯〃」と題して、ライブドアがニッポン放送株の買収資金調達に使った「第三者割当CB」(コンバーチブル・ボンド=転換社債型新株予約権付社債)という金融派生商品の不透明性に警鐘を鳴らし、これにまつわる怪しげな金融取引に疑問を呈して東証を批判していた。
 これら、当時の少数派の警鐘に共通していたのは、制度的欠陥や不備が「東証市場のカジノ化」を招いており、それに手をこまねいている金融庁と東証の不作為(の違法)に対する批判である。だが金融庁と東証はその後も、つまり今年1月に地検特捜部がライブドアへの強制捜査を始めるまで、この不作為をつづけてきたのだ。

▼不正に「加担した」東証の罪

 では東証は、「規制緩和の直接的担い手」として、どんな〃不正行為の舞台〃を提供したのだろうか。
 まずは、「東証マザーズ」なる新興市場の危うさである。前掲『週刊東洋経済』の「大幅分割の〃黒魔術〃」は、記事の冒頭に以下のような証言を掲げた。「いくら業績が悪くても、株式を分割するだけで株価が高騰する銘柄は、外国人投資家の目にはクレイジーとしか映らない」。
 経済理論上、株式分割が株価に影響を与えることはない。売買価格10円の株が100株発行されていれば、それが10分割された場合、(10円÷10)×(100株×10)になるだけで、株式の総額は共に1000円だからである。ところが東証マザーズ市場では、「大幅な分割による一時的な株券の品薄状態を当て込んで、別の〃狙い〃を達成しようとする会社が増えている」状態にあったと言う。どういうことなのか?
 それは株券印刷などの物理的制約から、分割された発行株数に比べて、売却できる株数が一時的に極端に品薄となり、さらに分割で売買単価が下がり、資金的には乏しい個人でも買い易くなるために、大幅分割後の株価は急騰することが多いからである。
 さすがに今年になって、株券を一括管理する証券保管振替機構という仕組みができ、こうした〃品薄期間〃は解消された。だがそれは、実に4年にもわたって、東証が「株式分割バブル」を放置してきたことを意味している。なぜなら東証は、01年6月に成立した改正商法で「株式分割の純資産額規制」が撤廃されたのを受け、同年8月、最低投資単位を50万円未満にするよう、上場企業に執拗に働きかけ、株式の大幅分割を煽ってさえいたからである。
 それまで、企業の純資産を割り込むような株式分割は規制されていた。ところが株式市場の低迷を背景に「個人投資家重視」、言い換えれば、庶民の少額資金を証券市場に引き込むことを目的に、投資単位を引き下げようと規制が撤廃されたのである。だがそれは、資産の小さな新興企業が、実態以上に資産規模を大きく見せかけ、株価高騰を演出して一獲千金を目論む、文字通りの虚業を蔓延させる契機ともなった。
 断っておくが、株式分割の純資産規制の緩和(撤廃ではない)自身は、少ない資金で起業しようとする有意の人々に道を開き、少額でも有意の起業家を応援したいと考える人々の投資機会を拡大するという意味では、悪いことではない。だがそれは同時に、虚業を蔓延させるリスクを伴うのだ。
 だから問題は、証券取引のプロであり、しかも証券取引所という「公器」を運営する責任を負う東証幹部たちが、このリスクに目を塞いで証券市場の活況だけを追い求め、「株式分割バブル」を引き起こす制度的欠陥の解消や、不正取引を監視・摘発するシステム整備を怠ってきた不作為にあるのだ。
 それは結局、個人投資家と呼ばれる素人を大量に証券市場に引き込んでおきながら、投資家が個人では負うことのできない過大なリスクを、「自己責任」の名の下に一方的に負わせることに他ならなかった。
 だがまさにこうして、東証マザーズ市場は暴力団の資金調達にも大いに利用される、虚業が跋扈するカジノと化した。

▼日本的金融市場の実態

 しかし虚業が市場を跋扈し、IT企業というよりも株式分割やM&Aを駆使する金融業者が実態だったライブドアが、そこを格好の舞台にして荒稼ぎを目論んでも、投資家たちが同じマネーゲームに参加してくれなければ、カジノ=賭け事としては成立しない。
 しかも前掲「大幅分割の〃黒魔術〃」の証言にあるように、まともな、あるいはプロの投資家が、「クレイジーとしか映らない」株式に投資する可能性はない。
 こうして、「個人投資家重視」の掛け声の下、一獲千金の幻想に煽られ、証券取引のプロなら絶対に手を出さない投機的売買に奔走する、個人投資家と呼ばれる無数の素人投機家たちを市場に引き込むために、株式分割が一段と加速された。
 こうした作られた「市場の歪み」は、発行済み株式数と、「発行済み株式単元数」の落差として現れている。
 「発行済み株式単元数」とは、株式の最低取引単位を意味する「単元数」で発行済み株式数を割った値のことだが、それで見ると、単元数が1株というライブドアの発行済み株式単元数は10億4915万口で、3位のNTTドコモの4870万口の20倍超、5位トヨタ自動車の360万9千口の約30倍である。
 ちなみに、「発行済み株式単元数」に、特定株主を除く「浮動株比率」を掛けた「浮動株単元数」は、個人投資家がデイトレードなどで売買できる、実際に流通している株数と言えるが、そこでもライブドア株は5億5049万口とトップである。
 台頭著しいベンチャー企業とは言え、05年9月決算でたかだか100億円程度の営業利益しかないライブドア株が、全上場企業の中で最も流通株数が多いのは、ちょと考えただけでも異様な状態であろう。
 ではこうした「市場の歪み」は、いったい何をもたらしたのか。結論から言えば、実際の証券取引とは解離した〃活況を呈する証券市場〃という、実態を伴わない株式ブームの印象を作り出したのだ。
 例えば、東証1部が45億8000万株と、史上最高の出来高を記録した昨年11月8日。普通の「発行済み株式数」ベースで見ればライブドア株の売買シェアはたった0・5%だが、この「発行済み株式単元数」ベースで見ると、驚くなかれ、ライブドア株の売買シェアは実に71・2%にも跳ね上がるのだ。強制捜査を受けたライブドア株の売り注文が殺到しただけで、東証の売買処理システムがパンクしそうになるのも当然である。
 もちろん証券取引のプロたちには、これが〃虚構〃であることは一目瞭然である。だが株価に反映される企業実体や、証券取引市場の仕組み、そして複雑極まる金融派生商品に精通していない素人投機家たちには、一獲千金のチャンスをつかむ〃大商(おおあきな)い市場〃に見えて不思議はない。
 かくして、異常な水準の株式分割によって大きく低下した「株式単元数」に誘われ、老後の備えとか子供の教育資金にと蓄えてきたなけなしの資金を証券市場に投じる個人投資家が、1銭単位の値動きを目を皿のようにして追い回し、激しい売買を繰り返してベンチャー企業の株価を乱高下させる。
 まさにこれこそが、政府・金融庁と東証が推進した、「個人投資家重視」政策の帰結だったと言わねばならない。

▼人々を投機に追い込む「改革」

 だがもうひとつ、個人投資家と持て囃されたとは言え、それまで普通の生活を送ってきた庶民の中から、これほどの素人投機家が生まれたのは何故だろうか?
 すぐに思い浮かぶのは、超低金利の長期化である。コンマ以下の預金金利の上に、自分の口座から自分のお金を引き出すのにも手数料が掛かるのでは、給与の銀行振り込みが常態化した今日では、普通の労働者家計にとってはたまらない。
 だがもちろん、これだけで〃カジノに走る庶民〃が生まれる訳ではない。むしろ個人投機家を次々と生み出す最大の圧力は、小泉改革が強力に推進した、社会保障制度の全般的破壊であろう。
 年金制度という、退職後の生活保障の支柱が揺らぎ、健康保険制度の個人負担割合も引き上げられ、低金利時代としては優遇されてきた郵便貯金も、郵政民営化によって先行きが不安になれば、人々は人情として、手持ち資産を少しでも有利に運用し、その目減りに対処しようとするだろう。
 そこで、「リスクはあるが、多少は有利な投資先がある」と扇動されれば、将来への不安が強い階層であればあるほど、それに賭けてみようとするのは、むしろ必然的とは言えないだろか。
 だが株式相場は、よほどの幸運に恵まれる以外に、素人投資家が簡単に利益を得られるほど素朴ではない。
 膨大な情報と巨額の資金を持つ証券会社や投資ファンドを向こうに回して、乏しい知識と情報で、つましい資金を投じる以外にない個人投資家は、瞬く間に原資を失う可能性のほうがはるかに高い。
 だがこうして被った損失をあきらめ、早々に相場から手を引くことができるのは、むしろ資金的に余裕のある上層の個人投資家であろう。将来の不安に苛まれ、なけなしの預貯金を原資に株式相場に参入した個人投資家たちは、損失を取り戻そうとますます必死にならざるを得ない。なにしろ被った損失は、自己責任で埋め合わせるしかないのだ。
 こうして、証券市場がカジノ化するために必要なもう一方のプレーヤーが、繰り返し動員されつづける。
 それは、国や企業が、人々の社会的生存権を保障するという社会的責任を逃れ、他方では自己責任の名で社会保障制度全般を破壊しつづけた小泉改革の4年間が、戦後の日本社会をどのように変貌させようとしているのかを、実に象徴的に示してもいる。
 そう。虚業が跋扈し素人投機家が奔走する東証のカジノ化と、これを格好の舞台にしたライブドアの証券取引法違反は、20世紀後半に世界的に広められた「社会的生存権」という、基本的人権思想を脅かす小泉改革の結果として現れた、「これまでにない経済事件」なのである。

 1945年の敗戦後、日本は民主的平和国家に生まれ変わったと主張された。しかし、その民主主義と国際平和の理念は、戦前の家父長的な社会構造の上に接ぎ木されたアメリカ民主主義の「キャッチアップ」、つまりは「借り物の民主主義」であった。そしてライブドア事件が浮き彫りにしたのもまた、グローバリゼーションへの対応と称して推進された一連の金融規制緩和が、アメリカ型規制緩和の「キャッチアップ」に過ぎない「借り物」であったということである。
 それは「脱亜入欧」という、60年前の敗戦によっても総括されずに引きずってきた、いわば「名誉白人」の地位を追い求める戦略的思考の貧困を克服することなしには、今後も、庶民たちの犠牲の上に繰り返されることになるだろう。

(3月31日:きうち・たかし)


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